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1巻
1-3
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「我々を見誤らないでいただきたい。あなたが何もできないはずはない。あなたの目配り、挙措は只者ではない」
口づけた手を緩く握ったまま、彼は静かに、唄うように続ける。
「間者の類いかと、私はまだ少し思わないでもないのですよ。でも、閣下は既に疑ってはおられない様子。その上、あなたをなんらかの形で傍に置くことをお考えのようだ。ならば、力は測っておくべきでしょうし、それに」
ここでちょっと言葉を切り、笑みを含んだ紫の瞳を私に向ける。
「適材適所は組織の鉄則。あなたに侍女が務まるとは、私には到底思えなくて」
……なんか、物凄く失礼なことを言われたような気がするのは、私の気のせいだろうか?
「……そのようなお顔をなさらずとも。人には、それぞれ相応しい場所や役目がある。あなたに箒や塵取りは似合わない。それだけのことですよ」
カルナック大佐は、憮然とした私を宥めるように言った。
そしていきなり、私の肩と両膝の後ろにそれぞれ手を回すと、すいっと立ち上がった。
……抱っこされた。
四捨五入したら不本意ながら十の三倍に突入する私の、人生初のお姫様抱っこである!
さっき問答無用で殴り掛かってきた人ですよ!
おかしくないですか⁉
「⁉ ……ち、ちょっと、カルナック大佐! さっきから何の恨みで嫌がらせを」
私は手足を無駄にばたつかせた。もちろんまるで効果はなく、カルナック大佐の両腕はしっかりと私を捕らえて離さない。
「嫌がらせとは心外な。とはいえ、先ほどのことは謝りますよ。私の職責として、ご容赦いただきたいものですが」
柔らかい声で、カルナック大佐は言った。
そして、長い脚で優雅に歩き始める。
「疲れさせてしまって申し訳ございません。裸足でいらっしゃるし、床を歩いていただくには忍びないのです。とりあえず、休息を取られるのがよろしいかと」
「休息は取りたいけれど、とにかく降ろして」
「ご遠慮なさらず。手入れはされていますが、この部屋はしばらく使われていなかった客間です。万一何か落ちてなどいたら」
「絨毯から出た時、そのお言葉を聞きたかったですわ」
間髪を容れず文句を言ってしまった私は、絶対に悪くないと思う。
「カルナック大佐、とりあえず降ろして!」
「……今、我々がいるところは居間です。……内扉が二つ、ありますでしょう?」
この人、話を聞いてくれない!
「扉は後で見るから早く私を降ろして‼」
「向こう側の扉が衣裳部屋。今は何も置いておりませんが、後から準備させます」
華麗にスルーだ。私の抗議もじたばたもガン無視だ。
芸術品のように形のよい耳は、都合の悪いことはシャットアウトするらしい。
そうこうする間にも彼は歩を進めて、「こちら側」の内扉を私を抱いたまま器用に開けた。
「……うわぁ……」
思わず、私は歓声を上げた。
お風呂だ!
脱衣所と、手洗いらしき仕切りのあるスペースを抜けると、薄緑色の大理石でできた浴室があった。
シャワーだろうか。浴槽の傍の壁際に、何か突起物と取っ手がある。
不本意な体勢への抗議を諦めて私が身を乗り出すと、彼は簡単に操作方法を教えてくれた。
ポンプ式の井戸と噴水の原理を応用したかのような、いわば固定式のシャワーのようだ。
シャワーヘッドが動かないのは少し不便だが、かけ湯しかできない浴室ではなかったことはとてもポイントが高い。
お湯も豊富に出るようだ。カルナック大佐によると、城内の給水設備で季節ごとに一括して温度を調節しているとのこと。
上下水道は城内はもとより、グラディウス家の領内のほぼ全域において普及している、と彼は言った。
思ったよりもインフラが進んだ世界のようだ。
安堵して、かなりご機嫌になった私を見下ろし、
「……驚かれないのですね」
と、気を悪くした風もなく、カルナック大佐は言った。
「あなたのおられたところでは当たり前のものですか?」
「……まぁ、〝異世界〟ですからね」
「色々、お話を伺いたいものです」
社交辞令ではない、思いがけず真摯な口調だった。
「時間があればになりますが。人は、好きなことだけをやって生きてゆくことは難しいですからね」
わずかに、目を伏せて彼は言った。
銀色の睫毛は濃く、長い。マスカラとツケマ要らずだなあ、と、人外の美貌を見上げながら思わず考えてしまう。男の人だけれど。
彼は「天才」と、レオン様は言っていた。あらゆる分野において、と。
そんな優れた人には似つかわしくない台詞だ。
どのような道でも、望むままに選べるだろうに。伸ばしたい分野だけに、専念すればいいのでは?
