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第3章 絡み合う道

160 目と目が合う瞬間

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 複製師であるアマラさんの工房への社会科見学の後、ほとんどの時間を弟達に乞われるまま鍛錬につき合い、四日間の試験休みはあっと言う間に過ぎ去った。
 ……まあ、とは言っても、これでもれっきとした社会人である俺にとっては、ホウゲツ学園生達の休日のスケジュールなど全く以って関係のない話だけれども。
 今日も朝一番で補導員事務局に顔を出したが仕事はなく、開店休業状態だ。

 それはともかくとして、弟達にとっては休み明け。再び通常授業が始まる日。
 俺は祈念魔法を用いて気配を遮断しつつ、彼らが所属する一年A組の教室にいた。
 今日からこのクラスに加わる転校生が、一体どういった人物か見極めるために。
 過保護? いえ、単に兄貴分として当然のことをしているだけです。
 ……実際、ヨスキ村襲撃なんていう前例もある訳で。
 セト達が一人前になるまでは、慎重になって然るべきだろう。
 父さんと母さん、それからダンやトバルの両親にお願いされていることでもあるし。

 そんな風に、誰にともなく頭の中で言い訳をしながら。
 成績優秀者のA組に相応しく、朝のホームルームが始まる前から全員真面目に席についている光景を、教室後方の壁に背中を預けて眺めていると――。

「っ……」

 このクラスの担任教師であるシモン・メンプター先生が教室に入ってきて、一瞬俺に気づいて動きを鈍らせたものの、表情には出すことなく教卓に向かった。

「……日直」
「はい! 起立、礼!」

 そのシモン先生に促され、日直の子が立ち上がってハキハキと号令をかける。
 他の生徒達も彼の指示に従って起立すると、タイミングを合わせて「おはようございます!」と挨拶をし、それから「着席!」の声を受けて全員揃って椅子に座り直した。
 メリハリがついた一連の流れは、見ていて気持ちがいい。
 何と言うか、初々しくて微笑ましくもある。
 入学して一ヶ月そこらでは、まだまだ慣れて気が緩むということはないようだ。
 まあ、そうは言っても余り張り詰めてばかりいては疲れてしまう訳で、不真面目にならない程度には、適度に力を抜くことも覚える必要があるだろうけれども。
 その辺りはいずれ、自然といい塩梅になっていくことだろう。

「……はい。おはようございます」

 生徒達が着席するのに伴ってガタガタと鳴る椅子の音が完全に収まるのを待ち、教室全体を見回すようにしながら挨拶を返すシモン先生。
 彼はそれから一拍置いて、再び口を開いた。

「さて。突然ですが、今日からこのクラスに新しい仲間が加わることになりました」

 早速告げられた言葉に「来たか」と心の内で呟き、気持ちを引き締める。
 そんな風に最初から身構えていた俺と、教室の反応は対照的だった。
 学園生活における割と大きな特殊イベントに突然出くわした格好となった生徒達の間には、小さくないざわめきが起こっている。
 いくら新生活の緊張感を未だに保っている品行方正なA組に所属している彼らとは言っても、あくまでもまだ十二歳かそこらの子供。
 内容が内容だけに、冷静に無反応を貫くことは不可能だったようだ。
 一先ず落ち着いているように見えるのは、それこそ俺から事前にそれらしい情報を聞いていた弟達とラクラちゃんぐらいのものだ。

「静粛に」

 パンパンと軽く手を鳴らして注意するシモン先生に、徐々に静寂が戻り始める。
 そして――。

「……では、入ってきて下さい」

 完全に静かになってから、彼は教室前方の扉へと顔を向けて指示を出した。
 それを合図に引き戸がゆっくりと開き、廊下から一人の少女が教室に入ってくる。
 明らかに目を引く彼女の姿に、シモン先生を除き、俺を含めた全員が息を呑んだ。

 姿勢正しく、黄金色の長い髪をほとんど揺らさずに教壇に上がっていく美しい少女。
 作りものめいた姿に一瞬、少女化魔物ロリータなのではないかと疑ってしまうが……。
 芸術品のような印象を抱く要因の一つともなっているエメラルドの瞳。
 髪とは異なる色のそれが、彼女が間違いなく人間であることを証明している。
 しかしながら、少女、である。
 つまり、母親もまた人間と見て間違いない。
 地形が地球と全く同じであるが故に、一種の並行世界と思われるこの異世界。
 人種もまた前世とそう大きな違いがないことを考えると、極一部の人にしか現れないと聞く鮮やかな緑色の瞳を持つ少女は、この異世界でも極めて珍しい存在のはずだ。
 希少であり、かつ美しい容姿に、我知らず目を奪われるのも無理もないことだろう。

「まずは自己紹介を」
「はい」

 シモン先生に促され、その少女は可憐な声で応じながら慎み深く頷く。
 それから彼女は真正面を向くと、愛らしい微笑を浮かべながら口を開いた。

「アクエリアル帝国から参りました、レンリ・アクエリアルと申します」

 …………そうか。アクエリアル帝国の出身、か。
 なら、外国人にしか見えない見た目も頷ける。

 しかし、そうなると転校生が来るという認識は誤りだったようだ。
 外国から来たのなら留学生という呼び方が正しい。
 ちょっと腑に落ちず、情報元であるトリリス様の言葉を記憶の底から引っ張り出してみるが、彼女自身は一年A組に新しく生徒が加わるとしか言っていなかった気もする。
 どうやら俺の早合点だったらしい。
 サユキのこともあって余り印象のよくない、かの国からの留学生。
 正直、もうちょっと正確な情報を出しておいて欲しかった。

