消された過去と消えた宝石

志波 連

文字の大きさ
22 / 66

22 三匹の猫

しおりを挟む
「はっきり申し上げますが、捜査も進展してないでしょう? 私が調べたところによると、あのオークションに出品されていた宝石の落札者は、あの宝石に加工をすると公表したらしいですね。万が一戻ってきたとしても、所有していた原形ではない。違いますか?」

「仰る取りです」

 小夜子が言葉を挟んだ。

「もう良いのです。斉藤には思い入れもあったのでしょうけれど、私は興味も無かったので」

 ここまではっきり拒絶されると考えていなかった伊藤は唇を嚙む。
 美奈がお茶を運んできた。
 ふと藤田が声を出した。

「皆さんはそのまま雇用継続なんですか?」

 小夜子が答える。

「いいえ、全ての手続きが終わりましたらこの屋敷も手放します。山中さんには斉藤が保有していた株式をそのまま渡します。千代さんと美奈さんにも、それぞれ相応の退職金をお渡しする予定です」

「小夜子未亡人はどうなさるのです?」

「私は……幼少期に母と暮らした所に移り住む予定です」

 伊藤が静かに聞いた。

「どこですか?」

「伊豆長岡の古奈ですわ。狩野川の近くの森に手ごろな土地が売りに出ていたのです」

「温泉地ですか。しかし余生と言うには若すぎる。何か始めるのですか?」

「いいえ、私は静かに暮らせればそれだけでよいのです。余生と言うには確かに若いですけれど、人様より余生が長いというだけだとお考え下さいな」

「エトワールと一緒にですか……」

「ええ、この子と一緒に」

「そう言えばエトワールの腹に傷がありますね」

 小夜子がコロコロと笑う。

「まあ! さすがですね。避妊手術をしていただいたのです。子供が生まれても私一人ではどうしようもないですからね。これも引っ越しの準備のひとつですわ」

「なるほど……」

 伊藤の頭の中で様々な仮説が組み上がっていく。
 これ以上ここにいても仕方がないと判断した伊藤は、意を決するように口を開いた。

「取り下げの件、残念ですが了解しました。ただ、余罪などが出た場合は継続して協力をいただくことになります。引っ越し先の住所や連絡先は必ずお知らせください」

 小夜子は声には出さず頷いた。

「私から連絡しましょう。引き続き斉藤小夜子さんの顧問弁護士を拝命しましたので」

 橘弁護士が鷹揚に言った。

「そうですか。それでは我々はこれで」

 引き下がるしか無かった二人の刑事は、苦虫を嚙み潰した顔でパトカーに乗り込んだ。

「小夜子は黒だな」

 伊藤の言葉に藤田が目線を漂わせた。

「どういう方法ですか?」

「猫だよ。やっぱりエトワールの腹に隠して持ち出したんだ」

「そうなると医者が共犯ですか? ああ、植木屋も怪しいか……」

「市場獣医師は小夜子の実家である烏丸家の親戚だろ? しかし血縁があったというだけで交流は出てこなかった。それに小夜子の父親が死んだ後、兄である烏丸一也も死んでいる。死因は肺結核で、死亡届も正規のものだ」

「小夜子は市場医師が親戚だと知っているのですよね?」

「……市場動物病院に行こう」

 藤田が運転するパトカーが、急ブレーキを踏んでUターンした。
 市場動物病院は、斉藤邸がある代官山から祐天寺に向かう道路沿いにある。目黒川があるので多少迂回する必要があるが、車を使うなら五分もあれば十分な距離だ。

