142 / 175
連載
9.-22
しおりを挟む
侍女と入れ替わるようにして、オルギールが入ってきた。
私と目が合うと、銀色の頭を恭しく下げて、リヴェア様にはご機嫌麗しく、と最近おなじみの挨拶をしてくれる。
「……」
挨拶を返そうとして開けた口がそのままぽかんになった。
光のかたまりが入室してきたかのようである。
麗しいのはオルギールのほうだ。
白に金糸銀糸で刺繍を施した丈の長い上衣、白いズボン、茶色の長靴。普段、黒か白黒のモノトーンが多いオルギールにしてはとてつもなく華やかな身なりである。まあ何を着ても目立つひとなのだけれど。
オルギールがこのような恰好をしていると眩しくて目が慣れるのに時間がかかりそうなほど。
実際、部屋もいちだんと明るくなったかのようだ。松明みたい。
「……綺麗ねえ、オルギール。……」
私は思わずうっとりと呟いた。
眼福、目の保養。私がおばあさんなら、「ほんに寿命が延びそうだねえ」とか言うに違いない。
神々しいほどの美しさである。
「何かあったの?それとも昼食のためのおめかし?」
「簡単ですが朝いちばんで侯爵位の拝命式がありまして」
オルギールは淡々と答えながら、華やかな上衣を脱いで椅子の背にかけた。
中は、白いレースのシャツだ。ところどころ銀糸の刺繍が施されている。
脱いでも美しい、とうっとりと眺めている私に、オルギールは残念な子を見るような視線を向けた。
彼はこんなに美しいのに、自分に対する褒め言葉にはほぼ反応を示さない。または、糖蜜のように甘い声と瞳で「美しいのはあなたですよ」と切り返すのが常なのだ。
「貴族のお仕着せをこういう時くらいは着用しなくてはならないので。窮屈なものですね」
いつも簡素な服装か誂えたようによく似合う武官の姿だけれど、華美な服装はしない彼にしてみれば心底うんざりしたらしい。
「当分、遠慮したいです」
「そうは言わずと。こんなに素敵なのに」
煌びやかで目が潰れそうだけれどたまには見たい。一見の価値がある華やかな美しさだ。
私がそう言うと、ようやくオルギールの顔がほころんだ。
「あなたがそうおっしゃるならたまにはいいのかもしれませんが」
オルギールはそう言いながら、脱いだ上衣の内側から魔法みたいに何かを引っ張り出した。
紙袋。とてもきれいな。……
「あ、それって」
私は目を輝かせた。あれだ。やっと戻ってきた!
「オルギール、お土産、持ってきてくれたのね!?」
「昼食の時、公爵様方に差し上げるのだろうと思いましたから」
「さすがオルギール。なんてよく気がつくの」
「……ひとあし先に頂けますか?」
お土産の袋を受け取ろうと近寄ると、オルギールはするりと身を躱し、袋を渡さないまま私の腰を捕らえてなんと片手一本で抱き上げてしまった。
ものすごい膂力!
「オルギール、ちょっと待って」
「何を待つのかわかりません」
オルギールはすたすたとソファへ移動し優雅に腰かけ、私を膝に乗せる。
……結局やっぱり定番の体勢である。椅子なら対面でお茶でも飲みながらお話できると思ったのに。
憮然とした私の膝に、お土産の袋を置いてくれた。
背中から長い腕が回され、ゆるやかに抱きしめられる。
「ちゃんとお持ちしたでしょう、リア?」
「……中身、見てからね」
私は用心深く答えた。
アルフから私に贈られたものだけないかもしれない。
小さな、しかしいかにも高級そうな包みは全部で七つ。三公爵様、オルギール、私の腕輪、指輪、首飾り。重みもちゃんとある。中はからっぽ、ということはなかろう。
ちゃんとあった!抜き取られてなかった!
