ずっとキミを好きだった

シェリンカ

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6.入院

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 その日から海里は、気が向いた時にふらっと昼休みの美術室に顔を出すようになった。
 
「授業には出ないくせに、いったい何様のつもりなのよ!」
 
 私が怒ってそんなふうに言えば、満面の笑顔で、「もちろん、俺様!」なんて答えが返ってくるので、いちいち怒る気も失せる。
 
 窓際の椅子に座って時々空を眺めながら、スケッチブックに向かっている姿を見ていると、それだけでホッと安心できるのは確かだったので、もう細かいことは大目に見ることにした。
 
 そもそも美術部の顧問も、私たちの担任も、海里の自分勝手な行動を知ってて黙認している気がする。
 
 もしも叔父さんや陸兄との間でなんらかのとり決めがなされているんなら、私ごときの出る幕ではない。
 
 海里は子供の頃から、いつだって特別扱いだった。
 
 それは決して羨ましいことではないし、本人にとっては悔しい以外の何でもない。
『みんなと同じ』こそが、海里がずっと求めてきたものだったのだから――。



 
「……しわが寄ってる……」
 
 スラスラと滑るように一心に鉛筆を動かしている海里が、目は紙面に向けたまま突然呟いたので、私はぼんやりと視点を定めずに考えごとをしていた目を、窓際へ向けた。
 
「何……?」
「眉間にしわが寄ってるって言ったの。ひとみちゃん……可愛い顔がだいなしだよ?」
 
 相変わらずこちらを見ようともしないで、まるで歌うように囁かれた上機嫌の声に、私は首まで真っ赤になった。
 
「なんであんたにそんなことわかるのよ! そっから見えるはずないでしょ!! そもそも……か、か……可愛い顔ってなんなのよ!」
 
 どこにどう反論したら、海里の一言一言に私が大慌てしていることがバレずに済むんだろう。
 昔からそれだけは全然わからない。
 
「見えるよ。俺、目いいもん。今だって中庭で、あの伊坂って奴がひとみちゃんを待ってるのもよく見える……行かなくていいの?」
 
 私は怒りにふり上げていたこぶしを下ろして、思わず腰を浮かした大きな画布の前の椅子にもう一度座り直した。
 
「別に毎日約束してたわけじゃないから……それに今は、これを早く仕上げないといけないし……」
「そう」
 
 それっきり海里は口を閉ざして、また空を見上げた。
 
 太陽の光を受けて輝く淡い色の髪に、白い横顔に、思わず視線をひき寄せられる自分を戒めて、私は宣言したとおり、まだ空白部分が多い目の前の画布に向き直る。
 
(嘘つきだな……私……)
 
 私が昼休みの美術室に足繁く通うようになったのなんて、しょせんは海里に会いたい一心からだ。
 そんなことは、自分でもよくわかっている。
 
 これまで伊坂君と話をして過ごしていた時間はどうしようかなんて、頭に浮かびもしなかった。
 
(馬鹿だな……小学生の頃から全然成長してない……いくつになってもやってることは同じ……!)
 
 なんだか無性に腹立たしくて、悔し紛れに絵筆を取り上げた途端、海里がもう一度口を開いた。
 
「俺さ……また入院することになったから……」
 
 息が止まるような思いで、私はやっぱり窓のほうをふり返った。
 
 太陽を背に受けて、まるで何もかもを納得しているかのような顔で、海里は笑っていた。
 
「念のための検査入院だけどね……ひとみちゃん、いつもみたいについて来てくれる?」
 
 あまりそうは見えなかったけれど、最近調子が悪かったんだろうかとか。
 どうして発作も起こしてないのに、入院なのだろうかとか。
 まさかとか。
 ひょっとしてとか――。
 
 心に浮かんだ不安は全部どこかに押しやって、私はせいいっぱいいつもどおりの反応を海里へ返した。
 わざとプイッと顔を背けて、声を荒げて強気で言いきった。
 
「あたり前じゃない! 私が行かなきゃ誰が行くのよ!」
「ハハハッそうだね。よろしく」
 
 笑いながら言った海里の顔は見れなかった。
 どうやら『目はいい』らしい海里に、胸の中の不安まで全部見透かされてしまいそうで、それが恐かった。



 
「入院手続きなんかのために、一生君に付き添います!」という名目で、私は海里の入院当日、学校に欠席届を提出した。
 
「別に私がついて行ってもいいのよ?」
 
 ママはきっと私を気遣ってそう言ってくれたのだろうけど、海里に関係することに限って言えば、それは余計なお世話だ。
 
 海里が、他の誰でもなく私についてきてほしいと言った。
 ――それこそが私の喜びだし、誇りなのだから。
 
「いいよ。私が行くから……」
 
 何日も前から勝手知ったる海里の家に入りこんで、荷物の用意なんかも全部やって、準備万端整えた。
 あとは当日、海里が予約したという時間に病院に向かうだけだった。
 それなのに――。



 
 当日の朝早く、わざわざ迎えに行った私よりも更に早い時間から、海里はいつものようにさっさとどこかに出かけてしまっていた。
 
「……信じらんない! ……あの馬鹿! 自分がついてきてくれって言ったくせに……!」
 
 玄関先で怒りに震える私を、陸兄がまあまあと宥める。
 
「すぐに帰って来るつもりなんじゃないかな? もしひとみがいいんだったら、うちで待っててもいいからさ……?」
 
 そうして家の鍵を私に預けると、自分はさっさと大学へ行ってしまった。
 
 行き場の無い怒りを私に向けられるのが嫌で、早々に逃げてしまったんじゃないかと、そんなひねくれた考えばかりが頭に浮かぶ。
 
(どこに行ったっていうのよ! 入院当日に!)
 