……あぁ、でも、レオン様の「副官」ということは、彼自身も相当のご身分なのだろう。
ということは、進む道を自分の意志で選ぶことが許されないのかもしれない。
好きなことが他にあったのだろうか。
何をやりたかったのだろうか。
「……ご心配なく。自分を不幸だなどとは思っておりませんから」
考え込んでしまった私を気遣うように、彼は言った。
確かに、それは当然だ。
「その見た目で、何でもできれば当然ですよね。不幸、だなんて口に出すのもおかしな話」
ついつい、非難めいた口調になってしまう。
「本当に不幸な方々に失礼ですよ」
「そうかもしれませんね。……さて、着きました」
浴室エリアを抜けて、次の部屋に入っていたらしい。彼は私の言葉を軽くいなして、私をそっと降ろした。
――寝台の上に。
豪華な掛け布を片手で剥いで、私を横たえさせる。
吐息が、私の額にかかる。
「⁉ 顔、近すぎ……⁉」
「……浴室をご利用になられるのは、お目覚めののちでもよろしいでしょう?」
至近距離で、カルナック大佐は言った。
私の顔の両側に手をついて、覗き込む。
抱っこの時よりもさらに近くで、紫水晶の瞳に私を映している。
「……これから私と閣下とであなたの足場を整えます。もうすぐ夜明けですが、おそらく今晩くらいまでは時間を要するでしょう。諸々の作業に」
……もうちょっとで唇と唇がくっつきそうだ。やめて下さい。お願いします。あなたの見た目を自覚して下さい。頭が沸騰しそうです。これはある意味、顔テロ……
「お呼びするまで、絶対に部屋から出ないで下さい。今晩までのことですから、ご辛抱下さいね」
「……わかり、ました、大丈夫です……」
「当座の衣服も食事も、後でお持ちします。とにかく今晩までは絶対に」
「……了解、了解です、大佐殿……」
息も絶え絶えに、素直に首肯したのに、なぜか彼の瞳が一瞬にして剣呑な光を帯びた。
なぜ、何ゆえに。
「その呼び方はおやめ下さい。ついでに、〝カルナック大佐〟も。無粋ですからね」
レオン様だってそう呼んでいたはずなのに。あ、オルギール、とも呼んでいらしたっけ? でも、レオン様と私では立場が違う……
「閣下は閣下。あなたはあなた。呼ばれる私が決めることです」
私の思考を完璧に読み切って、きっぱりと彼は言った。
「オルギールとお呼び下さい」
「オルギールさま……」
「さま、は不要。オルギールと」
もう何でもいいです。
「オルギール……」
よくできました、と言わんばかりに、彼は微笑んで、そして。
「⁉ ……うむぅ……⁉ ん、ん……‼」
見た目よりも意外なほどに柔らかい、しっとりとした唇が重ねられた。
「んく、……んむ……っ」
抵抗しようとして口を開けると、当然のようにするりと舌が入ってくる。
味わうようにゆっくりと私の歯列をなぞり、舌を絡めようとする。
びっくりの連続に心が折れそうな私が、なんとか必死で舌を引っ込めようとした瞬間、何かが舌の上に落とされた。
「⁉」
錠剤? 小さすぎて、吐き出す前にすぐ溶けてしまう。
「……軽い、睡眠薬ですよ。お疲れではあっても、目が冴えてしまっていませんか?」
衝撃的すぎてものが言えない私の唇をそっとひと舐めして、彼は囁いた。
「あなたは、間諜ではない。私ももう疑っていませんよ。こんな可愛らしい反応をする間諜はいないでしょうから。演技なら、私にはわかりますのでね」
ゆっくりお休み下さい。彼はそう言って私の頬を撫で、立ち上がった。
一礼して、遠ざかる気配がする。パタン、と、静かに扉が閉まる音がする。
……あんまりだ。失礼過ぎる。レオン様に言いつけてやる。
何の抗議の言葉も口に出せないまま、私は急速に襲ってくる睡魔に身を委ねた。
* * *
夜明けが、近づいていた。
闇色の空が、ゆっくりと藍色へ、さらに紫の混じる暁の紅色へ。
静まり返っていた城内に少しずつ大小の足音が増え、人々の声が聞こえ始める。その中にかすかに馬のいななきが混じる。
煮炊きの煙が上がり、朝食の準備が始まったようだ。澄んだ夜明けの空気に、食べ物の匂いが溶けてゆく。
レオン・エヴァンジェリスタ・ド・グラディウス公爵は、居室の窓を開け放った。夜明けの清新な空気を味わいながら、副官の帰りを待つ。
――とんでもない夜だった。
前の晩は、星々が織りなす「天空の奇跡」を鑑賞した。
十秒にも満たなかったが、真昼のように明るく白い光に満たされ、この世のものとは思えない情景であった。
しかし、そのあまりの明るさに、初めは愉し気にさんざめいていた紳士淑女、招かれていた楽士や曲芸師たちも、得体の知れぬ畏怖に襲われたようだ。最後には水を打ったように静まり返っていたことを思い出す。
その後は気を取り直したように楽士たちの演奏が始まったが、白けてしまった場の雰囲気はなかなか戻らない。こうなっては無礼講のほうがいいだろうと、主催者の一人であり最高位の参加者であるレオンも、引き揚げることにしたのだ。
