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第6話:駆け巡る波乱
#02
しおりを挟むドゥ・ザンの指示にホルタは「しかし…」と言いかける。だがドゥ・ザンはきっぱりと、「問答は無用じゃ!」と言って抗議の声を封じた。さらにコーティ=フーマに命じる。
「コーティ」
「はっ…」
「お主が撤退の第一陣を率いよ。そして合流時点で儂の生存の如何に関わらず、ノヴァルナ殿に伝えるのじゃ、“ドゥ・ザン=サイドゥ討ち死にたり。これ以上の戦いはご無用”とな」
「!」
「よいな。しかと申しつけたぞ」
「ぎ…御意」
それはコーティ=フーマらの撤退第一陣が、ノヴァルナと合流を果たした時点において、ドゥ・ザンが実際にはいまだ健在であっても、死んだと報告しろという事である。主君の覚悟のほどを知り、フーマは承服せざるを得なかった。
ドゥ・ザンがわざわざ自分の死期を早めようとしているのには理由がある。それはノヴァルナ艦隊が、DFドライヴを使用してここまでやって来ると、手遅れになるからだ。
時間を逆算するとあと一時間ほどで、ノヴァルナ艦隊は重力子のチャージが完了するはずである。ただそれをさせて、ノヴァルナ艦隊がここまでやって来てしまうと、次の重力子チャージまでは四時間以上かかり、その間、ギルターツ軍の総攻撃を受ける事になる。
ミノネリラ宙域深くに孤立してしまえば、いかにノヴァルナ艦隊が精鋭であっても全滅は必至で、ドゥ・ザンとしても逆に自分の命と引き換えに、それだけは阻止しなければならなかったのである。
そしてホルタの艦隊にフーマ達の離脱の援護を命じたドゥ・ザンは、一旦司令官室へ引き上げた。上辺だけではなく、真に信義を通してくれようとするノヴァルナには、礼を尽くしてやらねばと考えたのだ。
執務机の椅子に座ると薄い引き出しを引く。その中にはこの時代、普段はほとんど使う事がなくなった紙と筆記具が収めてある。それを取り出したドゥ・ザンは、机の上でその紙に何かを書き記し始めた。
一方でドゥ・ザンの命令を受けた重臣のコーティ=フーマは、自らの旗艦の上で第一陣の撤退準備を進めている。
「防御力を残している戦艦を外側、損害の大きな艦を内側にして全艦右回頭。宙雷戦隊は残った魚雷があれば、全て発射せよ!」
それに対しフーマの艦隊参謀が、困惑した表情で尋ねる。敵のイースキー軍は、戦力が低下したこちらを半包囲しつつあった。
「しかし!…どこへ向かえば―――」
「決まっている。あそこだ」
艦隊参謀の問いを遮ってフーマが指を差したのは、自分達の背後、『ナグァルラワン暗黒星団域』内の複数のブラックホールが生み出した、重力勾配による星間ガスの急流だ。ブラックホールの超重力場だけでなく、そこに飲み込まれていく星間ガスが発する強力な電磁波と放射線で、通常なら宇宙船の航行が禁止されるような危険な場所である。
フーマは幾分頬を引き攣らせた笑顔で命じた。
「幸いあれの流れは、ノヴァルナ様のおられる、オウラ星系方向へ流れている。それに敵も簡単には追っては来られん。恐れずに飛び込め!」
コーティ=フーマの撤退の動きに合わせて、打って出たのはドルグ=ホルタの艦隊である。これはフーマ艦隊の撤退行動を、誘引行動に見せかけるための陽動だった。フーマ艦隊を追撃しようとする、敵の動きを押さえるための突出だ。
これに対しフーマ艦隊を正面に捉えていたイースキー軍の、リーンテーツ=イナルヴァは無理な追撃はしなかった。“ミノネリラ三連星”の一人に数えられるこの勇将は、ホルタの意図を読んでおり、不要な損害を出す事を避けたのである。
