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残された者、旅立った者、そして

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 竜たちの姿が見えなくなって、空はみるみるうちに橙から藍色へと塗り替えられ、庭から吹き込む風が冷たくなった。
 広間は、空虚な気配に満たされていた。
 すべては、客たちが呆然としている間に起こった。
 いつものように王妃の強引な誘いに屈した王太子が、ついに妃を決めるかもしれない。もしかすると、我が家の娘が。そんな浮き立つ気持ちで参加したはずの宴で、王太子本人が出奔するとは。
 その失望と苛立ちは、みるみるうちに王妃へと向かっていった。

 くだらない噂に惑わされ、自らの最大の後見である国王と距離をとった王妃は、野心を持つ臣たちには侮られ、忠実な臣たちには眉を顰められていた。王太子が優秀で、王妃を尊重していたからこそ、価値があると判断して媚を売る者たちがたかっていただけ。その王太子がいなくなれば。
 だが、王妃の隣に立つ、いやその細腰を抱いて自分の体に密着するほどに拘束している王が、不調の噂などどこ吹く風とばかり、悠々と立って周囲を睥睨している。
 王の手前、今は文句は言えない。
 また後で、裏から手を回せばいい。悪意ある話を吹き込み、王から離してしまえば。寵愛をなくしてしまえばよいのだ。そう、心に決めた者も多かっただろう。
 それは、王を侮ることになるとは思わずに。
 王の視線が、鋭くなった。



 メイベルは、一度も振り返ることなく旅立った息子を思い返しては、胸が塞がるようだった。美しい娘を伴い、巨大で恐ろしげな竜に仲良く乗って、空の向こうを見て、弾けるように笑っていた。そんな顔を見たのが、まだ舌足らずにしゃべっていたような頃以来だということが、母としてつらく惨めだった。
 これは、メイベルが信じたいものだけを信じて、息子自身を蔑ろにした、代償。
 息子はもう母の手元には戻ることはない。
 悲しい。辛い。胸が潰れそうだ。
 だが、——それでよい。リューセドルクにとっては、それがよい。
 そう思えるということだけは、母親らしいのではないか、とメイベルは自嘲した。

 子は、力強く飛び立った。
 そして、メイベルは自分自身で、自らの行動の責任を取らねばならない。リューセドルクに、恥じることのないように。
 まずは、王太子の妃選定のために国中から集めた令嬢とその後見人たちへ。王妃は自分を隠すように抱き寄せる国王の手を外してもらい、一人、その前に進み出た。そして丁寧に頭を下げたのだ。

「この度は、私の不徳の致すところにて、このように集まってくれた皆の期待に添えず、また私の母として人としての未熟さを露呈することとなり、申し訳なく思い恥じるばかりです。リューセドルクは、自ら選んで旅立ちました。母として身を切るように寂しいが、その決断をただ信じようと思います。息子ながら、思慮深く、またどのような状況でも切り開く力のある申し分のない子です。
 ——皆様のお嬢さんも、お一人お一人、素晴らしい令嬢です。その貴重な時間をこのように取らせてしまったこと、心からお詫びします。私の言うべきことではないけれど、私のように我が子を曇った目で見ることなく、どうぞいつか送り出す日まで愛しんでください」

 親たちは、いく人かが涙を拭った。誰しも、子供たちの旅立ちを思えば身につまされる。

「どのお嬢さん方にもよい縁や将来が訪れるよう、私は今後、王妃として精一杯努めましょう。夫との間にも、信頼を築けるよう努めます。不明な私が王妃として何ができるか、どうか見定めてくださいませ」

 そっと腰に添えられる程度になっていた国王の手が、ぶるぶると震えるのが感じられた。
 優しい幾人かの夫人の声と、その倍ほどの厳しい声とに丁寧に答えながら、王妃がしっかりと前を向けたのは、その手が決して離れなかったからだ。





「ねえ、リューセドルク、森へ行ってから、それから、どうしたい?」

 夕日を追いかけて飛びながら、ユーラが自分を抱える対の星に問いかけた。
 ガゼオは本当に逞しい。二人を乗せても、悠々と竜たちの先頭を切っている。
 飛んでいるのは、想定より雌も加わった5頭の若い竜たち。皆がこの空の旅に興奮した様子で、時々、一頭に乗ったケールトナが嗜めて、仮初の群れを作らせている。リューセドルクの護衛二人も、なんとかそれぞれの竜に乗っている。ガゼオ以外は人を乗せるのはほぼ初めてだというから、乗せていることを忘れるくらいはしゃぐのを許しては、危険なのだ。
 他の竜たちは留守居だ。ここにいる竜たちにとっては、城の竜舎こそが我が家なのだから、守りを残していくのも当然だろう。

