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104 死病と温泉

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「同族ってやつだな。ザック」
 笑いをこらえていたのはノアだった。餃子の様に弧を描いた瞳だけ晒して片手で口を覆う。整った顔が台無しだった。
 
「同族って、そんな訳ないだろ。俺がソルの立場なら──はっ」
 言葉を続け様としたが思わず飲み込んでしまう。

 俺がとろうとする行動をソルにとられたら──

 最悪だっ!
 想像した事はエロ過ぎて口に出来ない。

 思わず仰向けに倒れたソルが恐ろしくなった。

「ソルは男としてザックと同族だ。想像するソルの行動がこれからナツミに向かって行かない様に気をつけろよ、油断するとソルとナツミが──って事もあったりしてな。
 とても楽しそうにノアがザックの肩をバシバシ叩いていた。
 ザックの呼び名までもがソルの真似だった。

「クッ……ノアだってあんまり俺と変わらない癖に。しかし、そんな事になったら!!」
 ザックが私の肩を抱きながら、何か思いついたのかブルブル震えていた。

「そ、そんな事って、そんな訳ないでしょ」
「いや、もし俺だったら──」
 私を見つめると、ザックは言葉を飲み込む。

 おそらく自分の欲望の赴くまま女性に向かって行くのだろう。

「ソルは俺の敵になるかもしれないから。今のうちに縛って海に沈めるか……」
「ええっ」
 ザックの物騒な言葉に私は目を丸めてしまった。
 
「ボケた事を言ってないでよザック。ソルが目覚めたら明日から路地で井戸端会議をせずトニと一緒に時間泊の部屋に来る様に伝えて。そこで二人に昼食を無料で提供するから裏町の情報やゴッツからの情報を毎日報告する様に伝えて」
 ジルさんは、ポコンとザックの頭を叩いた。

「イテッ! 分かったよ」
 ザックが叩かれた頭を撫でた後、手を上げて肩をすくめる。

「さて。今日の事はカイ大隊長とレオ大隊長の二人に伝えておくから、後はお願いね。あんた達も夜の仕事があるんだから早く準備してよね。ウツの相手はネロに任せるわ。それじゃぁ先に行くわ」
 ジルさんは早口でそう告げるとヒールで床を叩く様に歩きながら部屋を後にした。

「俺も準備をするか。シン、ミラ、手伝ってくれ」
 テーブルの上に並んだグラスをトレイに乗せると、シンとミラを引き連れてダンさんが部屋を後にした。

 部屋には私とザック。ウツさん、ネロさん、ノア、マリンと意識を失っているがソルが残された。

「えー? ネロが俺の相手をするの。男は嫌だなぁ~マリンかナツミでお願いしたい」
 テーブルの上にうつ伏せになって足をジタバタさせるのはウツさんだった。
 そのひと言にノアとザックが噛みつく様にテーブルの上に身を乗り出す。

「冗談じゃない! ウツの相手をマリンにさせられるかっ」
「そうだそうだ。ウツはどさくさ紛れにおかしな薬を飲まそうとするだろ」

 私は思わずマリンと顔を見合わせる。

「ノアもザックも、誤解を招く様な事言うなよ。マリンとナツミが目を丸めているじゃないか。俺は四十半ばのおじさんだよ。そんなおじさんに若い女性がなびく訳ないだろ? まぁ、俺のあふれ出る色気にメロメロになるかもしれないけれども」
 ウツさんは顔を上げた。
「「そういう心配をしてるんじゃない!」」
 ザックとノアが声を揃える。

「全くノアもザックも裏町時代、金がない頃から俺がお世話したってのに薄情だねぇ。その時も、女の取り持ちだけじゃなくって、怪我やら薬やら手当やら媚薬やらさ。ね? マリンもナツミも聞きたいでしょ? こいつらの裏町時代の俺しか知らない話」
「バッ、馬鹿!」
「それ以上話すなよっ!」
「モガッ」
 とうとうノアとザックが立ち上がって二人がウツさんを取り押さえる。ザックは口元をノアは両腕を拘束する。

「今さぁ。薬とか媚薬とか言ったよね。どっちも同じ意味だと思うけれども」
「言ったわねぇ。しかも『女の取り持ちだけじゃなく』って、何をしていたのだか」
 私とマリンは二人で呟きながら溜め息をついた。

 もしかすると体を売っていた様な話もあったので、何かその手の斡旋の事なのかもしれないが、裏町の闇を覗く様なので話を聞くのもためらってしまう。

「クッ、苦しいっ。おい、ネロ。お前も何か言ってくれよ。ってネロ?」
 腰まであるサラサラの美しい金髪を揺らしながら抵抗するウツさんが、ネロさんに助けを求める。
 しかし、気がつくとネロさんが口元を押さえたまま考えこんでいる。

