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あなたが分からないです
③
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村田とべろべろになるまで飲み明かした二日後の水曜日。
社員食堂で、俺は混乱を極めていた。
「…」
「…」
目の前にはきれいな手つきで魚料理を咀嚼する環さんの姿。
一方の俺は何を頼んだかすら記憶にない。
そもそも注文をしたかどうか怪しいが、目の前にお膳があるということは注文はできたのだろう。
全く記憶にないが。
いつもは大勢の人々で賑わっている食堂も、今日ばかりはしんと静まりかえっている。
彼らは耳をそばだてながらじっと俺たちを見つめている。
ただただ居心地が悪い。
俺たちがこんなに注目を集めているのは、全てネックレスに起因している。
二週間前、環さんがネックレスを外した状態で出社したことで、俺と彼女が別れたという噂が出回った。
悲しいことに、人事部の先輩たちが聖母のような微笑みを浮かべながら飲みに誘ってくれたのは、つまりそういうことだろう。
ただでさえ別れ話の一件で噂になっている俺たちに、さらに追い打ちをかけたのが今日の食堂事件だ。
職場の人々から見れば、最近別れて気まずいはずの二人がなぜか食堂で顔を突き合わせているわけだ。
気にならないはずがない。
逆の立場だったら俺だって気になる。
悲しいことに、俺たちは利益とはまた違った方向でこの会社を盛り上げている。
しかし当事者の環さんは持ち前の天然故に周りの視線に全く気付いていない。
今までこの人はどうやって生きてきたんだ、と不安にさえなる。
「食べないのか」
「え?…食べますよ」
やっと喋ったと思ったら食事を促された。
機械的に箸を動かして、唐揚げのようなものを口に運ぶが全く味がしない。
だが一番引っかかっているのが、この人の刺すような視線だ。
俺が唐揚げを食す様子を鋭い瞳で見つめ続け、食べ終わってからもちらちらと俺を盗み見ている。
本人は気付かれていないつもりかもしれないが、正直露骨すぎる。
俺の隣で飯を食っている人ですら「お前、副部長から熱烈な視線を向けられてるけど大丈夫か?」と言わんばかりに戸惑いながら、俺と環さんを交互に見つめている。
俺は頭を抱えて机に突っ伏したい衝動を抑え、味のしない食べ物を口に運んで、なぜこんなことになってしまったのかを今一度考え直すことにした。
事の発端は環さんの鋭い視線だった。
月曜日は気のせいかとも思ったが、火曜日には確信に変わった。
俺の一挙一動を余すことなく監視している環さんの目に。
あの環さんが行為以外で泣くなんて余程の事があったに違いない。
だから、きっと憎いが故に俺のことを睨みつけているんだろう。
好きな人に嫌われることほど辛いことは無いが、因果応報というやつだ。
そう受け入れていこうとした矢先の出来事だった。
午前の就業が終わり、俺はあくびをして机に突っ伏した。
ここ最近は落ち込む出来事がありすぎて、深酒も止められていないし、食欲もない。
行儀は悪いが、ここでつかの間の睡眠でもとるかと考えていたところに、肩を叩かれた。
先輩がお昼を誘ってくれたのかと思い顔を上げて、そのまま俺は固まった。
「…」
環さんが無表情で佇んでいたからだ。
「あ、え?ちょっ」
環さんはぐいと俺の腕を引っ張り、何も言わないまま歩き出した。
人事部のメンバーも何が起こっているのかと言った様子で硬直したまま俺たちを見つめている。
こうして俺たちは数多の視線に晒されながら食堂へと到着したわけだ。
米をすり潰しながら今までの出来事を回想してみたはいいが、結局なぜ環さんが俺を食事に誘ったかは謎でしかない。
一連の流れで環さんが発した言葉は「食べないのか」の一言だけだ。
この人は言葉足らずすぎる。
「環さん」
呼ぶと、俺を見つめたまま動かなくなる環さん。
そういえば、ネックレスを外して以来まともに顔を突き合わせたのは初めてかもしれない。
俺を食堂に誘ったのはなぜですか。
あの日、なんで泣いたんですか。
俺は環さんに何をしてしまったんですか。
聞きたいことが山ほどある。
だが、質問の答えを聞くのが怖くて口をつぐんだ。
「ネックレス」
俺は再び固まった。
ネックレス?