(……で、帰ってみたら……)
まず居間で二、三事務処理をこなして、寝室へ移動したところ、人の気配があり。警戒しつつ様子を窺うと、自分の寝台で見知らぬ女が眠りこけていたのだ。
生まれたままの姿で。
――艶やかな真っ直ぐの黒髪は肩下くらいまでか。細い首にぱらりとかかって、あとは後ろに流れ落ちている。
女は横を向いて眠っているが、腕も脚も背中も丸く縮こまり、やけに幼気に見えた。
が、明らかに成人した女性の体であることも、無論すぐにわかった。
すんなりとした、伸ばしたら長いであろう手足。胸は曲げた両腕で半ば隠れているのが惜しいが、かなり豊かだ。半開きの唇は紅を刷いたように赤い。細い、高い鼻梁、濃い黒い睫毛。
瞳の色は――
「戻りました」
副官の声に、レオンは我に返った。
「ご苦労だったな、オルギール」
労いつつ、振り返って椅子を勧め、自らも腰を下ろす。
「彼女はおとなしく部屋から出ないと約束したか?」
「まあ一応。夜までは起きないでしょう」
「……薬を?」
「念のために」
「抜かりのないことだな」
しばらく使っていなかった客間だ。当然、飲料の支度もない。どうやって薬を飲ませたのやら、と思わず突っ込もうとしたが、やめた。些末なことだ。時間が惜しい。
「……さっき言ったこと、夜までにできそうか?」
「大丈夫でしょう。入退城記録、客間の利用記録、〝彼女が乗ってきた〟馬、または馬車の手配、街道の宿帳の改ざん」
「ということは、彼女の出身もあてがあるのか? どこから来たことにする?」
「まだ決めかねていますが、二、三心当たりはあります。エヴァンジェリスタ公領の辺境から来た、ということでどうでしょう。表敬と陳情にレオン様の城を訪れたことにして」
「……まぁ、その辺の事情は任せる」
オルギール・ド・カルナックは、他に誰もいない時だけレオンのことを「レオン様」と呼ぶ。他人がいる時は「閣下」。閣下はやめろとどれだけレオンが言っても、オルギールはこれだけは譲ろうとしないのだ。
「レオン様の御祖父上は、かなりの艶福家でいらしたはずですね」
「まあ、な」
「ご落胤説があちこちにあった。今まではどれも決定打に欠け、証明されずに消えてゆきましたが、そのうちの一つを利用しましょう。肉付けして、本物の〝ご落胤の血筋〟にします」
「かなりの身分にするわけだな」
レオンは、軽く琥珀色の目を瞠った。
「となると、彼女には相当の義務も責任も出てくるが……」
グラディウス一族は、怠惰を許さない。とにかく、身分と権力に見合った働きを求めるのだ。
能力がまったく未知数である上、そもそも「異世界人」の彼女には酷ではないか。
彼はそう思ったのだが、
「……先々を思えばそのほうがよろしいでしょう」
静かに、オルギールは言った。
公爵にさえ反論を許さぬような、確信に満ちた声。
「実力は、おそらく問題ありません。予測ですが、場所を与えてやればどこまでも枝葉を伸ばしてゆくでしょう。ならば初めから、石頭どもを黙らせるだけの身分を与えておくべきかと。もう一つの理由としては」
少し言葉を切る。
「……彼女は若い女性です。あの容姿に身分があれば、レオン様にとっても彼女にとっても邪魔にはならない」
「……」
含みのある言葉に、レオンは琥珀色の瞳を細め、淡々と語る副官の白皙を探るように見つめた。しかし、オルギールは感情を読まれることを避けるようにその瞳を伏せている。
* * *
銀髪の超絶美形、オルギールに不届きな方法による強制睡眠をとらされた後、目覚めた私はひたすら恭しくかしずかれ、もてなされる客人と化していた。
客間付きという侍女が身の回りのあれこれをしてくれる。
クローゼットにはあっという間に大量の衣装が運び込まれた。
これでも「当座の」と言うのだから恐れ入る。
豪華でおいしい食事、退屈しのぎに、と差し入れられる美麗な装丁の本(ラテン語にとてもよく似ている言語。なぜかちゃんと読めるし意味もわかる。異世界あるあるだ)、見た目も味もよいお菓子たち。
そして、レオン様は昼間からちょいちょい姿を見せる。
困ったことはないかとか、休憩に付き合ってほしいとか、適当なことを口にしつつ雑談をしたりお茶をしたりする。さらにはオルギールもやってくるのだから、私はまったく退屈しない。
ありがたいのだけれど、けっこうな頻度なのが気になっている。
暇なのか? と疑いたくもなるが、レオン様のことはオルギールが、オルギールのことは彼の部下が必ず呼びにくるので、やはり暇なはずはないのだろう。
異世界から来た私が珍しいのは理解できるが、私の所へ来るために仕事をサボっているのではないかと心配になるほどだ。
仕事が滞ったりしたら、「あの新参者の女のせいで」などと言われて、私が攻撃されてしまうのではないだろうか?
