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125 ナツミとネロ その4

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「元々出身が違うから水と油みたいな関係だったんだが。最近は特につまらん言い合いをする様になってな。それぞれ不満でも溜まっているのだろうと思うが、分かりかねていてな。特にリンダがあの調子でな」
 側にいた店主のゴッツさんまでもぼそりと呟いていた。削がれた右耳を右手で撫でながら呟く。側にいるゴッツさんの呟きまでもが聞き取りにくくなる程女性達が罵り合っていた。

「なるほどなるほど。リンダさんが少し上の空の様に見えますね。それにしても、踊り子同士の罵り合いは『ジルの店』では見ない光景ですね、ナツミさん?」
 ネロさんが腕を組んで薄笑いを浮かべて見つめていた。

 何故私に話を振るのだろう。それに意味深なネロさんの笑いが気になった。

「集団になってるから凄い事になっているよね」
 ぼそりと私が呟くとソルが心底分からないと首を左右に振った。
「女って意味不明」
「私も女だけどソルに同意するよ」
 私も溜め息をついた。
 
 この結着がどうつくのか二つの集団を見つめていると、トニが無言でリンダを見つめている事に気がついた。
 そのリンダはトニが見つめている事にも気がつかず俯いている。俯いた視線の先にあったのは、銀のトレイに一つ残されたおにぎりだった。

 それにリンダはお腹の辺りを押さえている。顔色も少し悪い。なのにおにぎりを見てゴクンと生唾を飲んでいた。

 もしかして……おにぎりを食べたい?
 
 私は言い合いをする集団の間を割って入りリンダと正面から向き合った。

 私が突然割り込んだ事で、今まで罵り合っていた集団がピタリと静かになる。

 真っすぐ私が見つめるとリンダが慌てて顔を上げて細い眉を上げて睨む。

「何よ」
 相変わらずリンダはお腹を押さえている。
「もしかしてリンダはダイエット中?」
 私が尋ねるとリンダは片方の眉を上げて首をかしげた。
「だいえっとって何よ?」
「体重を減らす為に食事制限をしているのかなって」
「!」
 リンダは驚いて目を見開いた。
 図星だった様だ。それから意を決した様に口を開いたが、それより先にリンダの取り巻きが怒り出した。

「馬鹿じゃないの。どうしてリンダが体重を減らす必要があるのよ」
「そうよ胸とお尻の大きいだけのファルの町の女じゃあるまいし。体つきを見なさいよこんなに美しいのに」

「えー」
 凄い攻撃と言うか口撃だ。私は思わず仰け反る。
 しかし、当の本人であるリンダはその取り巻きの声を聞いて口を真一文字に閉じてしまった。

 これはよくない。この取り巻き達の言葉が余計本人を追いつめているのではないのだろうか。

 そう思って改めて声を発しようとした時だった。私の後ろでトニが声を上げた。

「ナツミの言う通りよリンダ。最近まともに食事をしていないでしょ? 今朝も食堂で食事をほとんど手につけなかったわよね」
 トニは静かに尋ねる。そう言いながらトニは私の隣に並ぶ。
「そ、それは……」
 リンダは急にしどろもどろになって俯く。それなのにリンダの取り巻き一人が再び余計な声を上げる。

「だって今日はファルの町出身が作った朝食だったのよ。そんなのリンダが好んで食べるわけないでしょ」
 酷い言葉を吐き捨てる様に言った。

 少なくとも店主であるゴッツさんもファルの町出身者と思うのに。全く何も考えずに発言している事が分かる。

「……」
 一度何か話そうと開きかけたリンダの口が再び閉じられてしまう。

 その様子を見て私は吐き捨てる様に言った取り巻きの腕を掴んで顔を近づけた。私の顔を見た取り巻きが驚いて小さな悲鳴を上げた。

「トニはあなたに質問をしていないよ。お願いだから今は黙っていて」
 私は出来るだけ感情を込めずに話す。取り巻きの瞳に私の顔が映っているのが見えた。すると一つ息を呑んでから小さく呟いた。

「わ、分かったわよ」
 その様子を見た他の取り巻きも口を閉じた。そんな私の肩に軽く手を置いたトニはありがとうと呟いた。

 そしてトニはリンダの前に来て真っすぐリンダを見つめながら尋ねる。しかしリンダは真っすぐトニを見ようとしなかった。
「リンダは最近食事の量を極端に減らして、踊りの練習を増やしているみたいね」
「そうだけどそれが何か?」
「もしかして踊りの事で悩んでいたりするの?」
「悩み……」
 そう尋ねられてリンダは口籠もるが、周りの取り巻きを見つめてからハッと我に返る。
「トニに話す様な悩みなんてある分けないでしょ」
「……そう」
 トニが寂しそうに答えると、リンダの取り巻きはそれ見た事かと安堵の溜め息をついた。

 トニはおそらくリンダの悩みに気がついている。話してくれるのを待っているのだろう。しかしリンダは固く口を閉ざしたままだ。それは取り巻きのリーダーとして言えないのかもしれない。

 それならば──

「ねぇリンダ」
 私が声を上げると周りの皆が注目をした。
 
「もしかして踊りに影響があるぐらい体が重いと感じるの? だから無理に体重を落とそうとしてるのかな」
「!」
 リンダがヒュッと息を呑んだのが聞こえた。

 そして後ろの方でソルやエッバ、ネロにゴッツさんが息を呑んだのも聞こえた。

 しかしリンダの取り巻き達はそれに気がつかない。途端に弾けた様に笑い私を指差した。
「馬鹿じゃないのあんた。何度も言うけれどもこのリンダの体つきを見てよ。体重を気にする必要あると思うの」
「チビだし平坦な体でしかないあんたには分かんないわよね」

