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迷惑召喚師オウガスト・ビルニッツ

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「急に喚び出したりして申し訳なかったね。どこか不具合などはあるかい?」

 目に痛いほどのビビッドな紫色の髪に、猫に似たつり上がった同色の目の青年は衣沙を見て言った。
 けれど当の衣沙はどう考えてもコスプレにしか見えない奇妙な容貌の男を前にぽかんと口をあけている。

 たった今まで、自分の部屋にいたはずなのに。突然テレビが光りだしたと思ったら、そのまま息をつく暇もない勢いで全く見知らぬ場所、見知らぬ人間の前に連れてこられたのだから、混乱して当たり前だ。

(え? ここどこ? いや、誰この人?)

 衣沙の頭に疑問符の嵐が舞う。だというのに、目の前の青年はにこにこと機嫌良さげに衣沙の反応を待っている。恐らく年の頃は二十歳前後。顔立ちは整っているがどこか猫科の動物を思わせる容貌の青年だ。下手をすれば衣沙よりも年下に見える。学ランに似た服装のせいもあるのだろう。紫紺の詰襟服には金装飾が施され、肩にかけた長く黒いローブが床にまで垂れている。手にしているのは金色の月と星が融合したような装飾の杖―――鈴と輪っかがついていることから、錫杖といえば良いだろうか。どこからどう見ても、アニメやゲームに登場しそうなファンタジー世界の住人に見えた。

 ついでに言えば、衣沙がいる場所はまるで外国の図書館を思わせる内装で、飴色の本棚が壁一面、天井から足元までをずらりと覆っている。室内の左側には凝った意匠の施された螺旋階段が上へと伸びており、途中途中には重力を無視してふよふよと浮かぶ天球儀や光る砂が落ちる砂時計があった。たとえるならば、英国幻想小説のワンシーンに出てくるような部屋なのである。

 これは夢? と一瞬衣沙は思った。なので右手で頬を軽く抓ってみた。が、普通に痛い。持っていたはずの缶ビールはいつの間にかどこかに消えているが、痛覚はちゃんと機能している。それに、室内に漂うインクとお香が混じったような香りも鼻腔に感じている。つまり、衣沙の視覚・嗅覚・触覚はきちんと仕事をしているというわけだ。聴覚だって、目の前の珍奇な格好をした青年の言葉がしっかり聞こえていた。

(夢、じゃない……ってことは、もしかして)

 これはいわゆる、昨今の書店でずらりと並んでいる漫画ジャンル、異世界に転生だか転移だか、という話だろうか。そう、衣沙が自分でも信じられない推測をし始めた時。

「あれ? 驚きすぎて声も出ない? それとも感動してるのかな? 君の世界では、異世界に渡るのを夢見る人が多いんだよね。文献にそう書いてあったよ!」

「……え?」

 いつまで経っても衣沙から返事がないことに痺れを切らしたのか、紫の青年が不思議そうな声を上げた。しかも青年は、なんだか見当違いなことを吐いている。異世界に渡るのを夢見る人が多い、とは一体何のことだろうかと内心首を傾げる。百歩譲ってここが異世界で、青年が別の世界の住人であるとして、なぜ衣沙が感動することになるのだろうか。

「あの、それ、どういう意味ですか」

 衣沙は紫の青年に問いかけてみた。正直会話して良いものか悩んだが、どうにもこうにも状況の理解が追いつかない。だから説明が欲しかった。
 すると紫髪の青年はおや、と右側の眉をくんと跳ね上げ、身振り手振りを交えて語り始める。

「ん? ああ、過去にね、ぼくのような大召喚師がいて、君みたいな異世界の人を召喚したことがあったんだよ。その人はこの国に骨を埋めたから、元の世界には帰らなかったんだよね。で、その異世界人が語った話を残した文献に、自分の世界では多くの人が異世界へ憧れを抱いていて、行きたいと思っている、って書いてあったんだ。だけど召喚はものすごい魔力が必要だから、その人以降は召喚が果たされなくてね。で、ぼくの出番ってわけ。何しろぼくは天才だからね。ここ千年は成功しなかった異世界人の召喚を、こうしてやってみせたってわけだ!」

 青年はすごいでしょう、と言わんばかりに朗々と経緯を語ってくれた。が、その説明に衣沙はひたすら首を傾げるばかり。青年の言っている意味は一応理解はできるのだ。なぜかよくわからないが完全に日本語で聞こえているし、話の順序もおかしくはなかった。けれど、正直言って何を言っているんだコイツは、という感想しか抱けない。

「異世界へ……憧れ……行きたい……?」

「うん! どう? 嬉しい?」

 なぜかきらきらした顔で、満面の笑みでそう言われても衣沙はただ青褪めるしかなかった。異世界への憧れ? 何だそれは。と一気に沸々とした怒りが湧き上がる。誰も頼んでない、そんなこと。衣沙は無意識に拳を握りしめていた。紫の青年の言葉から察するに、ここは日本ではないことはわかった。それは空中に物体が浮いていることからもなんとなく理解できる。それに衣沙がここにいるのはこの青年が召喚なるものをしたせいだというのもわかった。
 そして彼は異世界に来れた衣沙が喜んでいるものだと思いこんでいる、ということも理解した。
 とてつもなく、異議を唱えたい話だが。
 なので自分で自分のことを大召喚師とか言っているこの青年に、衣沙は一言文句をつけることにした。

「一つお伺いしたいんですが」

「うん? 何かな?」

「その、私より先に召喚されたって人が言っていたことですが、中には自分の世界にいたいって思っている人もいるって、考えなかったんですか」

「え?」

 衣沙の質問を聞いた青年は、まるで何を言っているのか理解できない、というような表情できょとんとしている。青年の猫目に見えたつり上がった目がやや丸くなり、首がゆっくり傾げていく。それを衣沙は淡々と眺めていた。正直言って迷惑極まりない状況だが、まずは説明が先である。もちろん怒りはある。が一番怒りたいのは衣沙より先に召喚されたという人間の方だ。なんて話をしてくれたんだ、と恨めしい気持ちしか無い。
 衣沙には異世界への憧れなんてものは全く無かった。だって彼女には向こうの世界でやらねばならないことがあるのだ。この状況で言っても仕方のないことだが。

(とにかく、さっさと帰してもらわないと!!)

 青年の様子から、なんとなく嫌な予感しかしないが衣沙はとっとと事情を説明して、家に帰してもらうつもりだった。召喚は他の人にしてもらえばいい。衣沙は別に異世界になんて興味はないのだ。

「つまりですね、その人は多くの人が異世界に憧れを持っているとは言ったみたいですが、みんながみんな、別の世界に行きたいって言ってるとは話してないんですよね?」

 そこ、ちゃんと確認しなさいよ、と言外に告げるように衣沙は怒りの営業スマイルで語尾強めに青年に問うた。すると、青年はぱっと猫が驚いたときのように目を丸くし、ぱか、と口をあける。

「あ! ほんとだ!」

 そうして今更すぎることにようやく気がついた。
 まさに、あれすっかり忘れてた、という顔だった。
 やっとわかったか、と衣沙は呆れた。ただでさえ深夜残業上がりで疲れているのに、余計疲れた気がした。というより、腹が立つ。かなり。とても。なのでその勢いのまま、大きく口を開く。 

「あ、ほんとだ、じゃないですっ!! 家に帰してください!!」

 衣沙の怒鳴り声が、こののち改めて自己紹介される召喚師《マトラ・グル》、オウガスト・ビルニッツの研究室に、鳴り響いた。
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