どこまでも付いていきます下駄の雪

楠乃小玉

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六十七話 子も殺せぬようでは天下は取れぬ

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 大高城に入場すると傷ついた三河衆が廊下に幾人も横たわっていた。

 中には死んで蝿がたかっている者もある。

 その死体を飛び越え、元実は奥に向かった。

 そこには松平元康の他、瀬名氏俊、関口親永が居た。

 「至急、御屋形様救援に向かわれたし。先導はそれがしがする」

 「まあ落ち着かれよ」

 平静に元康が言った。

 「早う」

 「行かぬ」

 元康が言い切った。

 「なにを、見れば瀬名など着物に塵一つ付いておらぬではないか、なぜ戦わぬ」

 「これは異な事を申される。某は桶狭間山の陣立てを申し使ったもの。
 すでに役目は終わりもうした」

 不快そうに氏俊が言った。

 「ならば、仕事でござる。各々方、早う御屋形様をお助けにまいられよ」

 「当方には当方のお勤めがあるゆえ行けぬ」

 言い切る元康。

 「おのれ、裏切るか」

 元実は刀を抜き放ち、振り上げる。

 「元実殿を取り押さえよ」

 関口親永が叫んだ。

 後ろから関口の郎党が飛びかかり、元実は押さえつけられ、縄で縛られる。

 「おのれ、織田に寝返ったか、殺せ、いっそ殺せい」

 元実は暴れ回り大声で怒鳴った。

 「落ち着かれよ元実殿、これは御屋形様のお言いつけである」

 元康が冷静に言ってのけた。

 「何」

 「今より出ていっても、敵の波に吞まれ、犬死にするばかりじゃ」

 「臣下ならば主君と共に死ぬことこそ誉れなり」

 「だから言うておろう、御屋形様はそれを望まれぬ」

 「なぜそう言えるか」

 「それがし、元康は事前に田原雪斎様より言づてを承っていた」

 元康の言葉に元実の古き記憶が蘇る。

 たしかに田原雪斎様は亡くなる前、
 元実と竹千代(松平元康)に言づてをしたと仰せであった。

 「ならばそなた、御屋形様に御嫡子氏真様を見殺しにし、
 天下をおとりあそばすよう諫言したのか」

 「たしかに、諫言いたした。子も殺せぬようでは天下は取れぬと」

 「して、御屋形様はなんとのたまった」

 「可愛い子供を殺してまで天下はいらぬと仰せであった」

 「さもありなん。だが、その事と、今出兵して御屋形様を助けぬのと何の関わりがある」

 「御屋形様は天下を御嫡子、
 今川氏真公にお譲りあるおつもりじゃ。
 この戦勝てばよいが、織田信長は天魔鬼神のごとき輩。
 されば、義元公が討たれし事もあるであろうとお考えであった。
 その時は、無理に義元公をお助けしようとして無駄に諸将の命を失わせず、
 すぐさま撤退して、氏真公を御大将として、
 義元奥の仇討ちをせよと仰せであった。
 かつて、今川義忠公が敵の不意打ちに討たれし時も、
 今川家臣は御嫡子氏親殿を押し立てて仇を討った。
 それが今川の流儀だと仰せであった。
 よって今討って出て死ぬる事も将兵を減らすこともまかりならん」

 「ならば、某だけで帰って討ち死にする。縄を解け」

 そこに松平の斥候が走り込んできた。

 「今川義元公お討ち死に」

 「ああああああああっっっっ」

 元実は大声をあげて泣いた。

 「気をしっかり持たれよ元実殿、
 織田は御屋形様を討ち取るだけで手いっぱい。
 今なれば必ず信長を討てる。
 義元公はご自身が討たれたおりの兵力差もすべて
 計算に入れて陣立てをされていた。
 最初から絶対に織田の勝ちは無かったのじゃ」

 元康は淡々と語るように言った。

 「おのれ信長、この仇必ず取る」

 怒りを露わに元実が怒鳴った。

 元康が郎党に目配せして元実の縄を解く。

 「それでは各々方、すぐさま駿河の今川館に立ち戻り、兵を集めましょうぞ」

 元実がいきり立って言うが、元康は静かに首を横に振る。

 「ならぬ。もう外は薄暗くなってきた。
 今動けば場所も分からず、敵に捕まるか、
 野伏の落ち武者狩りにやられるだけじゃ。
 夜になり月が出るまでまたれよ」

 どこまでも冷静な元康であった。

 「無念、無念」

 実元は拳で何度も床を叩いた。
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