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第53話:レウシア、黒竜の目玉を入手する

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 土をならし踏み固めただけの簡素な通りに、たくさんの露店がひしめき合っている。

 実に色彩豊かな光景だ。目が眩みそうなほどである。理由は喧騒のなかを行き交う人々の服装で、彼ら彼女らは王都ではまず見かけないであろう、変わった趣の装いをしていた。

 様々な幾何学模様を思いつく限りの色で組み合わせたような、不思議な織布の服である。どうやらそれがこの地方の主流の衣装であるらしい。

 色鮮やかな人混みを縫うように、茶色い外套を羽織った銀髪の少女が通りを進む。

 地味で薄汚れた外套は、この場では逆に目立ってしまうようであった。
 少女と擦れ違った何人かの者がふと振り返り、彼女の美しさと服装の不協和に残念そうな溜息を漏らす。

 銀髪の少女の傍らには同じくらいの体格で、やはり同じ外套を纏った人物が、とてとてと歩みを合わせていた。

 こちらは外套のフードを深々と被り、その顔まではよく見えない。――しかし恐らくは少女なのだろう。艶やかな黒髪がさらりとフードの隙間から覗いている。

 ただ、体格のわりに背中とお尻の辺りが奇妙に少し膨らんでおり、どうやらなにかを外套の下に隠している様子が窺えた。

「……あ」

 ふいに黒髪の少女がその顔を近くの露店に向けて、とててっと足早に駆け寄った。
 銀髪の少女は驚いた様子で振り返り、すぐにそのあとを追って店へと近づく。

「……いらっしゃい! 旅人さんだね? ウチの品は良い土産になるよ!!」

 露店の店主は少女たちの服装をじろりと素早く確認してから、銀髪の少女へ笑顔を向けた。――どうやらここらの生まれではないだけで、金は持っているようだと判断したらしい。

「……これ、なに?」
「お? お客さん、お目が高いね!」

 フードを被ったままの黒髪の少女が、簡素な長机の上に置かれた商品の一つを指し示すと、店主はにんまりと口の端を持ち上げた。

 少女の小さな指の先には、握り拳ほどの大きさの真っ赤な玉が、窪んだ石の台座に飾られている。

「これは珍しい掘り出し物でね! ちょっと中を覗いてみなよ?」
「……ん、わかっ、た」

 赤い水晶玉のようなそれを、言われるままに黒髪の少女が覗き込む。
 玉の内部にはまるで生き物の瞳孔のように、黄色く光る層が幾重にも楕円を描いていた。

「……ほわぁ」
「なんだか、凄い石ですね……」

 よく見れば層は黄色だけではないらしい。赤、緑、紫、青――光の加減で変わるのだろうか。
 周囲の光源を反射して様々な模様を見せるその水晶玉を、銀髪の少女も感心した様子で覗き込む。

「石ぃ? いやいや、とんでもない!」

 少女二人が顔を十分近づけたところで、店主の声が大きく響く。

「――それは黒竜の目玉だよッ!!」
「ぴっ!?」

 びくりと驚き、黒髪の少女が小さく悲鳴を漏らした途端、触れてもいない長机がカタンと微かに揺らされた。
 台座から転がり落ちる石を見て、店主が悲痛な叫びをあげる。

「ああっ!? 銀貨三枚はする宝玉が!?」
「えっ!?」

 銀髪の少女が目を見開き、机からこぼれ落ちる水晶玉へ手を伸ばす。
 その手は僅かに間に合わず――しかしぱしっと、横から伸びてきた大きな手のひらに受け止められた。

「あん? これが銀貨三枚だぁ? ただのガラス質の石っころを磨いただけの代物じゃねぇか。つーか、ここらじゃ有名な石だろうが。こいつはよ」
「え? そうなのですか……?」

 ほっと息をつき目の前の男を見上げてから、銀髪の少女はきょとんとした顔で首を傾げた。

 現れたのは白髪混じりの長い金髪、枯れ木のような風貌の男である。
 彼は手の中の石をくるりと弄んでから、ひょいと台座にそれを戻した。――その際に、ぬっと男の顔が店主に近づく。

「――にしてもこりゃあ、いい台座だなぁダンナ。ええ? ちょっと小突きゃ、乗っかったもんがころんと落ちらぁな? 本当に、調子のいい台座だ」
「きゅ、急になにを言ってるのかね?」
「俺ぁちょうど、こいつと同じ台座をもう一つ知っててよ? ちょっと小突きゃ、ころんと落ちるんだよ。……なあ? 試してみても構わねぇかい?」

 金髪の男が腰に帯びた剣の柄を撫でながら尋ねると、店主は「ひぃっ」と喉の奥から声を漏らして仰け反った。男の眼光が鋭さを増し、鍔がカチンと音を鳴らす。

「やめてください! ヴァルロさん!!」
「ああん? エレーヌてめぇ、いまカモにされそうになってたんだぞ、わかってんのか?」
「それでもですっ!」

 銀髪の少女が店主を庇うように割って入ると、男はチッと舌打ちをして、店主はほっと息を吐き出した。

 少女――エレーヌ、聖女エルはくるりと振り向き、ちらっと隣に目をやってから、にっこりと店主に微笑みかける。

「この方にも、なにか事情があるはずです。この石を売って、生活しているのですものね?」
「あ、ああ、そうだ」

 聖女エルの優しげな微笑みに思わず気を許したのか、店主はこくこくと素直に頷いた。
 エルが再び隣を窺う。竜の眼球ではないと聞いて安心したのか、黒髪の少女は再び興味深げに宝玉を覗き込んでいる。

