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第2章 人間⇔少女化魔物

152 エゴ・スム・コギタンス

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 リビングデッドの上位少女化魔物エイペクスロリータと成り果てた己に絶望し、肉体が精神の影響を強く受ける少女化魔物ロリータの特性によって命の危険に陥っていた少女ルコ・ヴィクトちゃん。
 俺の案のおかげ……と自信を持って言える程、頭の中で思い描いた通りにことが進んだ訳ではないが、とにもかくにも彼女は人間に戻ることができた。
 予想外の過程を辿ったことには少々引っかかる部分がない訳でもないが、一つ区切りがついたと言っても問題はないだろう。

「……そうですか。ルコちゃんはご両親の下に帰ることができたんですね」

 それから二日後。
 アコさんからの呼び出しを受けて特別収容施設ハスノハを訪れた俺は、ルコちゃんの現状を聞いてホッと息を吐いた。
 あの後。彼女の検査をするということで一先ず解散となっていたため、その後の状況が気になっていたのだが……安心することができた。

「うん。間違いなく人間に戻ったと確認できたし、健康状態にも異常は見られなかったからね。そして、それを以って私からの依頼は完了だ。今回も本当に助かったよ」

 ルコちゃんは人間からリビングデッドの上位少女化魔物となり、そこから恐らく別の上位少女化魔物へと変じ、更に元の人間へと戻った。
 前世とは異なるこの世界においても特異としか言いようがない状況を前に、ルコちゃんの体に異常が生じていないことを確認できなければ依頼達成とは言えない。
 そう言う訳で保留状態だったのだが、これで仕事の方も一区切りだ。

「じゃあ、これ。依頼完了の確認書類」
「ありがとうございます」

 渡されたそれを手に取って軽く目を通し、頭を下げてから影の中にしまう。
 今日の呼び出しは、これを受け取るのも理由の一つにあった。
 もっとも、FAX的な能力の複合発露エクスコンプレックスを持つ少女化魔物のムニさんがいれば、わざわざここに来て書類を貰う必要はない。
 実際、本題は新しい仕事の依頼だ。

「……結局、あれはどういう現象だったんでしょうか」

 とは言え、その前に。
 あの日の帰り際に口にした質問を繰り返す。
 そこがある程度解明されていないと、今回の依頼に二の足を踏んでしまう。
 検査の過程で一定の推測は立った、とは補導員事務局でアコさんからの呼び出しと依頼を伝えられた時にルトアさんから聞いているが……。

「まあ、見た目通りと言えば見た目通りだったようだよ」

 俺の問いかけに、アコさんは少し曖昧に告げる。
 骨を折った分だけ多少は勿体振りたいというところか。
 恐らくは医学的な検査のみならず、彼女もまた自身の複合発露〈命歌残響アカシックレコード〉を用いて分析を行ったのだろうから。
 何にせよ、余計な口を挟まずに黙って続きを待つ。

「……あの子はルシネの精神干渉によって人間に戻りたいという願望を増幅され、その結果リビングデッドの上位少女化魔物とは異なる上位少女化魔物となった」

 焦らすように一拍置いてから告げられたアコさんの言葉。
 それは正しく見たままだが……。
 問題は、その上位少女化魔物の正体が何なのか、だ。

「髪と瞳の色からすると命属性だったようですけど……」

 リビングデッドの上位少女化魔物と同じ属性。
 あるいは、事前に腕輪を外しておかなかったら変化に気づかなかったかもしれない。

「あれはね。どうやら人間の・・・上位少女化魔物だったみたいだ」
「え? に、人間の?」

 思いも寄らなかった答えを耳にして、つい目をパチクリさせてしまう。
 とは言え、よくよく考えてみれば――。

「人間だって動物だからね。条件が揃えば、そういうこともあり得るさ。理屈の上ではね。……まあ、少なくともこの五百年で初めてのケースだけど」

 実際、人間が思念の蓄積によって少女化魔物へと変化すると言うのなら、本来は人間の少女化魔物となって然るべきではある。
 その辺りは、あるいは人間原理に基づいた世界であることや人間が観測者としては最上位の存在であること、その人間が強烈な指向性を持った願望、思念を個人で抱いたことなどが複合的に絡み合い、かなり特殊な状態となっていたのかもしれない。
 最上位の観測者たる人間が下位とされている少女化魔物になること自体、そもそも道理に合わない事態だとは、少女化魔物であるアコさん自身も言っていたことだ。

