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竜の見る愛の夢
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最後に赤翠の美しい煌めきを愛でて、ふふふ、と笑いながら、***は繋がりを切った。
ようやく、待ち望んでいた伴侶と会うことができる。相手の準備は覗き見ないでおく方が、楽しみは膨らむだろう。
正直に言えば、待つのはもうこりごりだったが、森の民たちは森をよく管理していたらしく、花は美事に咲いて好みの香りがするし美味しいし、無礼な魔物も寄って来ず、心地よい。森の民が風となり光となり木霊となって森の出来事を囁いていくのも、よい気晴らしになる。
これなら、もうあと少しくらい待つのもまあよいか、と思えるようになった。
波長の合う森の娘アジューラを人の国にやって正解だった。アジューラを媒介に、夢現に意識を人の国へと飛ばし、その人間模様をじっくりたっぷり愉しむことができた。人の子の母への思慕が、ああも複雑に魂に根を張っているとは。母の愛というものが、ああも怪奇に歪むとは。
竜と人とは、本当に違う種なのだ。人とはなんと、ちいさくかわいいものであろう。
昔から、***は人が愛おしい。人の営みが。愛し愛され、憎み憎まれ、勘違いしたり思いやったり、滑稽なほど真剣に思いを迸らせる様子が、愛おしいのだ。
あまりに多くの死を見る、その前から。
かつて山の向こうで、あの災害を越えて生命を繋げられたものは、いなかったろう。今、山の向こうがどうなっているのか。知るものは誰もいない。誰ひとり。
始祖と呼ばれる強大な竜たちだって、多くの死の匂いには、傷つくのだ。人の国の王子とやらに頼まれ、わずかばかりの人を助けて山のこちらへと迎え入れてみれば、今度は弱き人に襲い掛かる死の非情さのみならず、癒えない傷を抱え生きる意味を失って、なお生きる、その生のおぞましさと苦しみを近くで見すぎて。竜たちの心は深く傷ついた。
人の営みはあまりに儚く、もろく、時が無常に働きかければあっという間に死んでしまう。無力で健気な生き物が、見る間に命を失っていくのに、竜たちはなすすべもない。けれど竜たちが恐れ慄いている間にも、命は次々と生まれ、幸せも次々ともたらされ。
人のしなやかさ、強かさは、始祖竜たちを慰めた。だから竜たちは、心の傷をおして、人を永くたすけることにしたのだ。森を分け、人が増え幸せを増やすのを、見守った。人には過酷な森の因果律を、細く、長く引き伸ばし、できる限り穏やかに彼らが過ごせるように細工をして。そして元々種としての限界を迎えつつあった自分達始祖竜は、一頭を残して、皆が長い眠りについた。
その一頭が生を終えれば、一頭、また一頭と、覚醒して見守る約束で。
そう、だから、始祖竜たちはみな、互いには永の別れを済ませたのだ。
けれど予想外なほどの人の底力よ。
眠る始祖竜たちを、王子とその伴侶であった娘ら幾人かの人間が見守ってくれたらしい。
細工があってさえ、また森の民と呼ばれるに足る通常より魔の濃い人間たちにとってさえ、森の因果律は強すぎた。だから彼らは、森に抗わず、受け入れ、同化して、命を長らえていったのだ。
森の民たちが同化して、互いに繋がっていくことで、森はかつてないほどに一体化した。森は竜の根源である。死と同じ深さで眠っていたはずの始祖竜たちに、夢が届き始めたのが、ひとつ目の奇跡。
夢は、人の暮らしをなぞる。森の民たちが見る夢は、常に微笑みと、いたわりと感謝に満ちていた。人の国の夢は、少し遠かった。物語の読み聞かせのように、淡々と。けれどそこには、眩いほどの生命の煌めきがあって。
始祖竜たちは、ひしひしと感じたのだ。