 確か先程ソルの意識があった時は話に普通に混ざっていたはずだが。

 気がつくと、考える人の如く固まっていた。銀縁眼鏡の向こう側ブルーの瞳が瞬きもせずテーブルを見つめて動かない。

 その異様な様子にノアもザックもウツさんも動きを止めネロさんに注目する。

「ネロさん?」
 恐る恐る声をかけると、ネロさんが初めて気がついた様に私に視線を移した。
「はい、ナツミさん何ですか?」
 今まで考えこんでいた事に気がついていない様子に首を傾げる。
「何ですか? じゃぁないだろ。考えこんで固まってさ。瞬きぐらいしろよネロの悪い癖だぞ。考えこむと動かなくなるのは」
 ノアがウツさんを押さえていた手を離して両手を腰に添える。

「ははは悪かったよ。僕は『一流の変態』ですから考えこみ方も磨きがかかっていて」
「もう、もう! どうしてそこに話を戻すんですかっ」

 ネロさんは『一流の変態』をどうしても定着させたいのか事あるごとに口にする。私としては覗かれていた事が頭によぎるので止めて欲しい。恥ずかしくっていたたまれなくなってしまう。

「済みません。僕も悩みと言うか壁にぶち当たっておりましてね。壁にぶち当たった時はこう、考えをまとめる為に静かになると言うか何と言うか」
 と言って、再び考えこんで動かなくなってしまった。瞬きもせずジッとテーブルを見つめたまま顎に手を添えて考える人になってしまった。

「あーあ。数時間はこのままだな。自分の部屋でやってくれたら良いんだが、突然考えこんでしまうからなぁ。子どもの頃からこうなんだ。ネロってさ」
 家族であるノアはこのネロさんのこの行動について思い当たるのか溜め息をついた。溜め息をつくが、ネロさんを見る目はとても温かい。

「まぁ仕方ないよ。俺も相談を受けたけどちょっと難易度高い事に挑戦しているからね。俺もいい助言が出来ればと思うんだが、思い当たる事がないと言うか」
 ウツさんが溜め息をついて片手をついた。

「温泉薬の話か?」
 ザックがウツさんに振り返り呟いた。
「何だ? 温泉薬って」
 ノアも首を傾げた。
 私とマリンも思わず顔を見合わせて首を傾げる。

 何だろう温泉薬って……

「ああ、温泉薬って言うのはね」
 ウツさんがネロさんを見つめながら説明をはじめた。



「じゃぁ、ネロさんはその死病を直す薬を研究・開発しているんですね」

 私は初めてネロさんの真面目な一面を知り驚いてしまった。

 ネロさんは、ノアのお母さんが亡くなった原因の病気。
 死病を治す薬を開発したくて研究をしているがうまくいかないらしい。

 あのノアの別荘の裏にある温泉に入るとノアのお母さんの調子は良くなったそうだ。
 それをヒントに昔からあの温泉と同じ効力のあるお湯を、何処でも再現できる入浴剤の様なものを作ろうとしているそうだ。
 最近は近いものを作れる様になったそうなのだが、効果があるものは出来ないそうだ。

「そんな事を考えていたのか……」
 ノアが兄弟ながらネロの開発の事を知らなかったのか驚きの声を上げた。そして、相変わらず考えこんでいるネロさんを見つめる。

「確か水泳教室をした別荘の溜め池ってネロが裏の温泉を引く為に作ったんだろ? その頃から死病に苦しむ人間を助けたいと思っていたのかもな」
 ザックがノアの肩を叩きながら軽く揺さぶった。

「そうだったの」
  私は驚いてザックを見上げる。ザックは頷いて私を見つめた。
 
「馬鹿なやつだな。いつも一人突っ走ってさ」
 ノアはうつむて低い声を上げた。

 一流の変態なんて酷い事を言ってしまったな。
 実は人を助ける為にネロさんも必死だったんだ。

 私も改めてネロさんを見つめる。

「死病って確かに怖いわよね。知らないうちに病気にかかっていて。最初は風邪なのかと思う咳が出て。ゆっくりと体を侵食していくのよね。そのうちに階段を上るのも辛くなって、ベッドから起き上がるのも辛くなって、最期は話をするのも辛くなるのよね」
「そうなんだ。マリンも死病について詳しいんだね」
 私は説明してくれるマリンに目を丸める。マリンは悲しそうに笑うと短くなった髪の毛を揺らした。
「うん。私の両親も死病だったの」
「そうだったんだ……」
「うん。死病はうつる事はないとされているけれども、色々分かってない事が多くて怖い病気なの」
 マリンが溜め息をつきながら私の肩をそっと撫でてくれた。
 
