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一人より
出会いの季節がやって来た!
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シュネル学院での成果は上々で、奏音は今日も採取の依頼の休憩中にギターを弾きご機嫌である。
帰宅の道中にアヤハから大アルカナ帝国の城塞で歌を披露してほしいとお願いされたが、奏音は今ひとつ乗り気ではなかった。アヤハからのお願いなので断る理由は特にないが、彼女は圧倒的パフォーマンス力不足が否めないと考えていた。
「私一人じゃなあ」
弾いていたギターの手がパタリと止まり、森林を抜ける風が木々を撫でていく。木漏れ日もほどよく差し込み、明るい場所だが一人きりだと奏音は妙に寂しさを感じた。
「音楽が盛んじゃない世界みたいだし、私以外に楽器、持ってる人いないよね」
ギターの下部レバーを、グイと引き内部魔力を放出する。そして側の木に立て掛けて、平たい岩にゴロンと寝転がり、奏音はスゥーとお昼寝を始めた。
既に依頼は達成していて、採取すべきものは揃っている。あとは帰るだけと少し気が緩んでいた。
目を覚ますと、オレンジ色の空が目に映る。
「いけない、早く帰らなくちゃ」
ギターを引っ掴んで、急ぎ足で街に向かい森を駆け出した。明るい森と言っても夜は暗くまた、魔獣が起きる時間だ。早く街に戻らないと奏音のような女の子は立ち所に胃の中へご案内されてしまう。
そう思っていた矢先、奏音の頬に冷たい滴が付着する。
「ひゃあ。・・・なにコレ、ベトベト」
不意に上を見上げる。そこにはこの森独特のツタ状の大木が複雑に絡み合っている。そしてそこを足場にしている。獣が奏音を見下ろしていた。赤い目玉が鋭く薄暗い森に輝いた。
「あははっ、・・・・・こんばんはぁなんて」
「グルルル」
苦笑混じりの微笑みも、獣相手には通用する筈もなく奏音は一目散に逃げ出す。いざとなったら魔術具店のお爺さん、モント爺から選別として貰った宝石剣を使う羽目になるが、短剣の心得などない奏音にとっては無力にも等しい。
「アヤハさんに、剣を習っとけばよかったかな」
息を整えてまた走り出す。しかし一向に魔獣は諦めてくれない、それどころか魔獣は地上に降りて来ていた。
足音がすると思い、チラと振り返るとすぐ後ろには魔獣の口があるではないか。
「ピャャャャャ」
咄嗟に宝石剣を握りしめる。何か簡単な魔術くらい使えるのではと思ったからだ。
「えーと、えーと。何か出ろー」
右手に握った宝石剣の柄にある宝石が光り、奏音の魔力を吸い上げると、宝石剣の刀身から激しい光が森中に広がる。一瞬だったが昼のように明るくなったのちまた薄暗くなる。魔獣は昼に活動はしない。そのため光にほとほと弱いのだが、奏音に迫っていた魔獣は、すっ転んでいるがどうにも諦めた様子はなく、意地でも立ち上がらんとしている。
この隙にと、奏音は走り出そうと再び前を向いた時、誰かに手を引かれて茂みの中に引き摺り込まれる。
「うわあ」
「しぃー。静かに、今気配を消す魔術を使っています」
「・・・・・」
奏音の上に覆いかぶさるように、少女が奏音の口を手で塞ぎ、魔獣を見ている。そして魔獣は鼻をくんくんと動かし辺りを確認し、追っていた獲物がいないと分かると、未練なく森の奥深くに別の獲物を求め走り去っていった。
「ふう、もう話しても大丈夫ですよ」
「・・・・・」
奏音はずっと口を塞がれていたので、気を失ってしまっていた。
「あわわ、ごめんなさい。あー息してない。ごめんなさい、ごめんなさい。すぐに蘇生しますから」
奏音を救った少女は、奇しくも奏音を二度目の死に追いやるところだったが、そうはならなかった。
「ぶはあ、けほっけほっ」
「良かった。生きておられて何よりです」
「あれ、魔獣は」
「それなら、去って行きましたよ」
「そうなんだ。助けてくれてありがとう。よく覚えてないんだけど、なんで私寝てたんだろ」