人は死と生の苦しみに消えていくような弱い存在ではない。彼らは早晩、この限られた平地に限界を感じ、窮屈になるだろう。かつて生命の砦となった、この隔絶された揺籠を、檻と見なして憎むようになるだろう。
変化が、訪れる。
大きな変化。
人が解放を望むのであれば、その願いを叶えてやるべきだ。
けれど始祖の竜たちにとって、山の向こうはあまりに恐ろしく。変化の予感が囁きから唸りとなり、揺籠をどれほど強く揺さぶっても、眠りに浸った古竜たちは起きることを躊躇った。楽園から愛すべき人や竜が飛び出すのを、嫌がった。
人を愛しむ気持ちもわかるが、諦めて欲しい。若者は、押し込められてばかりはいられない。
アジューラが生まれた頃から、始祖竜も森の民も、誰もがそれをわかっていたはずだ。
結局***は、ああだこうだと寝言を言う古竜たちを差し置いて、順番抜かしで覚醒した。始祖竜の末の姫として、皆から可愛がられ、可能な限り恐怖の元から隔離しようと、覚醒の順番はずっと後だったのに。
***が覚醒した時には、始祖竜たちは皆、歯軋りをした。
もう静かに眠っていれば良いと思う。
その間に、見せつけてあげようほどに。
物語のようなお綺麗な夢だけではない。もっと生々しい、生きているぞと叫ぶ人々の夢を。心地よい物語の奥で、皆が悩み苦しんで、それでもなお、強く燃え盛り輝いていることを。
そして世代を継いだ竜たちは、まっさらで、よい意味に恐れを知らず。きっと、人をたすけ、山を越えてくれるだろうという証左の夢を。
それに。
***だって、割り込みで覚醒したら自分の伴侶を見つけられた、なんて僥倖は、予想してなかったけれど。古竜たちにはこれも効果絶大かもしれない。
ユーラまでもが対の星をみつけたので、思いがけずふたりの恋心の綾までつぶさに読み取れてしまった。そこはかとなくアジューラに伝えた時には、対の星を面白がるなんてとぷりぷりしていた。あれも可愛かった。
***は満足だった。
「おお、始祖様。お目覚めでしたか。ユーラたちは、ちゃんとやっておりますか?」
かつての王子であるところの森の長が、花畑の外から声をかけてきた。彼は森との同化率が高く、その姿は歩く楠の大木だ。その太い根で歩くと、どうしても花を潰してしまうと、踏み入るのを遠慮するのだ。
彼が蓮の姿をした妻のそばを離れるのは珍しい。いつもは泉の反対側で、二人で日向ぼっこをしているのに。
「あちらの森のへりに、野良の竜が来ましてな、始祖に会いたいと申すので」
『興味がないわ』
「でしょうな。排除しましょうか」
***は少し考えて、ふふふ、と悪戯に笑った。
『求婚者には、私を得るために少しは苦労をしてもらいたいわ。だから、その竜は適当な結界にでも入れておいて、あとで勝ち抜き戦でもしてもらっちゃおうかな』
ははは、始祖はお茶目ですな、と笑って済ませてくれるところも、気に入っている。
『そうそう、アジューラたちが、帰ってくるわよ』
知らせると、灰色にひび割れた木肌が、しゅわっと蒸気を出した。嬉しかったのだろう。
***も、嬉しい。末の姫だったので、同じ年頃の友を初めて得たと思っている。
明日だろうか。会えるのは。
やはり最初はアジューラとその対に挨拶をして見せよう。ガゼオは少し、後回しだ。ちょっとばかり焦らすほうがいいに違いない。手土産の計画は聞いてしまったけれど、繋がりは切ったから、どんな花を選ぶかはわからない。どんな花か、想像するのも楽しかった。
また定石かと言われようと、最後はめでたしめでたしになるつもりだけれど。
神に等しい始祖の竜だって、少しは人のように揺れ動いて楽しみたい。
どの登場人物にだって、小さな小さな悩み事や思い込みや失敗や、もちろん幸せも成功も起死回生もあって、意外とみんな、ごちゃごちゃしている。
ただそれこそが、人の物語が愛おしい、一番の理由だと思うのだ。
末っ子たちが幸せにしていれば、そのうち老体たちも、あちらこちらで起きてくるだろう。