……黒真珠と珊瑚を見たいのだけれど、それはオルギールが帰ってからにしよう。
食い入るように包みを見つめ、数え、安堵している私をどう思って見ていたのかはわからないが、オルギールは私を抱いたまま黙っている。
そして、
「リア、私のはどれですか?」
と、私の頬に軽く唇を触れさせながら言った。
「早く頂けませんか?」
オルギールは堪え性がない。抜け駆け希望である。
……本当のところは。
オルギールには絶対内緒だけれど、私はレオン様に一番先に差し上げたかったのだ。
無事で帰りましたよ、とか、たいへんなことばかりではなかったですよ、とか、色々な想いを込めて。 もちろんいつもよくして下さっていることへ、心からの感謝の念を込めて。
けれどそれをそのまま伝えるわけにはゆかない。オルギールにだってレオン様に負けず劣らず私がこちらへきた初日からお世話になっているわけだし。「誰から一番に差し上げる」というのは言っては何だが私の中でちょっとだけ順位をつけているだけのことだ。
「昼食のとき、いちにのさんで皆さまと同時に開けるってのはどう?」
と、私は言ってみた。
レオン様に一番に差し上げないのなら、本当はそれが望ましい。
同意を求めるように、私のからだに回された大きな白い手を軽くにぎにぎしてみる。
「どきどき感を共有出来て楽しいでしょう?」
「どきどき感を味わうために今我慢するほうが苦痛です」
きっぱりとオルギールは言った。
全くぶれないひとである。
「あの方々はお土産の存在をご存じないのでしょう?」
「……レオン様はご存じだったような。……まあでも」
私は口ごもった。妙なことも思い出したからだ。
帰還の際の天幕の中で。お土産の存在をお伝えして、初めはいい雰囲気だったのに、オルギールが乱入したら雲行きがおかしくなって恥ずかしい目にあわされてそのままうやむやになったのだ。
「……たぶん知らないも同然かと」
「知らない方々にとっては確かに驚きによって喜びも倍増でしょうが、先にその存在を知っている私に他の方に差し上げるまで見るなと?目の前に、ここにあるのにお預けを?」
まあ、そういうことなのだけれど。
でもそれを筋道立てて述べないでほしい。身も蓋もない。
「……待てないの、オルギール?」
「ええ」
即答である。
にぎにぎしていた私の手が、あっと言う間に形勢逆転、握り返された。
それどころか、私の頬に寄せていた唇がうなじへとゆっくり移動してゆく。
オルギールの吐息が肌にあたってぞくりとする。
「お願いです、リア」
かすかに、唇がうなじを掠めた。
……いかん。またこの淫魔の王は昼日中から不届きな……!
「我慢なんてできない。はやく、下さい」
「わかりました!」
首筋で囁かれる言葉は、考えすぎなのだろうけれど意味深でイヤらし過ぎて。
色々な意味で取り返しがつかなくなる前に、早々と私は白旗を揚げた。
「わかりました、了解ですオルギール、私がばかでした」
「ばかなどと。……まったく情緒の無い」
綺麗なテノールに少々不満の色を滲ませつつ、ようやく唇が遠ざかっていった。
そして、どれを頂けるのですか、リア、と急き立てる。
……意外にせっかちである。
あなたのは情緒というよりエロです、といつものように脳内で反論しつつ、私は包みのひとつをとり、もぞもぞとオルギールの膝の上でからだの向きを変えた。背中から包み込まれるのではなくて、お膝の上で横座りである。
「……どうぞ、オルギール。いつもありがとう」
「こちらこそ。……ありがとうございます」
オルギールを見上げて、目を見て包みを渡すと、彼はそこは生真面目に頭を下げ、丁重に両手でそれを受け取ってくれた。
見れば見るほど美しい宝石の瞳。最高級の紫水晶(アメジスト)。
至近距離の彼の瞳を見ながら、どんな宝石も敵わないなとしみじみ思う。
オルギールは、早速開けさせていただきますねと言いながらさっさとリボンを解き、包み紙を開け、中身の柔らかな布袋を取り出し、綺麗な長い指を入れて最後はそっと取り出した。
凝った金鎖。それにクリップ型の留め具でゆらゆらとゆれる、紫水晶の飾り玉。
正直、トップの質はまあまあ、というレベルだけれど、鎖は今あらためて見ても、上質なものだ。
「あなたが選んで下さったのですよね?」
「そうよ」
アルフのはずがないではないか。
「太くはないのに、華奢というわけでもなく。……いいつくりの鎖ですね」