「それより、早く森を出ないと危ないですよ。さあ、急ぎましょう」
奏音は差し出された手を取って立ち上がり、森を抜けて街まで無事に戻ってくることができた。
紹介所の受付でティベルに採取した品を私、報酬を受け取る。
「お待たせ、この街に来るのは初めてなんだよね」
「はい、私は国の紹介所を離れて、こちらの紹介所を勧められてその申請に」
「へぇー、そうなんだ。なんか色々と大変だね」
「まあ、出稼ぎみたいなものです。私の国ワンドは、小さい国ですが薬草学や魔獣学など勉学が盛んなところではあるのですが、緑豊かな以外は資源が乏しいので、輸入に頼るのです。物価も高く、学費も高い。私には弟や妹が沢山いますから、少しでも家の役に立ちたくて」
「偉いなぁ」
少女は「いえ、長女ですから」と謙遜してみせる。
「そういえば自己紹介がまだでしたね。私は長耳族のヨハナ・パッフェ・ベルです。よろしくお願いします」
「私は五条奏音。よろしくねヨハナン」
小アルカナ連邦ワンド国はヨハナが言う通り、勉学と緑の国だ。長耳族の寿命をもってしても勉学に果てはないと、皆が口を揃えて豪語するほど勉学に力を入れているが、勉学のための資材をほとんど輸入しており、赤字経済待ったなしの国である。しかしながら、この国の財源は高度な魔術と科学技術によって作られる医療薬である。即効性と再生性に富む、万能薬『ゼロ』が代表的な医療薬だ。名前の由来はすぐに効き、痛みは一つもなくなるという意味でゼロということらしい。
「ヨハナン、今日の宿は決まっているの。せっかくだから私の居候してるうちにこない。武器とかも売ってるんだよ」
「でもお邪魔じゃないかしら」
「命の恩人なんだから、おじさんもおばさんもそんな人を無下にはしないと思うよ」
「えっ、えーそうだといいわね」
ヨハナは奏音を誤って殺してしまいそうになったことを思い出して、気まずそうに視線を奏音から外す。
バルミロに帰ってくると、コーデルが店のカウンターで二人を出迎えた。
「友達連れて来ちゃったんですけど、今日泊めてあげてもいいですか」
「ああいいよ。でも部屋はどうするかね」
「私の部屋で一緒に寝ますよ」
ヨハナは少し驚いて、「奏音ちゃんそれは、悪いわ。私は床でも寝れるから大丈夫よ」と耳打ちするが、奏音はヨハナの手を取る。
「ダメだよ。ちゃんとお布団で寝なきゃ、風邪ひいちゃうんだから」
奏音に圧倒され、ヨハナは戸惑いつつも「そうね」と小さく頷いた。そして、ヨハナは奏音の部屋で寝ることに決まった。
夕食の席では、奏音がヨハナに助けて貰ったことを話したり、ヨハナのワンドの国の話などで盛り上がり夜が一層濃くなるころ、お風呂上がりのヨハナは、中庭でギターを弾く奏音を見つけた。
「ふんふんふー」
詩のない曲だったがヨハナは、ギターと向き合う奏音の姿に見惚れていた。夜にぴったりなアンニュイで静かな音の波がゆったりと中庭を漂っている。
「お風呂先にいただいたわ」
「じゃあ、私もお風呂に行こうかな」
「ねえ、その前にひとつ聞いてもいい」
「うん、なあに」
「それって奏具」
思いがけない単語に奏音は歓喜する。
「そうだよ、ヨハナン奏具のこと知ってるの」
「ええ、まあ、その私も奏具持ってるから」
「おおー、コレはもう運命だね。それじゃあ今からセッションしよッ」
ヨハナは興奮する奏音を宥める。
「セッションは、よくわからないけど。まずはお風呂に行かないと」
「ああ、そうだね。お風呂から上がったらヨハナンの奏具も見せてね」
バタバタと奏音は浴室へ向かう。その後ろ姿を見送ると、発散形態のルミナスギターをヨハナはそっと撫でた。
友達というものは馴染みがない。それもそうだ、家族といっても下の子は弟二人を除いて皆血の繋がりがない子たちだった。両親は身寄りのない子を引き取って育てている。その活動は確かに良いことだが、数が増えすぎたというしかない。ヨハナは両親と一緒に音や妹たちの面倒を見て来たが、自分自身はそこまで立派になれないと、出稼ぎ役を自ら引き受けて逃げて来たようなものだった。