私の世話をしてくれる人たちはそれはそれはよくしてくれるけれど、ゆめゆめ勘違いをしてはならない。レオン様やオルギールが偉いのであって、私が偉くなったのではないのだ。
でも、客間へ来てくれるお世話係さんに「掃除道具の所在を教えてくれたら自分で掃除をする」と言ってみたら速攻で断られてしまった。
――私はここで何をしているのだろう。
* * *
「――あの、レオン様」
「なんだ?」
レオン様は高価そうなワイングラスを優雅に持ち上げると、くいくいっと水でも飲むように中身を干した。
食事が始まって間もないというのに、もう三杯目である。
ほぼほぼ毎日、このペースで夕食一回につきワインボトルを一本空にしている。
ちなみに私は、レオン様とお揃いのワイングラスで葡萄ジュースをいただいている。
下戸なので一滴も一杯もお付き合いできません、と、初めにきちんとアルコールの御相伴は無理と明言したのだ。
「子供か?」とちょっと驚かれたけれど、レオン様は無理強いすることもなく、葡萄ジュースの他、色々な果実水や冷たいお水なども用意してくれた。
レオン様は、よく飲み、よく食べる。
けれど、品の良さはまったく損なわれていない。
さすがは公爵様だなあ、となんとなく見惚れながら、
「お忙しいのでしょう? そんなに毎日、夕食にお付き合い下さらなくても」
と、言ってみた。
そう。
超多忙なはずのレオン様は、相変わらず毎日のように客間へやってくる。
ありがたいことだとは思うが、少々気が引けてしまう。
「こちらで食事を取られるために、無理しておられるのではないかと」
「俺が君と食べたいんだ」
香辛料をきかせたドレッシングを野菜にからめつつ、レオン様はきっぱりと言った。
飾り切りにしたかぼちゃに似た野菜を咀嚼して飲み下すと、私がさっき念のためにお代わりを注いでおいたワイングラスにまた手を伸ばす。
四杯目。酒豪決定だ。
「それとも迷惑か?」
さらりと言うが、グラスに唇をつけながらこちらに向ける金色の瞳は鋭い。
さすが公爵様、迫力がある。
「迷惑などと、それはあり得ませんけれど」
私はあわてて言った。
ちょっとした視線でびびるほど私もやわではない。
しかし、彼ほどの権力者であり当面の私の庇護者のご機嫌を損ねるつもりはまったくない。
「申し訳ないのです。何から何までお世話になっている上、お忙しいのにこんなにも時間を割いていただいて」
心からそう思っているから、私はいったんカトラリーを置いて、彼の目を見て言った。
「なんだかお姫様にでもなった気分」
「その通り」
罪悪感をにじませて呟いた私に、レオン様は間髪を容れず応答した。
「君はグラディウスの姫君だ、リーヴァ」
「はあ」
……リーヴァ?
「リヴェア・エミール、だったな? ちゃんと覚えてるぞ」
間抜け面と気のない返事を気にする様子もなく、レオン様は機嫌よくワイングラスを空けた。
さらにお代わりを注いで差し上げる。
ありがとう、と口の動きだけで言ってはいるが、当然といった様子だ。
私がいた「異世界」のことも含め突っ込んだ話をしたい、という理由で、配膳以外では給仕すら遠ざけているから、お酌は私がやって差し上げる他ない。
最初の一回だけ、気にするな、自分でやるぞと言ってくれたけれど、公爵様に手酌で酒を飲ませるのはまずいだろう。そう思ってお注ぎしたところ、盛大ににっこりされてしまい、なぜだかドキドキしてしまったのは内緒だ。
それに、仕方なしに始めたこととはいえ、私のぎこちないお酌でも上機嫌にグラスを干して、朗らかにおしゃべりをしてくれる男性を見ているのは嬉しいし、楽しい。
レオン様は王様みたいに威厳と気品に満ちた人だけれど、話し上手で聞き上手。大らかで気さくで、とても素敵な男性なのだ。
そのレオン様は水みたいにこくこくと酒杯を干した。
また注ぐ。簡単には空にならないようになみなみと注いだら、粗忽にもこぼしてしまった。
それでもレオン様は「おっと大量だな」と呟いただけで、お咎めなしだった。よかった。
先ほどよりもいくぶんかゆっくりとグラスを持ち上げて、優雅な仕草で杯の三分の一ほどを口にした。
「リーヴァ、の方が呼びやすいし、親密な感じがしていいなと思ったんだ」
「親密な感じ……」
「異議ありかな?」
笑みを含んだ金色の瞳が向けられる。
「異議も何も……」
背中も心もざわざわする。
真面目な話をしている時には鋭く、くだけた話をしている時は甘く光るレオン様の金色の瞳。
言うまでもなく今は後者のほうだ。
嫌われてはいないだろう。
いや、むしろ、好意を持たれているかも、と思うくらいによくしていただいているけれど、いい気になってはいけない。
これまでにたくさん傷ついてきた私は、慎重なのだ。
「俺は君のことを気に入っている。もっと知りたい、親しくなりたいと思っている」
口ごもって目を逸らす私に気を悪くすることもなく、レオン様はさらりと言った。
気に入ってる、とか、親しくなりたい、とか。
誤解のしようもない、真っ直ぐで分かりやすいレオン様の言葉は、屈折した私の耳にもストレートに飛び込んで、すとん、と心に落ちてくる。
また、ざわざわしてきた。
恥ずかしい、というか、照れくさい、というか。冗談かな、と思ったり。
嬉しいな、こんなに素敵な人が、と素直に感じると同時に、いや待て、今は珍しがられているだけだ、と戒める自分もいる。
舞い上がったり自重したり。
さっきからずっとその繰り返しだ。
「面白いな、君は」
挙動不審に違いない私だけれど、レオン様はそれすらも私に対する興味の一つにしてしまうらしい。
口づけた手を緩く握ったまま、彼は静かに、唄うように続ける。
「間者の類いかと、私はまだ少し思わないでもないのですよ。でも、閣下は既に疑ってはおられない様子。その上、あなたをなんらかの形で傍に置くことをお考えのようだ。ならば、力は測っておくべきでしょうし、それに」
ここでちょっと言葉を切り、笑みを含んだ紫の瞳を私に向ける。
「適材適所は組織の鉄則。あなたに侍女が務まるとは、私には到底思えなくて」
……なんか、物凄く失礼なことを言われたような気がするのは、私の気のせいだろうか?