ただこれは、ホルタも読むところであった。自分がこのような行動を取る事で、イナルヴァ艦隊もまた動かないであろうという、互いをよく知る元味方同士の、奇妙な意思の疎通が存在している。
「分かっておる…動かんよ、ドルグ殿」
リーンテーツ=イナルヴァがそう言うと、ホルタもニタリと笑みを漏らして告げる。通信回線は開いていなくとも、それぞれの旗艦の上で、戦術状況ホログラムを眺める二人の間に、自然と会話が成立していた。
「ふん…リーンテーツめ。それでよい」
その間にも損害艦を引き連れたフーマ艦隊は、次々に『ナグァルラワン暗黒星団域』の急流の中に突入してゆく。激しい星間ガスの流れに艦が揺さぶられ、猛烈な稲妻が外殻を舐め回す。センサー類が一斉に探知精度を大幅低下させ、損害を受けていた艦はその程度によってダメージが増大、中破している駆逐艦などは爆発して砕け飛んだ。
同じ頃、ドゥ・ザンは執務室で、ある手書きの文書を作成し終えていた。
総旗艦『ガイライレイ』にも敵の主砲ビームが命中し始め、僅かに艦が揺れるのを感じる。そんな中、ドゥ・ザンは自分が書いた文書の中身を再確認すると、インターコムのスイッチを押して従兵を呼ぶ。
「これ、誰かおらぬか」
それに応じて執務室の扉をノックし、入って来たのは、まだ少年の面影が濃い、若い兵士だった。椅子に座るドゥ・ザンが見上げると、その猛禽類を思わせる鋭い眼差しに、若い従兵の顔は一気に強張る。
「お…お呼びでしょうか?」
畏まって尋ねて来る従兵に、ドゥ・ザンは自分が書いた机上の文書を差し示しながら、ぶっきらぼうに告げた。
「うむ。おぬしはこの文書を持って第2艦隊のドルグ=ホルタの下へ飛び、これをウォーダ家のノヴァルナ殿に直接手渡すよう、伝えるのじゃ」
そう言っておいて、ドゥ・ザンは胸の内で呟く。
“そうでもせぬとドルグの奴、儂の言いつけを破って、ここで儂と共に討ち死にし兼ねんからのう…”
手書きの書を封筒に収めたドゥ・ザンは、それを従兵に渡しながら、改めてその若者の顔を見る。
「ときに…おぬしは幾つになる?」
「じゅ、十五であります」
従兵は封書を受け取って、硬い表情で答える。十五歳前後で戦場に出て来るとなると、武家階級『ム・シャー』の子弟だろう。
「家名は?」
「アズラ星系のフォークゼム家にて」
「うむ。親御殿はご健在か?」
すると、若い従兵は顔を曇らせて答えた。
「父は過日、イナヴァーザン城へ出仕しておりました際に、オルグターツ様指揮の陸戦隊の襲撃に遭い、これを防いで討ち死に致しました」
ドゥ・ザンの嫡男ギルターツが謀叛を起こした時、サイドゥ家の本拠地であったイナヴァーザン城はギルターツの子、ドゥ・ザンにとっては孫となるオルグターツが率いる陸戦隊によって占拠された。その際、オルグターツの不必要な戦闘拡大のせいで、城にいた多くの者が死に至らしめられたのである。この若い従兵の父親もその時の戦闘で死んだらしい。
「そうか」
それは惨い事をしてのけたの、許せ…と続く言葉を飲み込んだドゥ・ザンは、代わりに慈しむような目で従兵に命じた。
「話は済んだ。早うそれを、ドルグ=ホルタのもとへ届けるのじゃ…そして、ここへはもう帰って来ずともよい」
その直後、ドゥ・ザンの乗る『ガイライレイ』が激しく揺れる。敵戦艦の主砲弾が、艦の外殻を包むエネルギーシールドを直接叩いたのだ。この第1艦隊までが、敵に押し込まれ始めたに違いない。
「早う行け」
従兵を急かせておいてドゥ・ザンは立ち上がり、扉で隔てた『ガイライレイ』の艦橋へ向かった。たちまちオペレーターの損害報告や、各参謀の命令が飛び交う喧騒が、ドゥ・ザンの聴覚を占領する。