しげしげと、腕飾りを指に通したり紫水晶を日に透かしながらオルギールは言う。
そして、しばらく黙っている。
「あまり好みではない?」
私は心配になって言った。
豪奢なもの、超一流のものを見慣れているひとだ。勿論、公爵様方も。
「観光地のお土産」レベルではないと思ったから買ってみたのだけれど、やはりちっぽけ過ぎるだろうか。
「腕飾りのつもりなのだけれど、使いづらいかな。だったら何かそのへんの持ち物に着けといてくれれば……」
「リヴェア様」
オルギールは私の言葉をやんわりと遮った。
そして。見たことがないくらい綺麗な、透き通るような、裏も表も何もない、純粋と言ってもいいくらいのまっさらな笑顔を私に見せてくれる。
氷の騎士なのに。淫魔の王なのに。万能のひとなのに。
そういった先入観(というより紛れもない事実なのだが)が全て吹っ飛ぶ破壊力の笑顔。
……やだもうオルギール……惚れなおしちゃうマジで。……
綺麗で強くて隙の無い彼は、普段着も武官の姿も今日初めてみた貴族の姿も超絶美しいけれど。
なんというか、あどけない、という言葉はこのひとほど似つかわしくないひともいないと思うのだが、その言葉が一番しっくりくるような、他意の無い笑み。
久々に脳のネジが二、三個吹っ飛んでみとれていると、オルギールはありがとうございます、ともう一度、少しちいさな声で言って、左手首を私に差し出した。
「つけて頂けませんか?」
「え。……ああ、そうね」
なんとか我に返って鎖を彼の手首に通した。
このくらいの背恰好で、、、云々、と骨格の説明したのだけれど、店主はさすがプロだった。彼の見立てた長さはちょうどよい。
「似合う、と思うのだけれど」
なんとなく、自信がなくなって語尾をぼやかすと、オルギールはなぜそんなにあなたは、と言って、ぎゅうううっと私を抱きしめた。
「あなたの選んで下さったものですよ。似合わないはずが、気に入らないはずがないでしょう?」
なのに、なぜそんな自信のない声を出すのですか?私を煽っている?、とヘンテコな解釈を述べながら、頭と言わず顔と言わず耳と言わず、くちづけの雨が降ってきた。それも豪雨である。
とここで、思考はようやく通常運転に戻ったことを自覚する。
皮肉なことに、でろ甘オルギールにならないと私はどうも調子が狂うようだ。
しかし、これではいけない。べたべたになる。
せっかくおめかしに備えて下ごしらえ完了したのに。
「よかった、オルギール。……で、もうやめましょう、それ、停止」
「リア、ありがとう。愛しています」
「知ってる。だからそれやめ」
「一生の宝物にしますよ」
「わかった、わかりましたオルギール、だから落ち着きましょう」
豪雨が止まない。雨期か?
「舐めるようにかわいがる」という表現があるけれど、まさにそれを体感する。
「舐めるように」ではない。「舐め回して可愛がる」と言ったほうが正しいが。
「!?、オルギール!」
とうとう音をたてて私の耳朶をしゃぶり始めたので私の声は裏返った。
あんな笑顔も見せてくれるオルギールなのに。さっきのは目の錯覚か。
「ほんと、それだめ……っ」
やはりこのひとは淫魔の王だ。
ついに、私を抱きしめる手が不埒な動きを開始しそうになって、私は全身の力を振り絞って足をおもちゃみたいにばたばたさせて(上半身は鉄の腕で拘束中である)抵抗を示した。
「おめかしをします!これから!」
彼に向かって宣言する。
ケイティも侍女たちも今日の衣裳や装身具を整えるのに必死なのか、はたまたもうオルギールの少々の暴挙は止める気もないのか、部屋には彼女たちはいないしたぶん続きの間にもいないと思われる。
要するに二人きりであり、オルギールが明らかに盛り始めたため、自分の身は自分で守るしかない。
「おめかしをするのです、オルギール。あなたや、公爵様方をお迎えするために」
肩で息をしながら言って聞かせると、オルギールは無表情に(それが不満の意を表明している)熱と氷の同居する奇妙な視線で私を一撫でした。
「そのままで十分お綺麗ですのに」
「あなた方があまりに眩いから。私も着飾りたいの。わかってくれるでしょう?」
「仕方がないですね」
オルギールは聞えよがしに嘆息した。
しかたないのはあなたですよ、と声に出さず反論して溜飲を下げる。
「そろそろ支度するから。またあとでね、オルギール」
「……わかりました」