揺籠の眠りを覚ますのは、強い風でも恐ろしい手でもなく。
ただ優しく降り積もる、限りのない、愛の夢のはずだ。
ようやく、待ち望んでいた伴侶と会うことができる。相手の準備は覗き見ないでおく方が、楽しみは膨らむだろう。
正直に言えば、待つのはもうこりごりだったが、森の民たちは森をよく管理していたらしく、花は美事に咲いて好みの香りがするし美味しいし、無礼な魔物も寄って来ず、心地よい。森の民が風となり光となり木霊となって森の出来事を囁いていくのも、よい気晴らしになる。
これなら、もうあと少しくらい待つのもまあよいか、と思えるようになった。
波長の合う森の娘アジューラを人の国にやって正解だった。アジューラを媒介に、夢現に意識を人の国へと飛ばし、その人間模様をじっくりたっぷり愉しむことができた。人の子の母への思慕が、ああも複雑に魂に根を張っているとは。母の愛というものが、ああも怪奇に歪むとは。
竜と人とは、本当に違う種なのだ。人とはなんと、ちいさくかわいいものであろう。
昔から、***は人が愛おしい。人の営みが。愛し愛され、憎み憎まれ、勘違いしたり思いやったり、滑稽なほど真剣に思いを迸らせる様子が、愛おしいのだ。
あまりに多くの死を見る、その前から。
かつて山の向こうで、あの災害を越えて生命を繋げられたものは、いなかったろう。今、山の向こうがどうなっているのか。知るものは誰もいない。誰ひとり。
始祖と呼ばれる強大な竜たちだって、多くの死の匂いには、傷つくのだ。人の国の王子とやらに頼まれ、わずかばかりの人を助けて山のこちらへと迎え入れてみれば、今度は弱き人に襲い掛かる死の非情さのみならず、癒えない傷を抱え生きる意味を失って、なお生きる、その生のおぞましさと苦しみを近くで見すぎて。竜たちの心は深く傷ついた。
人の営みはあまりに儚く、もろく、時が無常に働きかければあっという間に死んでしまう。無力で健気な生き物が、見る間に命を失っていくのに、竜たちはなすすべもない。けれど竜たちが恐れ慄いている間にも、命は次々と生まれ、幸せも次々ともたらされ。
人のしなやかさ、強かさは、始祖竜たちを慰めた。だから竜たちは、心の傷をおして、人を永くたすけることにしたのだ。森を分け、人が増え幸せを増やすのを、見守った。人には過酷な森の因果律を、細く、長く引き伸ばし、できる限り穏やかに彼らが過ごせるように細工をして。そして元々種としての限界を迎えつつあった自分達始祖竜は、一頭を残して、皆が長い眠りについた。
その一頭が生を終えれば、一頭、また一頭と、覚醒して見守る約束で。
そう、だから、始祖竜たちはみな、互いには永の別れを済ませたのだ。
けれど予想外なほどの人の底力よ。
眠る始祖竜たちを、王子とその伴侶であった娘ら幾人かの人間が見守ってくれたらしい。
細工があってさえ、また森の民と呼ばれるに足る通常より魔の濃い人間たちにとってさえ、森の因果律は強すぎた。だから彼らは、森に抗わず、受け入れ、同化して、命を長らえていったのだ。
森の民たちが同化して、互いに繋がっていくことで、森はかつてないほどに一体化した。森は竜の根源である。死と同じ深さで眠っていたはずの始祖竜たちに、夢が届き始めたのが、ひとつ目の奇跡。
夢は、人の暮らしをなぞる。森の民たちが見る夢は、常に微笑みと、いたわりと感謝に満ちていた。人の国の夢は、少し遠かった。物語の読み聞かせのように、淡々と。けれどそこには、眩いほどの生命の煌めきがあって。
始祖竜たちは、ひしひしと感じたのだ。
人は死と生の苦しみに消えていくような弱い存在ではない。彼らは早晩、この限られた平地に限界を感じ、窮屈になるだろう。かつて生命の砦となった、この隔絶された揺籠を、檻と見なして憎むようになるだろう。
変化が、訪れる。
大きな変化。
人が解放を望むのであれば、その願いを叶えてやるべきだ。