「ごめんなさい、お父さん、お母さん。私はそこまで立派にはなれません」
一人吐露する彼女は、屈託のない笑みを浮かべる奏音が羨ましいと思った。だが、そんなことを奏音に言ったところで、迷惑であることは確かだと、分かってはいたが思わずにはいられなかった。
「はあ、今日もいいお湯だった」
奏音が中庭に戻ってくる。しっとりとした黒髪が石鹸の香りを纏っている。
「どうしたの、なんか元気ないみたい」
「大丈夫よ、今日はいろんなことが一度にあったから疲れちゃったのかも」
ヨハナはそう言いながらも、奏具を取り出して奏音に見せる。それはL字の棒だった。ヨハナはこのL字の棒を二つ宙に浮かせると、ラトビットのぬいぐるみをヴィクトルの使っている切り株の台座に置く。
「コレはね、この装置を対極に設置して、魔力で表示されたキーを押して、人形を操作する奏具なの。お母さんのお母さんが持ってたものなんだけど、お母さんは使えないから捨てようとしてたのを私が貰ったの」
奏音はそれを見て目を輝かせた。まさしくそれはキーボードといって差し支えなかった。電子ピアノと音は似ていて、そのキーの操作によって操られるぬいぐるみも可愛い。
しかし、ヨハナの弾くキーボードは音楽というには程遠いもので音の無造作な乱立に他ならない。
「私も触っていい」
「ええ、いいわよ」
L字の棒には奏音の持つギターと同じく宝石が埋め込まれており、コレが電池代わりをなしているのだろう。ほのかにヨハナの魔力を奏音は感じた。
キーを押す感覚はやはり、ピアノのあの反発力というより電子ピアノのそれで、抵抗力はあまりない。鈴波の姉がキーボードをしていたがそれも電子ピアノだった。そんなことを思い出しながら、鈴波の好きだった曲を弾いてみる。奏音は小学校まではピアノをしていて中学に上がったときにギターを始めた。だが、鈴波の姉は正真正銘のピアニストで鈴波が頼み込んでバンドに参加して貰っていた。
懐かしさも相まって、夢中になって弾く。傍らで見守るヨハナはその音色に酔いしれた。ラトビットの人形も回ったり、腰を振ったりと生き生きとした動きをする。
「すごいわ、奏音ちゃん。こんな使い方があるなんて、人形が本当に自分で踊ってるみたいだった」
「それじゃあ、ヨハナンもやってみようよ」
思わぬ提案にヨハナは驚く。
「私には無理よ」
「大丈夫だよ。だってコレはヨハナンの奏具なんだから、私にはコレがある」
ルミナスギターを肩にかける奏音。それを見たヨハナはキーの前に静かに立った。そして、今一度大きく息を吸い込みキーを押す。
それを見た奏音は、ヨハナのキーに合わせてギターを弾き始めた。無我夢中で始めこそは険しい表情だったヨハナは、だんだんと頬の強張りが緩み次第に、楽しさで満たされた笑みが溢れ出る。
「ふいー、弾いた弾いた」
「どうだったかな、私のキーは」
「楽しかった。とっても」
「上手だったとは言ってくれないのね」
「えっ、ああ、あはは」
奏音はやはり妥協できない部分もあるため、敢えて上手い下手に触れない言い方をしたが、あっさりとヨハナに見抜かれてしまう。けれどヨハナはとてもいい表情を浮かべて奏音に言う。
「でも、私、とても楽しかった。奏音ちゃん、私もっとあなたと一緒に楽しくなりたい。だから私に教えて、この奏具の上手な使い方」
「もちろん。もっと楽しくなっちゃおう」
二人はベッドに並んで眠った。大きくはないベッドだったがそれほど窮屈だとは思わなかった。
「奏音ちゃん、私ね、ずっと逃げたかったの。ウチからも弟や妹たちからも。お姉ちゃんだからって頑張ったけど。毎日、母さんとお掃除したりお洗濯したり、楽しくなかったわけじゃないけど、いつの日か私は同い年の子たちが楽しそうに魔術学校に通ったり、科学学校に行く姿を目で追ってた自分に気がついて、私は何やってるんだろうって思うよになってからは、毎日自由になることばかり考えてた。そして逃げ出して一人になって、あの森で逃げて来たことを後悔してたら、あなたと出会った。私は奏音ちゃんが羨ましい。会ってまだ一日も経ってないけど私はあなたが眩しく見えるわ」
