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六十八話 杓子定規

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 夜になり月が出ると、
 松平隊、関口隊、瀬名隊、一宮元実は一団となって
 密集隊形で岡崎を目指した。

 大軍で移動すれば野伏は攻めてこない。

 岡崎に到着すると各地、近隣の寺社、庄屋の家に宿泊した。

 明日、一宮実元は、何故所定の場所に
 味方の後詰が到着しなかったのか調べるため、
 三河国内の伝馬を調べて回ることにした。

 松平元康は今川家中に在住する主立った重臣に今川氏真公を旗頭とし、
 織田信長討伐に参上すうよう檄文をしたためた。

 そして、使者に対しては、銭五百文と火急の添え状、
 邪魔立てする場合は関所番を斬り殺してもよいとの許し状も渡した上に、
 一人の使者に十人の足軽を護衛として付けた。

 「足軽など付けたら連絡が遅れるであろう」

 実元が意見したが、元康は聞き入れなかった。

 野伏の殺されてはもともこもないとの事だった。

 実元は使者に選ばれた顔ぶれを見て愕然とした。

 岩松与太夫、井上清秀、阿部正勝、戸田忠次など、
 いずれも元康の父や祖父殺し、
 元康をさらって織田に引き渡した者の一族ばかりであった。

 「これはいかなる次第でござる」

 唖然とした表情で実元がたずねると元康は満面の笑みを浮かべた。

 「これらはいずれ劣らぬ当家の宝でござる。
 家中でも選りすぐった忠義者を選びましたゆえ、ご安心めされよ」

 使者に選ばれた者たちはいずれも目を潤ませ、
 唇をかみしめている。今川家中の者ではれば、
 これらが逆臣の家の者と一目で分かるはず。

 あえてそれをして、家中に大器たるを誇示したいか。

 ならば、十人ほどの護衛はむしろ、
 逆心いたすときは殺すということか。考えすぎであればよいが。

 実元は息を吞だ。

 「それでは、それがしも出立いたす」

 「されば、元実殿にも護衛十人つけよう」

 「いや、それがしは……」

 「ぜひに」

 元康は眉をひそめながら笑った。

 「はあ」

 断れば、ここで殺されそうな雰囲気もあったので、元実は断らなかった。

 実元は三河国内の伝馬へと視察に向かった。

 三河国御油宿にある伝馬の番所に行って見ると、
 そこでは驚くべき事に十人ほどの伝令がたむろしていた。

 「何をしている」

 怒りに震えながら元実が言っても伝令たちは平然としている。

 「番所の者が十銭払わねば通さぬと言う故通れませぬ」

 「そのために書状を渡したであろう」

 「書状を渡しても通せぬと言われました」

 「番所の者あらんや」

 元実が怒鳴った。番屋の奥から茫洋とした風体の役人が出てくる。

 「何事でございましょうや」

 「なぜ通さぬ、火急の事であるぞ」

 「十銭無きものは、通すなとお上からのお達しでございます」

 「添え状を持っておったであろうが」

 「お達しには添え状ありとても通すなと念押ししてありました。
 火急の用であってもならぬとも書いてありました」

 「それでも御屋形様のお命に関わることならば、
 通すのが家臣の筋ではないか」

 「それは不条理でございましょう。
 儂ら家来にて郎党にあらず。
 日頃より安き給金で働き、命に背けば放逐され、
 一つまちがえば切られます。
 同じ働きをしても郎党の皆様はより多く銭を貰え、
 土地も貰えまする。儂ら安き給金で牛馬の如く働かされ、
 上からの命は犬なりとも鬼畜なりと言われようとも守れと教わりもうした。
 それだけ労苦を強いられ、
 安き給金で使役されても文句を言いませぬのは、
 上からの命さえ聞いておれば、責任の追及がなきため。
 責任を取るべきは儂らを安き値で使役する郎党の皆様でございましょう」

 「なにい」

 実元は歯を食いしばった。

 「そうじゃ、そうじゃ、儂らは文句も言わず、
 危ない労務を散々させられた」

 「儂は荷駄運びまでやらされたわ。
 時間外も給金無しでご奉仕の労務をさせられた。」

 「家来にそこまでの忠節を求められるは筋違い、
 何のための郎党様の高給でございましょうや」

 伝令、番所の役人、須く元実に反抗した。

 驚くべきことは、これほど多くが家来となりて、
 郎党はここには一人もおらぬということである。

 元実の子供の頃は馬引きの小者でさえ、
 二君に仕えずとの心意気があったものを。

 こやつらは言われた事しかやらない。

 しかも文句をたれて徒党を組んで反抗する。

 己等安き賃金で労役する多数が一斉に仕事を放棄すれば
 現場が立ち行かぬ事を知っての傍若無人である。

 上からの書状を盾にした物言いゆえ懲罰もできぬ。

 元実は悔しかった。一番下は捨て身になって
 死ぬ気になり集団で徒党を組めば強いことを知っている。

 一番上は反抗したる者を覚悟をもってなで切りにできる。

 しかし、中堅は、下を厳しく管理し、

 下の者らが捨て身の騒乱を起こせば責任を問われ、
 甘やかして責務が遅延すれば責任を問われる。

 強くもできず、弱くもできぬ。よって足りぬ処は己がかぶって己でやるしかない。
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