けれど始祖の竜たちにとって、山の向こうはあまりに恐ろしく。変化の予感が囁きから唸りとなり、揺籠をどれほど強く揺さぶっても、眠りに浸った古竜たちは起きることを躊躇った。楽園から愛すべき人や竜が飛び出すのを、嫌がった。
人を愛しむ気持ちもわかるが、諦めて欲しい。若者は、押し込められてばかりはいられない。
アジューラが生まれた頃から、始祖竜も森の民も、誰もがそれをわかっていたはずだ。
結局***は、ああだこうだと寝言を言う古竜たちを差し置いて、順番抜かしで覚醒した。始祖竜の末の姫として、皆から可愛がられ、可能な限り恐怖の元から隔離しようと、覚醒の順番はずっと後だったのに。
***が覚醒した時には、始祖竜たちは皆、歯軋りをした。
もう静かに眠っていれば良いと思う。
その間に、見せつけてあげようほどに。
物語のようなお綺麗な夢だけではない。もっと生々しい、生きているぞと叫ぶ人々の夢を。心地よい物語の奥で、皆が悩み苦しんで、それでもなお、強く燃え盛り輝いていることを。
そして世代を継いだ竜たちは、まっさらで、よい意味に恐れを知らず。きっと、人をたすけ、山を越えてくれるだろうという証左の夢を。
それに。
***だって、割り込みで覚醒したら自分の伴侶を見つけられた、なんて僥倖は、予想してなかったけれど。古竜たちにはこれも効果絶大かもしれない。
ユーラまでもが対の星をみつけたので、思いがけずふたりの恋心の綾までつぶさに読み取れてしまった。そこはかとなくアジューラに伝えた時には、対の星を面白がるなんてとぷりぷりしていた。あれも可愛かった。
***は満足だった。
「おお、始祖様。お目覚めでしたか。ユーラたちは、ちゃんとやっておりますか?」
かつての王子であるところの森の長が、花畑の外から声をかけてきた。彼は森との同化率が高く、その姿は歩く楠の大木だ。その太い根で歩くと、どうしても花を潰してしまうと、踏み入るのを遠慮するのだ。
彼が蓮の姿をした妻のそばを離れるのは珍しい。いつもは泉の反対側で、二人で日向ぼっこをしているのに。
「あちらの森のへりに、野良の竜が来ましてな、始祖に会いたいと申すので」
『興味がないわ』
「でしょうな。排除しましょうか」
***は少し考えて、ふふふ、と悪戯に笑った。
『求婚者には、私を得るために少しは苦労をしてもらいたいわ。だから、その竜は適当な結界にでも入れておいて、あとで勝ち抜き戦でもしてもらっちゃおうかな』
ははは、始祖はお茶目ですな、と笑って済ませてくれるところも、気に入っている。
『そうそう、アジューラたちが、帰ってくるわよ』
知らせると、灰色にひび割れた木肌が、しゅわっと蒸気を出した。嬉しかったのだろう。
***も、嬉しい。末の姫だったので、同じ年頃の友を初めて得たと思っている。
明日だろうか。会えるのは。
やはり最初はアジューラとその対に挨拶をして見せよう。ガゼオは少し、後回しだ。ちょっとばかり焦らすほうがいいに違いない。手土産の計画は聞いてしまったけれど、繋がりは切ったから、どんな花を選ぶかはわからない。どんな花か、想像するのも楽しかった。
また定石かと言われようと、最後はめでたしめでたしになるつもりだけれど。
神に等しい始祖の竜だって、少しは人のように揺れ動いて楽しみたい。
どの登場人物にだって、小さな小さな悩み事や思い込みや失敗や、もちろん幸せも成功も起死回生もあって、意外とみんな、ごちゃごちゃしている。
ただそれこそが、人の物語が愛おしい、一番の理由だと思うのだ。
末っ子たちが幸せにしていれば、そのうち老体たちも、あちらこちらで起きてくるだろう。
揺籠の眠りを覚ますのは、強い風でも恐ろしい手でもなく。
ただ優しく降り積もる、限りのない、愛の夢のはずだ。
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