「……そのようなお顔をなさらずとも。人には、それぞれ相応しい場所や役目がある。あなたに箒や塵取りは似合わない。それだけのことですよ」
カルナック大佐は、憮然とした私を宥めるように言った。
そしていきなり、私の肩と両膝の後ろにそれぞれ手を回すと、すいっと立ち上がった。
……抱っこされた。
四捨五入したら不本意ながら十の三倍に突入する私の、人生初のお姫様抱っこである!
さっき問答無用で殴り掛かってきた人ですよ!
おかしくないですか⁉
「⁉ ……ち、ちょっと、カルナック大佐! さっきから何の恨みで嫌がらせを」
私は手足を無駄にばたつかせた。もちろんまるで効果はなく、カルナック大佐の両腕はしっかりと私を捕らえて離さない。
「嫌がらせとは心外な。とはいえ、先ほどのことは謝りますよ。私の職責として、ご容赦いただきたいものですが」
柔らかい声で、カルナック大佐は言った。
そして、長い脚で優雅に歩き始める。
「疲れさせてしまって申し訳ございません。裸足でいらっしゃるし、床を歩いていただくには忍びないのです。とりあえず、休息を取られるのがよろしいかと」
「休息は取りたいけれど、とにかく降ろして」
「ご遠慮なさらず。手入れはされていますが、この部屋はしばらく使われていなかった客間です。万一何か落ちてなどいたら」
「絨毯から出た時、そのお言葉を聞きたかったですわ」
間髪を容れず文句を言ってしまった私は、絶対に悪くないと思う。
「カルナック大佐、とりあえず降ろして!」
「……今、我々がいるところは居間です。……内扉が二つ、ありますでしょう?」
この人、話を聞いてくれない!
「扉は後で見るから早く私を降ろして‼」
「向こう側の扉が衣裳部屋。今は何も置いておりませんが、後から準備させます」
華麗にスルーだ。私の抗議もじたばたもガン無視だ。
芸術品のように形のよい耳は、都合の悪いことはシャットアウトするらしい。
そうこうする間にも彼は歩を進めて、「こちら側」の内扉を私を抱いたまま器用に開けた。
「……うわぁ……」
思わず、私は歓声を上げた。
お風呂だ!
脱衣所と、手洗いらしき仕切りのあるスペースを抜けると、薄緑色の大理石でできた浴室があった。
シャワーだろうか。浴槽の傍の壁際に、何か突起物と取っ手がある。
不本意な体勢への抗議を諦めて私が身を乗り出すと、彼は簡単に操作方法を教えてくれた。
ポンプ式の井戸と噴水の原理を応用したかのような、いわば固定式のシャワーのようだ。
シャワーヘッドが動かないのは少し不便だが、かけ湯しかできない浴室ではなかったことはとてもポイントが高い。
お湯も豊富に出るようだ。カルナック大佐によると、城内の給水設備で季節ごとに一括して温度を調節しているとのこと。
上下水道は城内はもとより、グラディウス家の領内のほぼ全域において普及している、と彼は言った。
思ったよりもインフラが進んだ世界のようだ。
安堵して、かなりご機嫌になった私を見下ろし、
「……驚かれないのですね」
と、気を悪くした風もなく、カルナック大佐は言った。
「あなたのおられたところでは当たり前のものですか?」
「……まぁ、〝異世界〟ですからね」
「色々、お話を伺いたいものです」
社交辞令ではない、思いがけず真摯な口調だった。
「時間があればになりますが。人は、好きなことだけをやって生きてゆくことは難しいですからね」
わずかに、目を伏せて彼は言った。
銀色の睫毛は濃く、長い。マスカラとツケマ要らずだなあ、と、人外の美貌を見上げながら思わず考えてしまう。男の人だけれど。
彼は「天才」と、レオン様は言っていた。あらゆる分野において、と。
そんな優れた人には似つかわしくない台詞だ。
どのような道でも、望むままに選べるだろうに。伸ばしたい分野だけに、専念すればいいのでは?
