消された過去と消えた宝石

志波 連

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41 捜査の期限

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「サムさん? ああ、サム・ワン・チェンさんですか?」

「ええ、そうです。あの時持ち帰ったお姉さんの遺骨を、王家ゆかりの地に散骨する手筈が整ったとかで。報告の手紙と一緒に送ってくれたのです」

「散骨? 王家の墓ではないのですか? 珍しい風習ですね」

 詳しいことはわからないと言って店主は厨房に下がった。
 少しすると芳醇な香りが鼻腔を擽り、三人はほぼ同時に顔を見合わせる。

「これは……コピ・ルアック」

 女店員に暖簾を下げるように言ってから、店主がそれぞれの前にコーヒーカップを置いた。

「よくご存じですね。あちらの名産らしいですよ。サムさんも農園を所有しているそうで、混ぜ物なしの100パーセントだと自慢しておられました」

 水で口腔をリセットした課長が、無言のままカップに手を伸ばした。
 目を瞑り、その香りを脳裏に焼き付けるかのように小鼻をひくつかせている。
 その様子を見た店主が、嬉しそうな顔をした。

「私はコーヒーに詳しいわけでは無いのですが、本当に良い香りですよね」

 伊藤が応じる。

「私がこのコーヒーを初めて飲んだのは三年前です。あなた方が墓参りをしておられた斉藤家のリビングでしたよ」

「そうですか。そういえばあの事件は解決しましたか?」

 伊藤が目を伏せた。
 察した店主が話題を変える。

「……先ほど聞こえたのですが、藤田さんはご結婚されるのですか?」

 藤田が嬉しそうな顔で大きく頷く。

「はい、やっと……もう本当にやっと返事を貰えました。飲める条件は全て飲みましたし、できることは何でもしましたよ。その努力が報われました」

 店主が困った顔で笑った。
 課長がふと声を出す。

「なんだ、どこかで聞いたような話だな」

「え? どういうことです?」

 課長がニヤッと笑う。

「お前が尊敬してやまないこの伊藤先輩も、奥さんを口説き落とすのに必死でさぁ。あの頃は俺も現場に出ていたから、こいつの苦労話はよく聞いていたんだ。懐かしいな」

「止めて下さいよ」

 伊藤がバツの悪そうな顔で横を向いた。
 藤田がニヨニヨと笑い、店主が話の先を促す。
 課長が悪い顔のまま話し始めた。

「伊藤はもともと第一課所属で、なかなか優秀な有名人でしたよ。いくつか所轄を回ったら本庁勤務間違いないと言われていたんですが……」

 ニヤッと笑った課長が言葉を切って伊藤を見た。
 溜息を吐いた伊藤が、観念したように後を続ける。

「嫌になったんですよ。もう全部が嫌になっちまったんです。そんな時に恵美子が……あっ、妻のことです。妻が寄り添ってくれましてね……それでなんとなく結婚したって言うか、まあそんな感じです」

 藤田が小さく口笛を吹いて、伊藤に背中を叩かれている。
 店主が言った。

「そんな時に優しくできる女って、本当に強いですよね。うちの女房もそうですが、女は本当に強い。頼りになりますよ。男はダメだ」

 課長が何度も頷きながら口を開いた。

「そうですね。女は強いのは間違いないですが、守ってやらなくちゃって思っちゃうんですよね。そう思った時にはもう女の掌で転がされているんだ。まあこちらも好きで転がっているんですけどね」

 三人の既婚者達が明るく笑った。

「それがきっかけで三課ですか?」

 藤田の声に課長が答えた。

「本庁に行く気が無いって言うから俺が引き抜いた。奥さんは俺の元部下でね。こいつの強引な口説き話はよく聞かされたもんさ」

 伊藤が真面目な顔で課長を見た。

「その節は家内共々大変お世話になりました。それと……そういう面倒見のいい課長を見込んで頼みがあります」

「ん? なんだ? 改まって」

「二年ほど駐在をやらせてもらえませんか」

「駐在? まさか……」

 課長が顔色を変えた。

「ええ、長くて一年と言われました。今までよく頑張った方だと……できるだけ側にいてやりたいのです」

 藤田が啞然とした顔をしている。
 店主は入ってはいけない話題だと思ったのだろう、気配を消して席を立った。

「そうか……遂にか。辛いな」

「俺は覚悟もしていますが、恵美子が……」

「そうだろうな。うん、わかった。俺も60の定年まであと三年はあるから、必ず戻してやれる。駐在となると実家の近くがいいよな?」

「できれば恵美子の実家の近くが希望ですが、無理は言いません」

「奥さんの実家といえば田無か。わかった、当たってみよう」

「ありがとうございます」

 藤田が眉間に皺を寄せた。

「どういうことですか? なぜ伊藤さんほどの刑事が交番勤務を希望するんです?」

 伊藤が困ったような笑顔を浮かべた。

「息子が……もうヤバいんだ。最後は側にいてやりたいんだよ。恵美子だけに背負わせるのももう限界なんだ。分かってくれ。それにお前ももう一人前だからな、春には栄転だろ?」

「そんな……俺……行きたくないです。伊藤さんと同じ交番に異動願い出します」

「バカか! いずれにしてもずっとは組めないんだ。早く偉くなって俺を引き立ててくれよ」

 藤田が微動だにせず肩を震わせた。
 課長が藤田の肩をポンと叩く。

「さあ、行くか。伊藤と藤田は『女神の涙』事件にかかってくれ。期限は二月いっぱいだということを忘れるな。それでダメなら新天地で心機一転だ。いいな」

 課長が立ち上がり、女店員に三人分の勘定を支払った。
 立ち上がらない藤田の腕を掴んで伊藤が言った。

「行くぞ、すっきりした気分で新婚旅行に行きたいだろ?」

「はい!」

 頷いた藤田の目は真っ赤だった。
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