オルギールは私の膝の上の他のいくつかの包みをソファに置き、私をまたも脅威の片手腰抱きをして立ち上がると、ようやく私自身の足で立たせてくれた。
椅子の背にかけた上衣をもう一度着るだろうと、私がそれを手に取り、オルギールの背後に回って、袖を通させて上げようとしたら、一瞬固まったのちにあなたはもうとか昼間から煽ってとかぶつぶつ言っている。
わけがわからないので無視して着せ掛け、前に回って釦をかけようか、釦は外したほうが素敵か、と考えていたら、リヴェア様、と、若干改まった声をかけられた。
もう余計なスイッチはごめんだ、と思ったが、見上げた顔にもう情欲の気配はないようだ。
オルギールは、ふ、と目を細めると、私の額に軽くくちづけを落して。
「それではまたあとで。……愛しの奥様」
砂糖爆弾を炸裂させて私を炎上させると、オルギールは優雅な足取りで部屋を出て行った。
私と目が合うと、銀色の頭を恭しく下げて、リヴェア様にはご機嫌麗しく、と最近おなじみの挨拶をしてくれる。
「……」
挨拶を返そうとして開けた口がそのままぽかんになった。
光のかたまりが入室してきたかのようである。
麗しいのはオルギールのほうだ。
白に金糸銀糸で刺繍を施した丈の長い上衣、白いズボン、茶色の長靴。普段、黒か白黒のモノトーンが多いオルギールにしてはとてつもなく華やかな身なりである。まあ何を着ても目立つひとなのだけれど。
オルギールがこのような恰好をしていると眩しくて目が慣れるのに時間がかかりそうなほど。
実際、部屋もいちだんと明るくなったかのようだ。松明みたい。
「……綺麗ねえ、オルギール。……」
私は思わずうっとりと呟いた。
眼福、目の保養。私がおばあさんなら、「ほんに寿命が延びそうだねえ」とか言うに違いない。
神々しいほどの美しさである。
「何かあったの?それとも昼食のためのおめかし?」
「簡単ですが朝いちばんで侯爵位の拝命式がありまして」
オルギールは淡々と答えながら、華やかな上衣を脱いで椅子の背にかけた。
中は、白いレースのシャツだ。ところどころ銀糸の刺繍が施されている。
脱いでも美しい、とうっとりと眺めている私に、オルギールは残念な子を見るような視線を向けた。
彼はこんなに美しいのに、自分に対する褒め言葉にはほぼ反応を示さない。または、糖蜜のように甘い声と瞳で「美しいのはあなたですよ」と切り返すのが常なのだ。
「貴族のお仕着せをこういう時くらいは着用しなくてはならないので。窮屈なものですね」
いつも簡素な服装か誂えたようによく似合う武官の姿だけれど、華美な服装はしない彼にしてみれば心底うんざりしたらしい。
「当分、遠慮したいです」
「そうは言わずと。こんなに素敵なのに」
煌びやかで目が潰れそうだけれどたまには見たい。一見の価値がある華やかな美しさだ。
私がそう言うと、ようやくオルギールの顔がほころんだ。
「あなたがそうおっしゃるならたまにはいいのかもしれませんが」
オルギールはそう言いながら、脱いだ上衣の内側から魔法みたいに何かを引っ張り出した。
紙袋。とてもきれいな。……
「あ、それって」
私は目を輝かせた。あれだ。やっと戻ってきた!
「オルギール、お土産、持ってきてくれたのね!?」
「昼食の時、公爵様方に差し上げるのだろうと思いましたから」
「さすがオルギール。なんてよく気がつくの」
「……ひとあし先に頂けますか?」
お土産の袋を受け取ろうと近寄ると、オルギールはするりと身を躱し、袋を渡さないまま私の腰を捕らえてなんと片手一本で抱き上げてしまった。
ものすごい膂力!
「オルギール、ちょっと待って」
「何を待つのかわかりません」
オルギールはすたすたとソファへ移動し優雅に腰かけ、私を膝に乗せる。
……結局やっぱり定番の体勢である。椅子なら対面でお茶でも飲みながらお話できると思ったのに。
憮然とした私の膝に、お土産の袋を置いてくれた。
背中から長い腕が回され、ゆるやかに抱きしめられる。
「ちゃんとお持ちしたでしょう、リア?」
「……中身、見てからね」
私は用心深く答えた。
アルフから私に贈られたものだけないかもしれない。
小さな、しかしいかにも高級そうな包みは全部で七つ。三公爵様、オルギール、私の腕輪、指輪、首飾り。重みもちゃんとある。中はからっぽ、ということはなかろう。
ちゃんとあった!抜き取られてなかった!