「分かるよ。チビで平坦な体つきの私だけど水泳選手として体脂肪や体重の調整で苦しんだ事もあるから。失敗すると体調は崩れるし体は重くなるし。とても辛いんだよ」
 私が静かに言い放っても、取り巻き達はまだ笑っていた。

「すいえいせんしゆ? 何よそれ。どこの国の出身なのか分からない人間に言われてもね──」
 そのあざ笑いを聞いて私は何かが切れた。そして、リンダを指差し腹の底から声を張った。

「私がどこの出身だろうとそんな事はどうでもいい!」

 私の大声に取り巻き達は驚いて固まる。
 
「あなた達はリンダの側にいたのに何を見ていたの?! 一緒にいるならどうしてもっとリンダの話を聞いてあげないの!?」
 私の突然の剣幕に、リンダの取り巻き達が言葉を失う。

「リンダ、皆が言う様にあなたはとても綺麗だよ。だから心配しないで。だからといって無理して食べないのはよくないよ」
 そう言って私は銀のトレイに残った最後のおにぎりをリンダの目の前に差し出した。

 リンダはゴクンと唾を飲み込んでおにぎりを見つめている。そのリンダの肩をポンと優しく抱いたのはトニだった。リンダはトニを見つめると唇を震わせた。
 そんなリンダの顔を覗き込んでトニが笑った。

「リンダ、分かるわよ。私の踊りはリンダの踊りと違う踊りだけれども。少しでも太ると体が重いと感じるものね」
 トニの声を聞いてリンダが溜め息を一つついた。そして掠れた声で呟く。

「私、踊る時の跳躍の高さが無くなってきて。それで、体重を量ったら凄く増えていて」
 そう言うとリンダは涙をポロポロと溢した。我慢出来ず肩を震わせて口元を押さえる。

「リンダ」
 トニがリンダの背中をあやす様に叩いた。リンダは決壊した涙が止まらなくなり嗚咽を漏らしながら話しはじめた。

「このままどんどん太っていったらどうしようって。私を売り飛ばしたろくでなしの親も太ってたし……もしかしてこのまま私は大嫌いな親と同じ様にどんどん太ってしまうのかと思うと」
 そう言ってトニの肩口に顔を埋めて大声で泣きはじめた。そのリンダ姿に取り巻きが呆然としていた。

「北の国の女は若い時は細身だが、ある程度年齢がくると急にふくよかかになる場合が多いからな。北の国がファルの町と比べて気候が寒いせいもあるのだろうが。痩せていると寒さに対して体力が持たないからな」
 ゴッツさんが呟いたがトニとリンダが抱きしめ合うのを見つめて溜め息をついた。
 それは安堵の溜め息だった。

「そうなんですね……ん?」
 となるとマリンも太ってしまうのかな? 思わず北の国出身のマリンを思い出した。

「マリンさんは大丈夫ですよ。彼女の運動量は他の踊り子の非じゃありませんからね。それにノアを毎晩相手にするんですよ。そりゃぁもう毎晩の運動量だけでも凄いでしょ?」
 ぼそりとネロさんが呟いたが最後は嫌らしく笑っていた。何でマリンの事を考えていると分かったのだろう。しかも最後の話はかなり蛇足だ。
 
「だから、ネロさんは魔法で私の心を読まないでくださいよ」
 私はネロさんに向かって口を尖らせた。

「心を読むなんてそんな魔法はないと言ったでしょ? しかしナツミさんのぴしゃりと言い放った言葉は格好良かったですねぇ。ジーン」
 ネロさんは自分の左胸に両手を重ねて口で音つけて感動してみせる。

 ネロさんって本当にわざとらしいのだから。実はこれっぽっちも感動していないのでは? と思う。

 そんな私のやり取りの横でエッバが銀のトレイを少し泣き止んできたリンダに再び差し出した。
 
「折角ナツミが持ってきたんだからさ、おにぎりを食べてみたら? いつか私の店で悪態をついたみたいな真似しないで食べなよね」
 最後の言葉がどうしても言いたかったみたいだ。エッバもしつこい性格だが、明るく笑っていた。

「悪かったわよ。味付けが濃いのに全く太らないファルの女に嫉妬しただけよ。根に持たないで」
 そう言って涙を指でふきながらリンダはおにぎりを手に取った。

「それを食べたら僕も医療魔法でリンダの体調を診てみましょう。そして調子が悪かったら今回特別に整える様に処置をしましょう。ね?」
 ネロさんがわざと両腕を巻くって見せた。銀縁フレームの向こうで優しそうに瞳が弧を描いた。

 ネロさんは軍専用の医療魔法を使える人間だ。最高の診察を受けられるに違いない……変態だけれども。

 その姿を見てリンダが目を丸めて再び口を震わせる。散々悪態をついたのに皆が助けてくれるから感激したのだろう。

「だから食べようね」
 私が笑うとリンダがおにぎりを見つめてから小さく頷いた。

 いがみ合っていたトニとリンダの取り巻きもすっかり憑きものが落ちた様になっていた。
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