俺の呼びかけを無視して、何の脈絡もない単語をぽつりと呟く環さんに困惑する。
改めてこの人とのコミュニケーションの取りずらさを実感した。
環さん、ベッドの上ならあんなにも分かりやすいのに。
「ネックレスがなんですか」
周りから突き刺さる視線を極力気にしないようにして、質問をしてみる。
環さんはもそもそと魚を咀嚼しながら、それを喉へと通し、唇に指を当てて考え込むような仕草をしている。
しかし、考えあぐねたのか再び魚を咀嚼する作業に戻ってしまった。
今、環さんは何を言おうとした。
ネックレスは俺と環さんを繋いでいた唯一の物。
それについて言及しようとしたのは、つまり俺との関係について思うところがあったのではないか。
それに、今日食堂に誘ったのもその話がしたかったのではないか。
ただ自分が強制的に付けさせておいて、そのうえ勝手に外した過去があるだけに、こちらから迂闊に話題を深掘りするのは気が引ける。
結局俺の疑問は何一つ解決しないまま、会社内に新しいスクープだけを残し、俺の休み時間は終わった。
社員食堂で、俺は混乱を極めていた。
「…」
「…」
目の前にはきれいな手つきで魚料理を咀嚼する環さんの姿。
一方の俺は何を頼んだかすら記憶にない。
そもそも注文をしたかどうか怪しいが、目の前にお膳があるということは注文はできたのだろう。
全く記憶にないが。
いつもは大勢の人々で賑わっている食堂も、今日ばかりはしんと静まりかえっている。
彼らは耳をそばだてながらじっと俺たちを見つめている。
ただただ居心地が悪い。
俺たちがこんなに注目を集めているのは、全てネックレスに起因している。
二週間前、環さんがネックレスを外した状態で出社したことで、俺と彼女が別れたという噂が出回った。
悲しいことに、人事部の先輩たちが聖母のような微笑みを浮かべながら飲みに誘ってくれたのは、つまりそういうことだろう。
ただでさえ別れ話の一件で噂になっている俺たちに、さらに追い打ちをかけたのが今日の食堂事件だ。
職場の人々から見れば、最近別れて気まずいはずの二人がなぜか食堂で顔を突き合わせているわけだ。
気にならないはずがない。
逆の立場だったら俺だって気になる。
悲しいことに、俺たちは利益とはまた違った方向でこの会社を盛り上げている。
しかし当事者の環さんは持ち前の天然故に周りの視線に全く気付いていない。
今までこの人はどうやって生きてきたんだ、と不安にさえなる。
「食べないのか」
「え?…食べますよ」
やっと喋ったと思ったら食事を促された。
機械的に箸を動かして、唐揚げのようなものを口に運ぶが全く味がしない。
だが一番引っかかっているのが、この人の刺すような視線だ。
俺が唐揚げを食す様子を鋭い瞳で見つめ続け、食べ終わってからもちらちらと俺を盗み見ている。
本人は気付かれていないつもりかもしれないが、正直露骨すぎる。
俺の隣で飯を食っている人ですら「お前、副部長から熱烈な視線を向けられてるけど大丈夫か?」と言わんばかりに戸惑いながら、俺と環さんを交互に見つめている。
俺は頭を抱えて机に突っ伏したい衝動を抑え、味のしない食べ物を口に運んで、なぜこんなことになってしまったのかを今一度考え直すことにした。
事の発端は環さんの鋭い視線だった。
月曜日は気のせいかとも思ったが、火曜日には確信に変わった。
俺の一挙一動を余すことなく監視している環さんの目に。
あの環さんが行為以外で泣くなんて余程の事があったに違いない。
だから、きっと憎いが故に俺のことを睨みつけているんだろう。
好きな人に嫌われることほど辛いことは無いが、因果応報というやつだ。
そう受け入れていこうとした矢先の出来事だった。
午前の就業が終わり、俺はあくびをして机に突っ伏した。
ここ最近は落ち込む出来事がありすぎて、深酒も止められていないし、食欲もない。
行儀は悪いが、ここでつかの間の睡眠でもとるかと考えていたところに、肩を叩かれた。
先輩がお昼を誘ってくれたのかと思い顔を上げて、そのまま俺は固まった。
「…」
環さんが無表情で佇んでいたからだ。
「あ、え?ちょっ」
環さんはぐいと俺の腕を引っ張り、何も言わないまま歩き出した。
人事部のメンバーも何が起こっているのかと言った様子で硬直したまま俺たちを見つめている。
こうして俺たちは数多の視線に晒されながら食堂へと到着したわけだ。
米をすり潰しながら今までの出来事を回想してみたはいいが、結局なぜ環さんが俺を食事に誘ったかは謎でしかない。
一連の流れで環さんが発した言葉は「食べないのか」の一言だけだ。
この人は言葉足らずすぎる。
「環さん」
呼ぶと、俺を見つめたまま動かなくなる環さん。
そういえば、ネックレスを外して以来まともに顔を突き合わせたのは初めてかもしれない。
俺を食堂に誘ったのはなぜですか。
あの日、なんで泣いたんですか。
俺は環さんに何をしてしまったんですか。
聞きたいことが山ほどある。
だが、質問の答えを聞くのが怖くて口をつぐんだ。
「ネックレス」
俺は再び固まった。
ネックレス?
俺の呼びかけを無視して、何の脈絡もない単語をぽつりと呟く環さんに困惑する。
改めてこの人とのコミュニケーションの取りずらさを実感した。
環さん、ベッドの上ならあんなにも分かりやすいのに。
「ネックレスがなんですか」
周りから突き刺さる視線を極力気にしないようにして、質問をしてみる。
環さんはもそもそと魚を咀嚼しながら、それを喉へと通し、唇に指を当てて考え込むような仕草をしている。
しかし、考えあぐねたのか再び魚を咀嚼する作業に戻ってしまった。
今、環さんは何を言おうとした。
ネックレスは俺と環さんを繋いでいた唯一の物。
それについて言及しようとしたのは、つまり俺との関係について思うところがあったのではないか。
それに、今日食堂に誘ったのもその話がしたかったのではないか。
ただ自分が強制的に付けさせておいて、そのうえ勝手に外した過去があるだけに、こちらから迂闊に話題を深掘りするのは気が引ける。
結局俺の疑問は何一つ解決しないまま、会社内に新しいスクープだけを残し、俺の休み時間は終わった。
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