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9.-22

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 侍女と入れ替わるようにして、オルギールが入ってきた。
 
 私と目が合うと、銀色の頭を恭しく下げて、リヴェア様にはご機嫌麗しく、と最近おなじみの挨拶をしてくれる。
 
 「……」

 挨拶を返そうとして開けた口がそのままぽかんになった。
 光のかたまりが入室してきたかのようである。
 
 麗しいのはオルギールのほうだ。

 白に金糸銀糸で刺繍を施した丈の長い上衣、白いズボン、茶色の長靴。普段、黒か白黒のモノトーンが多いオルギールにしてはとてつもなく華やかな身なりである。まあ何を着ても目立つひとなのだけれど。
 オルギールがこのような恰好をしていると眩しくて目が慣れるのに時間がかかりそうなほど。

 実際、部屋もいちだんと明るくなったかのようだ。松明みたい。

 「……綺麗ねえ、オルギール。……」

 私は思わずうっとりと呟いた。
 眼福、目の保養。私がおばあさんなら、「ほんに寿命が延びそうだねえ」とか言うに違いない。
 神々しいほどの美しさである。

 「何かあったの?それとも昼食のためのおめかし?」
 「簡単ですが朝いちばんで侯爵位の拝命式がありまして」

 オルギールは淡々と答えながら、華やかな上衣を脱いで椅子の背にかけた。
 中は、白いレースのシャツだ。ところどころ銀糸の刺繍が施されている。

 脱いでも美しい、とうっとりと眺めている私に、オルギールは残念な子を見るような視線を向けた。
 彼はこんなに美しいのに、自分に対する褒め言葉にはほぼ反応を示さない。または、糖蜜のように甘い声と瞳で「美しいのはあなたですよ」と切り返すのが常なのだ。

 「貴族のお仕着せをこういう時くらいは着用しなくてはならないので。窮屈なものですね」

 いつも簡素な服装か誂えたようによく似合う武官の姿だけれど、華美な服装はしない彼にしてみれば心底うんざりしたらしい。
 
 「当分、遠慮したいです」
 「そうは言わずと。こんなに素敵なのに」

 煌びやかで目が潰れそうだけれどたまには見たい。一見の価値がある華やかな美しさだ。
 私がそう言うと、ようやくオルギールの顔がほころんだ。

 「あなたがそうおっしゃるならたまにはいいのかもしれませんが」

 オルギールはそう言いながら、脱いだ上衣の内側から魔法みたいに何かを引っ張り出した。
 紙袋。とてもきれいな。……
 
 「あ、それって」

 私は目を輝かせた。あれだ。やっと戻ってきた!

 「オルギール、お土産、持ってきてくれたのね!?」
 「昼食の時、公爵様方に差し上げるのだろうと思いましたから」
 「さすがオルギール。なんてよく気がつくの」
 「……ひとあし先に頂けますか?」

 お土産の袋を受け取ろうと近寄ると、オルギールはするりと身を躱し、袋を渡さないまま私の腰を捕らえてなんと片手一本で抱き上げてしまった。

 ものすごい膂力!

 「オルギール、ちょっと待って」
 「何を待つのかわかりません」

 オルギールはすたすたとソファへ移動し優雅に腰かけ、私を膝に乗せる。
 ……結局やっぱり定番の体勢である。椅子なら対面でお茶でも飲みながらお話できると思ったのに。

 憮然とした私の膝に、お土産の袋を置いてくれた。
 背中から長い腕が回され、ゆるやかに抱きしめられる。

 「ちゃんとお持ちしたでしょう、リア?」
 「……中身、見てからね」

 私は用心深く答えた。
 アルフから私に贈られたものだけないかもしれない。

 小さな、しかしいかにも高級そうな包みは全部で七つ。三公爵様、オルギール、私の腕輪、指輪、首飾り。重みもちゃんとある。中はからっぽ、ということはなかろう。

 ちゃんとあった!抜き取られてなかった!
 ……黒真珠と珊瑚を見たいのだけれど、それはオルギールが帰ってからにしよう。

 食い入るように包みを見つめ、数え、安堵している私をどう思って見ていたのかはわからないが、オルギールは私を抱いたまま黙っている。

 そして、

 「リア、私のはどれですか?」

 と、私の頬に軽く唇を触れさせながら言った。

 「早く頂けませんか?」
 
 オルギールは堪え性がない。抜け駆け希望である。

 ……本当のところは。
 オルギールには絶対内緒だけれど、私はレオン様に一番先に差し上げたかったのだ。
 無事で帰りましたよ、とか、たいへんなことばかりではなかったですよ、とか、色々な想いを込めて。 もちろんいつもよくして下さっていることへ、心からの感謝の念を込めて。

