夜霧の国のナイチンゲール 〜引きこもりの隠居伯爵、夜はエクソシストやってます〜

夜乃すてら

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第一部

 05 一夜明けて

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 なんとか追っ手を撒いて、宿に逃げ込んだ。
 二階にある粗末な部屋には、ベッドと衝立、チェストと長椅子、風呂場があるだけだ。中に入って鍵を閉めたところで、ルイスは長椅子にぐったりと座り込む。布張りの椅子は固く、軋んだ音を立てた。

「……死ぬかと思った」
「あのぽんこつ警部補がいてくれて助かりました。クロード様だけでしたら捕まっていたかもしれません」

 グエンタールはてきぱきと変装を解いて、風呂の用意を始める。
 すでに荷物は運びこんでいたので、トランクを開いて、着替えやタオルを取り出していく。化粧けしょうを落とすためのオリーブオイル、汚れてもいい端切はぎれ、石鹸せっけんに、肌を整える香油こうゆなど、チェストの上に瞬く間に物が増えた。

「お前でもクロードには負けるのか?」
「さて。一対一なら分かりませんが、ルイス様はクロード様に弱いでしょう?」
「う……」
「騎兵隊の猟犬とやらが、クロード様のこととは存じませんでした。しかし納得です」
「なんで?」

 蛇口をひねってお湯を出し、風呂に湯をため始めてから、グエンタールは部屋に戻ってくる。安い宿らしく、風呂と部屋は布で仕切られているだけだ。湯気がこもらないように、グエンタールは鉄製の鎧戸を僅かに開ける。
 部屋ではろうそくの明かりがゆらゆらと揺れていた。

「あの失言製造機ぶりで、クビにならないのが。クビにできないんでしょうね、猟犬といえば、陛下を狙う不届き者を、ことごとく追い詰めて逮捕しているので有名です」
「加えて、飼い主に忠実?」
「上層部は面白くないかもしれませんが、陛下にはそれで充分でしょう。いやあ、長年の謎が解けました。どうして仕事を干されないのか不思議でしたので。ですが、ルイス様がクロード様をお好きなのは、いまだに謎ですけどね。会うたびに怒ってらっしゃるのに」
「あいつの言動には腹が立つが、正直だからな。嘘つきより信用できる」

 それらしい言い訳はあるけれど、兄弟同然に育ったので、本当は理由など必要ない。

「あれで悪意があったら嫌いにもなるが」
「無いからこそ、余計に厄介では?」
「まあな。でも自分を見つめなおすチャンスになる」
「はあ、頭が下がります。私でしたらとっくに殴っているでしょう。心が広くていらっしゃる。――では、私は隣室におります。後程、お夜食やしょくをお持ちします」
「ああ」

 風呂と着替えの準備をすると、グエンタールは部屋を出て行った。外から鍵のかかる音がする。
 彼いわく、ルイスにやましい方面の興味はないが、女装を解くのを手伝っていると妙な気分になるらしい。だから使用人にあるまじきことに、彼には着替えの手伝いは拒否されている。
 ルイス自身、他人嫌いで家政婦のサラ以外の手を借りるのは苦手だから、自分で支度するので問題ない。サラは幼い頃はルイスの乳母うばでもあったから、家族同然なのだ。しかしサラの息子であるグエンタールには壁を感じる。
 だがそれらはどうでもいい。
 ルイスにとって大事なのは、エクソシストとしての仕事を手伝ってくれる、それだけだ。



 朝になって屋敷に戻ると、食堂にクロードがいたので、ルイスは悲鳴を上げそうになった。

「珍しい。朝帰りとはな」

 クロードは不機嫌そうに見えた。
 昨晩とは服装が違うので、朝に家に戻って着替えたか、貧民街の宿で一泊したのか。東区と西区の間には旧市街があり、そこは古い城壁で囲まれていて、夜間は門が閉まっている。あの後、西区の屋敷に戻るのは不可能だ。

(まさか昨日ので、正体がバレたとか?)

 様子を伺っていると、ルイスが何も答えないのに焦れて、クロードが部屋を横切ってくる。昨日みたいに顔が近付いてきて、ぎくりとした。

「なんだ!? くさいか?」

 今回は風呂に入ったので、変なにおいはしないはずだ。

「くさい。香油か。……女か?」
「香油? ああ、乾燥しがちだから、保湿に使ってるんだ」
「違うなら、どこに行ってたんだ。引きこもりのくせに」
「俺だって泊まりがけで出かけることくらいあるよ! 隠居の老人扱いすんな!」

 カチンと来たので言い返し、食堂に入る。

「というかお前、なんで朝からうちにいるんだ? 屋敷の主が留守なんだから帰れよ」
「休みなんだから、来て当然だろ?」
「いや、ここ、俺の家だけど!?」

 疲労を覚えて、ルイスは額に手を当てる。定位置の椅子に座ると、クロードはいつもの席ではなく、隣に座った。

「なあ、どこに行ってたんだ? まさか友人ができたのか? そいつとは出かけられるのに、俺とは出かけられないのか? 幼馴染に対してひどいとは思わないのか、友達甲斐がない」
「うるさいな、矢継ぎ早に聞くなって。旧市街のほうに古書を探しに行ったら、閉門に間に合わなかっただけだよ。ええと、友達? できてないよ、悪かったな、社交性がなくて。あと、なんだっけ」