「伝染病ではないとされているが、もしかすると感染方法が特殊なだけのかもしれないし。死病が原因で遠い南の国が滅んだんだよね」
 ウツさんがポツリと呟く。

「国が滅んだんですか?」
 私は驚いて声を上げてしまった。

「そうなんだよ。現実問題、原因が分からない病気にファルの町が襲われたらひとたまりもないし。現にノアの母親やマリンの両親の様に『ファルの町』付近で病気になって亡くなっている訳だから、可能性はあるよね」
 ウツさんもお手上げといった様子で手を上げる。

「ネロが言うには、あの温泉は昔森に住んでいた魔術師が病気を治す為の実験をした名残なんだとか。本当かどうかは分からないけど、ネロは何か確信を持っているみたいだな」
 ザックが改めてウツさんの隣に座り直す。

 そういえばその説明は温泉に入る時にザックが道すがら話してくれたっけ。
 確かに温泉は薬品が入っている様な色をしていた。水色でパールがかっているし、温めで私の知っている温泉とは異なるものだった。
 入ると気泡が体にまとわりついて傷や汚れを取ってくれる不思議な感じだった。

「それでザックに温泉のお湯を持ち帰る様に言っていたのか。俺だと馬鹿にしてしまうからな『ネロあんな言い伝えを信じているのか? 俺は単なる物語としての魔術師かと思ったが』ってな」
 ノアは考える人ネロを見つめながら呟いた。

「ノアあながち伝説の魔術師も嘘じゃないかもよ。色んな歴史の書物に記述が残っているしね。人々の命を救ったと。その中に例の温泉も出てくるんだ。しかし──あの温い様な、とてもお湯とは言い難いキラキラと不思議な色をした温泉が入るだけで死病を救うのかねぇ」
 ウツさんが軽く笑いながら首を傾げた。その発言にうーんと皆が考えこんでしまった。

 その時私は思わず呟いてしまった。

「そもそも温泉って火山の近くに出来る事が多いよね? まぁ、そうじゃない場合もあるけど」
 顔を上げるとノア、マリンが同時に首を傾げた。
「「カザン?」」
「え? 知らないの?」
 今度は私が驚いた。

 するとザックが補足をしてくれた。
「北の国やその下に位置している『ファルの町』では火山はないんだ」
「そうだな。滅んだ国がある南の方には……火山は多いんだがこっちではあまり一般的ではないな。ナツミのいた東の国では多いのかな?」
「そうですね……」
 東の国……っていう事にしておこう。
 ウツさんに説明すると大変な事になりそうだし。

「俺とウツは南の方の出身なんだ。金髪で緑の瞳を持つ人種は南に多くてな」
 ザックが意外な事を話し始めた。

「え?! そうなの。ファルの町の出身かと思っていたのに」
 私は驚いて顔を上げた。ザックは軽く笑って説明してくれた。
「生まれた時は南の方にいたんだがな。『ファルの町』が流れ者を受け入れやすい町だからな。色んな人種が集まっているだろ? 赤い髪で浅黒い肌の人種はファルの町出身さ。そこに寝っ転がっているソルがそうだな。ノアやマリンの様な白い肌にプラチナブロンドは北の出身さ」
「そうなんだ……気にしてなかったから考えた事もなかった」
 そもそもここは異世界なのだから、肌の色や髪の色なんて考えた事もなかった。

「へぇ……ナツミの良いところだね。女はたいてい色男以外は、北の国出身いわゆる貴族肌の男達に擦り寄りがちだけどね。いい女を見つけたねザック?」
 ウツさんが私の顔をマジマジと見つめる。
「そうだろ~」
 ザックが嬉しそうに胸を張っていた。

 その二人の姿を見つめながら複雑な気持ちになった。
 そうか。この世界も差別的な事があるのだろう。男尊女卑で十分だけれども複雑なのだなぁ。

「と、とにかく火山も近くにないし、地熱を利用した割りには随分と温いお湯だなって思っていたんだけどね」
 私は話を戻す。

「カザンっていうのね。知らなかったわ。湧き出ている水が温かいだけだと思っていたわ。だから温かい泉で温泉ってね」
 マリンが感心していた。
「それはそうなんだけど。それにしても、あそこまで不自然な色がついたお湯って自然にはないと思うんだけど──」