「信じるか信じないかはヨハナンの好きにしてくれたらいいんだけど、私は一度死んだの」
ヨハナはその言葉に、森でのことを言っているのかと思ったが、なんとなく違うことを言っていると思った。
「友達を傷つけたくなくて見て見ぬふりをして、結局それが友達を傷つけてしまった。それで私はその子と分かり合えないまま死んじゃった。でもね、私は今でもその子のこと大事に思ってる。この想いは本物だから。
ヨハナンも、家族のことは好き。大事に思う気持ちは本物」
ヨハナは少しの間悩んだ。奏音の話は比喩なのかという疑問もあったが、自分の気持ちが本物かどうかなんて考えたことがなかったからだ。確かに家族は大事だ。でも逃げ出してしまいたいと思ったことも本当だった。ならどちらかが偽物の気持ちなのだろうか。
「私は、私の気持ち」
奏音はヨハナをそっと優しく抱きしめる。ヨハナより少し小さい奏音の体は今だけは、ヨハナにとっては何者よりも大きく圧倒的な抱擁力であった。
「よく頑張ったねヨハナン。お姉ちゃんとして立派に頑張って来たもんね。偉い偉い、でも今は家族の人はいないから、少しくらい他人に甘えてもいいんだよ」
「うう、ズルい。ズルいよ奏音ちゃん。なんでそんなに優しいの」
ヨハナは本当の意味を理解した。大事なはずの家族がいつしか重しになったその本当の気持ちは「褒めて欲しかったし、甘えたかったんだ」これがヨハナの本心であり、本音だった。もっとも、家族から両親から褒めて欲しかったけれど、こんなに優しい友達から褒められるのも悪くない。そう思うとやっと本当に自由を得た気分だった。
涙が伝う頬は紅く、奏音を抱く力は強くなる。
「ありがとう、奏音ちゃん」
「ううん、これからよろしくねヨハナン」
泣き疲れたヨハナは眠気に体を預ける。静かな夜を包む優しさがとても温かい。そう思えば、ここまで来た甲斐はあった。帰ったら弟や妹たちを存分と甘えさせてあげられる姉になろうと思うのだった。
帰宅の道中にアヤハから大アルカナ帝国の城塞で歌を披露してほしいとお願いされたが、奏音は今ひとつ乗り気ではなかった。アヤハからのお願いなので断る理由は特にないが、彼女は圧倒的パフォーマンス力不足が否めないと考えていた。
「私一人じゃなあ」
弾いていたギターの手がパタリと止まり、森林を抜ける風が木々を撫でていく。木漏れ日もほどよく差し込み、明るい場所だが一人きりだと奏音は妙に寂しさを感じた。
「音楽が盛んじゃない世界みたいだし、私以外に楽器、持ってる人いないよね」
ギターの下部レバーを、グイと引き内部魔力を放出する。そして側の木に立て掛けて、平たい岩にゴロンと寝転がり、奏音はスゥーとお昼寝を始めた。
既に依頼は達成していて、採取すべきものは揃っている。あとは帰るだけと少し気が緩んでいた。
目を覚ますと、オレンジ色の空が目に映る。
「いけない、早く帰らなくちゃ」
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そう思っていた矢先、奏音の頬に冷たい滴が付着する。
「ひゃあ。・・・なにコレ、ベトベト」
不意に上を見上げる。そこにはこの森独特のツタ状の大木が複雑に絡み合っている。そしてそこを足場にしている。獣が奏音を見下ろしていた。赤い目玉が鋭く薄暗い森に輝いた。
「あははっ、・・・・・こんばんはぁなんて」
「グルルル」
苦笑混じりの微笑みも、獣相手には通用する筈もなく奏音は一目散に逃げ出す。いざとなったら魔術具店のお爺さん、モント爺から選別として貰った宝石剣を使う羽目になるが、短剣の心得などない奏音にとっては無力にも等しい。
「アヤハさんに、剣を習っとけばよかったかな」
息を整えてまた走り出す。しかし一向に魔獣は諦めてくれない、それどころか魔獣は地上に降りて来ていた。