 悪態を返しているうちに訳が分からなくなってきた。クロードはずいっと身を乗り出す。

「ルイスが平気なら、一緒に出掛けたい。公園で乗馬するのはどうだ? 市場で買い物は? サーカスに行くならチケットを取る」
「やだよ、なんで人込みに行かなきゃいけないんだ」
「のみの市は? 古書が出回る」
「もうそんな時期だっけ。でも今日じゃなくていいだろ、俺、教会に用事があるんだ。チャリティーイベントの相談を受けていて……」

 昨晩の報告をしたいのが本音だが、これはこれで真実だ。銀鉱が見つかったことで、ハイマン家は負債を全て解消し、今は豊かに暮らしている。ルイスは銀の取引で稼ぎながら、慈善事業もしていた。
 恐らく兄の犠牲で得ている金だろうが、兄の気持ちを思えば銀鉱を手放すわけにはいかない。彼がハイマン家の立て直しをしたいと望んだのだから、弟としてはそうすべきなのだ。だからルイスは兄が喜びそうな使い道をしている。
 労働者に適切な賃金を与え、安全管理に気を配り、不正がないように目を光らせ、慈善事業も行う。外出は嫌いだが、領地の視察にはたびたび行っている。兄の手前、手抜きはできない。
 領主が若いとなると途端に見下してくる者もいるが、前執事の手を借りながら厳しく当たっていた。前執事はグエンタールの父親だ。ハイマン家に長く仕えてきただけあって、金銭管理が上手いので、代理領主を任せている。

「まさか、あの神父の教会に泊まったのか?」
「話を聞いてたか? 旧市街って言っただろ。お前、本当に神父様のことが嫌いだよな。目の敵にするなよ」
「……じゃあ、俺とのみの市に行こう」
「なんだよ、じゃあって。仕方ないなあ、そんなに言うなら構わないけど、先に教会に行ってくるからここで待ってろ」

 クロードの無愛想な顔がパッと明るくなったが、教会と聞いた途端、眉間に皺が寄った。

「俺も一緒に行く」
「お前が来ると話しにくいから嫌だ。お前だって、母親や妹が四六時中傍にいたら面倒くさいだろ?」
「信じられない。俺を猿扱いするのか?」
「はああ!? 二人を猿呼ばわりしてるのはお前であって、俺じゃないぞ! 誤解を招くようなことを言うなっ!」

 レインズ夫人に怒られるのなんて真っ平ごめんだ。思わず声を張り上げて返し、ルイスはどっと疲労を覚えた。

「クロードと話すと疲れる……。サラ、朝ごはんは?」
「すぐにお持ちしますわ、お茶を飲んでお待ちになっていてください」

 サラが茶を置いて、にこりと微笑む。

「良かったですわね、クロード様。ルイス様とお出かけの約束ができて」

 クロードはこくりと頷いた。サラはふふっと笑い、台所のほうへ消えていく。クロードはルイスの顔を覗き込み、更に提案する。

「なあ、人込みが嫌なら、ボックス席をとるから観劇はどうだ? オペラは?」
「社交場に顔を出すなんて、面倒だから嫌だよ」
「適当にあいさつして引っ込めばいいんだ」
「なんで急に、そんなに俺と出かけたいんだよ」

 ごり押ししてくるクロードが不思議だ。ルイスの問いに、クロードは首を振る。

「急じゃない。俺は前からルイスと出かけたかったけど、嫌がることはしたくないから、あんまり言わなかっただけだ。たびたび誘ってただろ?」
「そういやそうだな」

 言われてみるとそんな気もする。いつも断っていたのはルイスのほうだ。

「ああ。でもあんまり出かけなくていいぞ、ルイス」
「どっちなんだよ、お前……」
「俺と出かけるのはいいけど、他の奴とは嫌だ。神父とか」
「だから友達がどうとか言ってたのか? 俺みたいな偏屈に、そう簡単に友達ができるわけがないだろ」

 いつもの席に戻れよと、手でしっしっと追い払うと、クロードは肩をすくめて向かいの席に移動した。

「逆だ。俺みたいな厄介な奴に、友達はなかなかできない。お前は確かに警戒心が強いけど、良い奴だから友達はできる」

 褒められているのだろうか、もしかして。ルイスはぎこちなく視線をそらし、そのままテーブルを見つめる。
 ルイスがエクソシストとして動いていることを知ったら、クロードはどう思うのだろう。それでもこんな風に言ってくれるのだろうか。

「……別に俺、友達なんかいらない。クロードだけでいい」

 昨晩のように、いつか断罪されるのなら、クロードがいい。だから他に友人を作りたいとも思わない。

「ああ、是非そうしてくれ。他の奴を優先されるとムカつく」

 ルイスは首を傾げる。

「まるでやきもちみたいだな」
「教会に行って欲しくない」
「嫌だよ。なんでお前、そんなにリーベルト神父が嫌いなんだ」
「なんでルイスこそ、こんなにはっきり言ってるのに、分からないんだ?」
「はあ?」

 すねた様子で、クロードはぷいとそっぽを向いた。頬杖をついて、無言で不機嫌だと示してくる。

(なんなんだ、いったい)

 ぽかんとしていると、サラが朝食を運んできたので、自然と会話を打ち切った。
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