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3-1 肝試しと大掃除 side A
8 天の八重雲
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纏わりつくように粘る冷たい空気の中、織歌は懐中電灯を下に向けて躊躇うことなく廊下を進んでいく。
目の前の織歌が如何にスニーカーを履いていようと、少しは足音がするものだが、それがやたらくぐもって聞こえる。
なんとなく、子供の頃行った賑やかなプールで、水に潜った時に聞こえる物音を悠輔は思い出した。
「……ねえ、何か、聞こえない?」
そう不安げに言ったのは都子だ。
残念ながら悠輔には音がくぐもって聞こえるせいか、よく分からない。
「ええ。でも大丈夫ですよ」
都子の言葉を肯定しながらも、織歌は柔らかな調子のままで歩みを止めることなく言う。
その足の向く先に、不思議と迷いはなく、一つの部屋の前で織歌はそのまま立ち止まった。
ここまで来ると、悠輔の耳にも、女性のぶつぶつと呟く声が聞こえていたが、先程の事もあり、織歌の後ろから身を乗り出して部屋の中を覗き込む勇気はない。
最初からその声が聞こえていた都子の顔は完全に強張っている。
「お二人は、一旦ここで、待っていてください」
「え」
「賢木さん、本当にいいの?」
都子の顔が曇り、悠輔も弘の言いつけに背くことになると思って確認をする。
織歌はこちらを振り返って、何の曇りもない柔らかな笑顔を見せた。
「はい。部屋というのは、概念的に一つの結界のようなものですから、私だけ入ればお二人にはなんの影響も出ないはずです」
その笑顔には何一つとて、無理というものが無いように思えて、それが日常茶飯事であるが故の自然体にしろ、自分達を不安にさせないための演技にしろ、悠輔は微かに薄ら寒いものを感じた。
「では、行ってきますね」
そう言いながら、織歌は部屋の中に踏み出す。
織歌の持つ懐中電灯の光に丸く浮かび上がったそこで蹲っている黒髪のボブショートは確かに深雪のものだった。
部屋の隅の方には、恐らく深雪が落としたらしい懐中電灯が、明後日の方向の闇を丸く切り抜いている。
だが、部屋に入るなと言われている以上、悠輔も都子も、それ以上身を乗り出して見る事も出来ない。
「勾田さん、ですよね」
「……、……」
「……ふむ」
ぶつぶつと呟く声は深雪の唇から漏れているもののようだ。
ちらり、と織歌が様子を確認するようにこちらを振り返って、それからまた深雪の方を向いた。
「……意外と手強いものです。仕方ありません」
その言葉自体よりもずっと軽い声で、織歌はそう言ってしゃがみこむ。
そのまま、織歌は深雪の肩に手を置いて、そして口を開いた。
「しなとのかぜここだくのつみのこらずふきはなちてあがみにうつろはせ」
部屋の敷居を越えないように注意深く覗き込む悠輔と都子の後ろから、先程よりは弱い風が廊下の割れた窓から吹き込んだ。
ぶつぶつと呟いていた深雪の声が途切れて、
「……え、あれ」
代わりに困惑の声がした。
少しよろめきながら、織歌が立ち上がる。そして、一度頭を横に振った。
「さ、賢木さん」
声をかけると、能面のような無表情で振り返った織歌が、次の瞬間には、その少し青褪めて見える顔にへにゃりと笑顔を浮かべた。
目の前の織歌が如何にスニーカーを履いていようと、少しは足音がするものだが、それがやたらくぐもって聞こえる。
なんとなく、子供の頃行った賑やかなプールで、水に潜った時に聞こえる物音を悠輔は思い出した。
「……ねえ、何か、聞こえない?」
そう不安げに言ったのは都子だ。
残念ながら悠輔には音がくぐもって聞こえるせいか、よく分からない。
「ええ。でも大丈夫ですよ」
都子の言葉を肯定しながらも、織歌は柔らかな調子のままで歩みを止めることなく言う。
その足の向く先に、不思議と迷いはなく、一つの部屋の前で織歌はそのまま立ち止まった。
ここまで来ると、悠輔の耳にも、女性のぶつぶつと呟く声が聞こえていたが、先程の事もあり、織歌の後ろから身を乗り出して部屋の中を覗き込む勇気はない。
最初からその声が聞こえていた都子の顔は完全に強張っている。
「お二人は、一旦ここで、待っていてください」
「え」
「賢木さん、本当にいいの?」
都子の顔が曇り、悠輔も弘の言いつけに背くことになると思って確認をする。
織歌はこちらを振り返って、何の曇りもない柔らかな笑顔を見せた。
「はい。部屋というのは、概念的に一つの結界のようなものですから、私だけ入ればお二人にはなんの影響も出ないはずです」
その笑顔には何一つとて、無理というものが無いように思えて、それが日常茶飯事であるが故の自然体にしろ、自分達を不安にさせないための演技にしろ、悠輔は微かに薄ら寒いものを感じた。
「では、行ってきますね」
そう言いながら、織歌は部屋の中に踏み出す。
織歌の持つ懐中電灯の光に丸く浮かび上がったそこで蹲っている黒髪のボブショートは確かに深雪のものだった。
部屋の隅の方には、恐らく深雪が落としたらしい懐中電灯が、明後日の方向の闇を丸く切り抜いている。
だが、部屋に入るなと言われている以上、悠輔も都子も、それ以上身を乗り出して見る事も出来ない。
「勾田さん、ですよね」
「……、……」
「……ふむ」
ぶつぶつと呟く声は深雪の唇から漏れているもののようだ。
ちらり、と織歌が様子を確認するようにこちらを振り返って、それからまた深雪の方を向いた。
「……意外と手強いものです。仕方ありません」
その言葉自体よりもずっと軽い声で、織歌はそう言ってしゃがみこむ。
そのまま、織歌は深雪の肩に手を置いて、そして口を開いた。
「しなとのかぜここだくのつみのこらずふきはなちてあがみにうつろはせ」
部屋の敷居を越えないように注意深く覗き込む悠輔と都子の後ろから、先程よりは弱い風が廊下の割れた窓から吹き込んだ。
ぶつぶつと呟いていた深雪の声が途切れて、
「……え、あれ」
代わりに困惑の声がした。
少しよろめきながら、織歌が立ち上がる。そして、一度頭を横に振った。
「さ、賢木さん」
声をかけると、能面のような無表情で振り返った織歌が、次の瞬間には、その少し青褪めて見える顔にへにゃりと笑顔を浮かべた。
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