足音がすると思い、チラと振り返るとすぐ後ろには魔獣の口があるではないか。
「ピャャャャャ」
咄嗟に宝石剣を握りしめる。何か簡単な魔術くらい使えるのではと思ったからだ。
「えーと、えーと。何か出ろー」
右手に握った宝石剣の柄にある宝石が光り、奏音の魔力を吸い上げると、宝石剣の刀身から激しい光が森中に広がる。一瞬だったが昼のように明るくなったのちまた薄暗くなる。魔獣は昼に活動はしない。そのため光にほとほと弱いのだが、奏音に迫っていた魔獣は、すっ転んでいるがどうにも諦めた様子はなく、意地でも立ち上がらんとしている。
この隙にと、奏音は走り出そうと再び前を向いた時、誰かに手を引かれて茂みの中に引き摺り込まれる。
「うわあ」
「しぃー。静かに、今気配を消す魔術を使っています」
「・・・・・」
奏音の上に覆いかぶさるように、少女が奏音の口を手で塞ぎ、魔獣を見ている。そして魔獣は鼻をくんくんと動かし辺りを確認し、追っていた獲物がいないと分かると、未練なく森の奥深くに別の獲物を求め走り去っていった。
「ふう、もう話しても大丈夫ですよ」
「・・・・・」
奏音はずっと口を塞がれていたので、気を失ってしまっていた。
「あわわ、ごめんなさい。あー息してない。ごめんなさい、ごめんなさい。すぐに蘇生しますから」
奏音を救った少女は、奇しくも奏音を二度目の死に追いやるところだったが、そうはならなかった。
「ぶはあ、けほっけほっ」
「良かった。生きておられて何よりです」
「あれ、魔獣は」
「それなら、去って行きましたよ」
「そうなんだ。助けてくれてありがとう。よく覚えてないんだけど、なんで私寝てたんだろ」
「それより、早く森を出ないと危ないですよ。さあ、急ぎましょう」
奏音は差し出された手を取って立ち上がり、森を抜けて街まで無事に戻ってくることができた。
紹介所の受付でティベルに採取した品を私、報酬を受け取る。
「お待たせ、この街に来るのは初めてなんだよね」
「はい、私は国の紹介所を離れて、こちらの紹介所を勧められてその申請に」
「へぇー、そうなんだ。なんか色々と大変だね」
「まあ、出稼ぎみたいなものです。私の国ワンドは、小さい国ですが薬草学や魔獣学など勉学が盛んなところではあるのですが、緑豊かな以外は資源が乏しいので、輸入に頼るのです。物価も高く、学費も高い。私には弟や妹が沢山いますから、少しでも家の役に立ちたくて」
「偉いなぁ」
少女は「いえ、長女ですから」と謙遜してみせる。
「そういえば自己紹介がまだでしたね。私は長耳族のヨハナ・パッフェ・ベルです。よろしくお願いします」
「私は五条奏音。よろしくねヨハナン」
小アルカナ連邦ワンド国はヨハナが言う通り、勉学と緑の国だ。長耳族の寿命をもってしても勉学に果てはないと、皆が口を揃えて豪語するほど勉学に力を入れているが、勉学のための資材をほとんど輸入しており、赤字経済待ったなしの国である。しかしながら、この国の財源は高度な魔術と科学技術によって作られる医療薬である。即効性と再生性に富む、万能薬『ゼロ』が代表的な医療薬だ。名前の由来はすぐに効き、痛みは一つもなくなるという意味でゼロということらしい。
「ヨハナン、今日の宿は決まっているの。せっかくだから私の居候してるうちにこない。武器とかも売ってるんだよ」
「でもお邪魔じゃないかしら」
「命の恩人なんだから、おじさんもおばさんもそんな人を無下にはしないと思うよ」
「えっ、えーそうだといいわね」
ヨハナは奏音を誤って殺してしまいそうになったことを思い出して、気まずそうに視線を奏音から外す。
バルミロに帰ってくると、コーデルが店のカウンターで二人を出迎えた。
「友達連れて来ちゃったんですけど、今日泊めてあげてもいいですか」
「ああいいよ。でも部屋はどうするかね」
「私の部屋で一緒に寝ますよ」
ヨハナは少し驚いて、「奏音ちゃんそれは、悪いわ。私は床でも寝れるから大丈夫よ」と耳打ちするが、奏音はヨハナの手を取る。
