銀河戦国記ノヴァルナ 第2章:運命の星、掴む者

潮崎 晶

文字の大きさ
11 / 508
第1話:大義の名のもとに

#10

しおりを挟む
 
 ノアも見送りに加わって、ノヴァルナ達はシャトルポートへ出た。今日は曇天の下、春の雨がやや強めに降っている。昇降ハッチを開けて待つシャトルまでは、三十メートルほどの距離があり、ノヴァルナと三人の『ホロウシュ』は足早にシャトルに向かった。離陸したシャトルは、機体が放出する反転重力子でリング状に雨を弾き、ナグヤ城の眼下に広がるダクラワン湖へ向かう。

 すると湖の水面が盛り上がり、爆発的な水飛沫が起きた。その中から飛び出してくるのはノヴァルナの専用戦艦、ナグヤ軍宇宙艦隊総旗艦『ヒテン』だ。ナグヤ家は城の間近にあるダクラワン湖の底に、大型戦艦まで収容出来る非常用のドックを整備しており、最優先で修理と補給を完了する必要があった『ヒテン』を、そこへ収めていたのである。

 滝のように流れ落ちる水を幾本も下げながら浮かび上がった『ヒテン』を、ノヴァルナを乗せたシャトルは加速をかけて追い越し、正確なUターンを行って艦の上部ドッキングベイに着陸する。

 その直後、『ヒテン』は圧縮した反転重力子を斜め下方へ放出した。湖面に六本の巨大な水柱が起こり、大きな波が立ち上ると、『ヒテン』は一気に上昇を始めてみるみるうちに、灰色の空を突き抜けていく。その後ろ姿をマイアとメイアと共に見送ったノアは、先ほどのノヴァルナへの強気な態度とは打って変わり、戦場へ向かって飛び立った婚約者を案じて表情を曇らせた………

 同じ頃、モルザン星系第三惑星モルゼナ―――

 ノヴァルナの叔父、ウォーダ家きっての猛将と名高いヴァルツ=ウォーダの居城、モルゼナ城は、赤茶色の外壁ががっしりと大地に根を下ろしたような城だった。それが秋の夕映えを纏えば、ヴァルツの質実剛健さを体現したかの如き印象を与える。

 黒いシルエットとなった山の稜線の、向こう側へ沈む夕陽を横顔に受けて、美しい女性がモルゼナ城の窓辺に置かれた椅子に座っていた。グラスに注がれた赤いワインを、そのワインの赤より鮮やかなルージュで彩られた唇で受け止めている。年の頃は三十代前半。淡いミントグリーンのドレスを着て、豊かなウエーブの栗毛が特徴的だ。

 女性の名はカルティラ。ヴァルツ=ウォーダの妻であった。四十歳のヴァルツとは八つ違いの三十二歳。モルザン星系経済界の重鎮の家系で、ウォーダ宗家から星系の支配権を与えられたヴァルツと、二十歳の若さで政略結婚した。

 まだ宵の口だというのに夕食を摂るでもなく、私室でワインを口にするカルティラの元へ、ドアをノックする音が響く。ウェーブのかかった長い栗毛を指で掻き撫で、少し整え直したカルティラは、「どうぞ」と落ち着いた口調で告げた。それに反応してドアが開かれ、一部の隙も無く軍装を着込んだ色白の青年が入って来る。年齢は二十代半ばといったところだ。艶のある黒髪を真ん中から分けており、軍人というよりも軍装のモデルといった表現の方が似つかわしい。カルティラが青年の名を呼ぶ。

「ハテュス…」

 青年はマドゴット・ハテュス=サーガイ。昨年初め頃からヴァルツの配下となった、政務秘書官の一人である。サーガイといえばナグヤ家の宿敵、キオ・スー家の筆頭家老のダイ・ゼン=サーガイと同じ姓であり、事実両者は同じサーガイの一族であった。ただサーガイ一族は、銀河皇国からの初期移民を祖とするオ・ワーリ宙域でも古い一族の一つで、各ウォーダ家に広く仕えているため、現在の両者の間に何か繋がりがある事はない。

 このような例は珍しくはなく、ノヴァルナの『ホロウシュ』の一人、ヨヴェ=カージェスなどは、一族のチェイロ=カージェスがキオ・スー家のBSI部隊総監を務めており、互いに刃を交える可能性すらある状況だ。

 少し上目遣いでこちらを見つめるカルティラに、マドゴットは事務的な口調で告げる。

「ご出陣中のヴァルツ様より、先ほど定時連絡がございました」

 その言葉を聞いたカルティラは愁いを含んだ目で、まだ幾分か夕陽の残る窓の外を見遣り、ぼそりと言った。

「そう…」

 そしてマドゴットを振り返り、「聞かせて頂戴」と言うと、傍らに控える二人の侍女に“お下がりなさい”と目配せで命じる。二人きりになるとカルティラの表情は俄然、妖艶さを帯びて来た。椅子からゆっくりと立ち上がり、自分からマドゴットに歩み寄る。そんなカルティラに対し、マドゴットは微笑みながら告げようとした。

「定時連絡の内容ですが―――」

 だがそのマドゴットの唇を、カルティラの立てた人差し指が軽く押さえつける。“聞かせて頂戴”という今しがたの言葉と真逆の行動だ。無論、夫の定時連絡の内容など、カルティラに端から聞く気はない。マドゴットもカルティラも、そして退出した二人の侍女もそんなことは百も承知だ。マドゴットはカルティラの手を取り、その甲に口づけする。モルザン星系独立管領ヴァルツ=ウォーダの夫人と、若き政務秘書官のただならぬ関係…それはヴァルツの妻、カルティラの心に生まれたすきま風が招いたものだった。

