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第三部
栄光の約束⒇
しおりを挟む泣いている。空と大地と、人々が、きょうもどこかで泣いている。暗い心をもつ者は、不幸に耐えて、泣いている。世界のどこに、心をおけばよいのだろう。他者をおびやかす怪物に、きょうも恐れ、泣いている──。
ルフドゥにいた頃のアセビは、帯剣した兵士がやってきた日のことを、よく憶えていた。村人の代表としてエリファスが話し合いに応じ、その日は何事もなく終わった。事件が起きたのは、翌朝だった。真夜中の内にジュリアンが連れ去られ、エリファスは落胆し、肩をふるわせた。
遠くで、エリファスの横顔を見つめていたアセビは、ジュリアンの奪還を強く決心した。それは、アセビの無言の告白だった。書き置きを残して村をでたアセビは、武器も持たずにひとりで首都へ向かった。吹きつける大きな風にさからって、前へ、前へと進む足取りに迷いはない。
エリファスは既婚者であったが、妻のリネルエは、心臓病により他界していた。愛する女性が命をかけて産んだ娘を大事に育てたが、あっさり帝国に奪われてしまった。
「……どうして、こんなことが許せる? 軍隊との話し合いは、不成立となったのか? ルフドゥは敵国と見做されたのか? だからといって、無理やりジュリアンさまを奪うとは、あってはならないことだ……。わたしが、取り返す。必ずや、エリファスさまの元へ、お返しする!」
エリファスを慕うあまり、正義感が先立つアセビは、独断で行動を起こした結果、リヤンに見つかり拷問され、無理やり抱かれる始末となった。
(思えば、わたしは自分のことしか考えていなかったな。ジュリアンさまを助けたくて、無我夢中になっていたが、冷静に考えると、もっと慎重に動くべきだった……)
離宮に待ち人があらわれるまで過去の記憶をたどるアセビは、帝国が勝利によって得たものに、思考をめぐらせた。
(ひかり、光、輝き……、栄光……? リヤンは、そんなものが欲しかったのか? 多くの犠牲を払ってまで、いったい何を手に入れた? 名誉、玉座……、クオンと何か約束でもしているのか?)
憎むべき対象が人間であるうちは、復讐も容易い。リヤンとクオンが戦火に灼き尽くされた故郷に絶望した時、ふたりの心は、恐怖に支配されていた。だが、身勝手な略奪をくり返す国々を、放っておくわけにはいかない。偉大な帝国を築くまで、ふたりは勇気を胸に何度も立ちあがった。
(……称賛などするものか。エリファスさまを悲しませたリヤンを、簡単に赦せない)
少なくともアセビは、自ら大切だと思う人々を守るために騎士を目ざし、剣術に励んだ。向かってくる敵に容赦なく剣を振りおろすのではなく、動きを制して、相手の血を制すること。エリファスの教えは、他者を傷つけるものではなかった。
「生かすも殺すも強者次第、否、それは、力の意味を履き違えている」
リヤンの葛藤を知れば知るほど、余計な感情が芽生えてしまうアセビは、じきに訪れる冬景色を想像して気を紛らわせた。
✓つづく
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