……あぁ、でも、レオン様の「副官」ということは、彼自身も相当のご身分なのだろう。
ということは、進む道を自分の意志で選ぶことが許されないのかもしれない。
好きなことが他にあったのだろうか。
何をやりたかったのだろうか。
「……ご心配なく。自分を不幸だなどとは思っておりませんから」
考え込んでしまった私を気遣うように、彼は言った。
確かに、それは当然だ。
「その見た目で、何でもできれば当然ですよね。不幸、だなんて口に出すのもおかしな話」
ついつい、非難めいた口調になってしまう。
「本当に不幸な方々に失礼ですよ」
「そうかもしれませんね。……さて、着きました」
浴室エリアを抜けて、次の部屋に入っていたらしい。彼は私の言葉を軽くいなして、私をそっと降ろした。
――寝台の上に。
豪華な掛け布を片手で剥いで、私を横たえさせる。
吐息が、私の額にかかる。
「⁉ 顔、近すぎ……⁉」
「……浴室をご利用になられるのは、お目覚めののちでもよろしいでしょう?」
至近距離で、カルナック大佐は言った。
私の顔の両側に手をついて、覗き込む。
抱っこの時よりもさらに近くで、紫水晶の瞳に私を映している。
「……これから私と閣下とであなたの足場を整えます。もうすぐ夜明けですが、おそらく今晩くらいまでは時間を要するでしょう。諸々の作業に」
……もうちょっとで唇と唇がくっつきそうだ。やめて下さい。お願いします。あなたの見た目を自覚して下さい。頭が沸騰しそうです。これはある意味、顔テロ……
「お呼びするまで、絶対に部屋から出ないで下さい。今晩までのことですから、ご辛抱下さいね」
「……わかり、ました、大丈夫です……」
「当座の衣服も食事も、後でお持ちします。とにかく今晩までは絶対に」
「……了解、了解です、大佐殿……」
息も絶え絶えに、素直に首肯したのに、なぜか彼の瞳が一瞬にして剣呑な光を帯びた。
なぜ、何ゆえに。
「その呼び方はおやめ下さい。ついでに、〝カルナック大佐〟も。無粋ですからね」
レオン様だってそう呼んでいたはずなのに。あ、オルギール、とも呼んでいらしたっけ? でも、レオン様と私では立場が違う……
「閣下は閣下。あなたはあなた。呼ばれる私が決めることです」
私の思考を完璧に読み切って、きっぱりと彼は言った。
「オルギールとお呼び下さい」
「オルギールさま……」
「さま、は不要。オルギールと」
もう何でもいいです。
「オルギール……」
よくできました、と言わんばかりに、彼は微笑んで、そして。
「⁉ ……うむぅ……⁉ ん、ん……‼」
見た目よりも意外なほどに柔らかい、しっとりとした唇が重ねられた。
「んく、……んむ……っ」
抵抗しようとして口を開けると、当然のようにするりと舌が入ってくる。
味わうようにゆっくりと私の歯列をなぞり、舌を絡めようとする。
びっくりの連続に心が折れそうな私が、なんとか必死で舌を引っ込めようとした瞬間、何かが舌の上に落とされた。
「⁉」
錠剤? 小さすぎて、吐き出す前にすぐ溶けてしまう。
「……軽い、睡眠薬ですよ。お疲れではあっても、目が冴えてしまっていませんか?」
衝撃的すぎてものが言えない私の唇をそっとひと舐めして、彼は囁いた。
「あなたは、間諜ではない。私ももう疑っていませんよ。こんな可愛らしい反応をする間諜はいないでしょうから。演技なら、私にはわかりますのでね」
ゆっくりお休み下さい。彼はそう言って私の頬を撫で、立ち上がった。
一礼して、遠ざかる気配がする。パタン、と、静かに扉が閉まる音がする。
……あんまりだ。失礼過ぎる。レオン様に言いつけてやる。
何の抗議の言葉も口に出せないまま、私は急速に襲ってくる睡魔に身を委ねた。
* * *
夜明けが、近づいていた。
闇色の空が、ゆっくりと藍色へ、さらに紫の混じる暁の紅色へ。
静まり返っていた城内に少しずつ大小の足音が増え、人々の声が聞こえ始める。その中にかすかに馬のいななきが混じる。
煮炊きの煙が上がり、朝食の準備が始まったようだ。澄んだ夜明けの空気に、食べ物の匂いが溶けてゆく。
レオン・エヴァンジェリスタ・ド・グラディウス公爵は、居室の窓を開け放った。夜明けの清新な空気を味わいながら、副官の帰りを待つ。
――とんでもない夜だった。
前の晩は、星々が織りなす「天空の奇跡」を鑑賞した。
十秒にも満たなかったが、真昼のように明るく白い光に満たされ、この世のものとは思えない情景であった。
しかし、そのあまりの明るさに、初めは愉し気にさんざめいていた紳士淑女、招かれていた楽士や曲芸師たちも、得体の知れぬ畏怖に襲われたようだ。最後には水を打ったように静まり返っていたことを思い出す。
その後は気を取り直したように楽士たちの演奏が始まったが、白けてしまった場の雰囲気はなかなか戻らない。こうなっては無礼講のほうがいいだろうと、主催者の一人であり最高位の参加者であるレオンも、引き揚げることにしたのだ。