 猛将ヴァルツ。兄のヒディラスに従って、戦って、戦って、戦って…戦い続けた人生である。ヒディラスの率いる軍全体は敗北した事はあっても、ヴァルツの部隊だけは負けた事がないと言っても過言ではない。
 しかも内政でもヴァルツに怠りは無く、特に経済状況のチェックは時間の許す限り自ら行っている甲斐もあって、モルザン星系のGDPはウォーダ両宗家のオ・ワーリ=カーミラ星系、オ・ワーリ=シーモア星系に匹敵する高さであった。

 戦いと政治、この両輪がヴァルツの全てであり、また本人のタフさもあって、近年ではヴァルツが私人としての時間を過ごすのは、睡眠の時ぐらいのものとなっている。まさに『新封建主義』の世では、支配者の鏡とも呼べる存在だ。

 だがこの走り続ける人生が、ヴァルツの妻の心にすきま風を生み出したのである。

 元々民間人で大企業の令嬢。奔放な性格であったカルティラが、星大名ウォーダの一族の妻となったのは、二十歳になったばかりの時だった。

 当時はまだヒディラスの父、ノヴァルナの祖父のノヴァザーターがナグヤ家の当主で、キオ・スー家との関係も悪くなかった。キオ・スー家は領域内でも経済状況の良いモルザン星系への支配力を高めるために、家老であったノヴァザーターの次男を独立管領として送り込み、モルザン星系経済界の重鎮の娘と政略結婚させたのである。星系の安全保障面を強化したいモルザンの経済界との、思惑が一致した結果だ。

 それでも最初の数年は、温もりのある結婚生活だった。ヴァルツの星系統治は形だけのものであって、実際の統治はキオ・スー家が行っていたからだ。二人の間には子供も生まれ、ツヴァールと名付けられた。

 そんなささやかな結婚生活が一変したのは皇国暦1541年、ノヴァザーターが領域巡察の途中で事故死し、嫡男ヒディラスがナグヤ家の当主を継いだ時からである。

 独立心が強く、新進気鋭の若きヒディラスがナグヤ家の勢力を増大させるに従い、弟であるヴァルツも、元来秘めていた闘争心を表立て始め、兄と共に対外進出へ邁進するようになった。ヴァルツに城を空ける時間が増え、それがヴァルツの妻、カルティラの心に寒風を吹かせるようになったのだ。

 この頃すでに嫡男のツヴァールは、ヴァルツの教育方針で単身、惑星モルゼアの寄宿学校で民間人と共に育てられていた。そのような置き去りの日々に冷えたカルティラの前に現れたのが、若く美しいマドゴット・ハテュス=サーガイである。

 ヴァルツが出征している間その名代として、公式行事への出席が役目となる自分を補佐するため、政務秘書官に登用されたマドゴットに、二人で過ごす時間が必然的に長くなったカルティラが、心を寄せるようになるまでに、そう時間は掛からなかった。

 また若さに満ちたマドゴットも、妖艶で煽情的なカルティラに、次第にその身を溺れさせてゆき、二人は互いに禁断の愛欲の虜となっていったのだ。

 猛将ヴァルツも人の子であり、万能ではない。古来より勇名を轟かせた人物が、私生活では迂闊であった例は数多《あまた》ある話であった。

 そうして若い愛人の誕生を、“物分かりが良くなった妻”という偽りの仮面で隠したカルティラに対し、ヴァルツは疑う事無く、今度の戦いも艦隊を率いて旅立ったのである。

 マドゴットと体を密着させたカルティラは、その頬を胸板に預けながら、しっとりとした口調で言う。元が民間人であったため、カルティラの物言いは、それほど武家調子に染まっていない。

「不思議なものね。最初は…殿が戦いに赴く度に、どうしようもなく寂しく感じたものなのに、今では出陣の話を聞く度に、心が躍るのだから…」

「奥方様…」

「その言い方はやめてって、何度も言ってるでしょう」

 すねたように、上目遣いで訴えて来るカルティラ。

「では、カルティラ様」

「ただの、カルティラ……ね」

「カルティラ」

「ふふ…ハテュス」

 燭台型のホログラファーに灯る蝋燭の炎の立体映像が、二人の陰を妖しく揺らす。陽は沈みきり、窓の外はカルティラの夫ヴァルツが遠征中の宇宙空間と、同じ色の闇に閉ざされている。

「…もちろん、殿の身を案じていないわけではないのよ」

 そう言いながらもカルティラは愛人の手を取り、自分の肩にその手を置かせた。そして僅かに口元を歪めて言葉を続ける。

「―――だって、殿に何かあれば、今の全てが壊れるのだもの」

 言外に、今の二人の関係も終わってしまう、という事を匂わせるカルティラ。燭台の光が揺れる中、壁に映る二人の影は、背徳の唇を重ねていった………




▶#11につづく
 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転

小林一咲
ライト文芸
不倫妻に捨てられ、会社もクビ。 人生の底に落ちたアラフォー社畜・恩塚聖士は、偶然買った宝くじで“非課税10億円”を当ててしまう。 防音タワマン、最強機材、そしてバ美肉VTuber「姫宮みこと」として新たな人生が始まる。 どん底からの逆転劇は、やがて裏切った者たちの運命も巻き込んでいく――。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

処理中です...