「なら、私はこの石を買おうと思います。とはいえさすがに銀貨三枚は無理なので、〝本当のお値段〟で売ってください」
「……へ?」
「ん? おいエレーヌ、それは――」
「え? ダメなのですか? 綺麗な石ですし、レウシアさんも気に入っているみたいですし、本当のお値段なら欲しいかな……と」
「いや、買うのは構わねぇが……」

 本当のお値段。
 エル本人が自覚しているのかどうかは不明だが、状況も相まって、聞こえようによってはそれは〝原価〟という意味にとれる。……あるいは、さらに安くか。

 不思議そうな顔の聖女を眺めて、それから店主に視線を移し、その額から流れる冷や汗を見て、金髪の男――ヴァルロはひょいと肩を竦めた。

 そして腰のカトラスの柄を、店主の目からだけ見えるように、すっとさりげない動作で撫でる。

「まあ、授業料だと思っとけ。な?」
「……はい」

 ヴァルロから苦笑いとともに告げられ、店主はがっくりと頷いた。

   *   *   *

 人混みを縫うように歩きながら、エルたちが露店通りを進んでいく。

 レウシアの手の中で、赤い水晶玉がきらりと光る。
 彼女は先ほどからずっとそれを見ながら歩くので、はぐれないようヴァルロが手を引いていた。

 玉に夢中なレウシアの姿にエルが「ふふっ」と笑みをこぼすと、ヴァルロは頭を掻きながら、苦笑混じりにぽつりと呟く。

「……まったく、たいした女だよ。てめぇは」
「え? なにがですか?」
「あん? さっきの――って、もしかして本気でわかってねぇのか?」
「はい?」
「いや、なんでもねぇよ……」

 ヴァルロが短く嘆息すると、エルはきょとんと首を傾げる。――玉の値段は銀貨四分の一枚。だいたい相場の半分くらいで買い取れていた。

「ま、一応は宝玉だ。記念に部屋に飾っとくんだな」
「うーん……台座は売ってくれなかったので、どうやって置くか困りますね……」
「おまっ!? それまで取り上げちまったら、アイツ商売できねぇぞ!?」
「え? そうなのです?」
「はぁ……こりゃ、変装の仕方も間違えたかもな」

 様々な民族が行き交うこの港では、あこぎな商売をする者も多い。

 世間知らずなお嬢様方がカモにされないよう、あえて金の無さそうな見た目を選んだのだが、どうやら失敗だったらしい。――どうにも育ちの良さが顔や仕草に滲んでしまっている上に、聖女の箱入り具合は筋金入りだ。

 ヴァルロはぼりぼりと頭を掻いて、いまからでもこの地方の派手な民族衣装に着替えさせたほうが、逆に目立たないのではと考えてみる。――しかしどうにも、それはそれで厄介な連中が寄ってきそうな予感がした。

「まったく、頭痛がしてくらぁ」
「へ? あの、なら《回復魔法》を――」
「いらねぇよ。……それよりエレーヌ、レウシア。お前ら、ここらの服、着るか?」
「はい?」
「あー、いや、いらねぇなら――」

 いっそ本人に決めさせようと、枯れ木のような元船長は尋ねてみるが、訊き返されて口ごもる。その様子にレウシアがこてんと首を傾げると、彼女の片手で揺られる魔導書が、皮肉るように意見を述べた。

「ふーむ、人族の元船長よ? なんだか先ほどからお前は、年配の保護者のような有様だぞ? 我が思うに、それならお前も着替えるべきではないか?」
「あん? うるせぇな、てめぇも似たようなもんだろが。派手な織布の袋にでも入れて欲しいってか?」
「む――それは心惹かれるものがあるような、ないような……むぅ」

 魔導書が悩み唸っていると、竜の少女のほうを見ながら、白の聖女も小さく唸る。

「うーん。たしかにこの街の衣装を着たレウシアさんも見てみたいのですが……でも、馬車を借りるお金も必要でしょう?」
「あ? 馬車だ?」
「え? ええ。――この港から、領主様のいる街へ行って、どうにかして直接お会いしないといけないので……」
「なんだエレーヌ、お前馬に乗れねぇのかよ?」
「……まあ、乗る機会も、なかったですし」

 どうやら聖女様は、馬に乗った経験がないらしい。
 顔を伏せ、わずかに不機嫌そうに答えるエルを見て、ヴァルロはにやりと笑みを浮かべた。

「ほう、なるほどな。そんじゃ、初めての騎乗がアレになるわけか。……そいつぁ、ちぃとばかし面白れぇや」
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