「ダメだよ。ちゃんとお布団で寝なきゃ、風邪ひいちゃうんだから」
奏音に圧倒され、ヨハナは戸惑いつつも「そうね」と小さく頷いた。そして、ヨハナは奏音の部屋で寝ることに決まった。
夕食の席では、奏音がヨハナに助けて貰ったことを話したり、ヨハナのワンドの国の話などで盛り上がり夜が一層濃くなるころ、お風呂上がりのヨハナは、中庭でギターを弾く奏音を見つけた。
「ふんふんふー」
詩のない曲だったがヨハナは、ギターと向き合う奏音の姿に見惚れていた。夜にぴったりなアンニュイで静かな音の波がゆったりと中庭を漂っている。
「お風呂先にいただいたわ」
「じゃあ、私もお風呂に行こうかな」
「ねえ、その前にひとつ聞いてもいい」
「うん、なあに」
「それって奏具」
思いがけない単語に奏音は歓喜する。
「そうだよ、ヨハナン奏具のこと知ってるの」
「ええ、まあ、その私も奏具持ってるから」
「おおー、コレはもう運命だね。それじゃあ今からセッションしよッ」
ヨハナは興奮する奏音を宥める。
「セッションは、よくわからないけど。まずはお風呂に行かないと」
「ああ、そうだね。お風呂から上がったらヨハナンの奏具も見せてね」
バタバタと奏音は浴室へ向かう。その後ろ姿を見送ると、発散形態のルミナスギターをヨハナはそっと撫でた。
友達というものは馴染みがない。それもそうだ、家族といっても下の子は弟二人を除いて皆血の繋がりがない子たちだった。両親は身寄りのない子を引き取って育てている。その活動は確かに良いことだが、数が増えすぎたというしかない。ヨハナは両親と一緒に音や妹たちの面倒を見て来たが、自分自身はそこまで立派になれないと、出稼ぎ役を自ら引き受けて逃げて来たようなものだった。
「ごめんなさい、お父さん、お母さん。私はそこまで立派にはなれません」
一人吐露する彼女は、屈託のない笑みを浮かべる奏音が羨ましいと思った。だが、そんなことを奏音に言ったところで、迷惑であることは確かだと、分かってはいたが思わずにはいられなかった。
「はあ、今日もいいお湯だった」
奏音が中庭に戻ってくる。しっとりとした黒髪が石鹸の香りを纏っている。
「どうしたの、なんか元気ないみたい」
「大丈夫よ、今日はいろんなことが一度にあったから疲れちゃったのかも」
ヨハナはそう言いながらも、奏具を取り出して奏音に見せる。それはL字の棒だった。ヨハナはこのL字の棒を二つ宙に浮かせると、ラトビットのぬいぐるみをヴィクトルの使っている切り株の台座に置く。
「コレはね、この装置を対極に設置して、魔力で表示されたキーを押して、人形を操作する奏具なの。お母さんのお母さんが持ってたものなんだけど、お母さんは使えないから捨てようとしてたのを私が貰ったの」
奏音はそれを見て目を輝かせた。まさしくそれはキーボードといって差し支えなかった。電子ピアノと音は似ていて、そのキーの操作によって操られるぬいぐるみも可愛い。
しかし、ヨハナの弾くキーボードは音楽というには程遠いもので音の無造作な乱立に他ならない。
「私も触っていい」
「ええ、いいわよ」
L字の棒には奏音の持つギターと同じく宝石が埋め込まれており、コレが電池代わりをなしているのだろう。ほのかにヨハナの魔力を奏音は感じた。
キーを押す感覚はやはり、ピアノのあの反発力というより電子ピアノのそれで、抵抗力はあまりない。鈴波の姉がキーボードをしていたがそれも電子ピアノだった。そんなことを思い出しながら、鈴波の好きだった曲を弾いてみる。奏音は小学校まではピアノをしていて中学に上がったときにギターを始めた。だが、鈴波の姉は正真正銘のピアニストで鈴波が頼み込んでバンドに参加して貰っていた。
懐かしさも相まって、夢中になって弾く。傍らで見守るヨハナはその音色に酔いしれた。ラトビットの人形も回ったり、腰を振ったりと生き生きとした動きをする。
「すごいわ、奏音ちゃん。こんな使い方があるなんて、人形が本当に自分で踊ってるみたいだった」