(……で、帰ってみたら……)
まず居間で二、三事務処理をこなして、寝室へ移動したところ、人の気配があり。警戒しつつ様子を窺うと、自分の寝台で見知らぬ女が眠りこけていたのだ。
生まれたままの姿で。
――艶やかな真っ直ぐの黒髪は肩下くらいまでか。細い首にぱらりとかかって、あとは後ろに流れ落ちている。
女は横を向いて眠っているが、腕も脚も背中も丸く縮こまり、やけに幼気に見えた。
が、明らかに成人した女性の体であることも、無論すぐにわかった。
すんなりとした、伸ばしたら長いであろう手足。胸は曲げた両腕で半ば隠れているのが惜しいが、かなり豊かだ。半開きの唇は紅を刷いたように赤い。細い、高い鼻梁、濃い黒い睫毛。
瞳の色は――
「戻りました」
副官の声に、レオンは我に返った。
「ご苦労だったな、オルギール」
労いつつ、振り返って椅子を勧め、自らも腰を下ろす。
「彼女はおとなしく部屋から出ないと約束したか?」
「まあ一応。夜までは起きないでしょう」
「……薬を?」
「念のために」
「抜かりのないことだな」
しばらく使っていなかった客間だ。当然、飲料の支度もない。どうやって薬を飲ませたのやら、と思わず突っ込もうとしたが、やめた。些末なことだ。時間が惜しい。
「……さっき言ったこと、夜までにできそうか?」
「大丈夫でしょう。入退城記録、客間の利用記録、〝彼女が乗ってきた〟馬、または馬車の手配、街道の宿帳の改ざん」
「ということは、彼女の出身もあてがあるのか? どこから来たことにする?」
「まだ決めかねていますが、二、三心当たりはあります。エヴァンジェリスタ公領の辺境から来た、ということでどうでしょう。表敬と陳情にレオン様の城を訪れたことにして」
「……まぁ、その辺の事情は任せる」
オルギール・ド・カルナックは、他に誰もいない時だけレオンのことを「レオン様」と呼ぶ。他人がいる時は「閣下」。閣下はやめろとどれだけレオンが言っても、オルギールはこれだけは譲ろうとしないのだ。
「レオン様の御祖父上は、かなりの艶福家でいらしたはずですね」
「まあ、な」
「ご落胤説があちこちにあった。今まではどれも決定打に欠け、証明されずに消えてゆきましたが、そのうちの一つを利用しましょう。肉付けして、本物の〝ご落胤の血筋〟にします」
「かなりの身分にするわけだな」
レオンは、軽く琥珀色の目を瞠った。
「となると、彼女には相当の義務も責任も出てくるが……」
グラディウス一族は、怠惰を許さない。とにかく、身分と権力に見合った働きを求めるのだ。
能力がまったく未知数である上、そもそも「異世界人」の彼女には酷ではないか。
彼はそう思ったのだが、
「……先々を思えばそのほうがよろしいでしょう」
静かに、オルギールは言った。
公爵にさえ反論を許さぬような、確信に満ちた声。
「実力は、おそらく問題ありません。予測ですが、場所を与えてやればどこまでも枝葉を伸ばしてゆくでしょう。ならば初めから、石頭どもを黙らせるだけの身分を与えておくべきかと。もう一つの理由としては」
少し言葉を切る。
「……彼女は若い女性です。あの容姿に身分があれば、レオン様にとっても彼女にとっても邪魔にはならない」
「……」
含みのある言葉に、レオンは琥珀色の瞳を細め、淡々と語る副官の白皙を探るように見つめた。しかし、オルギールは感情を読まれることを避けるようにその瞳を伏せている。
* * *
銀髪の超絶美形、オルギールに不届きな方法による強制睡眠をとらされた後、目覚めた私はひたすら恭しくかしずかれ、もてなされる客人と化していた。
客間付きという侍女が身の回りのあれこれをしてくれる。
クローゼットにはあっという間に大量の衣装が運び込まれた。
これでも「当座の」と言うのだから恐れ入る。
豪華でおいしい食事、退屈しのぎに、と差し入れられる美麗な装丁の本(ラテン語にとてもよく似ている言語。なぜかちゃんと読めるし意味もわかる。異世界あるあるだ)、見た目も味もよいお菓子たち。
そして、レオン様は昼間からちょいちょい姿を見せる。
困ったことはないかとか、休憩に付き合ってほしいとか、適当なことを口にしつつ雑談をしたりお茶をしたりする。さらにはオルギールもやってくるのだから、私はまったく退屈しない。
ありがたいのだけれど、けっこうな頻度なのが気になっている。
暇なのか? と疑いたくもなるが、レオン様のことはオルギールが、オルギールのことは彼の部下が必ず呼びにくるので、やはり暇なはずはないのだろう。
異世界から来た私が珍しいのは理解できるが、私の所へ来るために仕事をサボっているのではないかと心配になるほどだ。
仕事が滞ったりしたら、「あの新参者の女のせいで」などと言われて、私が攻撃されてしまうのではないだろうか?