 けれどそれをそのまま伝えるわけにはゆかない。オルギールにだってレオン様に負けず劣らず私がこちらへきた初日からお世話になっているわけだし。「誰から一番に差し上げる」というのは言っては何だが私の中でちょっとだけ順位をつけているだけのことだ。

 「昼食のとき、いちにのさんで皆さまと同時に開けるってのはどう?」

 と、私は言ってみた。
 レオン様に一番に差し上げないのなら、本当はそれが望ましい。
 同意を求めるように、私のからだに回された大きな白い手を軽くにぎにぎしてみる。

 「どきどき感を共有出来て楽しいでしょう?」
 「どきどき感を味わうために今我慢するほうが苦痛です」

 きっぱりとオルギールは言った。
 全くぶれないひとである。

 「あの方々はお土産の存在をご存じないのでしょう?」
 「……レオン様はご存じだったような。……まあでも」

 私は口ごもった。妙なことも思い出したからだ。
 帰還の際の天幕の中で。お土産の存在をお伝えして、初めはいい雰囲気だったのに、オルギールが乱入したら雲行きがおかしくなって恥ずかしい目にあわされてそのままうやむやになったのだ。

 「……たぶん知らないも同然かと」
 「知らない方々にとっては確かに驚きによって喜びも倍増でしょうが、先にその存在を知っている私に他の方に差し上げるまで見るなと?目の前に、ここにあるのにお預けを?」
 
 まあ、そういうことなのだけれど。
 でもそれを筋道立てて述べないでほしい。身も蓋もない。

 「……待てないの、オルギール?」
 「ええ」

 即答である。
 にぎにぎしていた私の手が、あっと言う間に形勢逆転、握り返された。
 それどころか、私の頬に寄せていた唇がうなじへとゆっくり移動してゆく。

 オルギールの吐息が肌にあたってぞくりとする。

 「お願いです、リア」
 
 かすかに、唇がうなじを掠めた。
 ……いかん。またこの淫魔の王は昼日中から不届きな……!

 「我慢なんてできない。はやく、下さい」
 「わかりました!」

 首筋で囁かれる言葉は、考えすぎなのだろうけれど意味深でイヤらし過ぎて。
 色々な意味で取り返しがつかなくなる前に、早々と私は白旗を揚げた。

 「わかりました、了解ですオルギール、私がばかでした」
 「ばかなどと。……まったく情緒の無い」

 綺麗なテノールに少々不満の色を滲ませつつ、ようやく唇が遠ざかっていった。
 そして、どれを頂けるのですか、リア、と急き立てる。
 ……意外にせっかちである。

 あなたのは情緒というよりエロです、といつものように脳内で反論しつつ、私は包みのひとつをとり、もぞもぞとオルギールの膝の上でからだの向きを変えた。背中から包み込まれるのではなくて、お膝の上で横座りである。

 「……どうぞ、オルギール。いつもありがとう」
 「こちらこそ。……ありがとうございます」

 オルギールを見上げて、目を見て包みを渡すと、彼はそこは生真面目に頭を下げ、丁重に両手でそれを受け取ってくれた。

 見れば見るほど美しい宝石の瞳。最高級の紫水晶(アメジスト)。

 至近距離の彼の瞳を見ながら、どんな宝石も敵わないなとしみじみ思う。

 オルギールは、早速開けさせていただきますねと言いながらさっさとリボンを解き、包み紙を開け、中身の柔らかな布袋を取り出し、綺麗な長い指を入れて最後はそっと取り出した。

 凝った金鎖。それにクリップ型の留め具でゆらゆらとゆれる、紫水晶の飾り玉。
 正直、トップの質はまあまあ、というレベルだけれど、鎖は今あらためて見ても、上質なものだ。

 「あなたが選んで下さったのですよね?」
 「そうよ」
 
 アルフのはずがないではないか。

 「太くはないのに、華奢というわけでもなく。……いいつくりの鎖ですね」

 しげしげと、腕飾りを指に通したり紫水晶を日に透かしながらオルギールは言う。
 そして、しばらく黙っている。
 
 「あまり好みではない?」

 私は心配になって言った。 
 豪奢なもの、超一流のものを見慣れているひとだ。勿論、公爵様方も。
 「観光地のお土産」レベルではないと思ったから買ってみたのだけれど、やはりちっぽけ過ぎるだろうか。

 「腕飾りのつもりなのだけれど、使いづらいかな。だったら何かそのへんの持ち物に着けといてくれれば……」
 「リヴェア様」

 オルギールは私の言葉をやんわりと遮った。

 そして。見たことがないくらい綺麗な、透き通るような、裏も表も何もない、純粋と言ってもいいくらいのまっさらな笑顔を私に見せてくれる。

 氷の騎士なのに。淫魔の王なのに。万能のひとなのに。
 そういった先入観(というより紛れもない事実なのだが)が全て吹っ飛ぶ破壊力の笑顔。
 
 ……やだもうオルギール……惚れなおしちゃうマジで。……

 綺麗で強くて隙の無い彼は、普段着も武官の姿も今日初めてみた貴族の姿も超絶美しいけれど。
 なんというか、あどけない、という言葉はこのひとほど似つかわしくないひともいないと思うのだが、その言葉が一番しっくりくるような、他意の無い笑み。

