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間章

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 最近、酒が不味い。というより、旨い酒を飲む心境ではないというべきか。

 今も、鼻声で近寄ってきた馴染みの女を追い払ったところだ。

 いつから、なんてわかっている。
 あの女──リヴェア・エミール、とかいう女に完敗を喫してからだ。

 負けたのはどうでもいい。いや、正直に言えばひどく腹立たしいし、驚いた。賭けた金も、あとからしっかりと徴収された。負けたから当然ではあるが。
 自分から賭け試合に乗り込むくらいだから腕に覚えがあるのだろう、程度には思っていたが、覚えがあるなんてものではなかった。

 恐ろしく、強い。そして、狡猾こうかつだった。

 どのように攻めても、守っても、次の手を読まれているようだった。
 何合か打ち合っても、渾身の力も受け流される。そもそも、ろくに打ち合わせてもらえなかったが。
 疲れを誘うしかないか、と思ったあたりで、微妙に足元が覚束なくなった。その隙をついたつもりだったのに。
 今思えばそれも、俺の動きを冷静に読んだ誘い水だったが、そのときの俺はまんまとひっかかって剣を飛ばされた。

 足払いをかけてから乗り上げてやったのは、いい手だったと思っている。俺は間違っていない。
 だが、彼女の肩を抑え込んだまではよかったが、手を自由にさせていたのと、何やら壮絶に色っぽい目で見上げられて一瞬我を忘れそうになった。あれが不味かった。早い話が、あんな場だというのに俺は欲情して、くちづけようとしたのだ。
 もちろん、すぐさま攻守逆転となって、あとは敗北感と、このところずっと味わった覚えのないくやしさが残っている。

 右を庇う……当然だ。

 俺の右目は、ゆっくりとゆっくりと──医師が表現するには、星の瞬きのようにわずかずつ、ということだが視力を失ってきている。
 まだまだ全く問題はないが、何年か何十年か?先には右目の視力は失われるだろうと言われている。
 だから、ほんのわずかだが、右の見え方が甘いのではないかと不安で庇ってしまう。当然のことだ。
 それに気づく奴は今までいなかった。俺は強いし、そんな目で見る奴はいないだろう。

 それを、あの女はわずかな手合わせで見抜いた。あとは踏み込みの距離?他にも何か言いたげだったが、あのいけ好かない銀色の男が連れ出してしまった。

 オルギール・ド・カルナック。戦場にあれば軍神として、政務を執らせれば希代の名執政として、名をはせる男。 星見の塔などの、学問にしか興味のない奴らまで、彼の才能を欲しがったという、万能の男。

 あの男が、どさくさ紛れに彼女を抱きしめようとした俺の手に、徽章を投げつけた。

 (調子に乗るな)

 と吐き捨てられたが、あの時の目の色は今でも夢に見る。
 侮蔑と憎悪。目力だけで、殺されるかと思うほどだ。巷の女どもが、宝石のようなきれいな目、と騒いでいるようだが、あのときの奴の目を見せてやりたい。あんな恐ろしい宝石があるものか。呪いの紫水晶だ。

 しかし、冷静になってみれば。

 才能、家柄、容姿。すべて恵まれつくしたあの男が、この程度の俺にあんな目を向けたということ。その意味を、考えるべきではないかと思いなおした。

 今は、俺は取るに足らない雑兵だ。
 武官から一般兵、傭兵扱いに、いうなれば格下げになったのは、女に足元をすくわれた感があるが、まあ構わない。ちょっと遊び過ぎたし、お家柄のよい武官どもが鬱陶しくなってきていたから。傭兵、結構。

 ゆっくりと悪くなってゆく右目。だが、そのへんの雑兵よりは、やはり俺はずっと強くて。

 何を、どうしていいかわからず、目的もなく毎日を過ごしていたところに、あの女が現れた。

 視力は、すぐには治らないけれど、クセは治る、と言っていた。じゃあ、右目を失明しても訓練次第で問題ないってことか?

 カルナック大佐。奴ほどの男が俺に向けた激しい目。女が、俺に関心を持ったのが気に喰わなかったのか?激しい目を向けられるほどの、人間か、俺は。

 今は、俺と奴の立ち位置は彼我の差がある。

 けれど、腕を磨きなおして、軍務を務めあげて行けば──貪欲に軍功をたててゆけば、奴に近づくことができるだろうか。
 天才を上回るのは不可能でも、あいつと肩を並べたい。そして。

 あの女、リヴェア・エミールの傍にいたい。

 熱した黒曜石のような瞳。俺よりも短いが、手入れされた艶やかな黒髪。見上げられたとき。見下ろされたとき。トドメは、俺の名を、媚のない、真っすぐな声で呼びかけられたとき。

 魅入られたのだろう。

 出会って二日後にはここまで気づいたので、今の俺は武官の鍛錬場へ積極的に顔を出し、正規の教官に指導を乞い、手練れと思われる者には、進んで手合わせを願いに行っている。初め、どういう風の吹き回しかと小馬鹿にするような表情だった武官たちも、真剣に指導してくれるようになったし、治安維持のために、たびたび兵士が城下、城外へ駆り出されるが、俺も、労を惜しまず進んでゆくようにしていたら、顔見知りになった武官の役付きが(大尉か中尉だったと思うが)、今度出兵があったら自分の隊に来ないかと言ってくれるまでになった。もちろん、否やはない。

 でも、酒が不味い。

 あの女のせいだ。リヴェア・エミール。正式には、「ラ・トゥーラ」と続くと、後で知った。

 辺境、トゥーラから来た、グラディウスの血を引く姫。エヴァンジェリスタ公が、人目もはばからず溺愛し、筆頭副官であるカルナック大佐を、姫の専属にしてまで身辺を守ろうとする姫。

 ふと気づけば、城内城外、あの女の話題を至る所で聞いた。
 同時に、今まで女の噂のなかったエヴァンジェリスタ公の噂も必ず聞こえてくる。出会って一週間は女の客間に通いつめ、その後は寝所に入れて、ずいぶんと執着していると。

 認めたくはないが、一目ぼれしたとたんに振られたようなものだ。

 だから、酒が不味い。めっきり健康的で、充実した毎日を送っていても、酒も、飯も不味い。面白くない。 

 そんな俺の毎日が、ある日、さらに劇的に変化を遂げる。

 ──ラ・トゥーラ准将が「剣技はもとより、特に馬術に覚えのある兵士を集めている」──

 そんな告知が、兵士達の詰所に知らされたからだ。

 あの女、准将!?とは思ったが、そんなことはどうでもいい。上つ方の思惑など、俺には関係ない。それよりも。
 思ったよりずっと早く、あの女に会える。それに、あの銀髪野郎に近づける。

 俺はすぐに顔見知りの武官に話を付けてもらうべく、詰所を飛び出した。
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