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第一部

 04 栄光からの転落者

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 ――夜。
 黒髪のかつらに、漆黒の軽装に身を包んだルイスは、グエンタールとともに東区の路地裏にいた。フード付きの上着は体に沿う布地で、細身のズボンを履いているものの、偽の胸と化粧と体格が華奢なお陰で、明るい場所でじっくり見られなければ女にしか見えないはずだ。

「クロエ様、貧民街は物騒ですので、お気を付けください」

 ちょうど体格のいい男に絡まれたところだったが、グエンタールが男のみぞおちに蹴りを入れて黙らせてから、そう言った。男はうめきながら倒れる。

「平気だが、ありがとう、ミスター。スラムよりはマシだけど、汚いな」

 路地裏の壁にはチョークで落書きがしてあり、割れたガラスなどが落ちている。
 ルイスも自衛くらいは出来るが、グエンタールは戦場帰りなのもあり、危険と判断すれば人を傷つけるのにためらいがない。その差は大きいと感じている。ルイスは悪魔や契約者には冷酷になれるが、普通の人間にはどうしても手加減してしまう。

「旧市街地の城壁沿いに進んできましたが、なかなか姿を現しませんね。場所が違うのでは?」

 グエンタールの問いに、ルイスは揚々と返す。

「動物は縄張りを持つものだ、シャドー」

 エクソシスト・クロエの相棒をしている時、グエンタールのことをシャドーと呼んでいる。執事は主人の影に過ぎないからと、グエンタールからの提案だった。
 グエンタールも黒い衣服に身を包んでいる。丈の短いマントとシャツとズボン。道化師が被っていそうな青髪のかつらと、目元だけ隠す白い仮面のお陰で、いつもの雰囲気が全くない。

「それから、契約したてで犯行に慣れない契約者は、行動範囲の中で、ある程度の獲物に目星をつけておく」
「つまり、この辺りが生活圏内だと?」
「そう。栄光からの転落者で、女性。つまり金持ちだったが、家が傾いて貧乏暮らしをしていることになる。一度豊かさを味わった者が、貧しさに慣れるのは難しいものだ。だから割りの良い仕事を探すはず」
「しかし娼館に入るのはプライドが許さない? なるほど、路地裏の売春婦ですか」

 ルイスとグエンタールは足を止めた。

「ぐああああっ」

 苦しげな男の声が聞こえる。さっと顔を見合わせて頷く。グエンタールが先に走り出した。
 ルイスも後に続き、近くの路地裏へ入る。
 青白い月明かりの下、女が男と口付けをかわしていた。
 美しい金の髪、赤いドレスをまとった姿はなまめかしい。

「ふふっ、ごちそうさま」

 女が男を離すと、男はカサリと音を立てて倒れた。魂をくわれた男は、ミイラのような死体に成り果てている。

「精力ごと喰うとはね」

 ルイスが呟くと、グエンタールが肩をすくめる。

「美女と一夜をというのは男の夢ですが、ああなっては百年の恋も冷めますね。まあ、冷める前に、とっくに死んでますが」

 毒のきいた冗談に、ルイスは口端で笑うしかない。ルイスには男への憐みしかなく、こういう時は返事に困る。

「契約者、お前の願いは美貌か?」

 ルイスが問いかけると、女がこちらを見た。額に赤い宝石が輝く。その青い目もまた、不気味に光った。

「こんな真夜中に、ごきげんよう。もしかして教会の手先かしら。残念ながら、大はずれよ」

 女はぐっと深く踏み込んだ。そして次の瞬間には、ひらりと宙を舞っている。二階建ての家の屋根に着地し、身をひるがえす。契約者は身体能力も上がるのだ。

「逃がすかっ」

 ルイスとグエンタールも走りだした。
 闇夜にひらめく金髪を頼りに、貧民街の路地裏を縦横無尽に駆け抜ける。
 途中、酔っ払いに絡まれそうになったが、邪魔なので壁を足掛かりに上をすり抜けた。唖然としている酔っ払いの隙をついて、グエンタールはその脇を通り抜ける。

「お見事」
「その称賛は、あの女をつかまえてからだ」

 グエンタールにそう返した時、がやがやと騒がしい一画に出た。酒場の裏らしく、木箱やたるが雑然と積んである。それらを足掛かりに屋根に上ると、気付いた女が舌打ちをした。

「しつこいわね!」
「お前を野放しにはしない!」

 しばらく屋根の上を追いかけてから、女と距離を詰め、ルイスは腰に装備している細い鎖を手に取る。先には重りがついている。女の足めがけて重りを投げつけた。

「きゃあっ」

 鎖に足をとられて、女が屋根の上に転ぶ。そのまま滑り落ちそうになったが、途中にある屋根部屋の窓にしがみついて体を支えた。
 むきだしになった太腿ふとももに、赤い発疹ほっしんが見える。