「それじゃあ、ヨハナンもやってみようよ」
思わぬ提案にヨハナは驚く。
「私には無理よ」
「大丈夫だよ。だってコレはヨハナンの奏具なんだから、私にはコレがある」
ルミナスギターを肩にかける奏音。それを見たヨハナはキーの前に静かに立った。そして、今一度大きく息を吸い込みキーを押す。
それを見た奏音は、ヨハナのキーに合わせてギターを弾き始めた。無我夢中で始めこそは険しい表情だったヨハナは、だんだんと頬の強張りが緩み次第に、楽しさで満たされた笑みが溢れ出る。
「ふいー、弾いた弾いた」
「どうだったかな、私のキーは」
「楽しかった。とっても」
「上手だったとは言ってくれないのね」
「えっ、ああ、あはは」
奏音はやはり妥協できない部分もあるため、敢えて上手い下手に触れない言い方をしたが、あっさりとヨハナに見抜かれてしまう。けれどヨハナはとてもいい表情を浮かべて奏音に言う。
「でも、私、とても楽しかった。奏音ちゃん、私もっとあなたと一緒に楽しくなりたい。だから私に教えて、この奏具の上手な使い方」
「もちろん。もっと楽しくなっちゃおう」
二人はベッドに並んで眠った。大きくはないベッドだったがそれほど窮屈だとは思わなかった。
「奏音ちゃん、私ね、ずっと逃げたかったの。ウチからも弟や妹たちからも。お姉ちゃんだからって頑張ったけど。毎日、母さんとお掃除したりお洗濯したり、楽しくなかったわけじゃないけど、いつの日か私は同い年の子たちが楽しそうに魔術学校に通ったり、科学学校に行く姿を目で追ってた自分に気がついて、私は何やってるんだろうって思うよになってからは、毎日自由になることばかり考えてた。そして逃げ出して一人になって、あの森で逃げて来たことを後悔してたら、あなたと出会った。私は奏音ちゃんが羨ましい。会ってまだ一日も経ってないけど私はあなたが眩しく見えるわ」
「信じるか信じないかはヨハナンの好きにしてくれたらいいんだけど、私は一度死んだの」
ヨハナはその言葉に、森でのことを言っているのかと思ったが、なんとなく違うことを言っていると思った。
「友達を傷つけたくなくて見て見ぬふりをして、結局それが友達を傷つけてしまった。それで私はその子と分かり合えないまま死んじゃった。でもね、私は今でもその子のこと大事に思ってる。この想いは本物だから。
ヨハナンも、家族のことは好き。大事に思う気持ちは本物」
ヨハナは少しの間悩んだ。奏音の話は比喩なのかという疑問もあったが、自分の気持ちが本物かどうかなんて考えたことがなかったからだ。確かに家族は大事だ。でも逃げ出してしまいたいと思ったことも本当だった。ならどちらかが偽物の気持ちなのだろうか。
「私は、私の気持ち」
奏音はヨハナをそっと優しく抱きしめる。ヨハナより少し小さい奏音の体は今だけは、ヨハナにとっては何者よりも大きく圧倒的な抱擁力であった。
「よく頑張ったねヨハナン。お姉ちゃんとして立派に頑張って来たもんね。偉い偉い、でも今は家族の人はいないから、少しくらい他人に甘えてもいいんだよ」
「うう、ズルい。ズルいよ奏音ちゃん。なんでそんなに優しいの」
ヨハナは本当の意味を理解した。大事なはずの家族がいつしか重しになったその本当の気持ちは「褒めて欲しかったし、甘えたかったんだ」これがヨハナの本心であり、本音だった。もっとも、家族から両親から褒めて欲しかったけれど、こんなに優しい友達から褒められるのも悪くない。そう思うとやっと本当に自由を得た気分だった。
涙が伝う頬は紅く、奏音を抱く力は強くなる。
「ありがとう、奏音ちゃん」
「ううん、これからよろしくねヨハナン」
泣き疲れたヨハナは眠気に体を預ける。静かな夜を包む優しさがとても温かい。そう思えば、ここまで来た甲斐はあった。帰ったら弟や妹たちを存分と甘えさせてあげられる姉になろうと思うのだった。
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