「この時間は休診ですね」

 病院の駐車場にパトカーを停めた藤田が伊藤に言った。

「自宅もここだろ? いるんじゃないか?」

 藤田が病院の玄関脇にある呼び鈴を鳴らした。

「はぁい」

 間延びした若い女性の声だ。

「すみません、池波署の藤田と申します。先生はご在宅ですか」

 返事は無く、その代わりに病院のドアの鍵を開ける音がした。

「ああ、刑事さん。お久しぶりですね、先生は今ゴルフの練習に行ってますよ」

「ゴルフ? ああ、近くに練習場がありましたものね」

「ええ、ここからなら歩いて行けますから。多分もう三十分くらいで帰ってくると思います。いつもそのくらいですから」

「待たせていただいても?」

「ええ、どうぞ」

 看護婦のユニフォームの上に薄手のカーデガンを羽織った若い女性がにこやかに言った。

「待合室で申し訳ないですが」

 もう一人の看護婦が缶コーヒーを二つ差し出す。

「あ……すみません。ありがとうございます」

 何がおかしいのか、若い看護婦たちがキャッキャと笑いながら奥へ消えた。

「お前の若さと見た目でいつも助かっているよ」

 伊藤の声に藤田が肩を竦めて見せた。

「お褒め戴き光栄です」

 そう言いながらふと藤田が真面目な顔をする。

「あの写真……エトワール?」

 藤田の声に伊藤が振り向く。

「どうだろう……あの手の猫は違いがわからんよな。エトワールじゃないとしたら……どこの猫だ?」

「植木屋の坂本さんも同種の猫のオーナーって言ってましたよね……くろべえだっけ」

「ああ、そうだ。そんな名前だった。しかし動物ってのは見ただけじゃ性別もわからんな」

 二人の会話に、いつから居たのか先ほどの看護婦が割り込んだ。

「あれは先生の飼い猫ですよ。サイベリアンっていう猫種で、黒はとても珍しいんです」

 思わず藤田が立ち上がる。

「先生もサイベリアンのオーナーなのですか?」

「ええ、それこそ先ほどお話しに出た坂本くろべえちゃんの子供です」

 伊藤と藤田が顔を見合わせた。

「何歳ですか? まだ生きてます?」

 伊藤の声に看護婦がムッとした顔をした。

「もちろん生きてますよ。今年で五歳になりました。とても美しい猫ちゃんです」

「名前は?」

 なぜそこまで喰いつくのかと、戸惑う看護婦。

「ノワールです。フランス語で黒っていう意味だそうです」

「会えますか?」

 看護婦が目を見開いた。

「それは先生に聞いてください」

 三人の後ろでガチャリとドアが開く音がした。

「お待たせしました」

 診察室から顔を覗かせたのは、この病院の院長である市場正平だった。
 もうすでに何度か顔を合わせているのだが、小夜子の親戚だと思いながら見ると、目元などがよく似ているような気がする。

「すみません、休憩時間に」

 伊藤が笑顔を浮かべてゆっくりと立ち上がった。
 市場がひとつ頷いて、そのまま着席を促す。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。

小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。 「マリアが熱を出したらしい」 駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。 「また裏切られた……」 いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。 「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」 離婚する気持ちが固まっていく。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

揺れぬ王と、その隣で均衡を保つ妃

ふわふわ
恋愛
婚約破棄の断罪の場で、すべては始まった。 王太子は感情に流され、公爵令嬢との婚約を解消する。 だが、その決断は王家と貴族社会の均衡を揺るがし、国そのものを危うくする一手だった。 ――それでも彼女は、声を荒らげない。 問いただすのはただ一つ。 「そのご婚約は、国家にとって正当なものですか?」 制度、資格、責任。 恋ではなく“国家の構造”を示した瞬間、王太子は初めて己の立場を知る。 やがて選ばれるのは、感情ではなく均衡。 衝動の王子は、嵐を起こさぬ王へと変わっていく。 そして彼の隣には、常に彼女が立つ。 派手な革命も、劇的な勝利もない。 あるのは、小さな揺れを整え続ける日々。 遠雷を読み、火種を消し、疑念に居場所を与え、 声なき拍手を聞き取る。 これは―― 嵐を起こさなかった王と、 その隣で国家の均衡を保ち続けた妃の物語。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!

翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。 「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。 そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。 死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。 どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。 その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない! そして死なない!! そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、 何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?! 「殿下!私、死にたくありません!」 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼ ※他サイトより転載した作品です。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

処理中です...