 答えは考えずとも浮かんでくるが、それは私にはどうにも納得のいかない内容なので、なおさら腹が立つ。
 
(たぶん彼女に会いに行ったんだよね……しばらく会えないとかなんとか、そんなこと言いに行ったのかな? ……それで別れを惜しんでるとか……?)
 
 勝手に海里の家のリビングのソファーに腰を下ろして、そこにあったクッションを悔し紛れにギュッと抱き締めた。
 傍らに置いてあった海里の荷物が入った大きな旅行カバンを、つま先で蹴る。
 
「馬鹿……!」
 
 悔しい気持ち半分。
 うらやましい気持ち半分。
 それでも、(しょうがない)という思いでしばらくは待ったのに――。
 
 海里はいつまで経っても帰って来なかった。



 
「いくらなんでも遅すぎる!」
 
 イライラと時計を見ながら待っているうちに、とっくに病院の午前中の診療時間を過ぎた。
 さすがにそろそろ堪忍袋の尾も切れる。
 
 かけようと思ってはやっぱりやめてを何度もくり返した海里のスマホに、しかたがないので電話することにした。
 
(出なかったらどうしよう……)
 
 今、取りこみ中だとか。
 私からの連絡なんてあと回しとか。
 そんなこと考えただけで気持ちが滅入る。
 
 でも予想に反して、数回のコールで海里は電話に出た。
 それもいつもどおりの飄々とした声で。
 
「はいはい」
 
 あまりに緊張感のない普段どおりの応対に、朝から散々待たされてたまりにたまっていた鬱憤が爆発した。
 
「なにやってんのよ!! まさか今日これから入院だっていうのに、忘れてるんじゃないでしょうね!!」
 
 大声で怒鳴りつけると、電話の向こうでかすかに息をのむ声が聞こえる。
 
「うっわ……忘れてた……!」
 
 あまりと言えばあまりの発言に、思わず脱力する。
 
(私は何日も前から準備をして、学校まで休んで迎えに来たのに……当の本人が忘れてた……? あり得ない!)
 
「何をどうやったらそうなるのよ! 能天気海里!」
 
 もう一度叫んで一気に不満をまくし立て始める。
 
 海里は神妙な声で、何度も「うんうん」と相槌を返してくる。
 いつもなら軽口を叩いて私をからかうところなのに、そうはしないものだからなんとなくピンと来た。
 
(きっと近くに誰かがいるんだ……)
 
 その『誰か』を意識した途端、流れるように文句を言い続けていた私の声が、思わず途切れる。
 海里はその瞬間を狙っていたかのように、ひどく優しい声で耳元で囁いた。
 
「わかったから。じゃそこで待ってて、ひとみちゃん」
 
 私の機嫌が悪い時に、海里がいつも浮かべる笑顔まで目の前に見える気がして、悔しいけれどドキリとした。
 条件反射のように、カアッと顔まで赤くなる。
 
 私の返事も待たずに海里はすぐに電話を切ったけれど、私はぼうっとスマホを握り締めていた。
 嬉しいんだか、悔しいんだか、自分の感情がもう全然わからない。
 
 力が抜けたようにソファーに座りこんだまま、しばらくの間は何もする気が起こらなかった。



 
 すぐに帰ると言った言葉どおり、海里は三十分足らずで家に帰ってきた。
 
「遅いっ!」
 
 慌ててタクシーで向かった病院は、もう昼の休憩時間だった。
 
「すいませんでした。すっかり忘れてました!」
 
 潔く頭を下げて、二カッと悪戯っぽく笑う海里を、誰も咎めたりはしない。
 石井先生も看護師さんたちも、みんなニコニコ笑いながら、すんなりと許してしまう。
 
 そこには確かに、どこにいても何をしててもすぐに周囲と打ち解けて仲間を作ってしまう、昔と変わらない海里がいた。
 
 休んでばかりの小学校でも、みんなの半分も通わなかった中学校でも、海里にはたくさんの友だちがいた。
 私とは比べものにならないくらい――。
 
(なんて得な性格なんだろ……ううん、これが海里のいいところなんだよね……)
 
 そんなふうに思えば、『神様に愛された子供は早く天に召される』なんてどこかで聞いたような伝承が脳裏をかすめる。
 
(嫌だ……そんなに早く連れて行かないで……!)
 
 誰に宣言されたわけでもないのに、そう願わずにはいられない。
 
「じゃあ、ひとみちゃん。また明日」
 
 さっさと病室のベッドに繋がれた海里が、無邪気に笑えば笑うほど、私は苦しくて仕方がなかった。
 
「ずうずうしいこと言ってるんじゃないわよ!」と怒鳴り返す元気もなく、「うん」と頷いて病室をあとにしようとした背中に、聞き慣れた調子の声がかかる。
 
「ひとみちゃん! ……しわが寄ってるって!」
 
 思わず自分の眉間に指を当てて、海里の言うとおりそこに深いしわが刻まれていることを確認してから、私はクルリとうしろをふり返った。
 
「うるさいわよ! 馬鹿!」
 
 大きな声で叫ぶと、海里が楽しそうに笑い始めるからホッとする。
 本当は不安ないっぱいな気持ちを悟られずに、上手く海里を騙せたんだと安堵する。
 
「ハハハハッ」
 
 背後で響く明るい笑い声に、つられるように私も笑顔になりながら、病室を出た。
 
(「来い」なんて言われなくたって……毎日通うわよ! そして私はまだまだ絶対に、海里をここに引き止めておくんだから……!)
 
 誰に対してなのかわからない、そんな挑戦状を、心の中で叩きつけた。
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