「……お前の願いは病気の治癒か?」

 ルイスは問う。こんな症状には見覚えがあった。貧民街で、治療する金のない娼婦に見かけられる。梅毒ばいどくだ。
 女はさっとドレスで足を隠し、ルイスをにらむ。

「違うわ。私の願いは復讐よ! 私を物のように扱い、病気になったら捨てた男達へのね! 全員、殺してやる!」
「その後、悪魔に殺されるんだぞ?」
「どうせそのうち死ぬんだもの、皆、道連れにしてやるの! ねえ、教会の人なら、かわいそうだと思うでしょ? 見逃して――私はまだ生きていたいの」

 復讐したい。その気持ちは理解できる。
 鎖を握るルイスの手が自然と緩んだ。

「――なんてね、バーカッ!」

 女は鎖を掴み、強く引っ張った。

「くっ」

 判断に迷ったせいで、ルイスは前へ引き倒されて屋根を転がる。その肩を女が上から押さえつけた。
 月光を背に、女はうっそりと微笑む。

「あなた、とても綺麗ね。うらやましい。――でも見たくないわ、死んでしまえ!」

 女が長く伸びた爪を振り上げた瞬間、一発の銃声が響き渡った。

「あ……」

 女の青い目から光が消え、がくりと崩れ落ちる。人形のような冷たい肢体したいに、ルイスは下敷きにされた。
 後頭部から貫通した弾丸が、額の契約石を破壊したのだ。

「ご無事ですか、クロエ様」

 銃を左手に持ちかえて、グエンタールが女の後ろ襟を掴んでルイスから引き離す。

「……大丈夫だけど、最悪。どうせなら、生身の女性に抱きつかれたいね」

 死体を屋根に押しやると、ルイスは溜息をつきながら身を起こす。そして、女の額から契約石――赤い宝石の残りを取り上げた。これは教会に持ち帰って供養してもらった後、加工して売りに出すのだ。それは教会の運営資金になるし、エクソシストの評価にもつながる。

「面白い冗談ですね。人嫌いで、見知らぬ者に触れられると鳥肌が立つのは存じております」

 グエンタールは淡々と返す。
 確かに彼の言う通り、ルイスの腕には鳥肌がびっちり立っている。
 この軽口は彼なりの親愛の証だと分かっているが、ねじり曲がった愛だなと、ルイスはいつも思う。
 ハイマン家に代々仕える家に生まれたが、グエンタール自身は貴族が嫌いなのだ。使用人になるのを嫌がって、わざわざ軍人になったほどである。
 しかし戦場で怪我をして国に送り返され、働き口がなく、やむをえずハイマン家に戻ってきた。
 彼は毒があるが、正義を愛している。
 だからルイスはエクソシストの相棒に誘った。グエンタールはそれを受け入れた。ルイスが善行でそれを行う限りは、という条件付きで。傷もいえて、また戦場に戻ることもできるが、今はルイスの傍にいることを選んでくれている。

「今回も協力ありがとう。――この迷いし魂に、安寧あんねいの眠りがあらんことを」

 最後に女と向き合って、ルイスは鎮魂ちんこんの祈りを捧げる。
 これはあくまで救済なのだ。悪魔に利用されたあわれな被害者の、魂の解放なのである。

(そう分かっていても、悲しい)

 これが良いことなのか、ルイスには分からない。だが、その後に続くだろう悪いことを防ぐという意味では大事なことだ。

「悪魔にはへどが出る。戦場でも、契約者は面倒な存在でした。奴らには恐怖がない」

 グエンタールが舌打ち混じりに言った。
 ルイスが意を決してエクソシストの話を持ちかけた時、意外にもグエンタールは悪魔について知っていた。時折、戦場では軍人達の間では悪魔きと呼ばれている契約者が出るので有名だった。
 だがそんな話をしても、軍人以外は誰も信じない。戦場で見た幻だと片付けられる。
 時には彼らを思い出して精神を病む者もいて、尚更だった。

「奴らは心が弱ったところに付け込む。契約者も被害者なんだ」

 ルイスはすっと立ち上がり、鎖を回収して腰のベルトに装着しなおした。

「さあ、帰ろう」
「死体はどうします?」
「せめて地面に下ろしてあげようか」

 相談していると、突然、夜のしじまを笛の音がつんざいた。

 ―― ピ――――――ッ

「おっと、いつもの警部のお出ましだ」

 グエンタールがおどけて言った。ルイスは音のほうを見た。いくつもの明かりが連なり、こちらに向かってくる。

「貧民街にも来るなんて、行動範囲が広いなあ。西区の管轄じゃなかった?」
「さて、分かりませんが、逃げましょう」
「ああ」

 二人は頷き合い、結局死体はそのままにして、馴染みのエリクソン警部の追跡を逃れるべく屋根を走り出す。音からだいぶ遠のいたところで、先ほど屋根へと上った場所に出た。木箱を伝って地面に降りると、酒場の傍だ。
 ここからはグエンタールが用意してくれた宿へ向かうだけである。