 久々に脳のネジが二、三個吹っ飛んでみとれていると、オルギールはありがとうございます、ともう一度、少しちいさな声で言って、左手首を私に差し出した。

 「つけて頂けませんか?」
 「え。……ああ、そうね」

 なんとか我に返って鎖を彼の手首に通した。
 このくらいの背恰好で、、、云々、と骨格の説明したのだけれど、店主はさすがプロだった。彼の見立てた長さはちょうどよい。

 「似合う、と思うのだけれど」
 
 なんとなく、自信がなくなって語尾をぼやかすと、オルギールはなぜそんなにあなたは、と言って、ぎゅうううっと私を抱きしめた。

 「あなたの選んで下さったものですよ。似合わないはずが、気に入らないはずがないでしょう?」

 なのに、なぜそんな自信のない声を出すのですか?私を煽っている?、とヘンテコな解釈を述べながら、頭と言わず顔と言わず耳と言わず、くちづけの雨が降ってきた。それも豪雨である。

 とここで、思考はようやく通常運転に戻ったことを自覚する。
 皮肉なことに、でろ甘オルギールにならないと私はどうも調子が狂うようだ。

 しかし、これではいけない。べたべたになる。
 せっかくおめかしに備えて下ごしらえ完了したのに。

 「よかった、オルギール。……で、もうやめましょう、それ、停止」
 「リア、ありがとう。愛しています」
 「知ってる。だからそれやめ」
 「一生の宝物にしますよ」 
 「わかった、わかりましたオルギール、だから落ち着きましょう」

 豪雨が止まない。雨期か?
 「舐めるようにかわいがる」という表現があるけれど、まさにそれを体感する。
 「舐めるように」ではない。「舐め回して可愛がる」と言ったほうが正しいが。

 「!?、オルギール!」

 とうとう音をたてて私の耳朶をしゃぶり始めたので私の声は裏返った。
 あんな笑顔も見せてくれるオルギールなのに。さっきのは目の錯覚か。

 「ほんと、それだめ……っ」
 
 やはりこのひとは淫魔の王だ。

 ついに、私を抱きしめる手が不埒な動きを開始しそうになって、私は全身の力を振り絞って足をおもちゃみたいにばたばたさせて(上半身は鉄の腕で拘束中である)抵抗を示した。

 「おめかしをします!これから!」

 彼に向かって宣言する。

 ケイティも侍女たちも今日の衣裳や装身具を整えるのに必死なのか、はたまたもうオルギールの少々の暴挙は止める気もないのか、部屋には彼女たちはいないしたぶん続きの間にもいないと思われる。 
 要するに二人きりであり、オルギールが明らかに盛り始めたため、自分の身は自分で守るしかない。

 「おめかしをするのです、オルギール。あなたや、公爵様方をお迎えするために」 

 肩で息をしながら言って聞かせると、オルギールは無表情に(それが不満の意を表明している)熱と氷の同居する奇妙な視線で私を一撫でした。

 「そのままで十分お綺麗ですのに」
 「あなた方があまりに眩いから。私も着飾りたいの。わかってくれるでしょう?」
 「仕方がないですね」

 オルギールは聞えよがしに嘆息した。
 しかたないのはあなたですよ、と声に出さず反論して溜飲を下げる。

 「そろそろ支度するから。またあとでね、オルギール」
 「……わかりました」

 オルギールは私の膝の上の他のいくつかの包みをソファに置き、私をまたも脅威の片手腰抱きをして立ち上がると、ようやく私自身の足で立たせてくれた。

 椅子の背にかけた上衣をもう一度着るだろうと、私がそれを手に取り、オルギールの背後に回って、袖を通させて上げようとしたら、一瞬固まったのちにあなたはもうとか昼間から煽ってとかぶつぶつ言っている。

 わけがわからないので無視して着せ掛け、前に回って釦をかけようか、釦は外したほうが素敵か、と考えていたら、リヴェア様、と、若干改まった声をかけられた。

 もう余計なスイッチはごめんだ、と思ったが、見上げた顔にもう情欲の気配はないようだ。
 オルギールは、ふ、と目を細めると、私の額に軽くくちづけを落して。

 「それではまたあとで。……愛しの奥様」
 
 砂糖爆弾を炸裂させて私を炎上させると、オルギールは優雅な足取りで部屋を出て行った。 
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