……黒真珠と珊瑚を見たいのだけれど、それはオルギールが帰ってからにしよう。
食い入るように包みを見つめ、数え、安堵している私をどう思って見ていたのかはわからないが、オルギールは私を抱いたまま黙っている。
そして、
「リア、私のはどれですか?」
と、私の頬に軽く唇を触れさせながら言った。
「早く頂けませんか?」
オルギールは堪え性がない。抜け駆け希望である。
……本当のところは。
オルギールには絶対内緒だけれど、私はレオン様に一番先に差し上げたかったのだ。
無事で帰りましたよ、とか、たいへんなことばかりではなかったですよ、とか、色々な想いを込めて。 もちろんいつもよくして下さっていることへ、心からの感謝の念を込めて。
けれどそれをそのまま伝えるわけにはゆかない。オルギールにだってレオン様に負けず劣らず私がこちらへきた初日からお世話になっているわけだし。「誰から一番に差し上げる」というのは言っては何だが私の中でちょっとだけ順位をつけているだけのことだ。
「昼食のとき、いちにのさんで皆さまと同時に開けるってのはどう?」
と、私は言ってみた。
レオン様に一番に差し上げないのなら、本当はそれが望ましい。
同意を求めるように、私のからだに回された大きな白い手を軽くにぎにぎしてみる。
「どきどき感を共有出来て楽しいでしょう?」
「どきどき感を味わうために今我慢するほうが苦痛です」
きっぱりとオルギールは言った。
全くぶれないひとである。
「あの方々はお土産の存在をご存じないのでしょう?」
「……レオン様はご存じだったような。……まあでも」
私は口ごもった。妙なことも思い出したからだ。
帰還の際の天幕の中で。お土産の存在をお伝えして、初めはいい雰囲気だったのに、オルギールが乱入したら雲行きがおかしくなって恥ずかしい目にあわされてそのままうやむやになったのだ。
「……たぶん知らないも同然かと」
「知らない方々にとっては確かに驚きによって喜びも倍増でしょうが、先にその存在を知っている私に他の方に差し上げるまで見るなと?目の前に、ここにあるのにお預けを?」
まあ、そういうことなのだけれど。
でもそれを筋道立てて述べないでほしい。身も蓋もない。
「……待てないの、オルギール?」
「ええ」
即答である。
にぎにぎしていた私の手が、あっと言う間に形勢逆転、握り返された。
それどころか、私の頬に寄せていた唇がうなじへとゆっくり移動してゆく。
オルギールの吐息が肌にあたってぞくりとする。
「お願いです、リア」
かすかに、唇がうなじを掠めた。
……いかん。またこの淫魔の王は昼日中から不届きな……!
「我慢なんてできない。はやく、下さい」
「わかりました!」
首筋で囁かれる言葉は、考えすぎなのだろうけれど意味深でイヤらし過ぎて。
色々な意味で取り返しがつかなくなる前に、早々と私は白旗を揚げた。
「わかりました、了解ですオルギール、私がばかでした」
「ばかなどと。……まったく情緒の無い」
綺麗なテノールに少々不満の色を滲ませつつ、ようやく唇が遠ざかっていった。
そして、どれを頂けるのですか、リア、と急き立てる。
……意外にせっかちである。
あなたのは情緒というよりエロです、といつものように脳内で反論しつつ、私は包みのひとつをとり、もぞもぞとオルギールの膝の上でからだの向きを変えた。背中から包み込まれるのではなくて、お膝の上で横座りである。
「……どうぞ、オルギール。いつもありがとう」
「こちらこそ。……ありがとうございます」
オルギールを見上げて、目を見て包みを渡すと、彼はそこは生真面目に頭を下げ、丁重に両手でそれを受け取ってくれた。
見れば見るほど美しい宝石の瞳。最高級の紫水晶(アメジスト)。
至近距離の彼の瞳を見ながら、どんな宝石も敵わないなとしみじみ思う。
オルギールは、早速開けさせていただきますねと言いながらさっさとリボンを解き、包み紙を開け、中身の柔らかな布袋を取り出し、綺麗な長い指を入れて最後はそっと取り出した。
凝った金鎖。それにクリップ型の留め具でゆらゆらとゆれる、紫水晶の飾り玉。
正直、トップの質はまあまあ、というレベルだけれど、鎖は今あらためて見ても、上質なものだ。
「あなたが選んで下さったのですよね?」
「そうよ」
アルフのはずがないではないか。
「太くはないのに、華奢というわけでもなく。……いいつくりの鎖ですね」
しげしげと、腕飾りを指に通したり紫水晶を日に透かしながらオルギールは言う。
そして、しばらく黙っている。
「あまり好みではない?」
私は心配になって言った。
豪奢なもの、超一流のものを見慣れているひとだ。勿論、公爵様方も。
「観光地のお土産」レベルではないと思ったから買ってみたのだけれど、やはりちっぽけ過ぎるだろうか。
「腕飾りのつもりなのだけれど、使いづらいかな。だったら何かそのへんの持ち物に着けといてくれれば……」
「リヴェア様」
