酒涙雨で終わりにしようか？君の心臓を天に捧ぐから。

記憶に残る愛おしい人

見た目も恐ろしく醜いナチャ。見るものが、息を呑む顔のない騎士。ハワード。この姿が、呪いによるものだとすれば、その呪いは、いつからなのか。魔猫には、全て、わかっていた。ナチャやハワードに起こった悲劇を。だが、それ以上に、自分には、果たさなくてはいけない、復讐があった。砂の粒ほどの遠い昔に、キリアスを信じ命を絶った主人の無念を、どうしても晴らしたかった。時間をかけて、石の棺で、目を覚まし、この瞬間を待っていた。キリアスを苦しめる為には、どうしたらいいのか。この醜い化け物が、キリアスの弱点になるとは、誰も、思わなかった。それは、当のナチャでさえも、信じられない事だった。
「待って！」
ナチャは、信じられないと言う顔をした。
「どうして、犀花が、悲しむの？僕は、ただの使い魔」
「本当に、何も、覚えていないのだな」
魔猫の鋭い牙は、ナチャの短い喉元に突き刺さろうとしていた。
「死すれば、わかる」
ナチャは、長い足で、魔猫の攻撃を代す。
「理由が、わからないのに、殺される訳にはいかない」
魔猫の動きは、俊敏で、ナチャは、代わすのが、精一杯である。蜘蛛の糸を吐いて、魔猫を捕らえようとするが、鋭い爪が、それらを切り裂く。
「僕が、直接、何かをした訳ではないの？」
「お前が死ねば、キリアスが悲しむ」
「僕が？」
ナチャは、不思議そうな顔をした。
「僕が、大事なの？」
「そうだ。キリアスは、お前を大事にしていた。最も、その時は、キリアスなんて名前ではなかったが」
「キリアスでない名前？」
「シャイルニア・・・。シャルと呼んでいた様だな」
「シャル。が、僕を一番大事って」
言い終わらないうちに、魔猫の鋭い牙が、ナチャの喉元に突き刺さる。ナチャは、口元から空気の漏れる変な声を上げると、体を仰け反らせて、小刻みに震え始めた。
「！」
泣いているかの様な様子に、魔猫は、喉元に深く差し込んだ牙を抜き取った。ナチャの体は、細かく震え、そう坊からは溢れる程の涙がこぼれ落ちていた。
「あぁ・・・シャルか・・・。思い出したよ」
ナチャの体は、薄い紫の煙に包まれ、頭の先から足の先まで、砂の様に、細かく、崩れ始めていた。
「お前は？」
魔猫は、目の前で、起きている事に、目を見張った。ナチャが、キリアスの前身の大事な人だった事は、主人からは、聞かされていた。が、化け物の容貌から、姿を変えていこうとする、ナチャの姿は、今までの、姿とは、全く異なり、一人の細身の男性へと変わっていったのだ。
「一体、誰？」
紫に包まれた煙から姿を現したナチャは、元の姿に戻って、すぐ、口を開いた。
「ありがとう。僕が、1番大事だって。それを誰かに言って欲しかった」
額にかかる前髪を、右手で払い上げた。整った顔には、青い瞳が輝いている。
「その言葉が、聞きたかったんだ。ようやく、思い出したよ。魔猫」