 日本の温泉でも番茶みたいな色や白く濁った色はあるし。ここは異世界だから不思議なお湯位に思っていたけれど。

 私は一つの考えを述べる。

「──だから、温泉だとは思わなかったよ。なのにザックがさっさと服を脱いで入り出すから、あの時は驚いちゃってさぁ」
 私は軽く笑って話した。

 その時、突然固まっていたネロさんが動いた。

 本当に突然で、私の両腕を掴んで椅子から引きあげる様に立たせる。

 私は何が起こったのか分からず驚いて目の前のネロさんの顔を見つめる。
 ネロさんは大きく瞳を見開いて私の顔を覗き込む。

「ネロ!」
 その様子に慌てたザックが立ち上がる。

「今……何って言った?」
 いつもおどけているネロさんなのに、声が驚くほど低かった。

「え?」
 私は突然の事で目を丸める。

「だから。今、何って言った?!」
 鬼気迫る勢いのネロさんに私は目を丸めるばかりだ。

「あの、その、温泉だとは思わなかった。って言いました……」
 何かいけない事を言っただろうか。
 私の小さな声にネロさんは大声で応える。

「それだー! 温泉じゃないんだ!」
 私は驚いて仰け反る。そしてネロさんは私を放り出す様に腕を放す。
 私は勢いよく椅子に倒れ込んで、しこたまお尻を打った。
「痛ッ!」
「大丈夫かナツミ。おい! ネロ乱暴に」
 ザックが慌てて私に歩み寄って近くで片膝をついてくれた。ネロさんに文句を言おうとしたところネロさんは今度ザックの肩を力一杯掴んだ。

「イテェ、ネロ掴むな肩に爪が食い込むだろうがっ」
 今度はザックが悲鳴を上げた。

「そうか。ナツミさんの言う通りは温泉として創られた泉ではないんだ。ああ……どうして気がつかなかったのだろう。風呂に入る記述なんてどの伝記や歴史書にも記載はなかったのに。それを考えると、元々あの温泉は単なる魔法で作り出したもので、あれ自体が薬なんだ! 水と同じ様に飲むのが目的だったんだ」

 興奮気味に話すネロさんにウツさんも驚いて顔を上げる。

「言われてみれば。時が流れて『ファルの町』の住人がを風呂代わりに使う様になって、そうかそうか。はははっ、思い込みって怖いなあ」

 ウツさんがパチンと指を弾いてネロさんを指差す。
 どうやら何か思いついた魔法使い二人の様だ。
 
「お手柄ですよナツミさん。盲点ですよ。風呂から離れて考えるべきだったんだ。ああ……これで突破口が開けそうです。こうしてはいられない。温泉薬とか入浴剤なんて作っている場合ではないです。あの温泉の湯を元に飲み薬を開発しなくては。行きましょうウツさん」
 ネロさんは早口で話すと早速ウツさんの首根っこを持って引きずり部屋を出て行く。

「え。俺? 何でだよ明日で良いだろ、ネロ。俺は今晩久しぶりに来た『ジルの店』で飲み食いして女の子とくんずほぐれつ、したいのにっ」
「馬鹿な事言わないでください。すぐに取りかからないと考えがまとまらないでしょう」
「馬鹿はお前だネロ。えぇ~お前こんなに力があるのか。腰が治って別人過ぎるぞ。おい、ネロ話を聞けって、おい、はーなーせー!」
 ウツさんの叫び声がだんだん小さくなっていった。

 パタンとドアが閉まり、嵐の様な二人が去って行った。そのドアを見つめてポツリとザックが呟いた。

「ナツミのひと言で沢山の命が救われるかもな。ネロのやつ、今まで誰も出来なかった死病を治す薬を作り出すんじゃないか?」

「え? 私は「温泉だと思わなかった」と言っただけなのに」
 とんでもない。凄いのはネロさんで私ではない。
 
「でも、そのナツミのひと言がなければきっとネロさんはこの部屋でいまだに固まったままだったわよ。ねぇ? ノア」
 マリンも笑いながらノアを振り返る。

「そうだな……」

 ノアはネロが死病の薬を作っていた事を初めて知り少し感動した様子だった。
 しかし照れ隠しなのかネロとウツさんが消えていったドアを見つめながら頬を少し染めて呟いた。

「でも……俺の兄貴は、やっぱり一流の変態だと思うけど。な? ナツミ」

「もう。それは言わないでいいから!」

 私が頭を抱えるとノアとザックとマリンは笑ってくれた。   
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