貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

譚音アルン

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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【1】

グレイ・ダージリン(77)

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 「どっ、どういうことなの!?」

 『実は……』

 呪われかけた時、フレールは間違ってアーダム皇子を呪ってしまったそうだが――それを何とマリーの所為にしたのだそうだ。
 それでアーダム皇子の部下のダンカンやデブランツ大司教が暴走し、船長室のテラスまで追い詰められたという。
 ダンカンが武器を掲げ、殺されると思った瞬間。
 船に衝撃が走り、彼女は海に投げ出されたというのだ。

 『私が混乱して放った、助けてっていう無差別の精神感応に、白鯨やイルカ達が助けに来てくれていた、という訳なの』

 今は白鯨の背に乗って休憩しているという。イルカの背に乗って僕達の船へと向かっているそうだ。

 とりあえずマリーが無事で良かった。胸を撫でおろすと共に、あまりの想像の埒外に僕は絶句する。

 ――ああでも、マリーだからなぁ。

 それだけで妙に納得してしまった。お伽話や童話に出て来るような彼女なら、何でもありな気がする。
 と、

 『あら、どういう意味かしら?』

 しまった、僕の呟きはマリーに筒抜けなんだった。思考を逸らさないと。僕はごほんと咳払いをした。

 しかし……白鯨か。
 北の海の船乗り達の話に、船を襲い沈没させる狂暴で悪魔のような白鯨がいるという話を聞いたことがある。生き残りの話ではまるで悪夢のようだった、と。
 北の海では捕鯨船は勿論、漁師達もびくびくしながら海に出ているとか。
 そのことを伝えると、マリーは多分同じ個体だという返事。
 大丈夫なのかと訊くと、白鯨は南の海に恋人を探しに来たのであり、動機は兎も角助けられたのは事実だと言う。

 「動機?」

 『ええ、紳士が淑女の関心を買う為に蛇に襲われかけている小鳥を助けるようなものよ。だから攻撃しないでね』

 白鯨が口説いている鯨の美女も一緒にいるという。
 クジラやイルカは結構高度な思考をしているというマリー。
 僕の中の白鯨のイメージがガラガラと崩れていく。嫌に人間臭い。クジラに美醜なんてあるのか、とかいろいろと突っ込みたいけど……とりあえず。

 「分かった、良い目印になるだろうしね」

 お互いの距離や方角を確認し合った後。船乗り達に説明し、白鯨を見つけるように伝えると「ひえっ!」と震え上がった。ファリエロでさえ顔が引きつっていた。
 マリーは聖女だから白鯨は味方で大丈夫だと何とか宥める。
 怯え散らかす船乗り達。しかし前脚ヨハン後ろ脚シュテファンは「流石はマリー様だ」「白鯨を従えるとは、豪気であらせられる」と誇らし気にしていた。
 それでも彼女はきっとずぶ濡れだろうから早く合流しないと。
 僕はマリーが向かってくるであろう方向を定め、ファリエロ達に指示を出したのだった。


***


 「見えました、白鯨です!」

 「よし、帆を下ろして小舟を出せ!」

 マストの上の見張り台から船員が叫ぶと、ファリエロの号令が飛ぶ。
 船の帆が瞬く間に下ろされ、僕は船乗りと共に小型ボートに乗り込んだ。

 「ううう、畜生」

 「聖女様の覚えめでたきお前が選ばれたのは神の采配だ」

 頑張れ、と励ます船乗り達。「何で何時もはこんな幸運がないんだよ!」とマルコの泣き言が聞こえてくる。
 実はつい先程まで、白鯨が来るという事実に恐怖を覚えた船乗り達の間で誰が小型ボートに乗るかの争いが繰り広げられていたのだ。
 十人は乗れる救命艇ではなく小型ボートになったのは、なるべく白鯨を刺激しないようにするためと、最低限の人数に絞ることで引き上げやすくするためだ。
 コインが弾かれた末――一番多く表を出して勝ち抜いたのがマルコ。今この時運が一番いい奴だという意味である。

 「マルコ、マリーがいるから大丈夫だよ」

 多分……

 宥める僕も若干自信が無いけれど、何とかなるだろう。
 やがて小型ボートが海へと下ろされ、僕達はマリーと合流するべく待ち構えた。
 彼女の姿がだんだん近づいてくる。少し離れた場所には白鯨が泳いでいるのが見える。
 その姿はまるで――

 「セイレーン……」

 マルコがぼそりと呟いた。
 セイレーンは船乗りを惑わし船を沈めるという美しい海妖のことだ。
 確かに白鯨を従えるマリーの姿は、太陽の光を受けて長い髪が黄金に輝いていて神々しさすら感じられた。
 船乗り達からすれば言い伝えにある海妖のように見えることだろう。

 「グレイー!」

 姿がはっきりしてきた時、マリーは手を振りながら僕の名を叫んだ。良かった、元気そうだ。
 僕も彼女の名を呼び返し――

 「って、こんなにイルカ居たなんて聞いてないよ!?」

 かけたところで、小型ボートはあれよあれよと言う間にイルカの大群に囲まれてしまった。
 こんなに多くの群れはきっと船乗りでも見たことが無いだろう。
 尋常じゃない状況に、マルコも悲鳴を上げている。

 「あ、悪魔だ……」

 件の白鯨は少し離れた所に大人しく留まっていた。イルカに跨ったマリーが近づいてくる。
 手を差し伸べると、彼女の体が不意に沈み――再び浮かび上がって僕の方へ倒れこんできた。
 慌ててマリーを抱きとめる。びしょ濡れの彼女から海水が僕の服に染み込んでくる感覚、その体と重みが確かに存在していて。
 マリーが僕が濡れると慌てて離れようとするのを、逆に抱え込むようにして強く抱きしめた。
 こうして無事に戻って来てくれた。それだけでもう、僕が濡れることなんてどうでもよかった。
 マリーが「ただいま」と震える声で言う。
 気丈に振舞っていたけれど、殺されかけて、海に落ちて。どんなに心細かったことだろう。
 頑張ったね、と労わると、マリーは僕の腕の中で嗚咽を漏らし始め、やがて大声を上げて泣いた。
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