私の世話をしてくれる人たちはそれはそれはよくしてくれるけれど、ゆめゆめ勘違いをしてはならない。レオン様やオルギールが偉いのであって、私が偉くなったのではないのだ。
でも、客間へ来てくれるお世話係さんに「掃除道具の所在を教えてくれたら自分で掃除をする」と言ってみたら速攻で断られてしまった。
――私はここで何をしているのだろう。
* * *
「――あの、レオン様」
「なんだ?」
レオン様は高価そうなワイングラスを優雅に持ち上げると、くいくいっと水でも飲むように中身を干した。
食事が始まって間もないというのに、もう三杯目である。
ほぼほぼ毎日、このペースで夕食一回につきワインボトルを一本空にしている。
ちなみに私は、レオン様とお揃いのワイングラスで葡萄ジュースをいただいている。
下戸なので一滴も一杯もお付き合いできません、と、初めにきちんとアルコールの御相伴は無理と明言したのだ。
「子供か?」とちょっと驚かれたけれど、レオン様は無理強いすることもなく、葡萄ジュースの他、色々な果実水や冷たいお水なども用意してくれた。
レオン様は、よく飲み、よく食べる。
けれど、品の良さはまったく損なわれていない。
さすがは公爵様だなあ、となんとなく見惚れながら、
「お忙しいのでしょう? そんなに毎日、夕食にお付き合い下さらなくても」
と、言ってみた。
そう。
超多忙なはずのレオン様は、相変わらず毎日のように客間へやってくる。
ありがたいことだとは思うが、少々気が引けてしまう。
「こちらで食事を取られるために、無理しておられるのではないかと」
「俺が君と食べたいんだ」
香辛料をきかせたドレッシングを野菜にからめつつ、レオン様はきっぱりと言った。
飾り切りにしたかぼちゃに似た野菜を咀嚼して飲み下すと、私がさっき念のためにお代わりを注いでおいたワイングラスにまた手を伸ばす。
四杯目。酒豪決定だ。
「それとも迷惑か?」
さらりと言うが、グラスに唇をつけながらこちらに向ける金色の瞳は鋭い。
さすが公爵様、迫力がある。
「迷惑などと、それはあり得ませんけれど」
私はあわてて言った。
ちょっとした視線でびびるほど私もやわではない。
しかし、彼ほどの権力者であり当面の私の庇護者のご機嫌を損ねるつもりはまったくない。
「申し訳ないのです。何から何までお世話になっている上、お忙しいのにこんなにも時間を割いていただいて」
心からそう思っているから、私はいったんカトラリーを置いて、彼の目を見て言った。
「なんだかお姫様にでもなった気分」
「その通り」
罪悪感をにじませて呟いた私に、レオン様は間髪を容れず応答した。
「君はグラディウスの姫君だ、リーヴァ」
「はあ」
……リーヴァ?
「リヴェア・エミール、だったな? ちゃんと覚えてるぞ」
間抜け面と気のない返事を気にする様子もなく、レオン様は機嫌よくワイングラスを空けた。
さらにお代わりを注いで差し上げる。
ありがとう、と口の動きだけで言ってはいるが、当然といった様子だ。
私がいた「異世界」のことも含め突っ込んだ話をしたい、という理由で、配膳以外では給仕すら遠ざけているから、お酌は私がやって差し上げる他ない。
最初の一回だけ、気にするな、自分でやるぞと言ってくれたけれど、公爵様に手酌で酒を飲ませるのはまずいだろう。そう思ってお注ぎしたところ、盛大ににっこりされてしまい、なぜだかドキドキしてしまったのは内緒だ。
それに、仕方なしに始めたこととはいえ、私のぎこちないお酌でも上機嫌にグラスを干して、朗らかにおしゃべりをしてくれる男性を見ているのは嬉しいし、楽しい。
レオン様は王様みたいに威厳と気品に満ちた人だけれど、話し上手で聞き上手。大らかで気さくで、とても素敵な男性なのだ。
そのレオン様は水みたいにこくこくと酒杯を干した。
また注ぐ。簡単には空にならないようになみなみと注いだら、粗忽にもこぼしてしまった。
それでもレオン様は「おっと大量だな」と呟いただけで、お咎めなしだった。よかった。
先ほどよりもいくぶんかゆっくりとグラスを持ち上げて、優雅な仕草で杯の三分の一ほどを口にした。
「リーヴァ、の方が呼びやすいし、親密な感じがしていいなと思ったんだ」
「親密な感じ……」
「異議ありかな?」
笑みを含んだ金色の瞳が向けられる。
「異議も何も……」
背中も心もざわざわする。
真面目な話をしている時には鋭く、くだけた話をしている時は甘く光るレオン様の金色の瞳。
言うまでもなく今は後者のほうだ。
嫌われてはいないだろう。
いや、むしろ、好意を持たれているかも、と思うくらいによくしていただいているけれど、いい気になってはいけない。
これまでにたくさん傷ついてきた私は、慎重なのだ。
「俺は君のことを気に入っている。もっと知りたい、親しくなりたいと思っている」
口ごもって目を逸らす私に気を悪くすることもなく、レオン様はさらりと言った。
気に入ってる、とか、親しくなりたい、とか。
誤解のしようもない、真っ直ぐで分かりやすいレオン様の言葉は、屈折した私の耳にもストレートに飛び込んで、すとん、と心に落ちてくる。
また、ざわざわしてきた。
恥ずかしい、というか、照れくさい、というか。冗談かな、と思ったり。
嬉しいな、こんなに素敵な人が、と素直に感じると同時に、いや待て、今は珍しがられているだけだ、と戒める自分もいる。
舞い上がったり自重したり。
さっきからずっとその繰り返しだ。
「面白いな、君は」
挙動不審に違いない私だけれど、レオン様はそれすらも私に対する興味の一つにしてしまうらしい。
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