ドゥ・ザンの艦橋入りに、参謀達は動きを止め、みな一礼しようとした。しかしドゥ・ザンは“構わんでいい”と片手を挙げて、職務を続けさせる。艦橋中央の戦術状況ホログラムを見れば、各戦隊が分断されつつあった。コーティ=フーマの艦隊を離脱させて、戦力が三分の二以下となっているのだから無理はない。これでさらにドルグ=ホルタの艦隊を離脱させれば、戦局は決定的となるだろう。
“ふむ…リーンテーツとナモドの艦隊、陣形が崩れて来ておる。あれは疲弊によるものであって陽動ではあるまい。ギルターツめの本陣へ突撃を仕掛け、ドルグを逃がすは今であろうかな”
近づく自分の死を、どこまでも超然とした態度で迎えようとするドゥ・ザン。ところがそんなドゥ・ザンも、自分用の司令官席に座ろうと、背後から歩み寄ってみると、誰かが自分より先に座っている事に気付いて、眉をひそめた。
総旗艦の司令官席に無断で座っていた人物は、ドゥ・ザンの近づく気配に、「ホホホホホ…」と軽やかな笑い声を上げた。それはドゥ・ザンにも聞き覚えのある声である。クルリと後ろに回転した司令官席に座っていたのはドゥ・ザンの妻、オルミラであった。艦に無断で乗り込み、ドゥ・ザンが司令官室へ入っている間に艦橋へ姿を現していたのだ。
「お越しが遅いので、わらわが代理に、指揮を執らせて頂いておりましたえ」
妻の悪戯っぽい言葉に、ドゥ・ザンは顔をしかめて問い質した。
「うぬ。オスグレンに残っておったはずでは、なかったのか?」
この戦いの前、ドゥ・ザンは駐留していたオスカレア星系第四惑星、オスグレンに、戦闘への参加を拒否した者―――つまりドゥ・ザンとギルターツの争いに、中立の意思を示した者達を残した。その中に、ドゥ・ザンは妻を置いて来たはずだったのだ。
「ホホホホホ…」
再び笑い声を上げたオルミラは、からかうように言いながら席を立った。ドゥ・ザンに司令官席を譲るためである。
「これは“マムシのドゥ・ザン”様も案外、迂闊なようで」
「む…」
妻に一本取られたのを誤魔化すように、ドゥ・ザンは難しい顔をして司令官席に腰を下ろした。おそらく出港のどさくさ紛れに、『ガイライレイ』に密航者よろしく潜り込んだのだろう。そしてそのような行為に走った妻の意図は明らかだった。夫と運命を共にしようというのである。
司令官席を前向きに直しながらドゥ・ザンは呆れたように言う。
「生きてリカードとレヴァルと再会し、一緒にいてやろうとは思わなんだのか?」
ドゥ・ザンとオルミラの子リカードとレヴァルは、ノヴァルナのキオ・スー=ウォーダ家に保護されている。だが二人はまだ十二歳と十一歳、母親が必要な年齢だ。
「私の代わりは、ノア姫が立派に務めてくれましょう」
「たわけた事を…」
まるで元からそこにいたかのように、すまし顔で司令官席の傍らに立つオルミラ。その姿にドゥ・ザンはやれやれといった諦め顔をする。今更追い返そうとしても、頑として動かぬであろう妻の性格を知っているからだった。ドゥ・ザンも手を焼くノアの頑固さは、この母親の血なのだろう。
そこへ参謀から報告がある。
「ドゥ・ザン様、ホルタ様への連絡艇が発進致します」
それはノヴァルナへ渡す書簡を携えてドルグ=ホルタの下へ向かう、あの従兵の乗ったシャトルの事である。ドゥ・ザンは表情を引き締めて命じた。
「全艦に援護を指令せよ。無事ドルグの艦へ送り届けるのじゃ!」
▶#03につづく
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