「こっちです」

 先導に従って歩き出した時、ちょうど酒場から出てきた男にぶつかった。

「ぶっ。……すみません」
「こちらこそ失礼」

 よろめいたところを支えられ、顔を上げて固まった。
 酒場から出てきたのは、なんと幼馴染のクロードだった。厚化粧をしているからそうそうバレないだろうが、焦って後ろにずり下がろうとして、またよろめく。右足首がグキッと嫌な音を立てた。

「げっ」
「大丈夫か? 酔っているようだ」
「な、なんでもありません、大丈夫」

 冷や汗をかいて視線を彷徨わせると、グエンタールが少し離れたところから見守っている。目元は仮面で隠しているが、口元は面白そうと言いたげに歪んでいた。

(お前、サポートしろよ!)

 眉をしかめたことでルイスの言いたいことが分かったらしく、グエンタールがさっとルイスの腕を取る。

「私の連れが失礼。クロエ、参りましょう」
「ええ」

 わざと高い声で応えた時、クロードの後ろから、ひょこっと金髪の青年が顔を出した。彼には見覚えがあった。エリクソン警部といつも行動している、カーマイン警部補だ。彼がぎょっと目を丸くするのを横目に、ルイスはグエンタールの腕を掴んで走り出した。

「レディ・クロエ!? 嘘だろ、待て! 俺の手柄!」

 誰がお前の手柄だと内心で悪態をつきつつ、路地裏を疾走する。さっきひねった足が痛むが、それどころではない。
 カーマインは笛を吹いた。

「あのおとぼけ警官、面倒ですね。今度、腐った卵でも投げつけてやりましょう、レディ」
「名案」

 グエンタールの悪態に、ルイスは賛成した。
 エリクソン警部の腰ぎんちゃく、コネで警官になったカーマイン・フォレスト。いつもドジばかりしていて、エリクソンに煙たがられている部下だ。

「まさかあいつがクロードの従兄弟だったとは」

 酒場に行くと言っていたし、クロードの愚痴と内容が合う。
 適当に走っていくと、水路に出た。右に曲がろうとして、ルイス達は足を止める。

「止まれ、殺人鬼。王都を騒がす輩は、女王陛下の名のもとに粛清しゅくせいする」

 どうやら先回りしたらしい。前方でクロードが待っていた。銃を構えるクロードを前に、ルイス達はやむなく両手を挙げる。そこへ、ようやく追いついたカーマインが後ろからやって来る。

「さっすが、クロード。騎兵隊の猟犬なんていわれるだけあるな」

 カーマインが軽口を叩く。クロードは僅かに首を傾げる。

「他の奴らの足が遅すぎるだけだ」
「……それ、俺にも言ってる?」
「事実だ。加えてお前は足が短い。歩幅の差だ」
「ひでぇ」

 二人のやりとりに、ルイスは内心で苦笑する。

(クロード、お前、身内にも容赦ないな……)

 しかし、それよりもおっかないのは先ほどの言葉だ。

(粛清って、怖っ。普段、何してんだよ)

 騎兵隊はお飾りの要素が強いが、要人警護もするので、その辺だろうか。
 その時、クロードが勢いよく横へと飛びのいた。飛んできた石をよけたのだ。

「形勢逆転ってね」

 一瞬の隙をついて、グエンタールがカーマインを人質に取る。

「ほら、仲間に死んで欲しくなかったら、銃を捨てたまえ」

 ナイフを喉に突き付けられたカーマインがへらりと笑う。

「お、落ち、落ち着こう」
「……カーマイン、お前、本当に駄目警官だな」
「ひでぇ」

 クロードの溜息混じりのけなしに、カーマインは涙声で返す。
 物陰を誰かが駆けていった。
 ルイスは心の中で礼を言う。

(援護ありがとう)

 教会の関係者はどこにでもいる。路上生活者だろうか、助けてくれたようだ。――こうしてエクソシストの役に立つと、教会から仕事や施しをもらえるからとはいえありがたい。
 クロードが銃を横へ放り投げたのを見て、グエンタールがにやりと笑う。

「カーマイン警部補、たまには役に立ってくださいよ」
「え? うわぎゃあああ」

 グエンタールに勢いよく背中を突き飛ばされ、カーマインはクロードへとぶつかる。
 その瞬間、ルイス達は再び逃げ出していた。
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