「ア、アクエリアル姓だと!?」

 そうこう考えていると、聞き覚えのある声が俺の思考と少女の自己紹介を遮った。
 見ると、声の主はフレギウス王国出身の少年レギオ・フレギウス。
 以前、色々と問題を起こしたA組唯一の問題児だった彼は、そう言いながら勢いよく立ち上がると、表情に複雑な感情を滲ませながら少女を見据えていた。
 ファミリーネームがアクエリアルということは、皇帝に連なる者ということになる。
 教室を見回した限り、そのことに他の生徒達が俺と同じく驚きの感情を抱いているのが分かるが、どうも彼の目にはそれとは別に敵意のようなものが見て取れる。

「はい。レンリ・アクエリアルです。ええと、貴方は……?」
「お、俺は――」
「レギオ君。一先ず座って下さい。ここはホウゲツなのですから」
「………………はい」

 シモン先生に窘められ、渋面を作りながらも素直に着席するレギオ。
 その様子に、彼も以前からは考えられないぐらい丸くなったものだと思う。
 正に三度目の正直か。
 入学し立ての頃なら、その敵意を抑えつけるような真似はせず、シモン先生が制するより早く狂犬のように彼女に突っかかっていただろうに。

「あの、先生?」
「彼はフレギウスの人間ですので」

 困ったように首を傾げた少女に対してシモン先生が簡潔に答えると、彼女はそれで合点がいったと言うように頷いた。

「幾度も刃を交えた国の者同士、思うところがあるかと存じますが、ここは祖国ではありません。学び舎を共にする者として、仲よくして下さいませ。ホウゲツの皆様も」

 綺麗な礼をする彼女に、魅了されたように多くの生徒達がコクコクと頷く。
 レギオもまた欠片も敵意のないその姿に虚を突かれたような表情になり、それから苦虫を噛み潰したように顔を歪めながらも首を縦に振った。
 ホウゲツ国民からすると遠い国の出来事に過ぎないが、フレギウス王国とアクエリアル帝国はほぼ百年の周期で大規模な戦争をやらかしていると聞く。
 破滅欲求、悪意の蓄積、人形化魔物ピグマリオンの出現と相関関係があるそうなので、救世の転生者が出現したことも考えると、そろそろキナ臭くなってきている頃に違いない。
 そこで戦果を上げるために力を得ようとしていたのだろうレギオにとっては、敵国の長たるアクエリアル皇帝に連なる人間には、色々と思うところがあるのだろう。

「箱入りの身でしたので余り常識を知らず、至らぬところも多々あると存じます。ですが、何卒よろしくお願い致します」

 そんな一幕にも全く動じることなく少女はそう最後まで流麗に締め括り、そんな彼女に対して教室全体から拍手が送られる。
 丁寧で優雅な物腰に皆、好感を抱いたようだった。

「レンリさんの席は、最後尾の空いているところです」
「承知しました、先生」

 そしてシモン先生の言葉を受け、少女は背筋を伸ばして机の間を歩いてくる。
 出身国には俺も引っかかりがないでもないが、今のところ問題はなさそうだ。
 出自で偏見を持つべきではないと冷静に考えれば、少なくとも最初のレギオなどよりは余程印象がいい。……まあ、一先ずは様子見でいいのかもしれないな。
 そんなことを考えている内に、彼女は指定された自分の席の横まで来ていて――。

「…………っ!?」

 俺は思わず、息を呑んだ。
 少女の容姿に、ではない。
 彼女が不意に顔を上げ、かと思えば、ハッキリと目と目が合ったからだ。
 明らかに、俺を認識している。
 その事実に心臓が跳ね、声が出そうになる。
 しかし、少女が唇に軽く右手の人差し指を当てた仕草とニッコリと笑顔を浮かべたその表情に、俺は無意識に口を閉ざして硬直してしまった。
 その動作はほんの僅かな時間の出来事だった上、彼女はこの教室にいるほとんどに背を向けていたため、それを目の当たりにしたのは俺だけだったらしい。

「一時間目の授業は――」

 気づいた時には少女は席に着き、シモン先生が授業を開始しようとしていた。
 どうやら彼も俺の異変を含め、諸々に気づいていない様子だった。

 何にせよ、まずは落ち着こう。
 そう思うが、この場に留まっていては冷静になれそうもない。
 最後に見たレンリ・アクエリアルの表情。
 先程までの美術品めいた微笑など単なる愛想笑いだったと理解できる、鋭利な刃物の如く美しくも恐ろしさを感じさせる笑顔と強烈な意志の宿った瞳が頭を離れない。
 レンリは背を向けているのに、今も俺を見据えている気すらする。だから……。
 俺は冷や汗をかきながら、彼女から逃げるように音を立てずに教室を出たのだった。
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