「世界を回って見たいな。三国も、王城近辺には行ったことがあるが、話に聞く興味深い土地がたくさんある。森はさらに広いそうだな。それに、果ての山には登れるだろうか。もしかして、その向こうにも、行けるのだろうか」
「私も行ったことがないけど、聞いたことはある。山向こうにも、人がいて国があったって。それに言い伝えによるとね……」

 森から三国に貸し出された竜たち。彼らが人の国で三代栄えれば、王の系譜以外の人が竜に乗れるようになるはずという。そうすれば、森を超えて、山向こうの国と交流を結ぶことだってできるはず。そう、森では言い伝えられているのだ。
 リューセドルクは目を見張った。竜に乗って遠くまで飛ぶことを、考えたことはある。だが、竜は世話を受ける人よりさらに厳しく乗る人を選ぶ。ガゼオがリューセドルクを乗せたのが、セントルヴォイでは初めて竜が人を乗せた事例となっている。護衛の二人は王家の傍系に当たり、ガゼオより年若い竜と親しくしていたが乗ったことはなかった。

「はじめから、いずれはその自由をあげたくて、始祖の竜たちは人に竜を与えたそうよ。ガゼオは三代目でしょう? どの竜も幸せそうで、あの国を故郷と思っているから、繋がりもとてもよい。きっとガゼオの子竜たちが、自由を運んでくる」

 今の竜たちの次の世代で、王家に限らず、竜に乗れる人が増えたなら。
 三国は、狭くなってきたこの森に囲まれた世界から、解き放たれる。おそらくそれは、檻からの脱出ではなく、温かく守られた巣からの旅立ちなのだろうけれど。

「それは……世界が変わるな」
「世界は、いつでも変わっていってるもの!」

 思いがけない規模の話に、リューセドルクは腰が浮き上がるような気持ちで、胸が高鳴るのを感じた。切り取られた空を、届かない山の頂を、その向こうを、切なく見上げる必要はもうない。見たければ、見に行けばいい。その時はこのユーラもついてきてくれると、そう確信できる。
 幸せ。
 それを感じて、リューセドルクは腕の中の温もりをそっと堪能した。

『俺の上でいちゃつきながら俺の子竜の話をしないでくれよ』
「え、若君。まさか、緊張してきた?」
『吐きそうだ。会って即嫌われたら、どうしよう……』
「なんだ、ガゼオ、弱気だな」
『うるせえよ、お前ほどじゃない』
「しっかりしろよ、一人前のオスだろう?」
『お、おまえ、俺の言葉もわからないくせに!』

 あはは、とユーラが笑った。

「ふたりとも、なんで会話が成立するの? 若君、心配はわかるけど、始祖はきちんと見定めてくれるから、大丈夫! それで、若君はどうするの? 竜の蜜月は一年くらい。その後は森に棲むのか、セントルヴォイに戻るのか」
「一年? それ以降は別に暮らすものなのか?」
「竜は、伴侶がいてもひとりが好きなことが多いかな。始祖は森からは出たがらない様子だけど。昔始祖の竜たちがたくさんいたころも、ずっとべったり一緒の竜たちもいるし、時々伴侶が会いに来るのが一番っていう竜たちもいたって」
「……そうか。一年。なんだ、そうか」
『俺と会えなくなるかもって、半泣きだったもんな。俺って愛されてるよな』
「とはいえ、お前も安心したろ、俺が付いてきて」
『ば、ばーか。俺の言葉もわからないくせに。ちょっとだけだ、ちょっとだけ!』

 なんだかもじもじしたくなる展開に、今度はユーラは苦笑いした。

「仲がいいね。 あのね、リューセドルクは少し勉強?練習?すれば、すぐ若君と話せるようになると思う」
「私が、ガゼオと?」
『俺と、リューセドルクが? ほんとか?』
「本当。リューセドルク、若君は結構熱いことを言ってくれるから、楽しいよ」
『ば、嬢ちゃん、おい、何言ってんだ。こいつ、ほんと本気にするから、やめてくれ』


ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


 妬けちゃうくらい仲良しねえ、と最後に赤翠の美しい煌めきを愛でて、ふふふ、と笑いながら、***は映像を意識から切った。


ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


 森に囲まれた三国の一、セントルヴォイの王太子が竜とともに出奔した、という噂は、瞬く間に三国に伝わった。離反か、独立か。滅多にない荒事の気配に、他の二国は緊張した。
 だがやがて、王太子を頼って竜番たちが森へと留学した、などと聞こえてきて。
 三国の森とのつながりは、それまでよりも深くなっていくことになる。




 めでたしめでたし、で、物語はすべて、定石セオリー通り!




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