「ともあれ、思念の蓄積によって直接人間になるとはいかなかった訳だ」
「……ですけど、最終的には人間に戻れたんですよね?」

 それらしい変化が生じたことは俺達もこの目でしかと見届けたし、検査の上でも人間であることが確認できたとついさっき聞いたばかりだ。

「そうだね。間違いないよ」
「…………何が原因でそうなったんですか?」
「それは勿論。祈念詠唱もなく、祈望之器ディザイアードも使うことなく起こすことのできる特異な現象と言えば、一つしかないじゃないか」
「それは、つまり――」

 ヒントを受けて答えに思い至り、顔を上げてアコさんを見る。
 そんな俺に、彼女は満足そうに首を縦に振って肯定する。

「そう。人間の上位少女化魔物。その複合発露の力だよ」
「人間に戻るだけの、複合発露……?」
「それはその力の一側面だね。〈命歌残響〉で追体験した限りでは、正確には自己同一性に基づいた形へと己が身を作り変える複合発露のようだよ」
「自己同一性に基づいた形……」

 要は自分がこうありたいという形になるという訳か。
 いずれにしても、随分と効果が限定された微妙な力だ。
 …………いや、もし己が思う己が実態と大きく乖離しているのなら、あるいは凄まじい変化が生じることになる可能性もある。
 病弱な者が健康になったり、痩せ細った者が筋骨隆々となったり。
 人間が人間を遥かに超える存在となったり。
 考え方次第では、観測者の思念が影響を持つこの異世界における最上位に属する複合発露と言えるかもしれない。

「一回限りの力みたいだけどね」

 ルコちゃんのように身体構造が完全に人間になれば、必然的に複合発露も失う。
 不可逆な変化となる構造上、一回のみの力となる訳か。
 己が思う己が全く異なる存在だったとしても同じだろう。

「まあ、あの時の裏側はこんなところかな。イサクが考案した方法は、ちゃんと管理して実行すれば大きな危険はないと言っていいと思うよ」
「……そうですね」

 実際のところ、人間に戻る方法とだけ説明すれば、想定外の形にはならないはずだ。
 問題はないだろう。

「だから、今回の依頼も引き受けてくれるよね?」
「ええ。分かりました」

 今日の新たにもたらされた依頼は、あの事件で人間から上位少女化魔物となった残る七人を元の人間に戻す手伝いをすることだ。
 とは言え、既に方法は確立されており、事後の経過も問題ない。
 つまりルシネさんさえいれば可能な話だが、ルコちゃんの時同様、救世の転生者のネームバリューを利用して成功確率を高めておきたいとのことだった。
 なので今日は、印刀ホウゲツを持って突っ立っていればいい簡単なお仕事となる。

 当然、易々と救世の転生者の顔を明かすのは好ましくない話だが……。
 彼らを人間に戻した後で、処置の方法を含めて救世の転生者の背格好に関する記憶を思い出せなくする精神干渉を施しておくそうだ。
 一足先に親元に帰ったルコちゃんと同様に。

「さて。じゃあ、早速行こうか」
「了解です」

 そしてアコさんに促され、彼女と共に施設長室を出る。
 先日と同じ小会議室を目指し、先導する背中を追いかけて廊下を歩いていく。
 そうしながら俺は、一連の事件について頭の中で振り返っていた。

 個人の感情の爆発が多数の思念の蓄積をも上回って生じた様々な現象。
 それらが引き起こした結果は願望の曲解、拡大解釈染みていて、忌々しき人間至上主義者達の思い通りにも、当人の思い通りにもなっていなかった。
 人間原理に基づいた異世界アントロゴス。
 頭では何となく分かった気になっていたが、その全てを理解するのは人間の心を解き明かすぐらい困難なことなのかもしれない。
 そう念頭に置いておかないと、どこで足元をすくわれるか分かったものではない。
 逆に共通認識のために、個人の行動が捻じ曲げられる可能性だってあるだろう。

 特に、俺が背負う救世の転生者という肩書き。
 それがいつか決定的な罠となって牙をむく恐れも十二分にある。
 これから先、そういう事態も承知した上で、今世の俺に課せられた救などという重い使命に挑んでいかなければならないのかもしれない。
 俺はそう肝に銘じつつ、目の前の仕事に意識を戻したのだった。
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