オルギールは私の言葉をやんわりと遮った。
そして。見たことがないくらい綺麗な、透き通るような、裏も表も何もない、純粋と言ってもいいくらいのまっさらな笑顔を私に見せてくれる。
氷の騎士なのに。淫魔の王なのに。万能のひとなのに。
そういった先入観(というより紛れもない事実なのだが)が全て吹っ飛ぶ破壊力の笑顔。
……やだもうオルギール……惚れなおしちゃうマジで。……
綺麗で強くて隙の無い彼は、普段着も武官の姿も今日初めてみた貴族の姿も超絶美しいけれど。
なんというか、あどけない、という言葉はこのひとほど似つかわしくないひともいないと思うのだが、その言葉が一番しっくりくるような、他意の無い笑み。
久々に脳のネジが二、三個吹っ飛んでみとれていると、オルギールはありがとうございます、ともう一度、少しちいさな声で言って、左手首を私に差し出した。
「つけて頂けませんか?」
「え。……ああ、そうね」
なんとか我に返って鎖を彼の手首に通した。
このくらいの背恰好で、、、云々、と骨格の説明したのだけれど、店主はさすがプロだった。彼の見立てた長さはちょうどよい。
「似合う、と思うのだけれど」
なんとなく、自信がなくなって語尾をぼやかすと、オルギールはなぜそんなにあなたは、と言って、ぎゅうううっと私を抱きしめた。
「あなたの選んで下さったものですよ。似合わないはずが、気に入らないはずがないでしょう?」
なのに、なぜそんな自信のない声を出すのですか?私を煽っている?、とヘンテコな解釈を述べながら、頭と言わず顔と言わず耳と言わず、くちづけの雨が降ってきた。それも豪雨である。
とここで、思考はようやく通常運転に戻ったことを自覚する。
皮肉なことに、でろ甘オルギールにならないと私はどうも調子が狂うようだ。
しかし、これではいけない。べたべたになる。
せっかくおめかしに備えて下ごしらえ完了したのに。
「よかった、オルギール。……で、もうやめましょう、それ、停止」
「リア、ありがとう。愛しています」
「知ってる。だからそれやめ」
「一生の宝物にしますよ」
「わかった、わかりましたオルギール、だから落ち着きましょう」
豪雨が止まない。雨期か?
「舐めるようにかわいがる」という表現があるけれど、まさにそれを体感する。
「舐めるように」ではない。「舐め回して可愛がる」と言ったほうが正しいが。
「!?、オルギール!」
とうとう音をたてて私の耳朶をしゃぶり始めたので私の声は裏返った。
あんな笑顔も見せてくれるオルギールなのに。さっきのは目の錯覚か。
「ほんと、それだめ……っ」
やはりこのひとは淫魔の王だ。
ついに、私を抱きしめる手が不埒な動きを開始しそうになって、私は全身の力を振り絞って足をおもちゃみたいにばたばたさせて(上半身は鉄の腕で拘束中である)抵抗を示した。
「おめかしをします!これから!」
彼に向かって宣言する。
ケイティも侍女たちも今日の衣裳や装身具を整えるのに必死なのか、はたまたもうオルギールの少々の暴挙は止める気もないのか、部屋には彼女たちはいないしたぶん続きの間にもいないと思われる。
要するに二人きりであり、オルギールが明らかに盛り始めたため、自分の身は自分で守るしかない。
「おめかしをするのです、オルギール。あなたや、公爵様方をお迎えするために」
肩で息をしながら言って聞かせると、オルギールは無表情に(それが不満の意を表明している)熱と氷の同居する奇妙な視線で私を一撫でした。
「そのままで十分お綺麗ですのに」
「あなた方があまりに眩いから。私も着飾りたいの。わかってくれるでしょう?」
「仕方がないですね」
オルギールは聞えよがしに嘆息した。
しかたないのはあなたですよ、と声に出さず反論して溜飲を下げる。
「そろそろ支度するから。またあとでね、オルギール」
「……わかりました」
オルギールは私の膝の上の他のいくつかの包みをソファに置き、私をまたも脅威の片手腰抱きをして立ち上がると、ようやく私自身の足で立たせてくれた。
椅子の背にかけた上衣をもう一度着るだろうと、私がそれを手に取り、オルギールの背後に回って、袖を通させて上げようとしたら、一瞬固まったのちにあなたはもうとか昼間から煽ってとかぶつぶつ言っている。
わけがわからないので無視して着せ掛け、前に回って釦をかけようか、釦は外したほうが素敵か、と考えていたら、リヴェア様、と、若干改まった声をかけられた。
もう余計なスイッチはごめんだ、と思ったが、見上げた顔にもう情欲の気配はないようだ。
オルギールは、ふ、と目を細めると、私の額に軽くくちづけを落して。
「それではまたあとで。……愛しの奥様」
砂糖爆弾を炸裂させて私を炎上させると、オルギールは優雅な足取りで部屋を出て行った。
11
お気に入りに追加
6,154
あなたにおすすめの小説
転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~
月
恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん)
は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。
しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!?
(もしかして、私、転生してる!!?)
そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!!
そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。
地味女で喪女でもよく濡れる。~俺様海運王に開発されました~
あこや(亜胡夜カイ)
恋愛
新米学芸員の工藤貴奈(くどうあてな)は、自他ともに認める地味女で喪女だが、素敵な思い出がある。卒業旅行で訪れたギリシャで出会った美麗な男とのワンナイトラブだ。文字通り「ワンナイト」のつもりだったのに、なぜか貴奈に執着した男は日本へやってきた。貴奈が所属する博物館を含むグループ企業を丸ごと買収、CEOとして乗り込んできたのだ。「お前は俺が開発する」と宣言して、貴奈を学芸員兼秘書として側に置くという。彼氏いない歴=年齢、好きな相手は壁画の住人、「だったはず」の貴奈は、昼も夜も彼の執着に翻弄され、やがて体が応えるように……
旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜
ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉
転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!?
のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました……
イケメン山盛りの逆ハーです
前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります
小説家になろう、カクヨムに転載しています
最愛の番~300年後の未来は一妻多夫の逆ハーレム!!? イケメン旦那様たちに溺愛されまくる~
ちえり
恋愛
幼い頃から可愛い幼馴染と比較されてきて、自分に自信がない高坂 栞(コウサカシオリ)17歳。
ある日、学校帰りに事故に巻き込まれ目が覚めると300年後の時が経ち、女性だけ死に至る病の流行や、年々女子の出生率の低下で女は2割ほどしか存在しない世界になっていた。
一妻多夫が認められ、女性はフェロモンだして男性を虜にするのだが、栞のフェロモンは世の男性を虜にできるほどの力を持つ『α+』(アルファプラス)に認定されてイケメン達が栞に番を結んでもらおうと近寄ってくる。
目が覚めたばかりなのに、旦那候補が5人もいて初めて会うのに溺愛されまくる。さらに、自分と番になりたい男性がまだまだいっぱいいるの!!?
「恋愛経験0の私にはイケメンに愛されるなんてハードすぎるよ~」
【R18】人気AV嬢だった私は乙ゲーのヒロインに転生したので、攻略キャラを全員美味しくいただくことにしました♪
奏音 美都
恋愛
「レイラちゃん、おつかれさまぁ。今日もよかったよ」
「おつかれさまでーす。シャワー浴びますね」
AV女優の私は、仕事を終えてシャワーを浴びてたんだけど、石鹸に滑って転んで頭を打って失神し……なぜか、乙女ゲームの世界に転生してた。
そこで、可愛くて美味しそうなDKたちに出会うんだけど、この乙ゲーって全対象年齢なのよね。
でも、誘惑に抗えるわけないでしょっ!
全員美味しくいただいちゃいまーす。
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました
市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。
私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?!
しかも婚約者達との関係も最悪で……
まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!
過去1ヶ月以内にノーチェの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、ノーチェのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にノーチェの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、ノーチェのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。