56 / 109
野心
しおりを挟む
「護身術の一環としてナイフの扱い方も学びましたの」
なんということはないように言い放つアンゼリカだが、レイモンドは心の中で「護身術でナイフは習うものだったか?」と不思議に思った。
「ところで、話は変わるのですが、公子様の新しい婚約者はもう決まっているのですか?」
「え? あ、い、いや……まだだが……それが何か?」
アンゼリカの思わせぶりに聞こえる台詞に心臓が波立った。
彼女の可憐な声が「よろしければ自分を貴方の婚約者にしてください」と告げる妄想が頭に広がる。
王太子の婚約者である彼女がそんな発言をするはずがないというのに。
先程からおかしな妄想ばかりしてしまう、とレイモンドは心の中で恥じた。
「それでしたら、次の婚約者には是非とも王妃になれるほどの才覚を持ったご令嬢をお願いしたいですね。他家のわたくしが口出しする権利はないのですが、公子様の婚約者になる方は王妃となる可能性がございますので」
「は? それは……どういう意味だろうか?」
未来の王妃になるのは王太子の婚約者である目の前の少女だろう。
なのに、何故自分の婚約者が未来の王妃になると言うのか。
レイモンドは少女の発言の意図が理解できなかった。
「はっきり申し上げて王太子殿下に王の器はありません。そうなると次に王位継承権が高いのはサラマンドラ公爵閣下と公子様です。となると必然的にお二人の伴侶が王妃となる可能性が高いかと」
「いやいや、待ってくれ! 確かに王太子殿下がどうしようもない奴だというのは分かるが、それを補うために君が婚約者に選ばれたのだろう? 私から見て君はどうしようもない王太子を補って余りある位の度量と賢さを持った女性だ。そんな君を差し置いて他の令嬢が王妃になるなど有り得ない!」
アンゼリカには既に王妃としての風格が備わっている。
それは初対面のレイモンドですら分かることだ。
「いえ、あくまで可能性の話です。今のところわたくしが妃としてエドワード殿下を補助するつもりではありますが、その未来は来ないかもしれませんので」
「それはつまり……君とグリフォン公爵家が、王太子殿下を見限るということか?」
「察しがよくて助かります。どうもエドワード殿下はご自分がどれだけ異常な思考回路をお持ちなのかを理解できでいないのです。それ故とんでもなく非常識な行動を繰り返し、臣民の心を瞬く間に離していきます。そんな稀代の暗君となる素質をお持ちの方を玉座に置いてよいものかと……」
憂いた表情でアンゼリカはため息をつく。
そんな顔も美しいのかと、レイモンドはうっかり見惚れてしまった。
「ミラージュ様への愚行もそうです。ミラージュ様はどうしようもないエドワード殿下に寄り添う努力を成さっていましたのに、それを踏みにじり公衆の面前で断罪とかいう茶番を繰り広げたのですよ。端的に申し上げてどうしようもない馬鹿です。そんな愚物を王に据えるなど、そちらの方が有り得ないでしょう?」
アンゼリカの指摘にレイモンドは王太子の行動を改めて思い返した。
献身的に寄り添ってきたミラージュを裏切り、男爵令嬢に傾倒し、意味の分からない断罪をした王太子。
そして新たな婚約者であるアンゼリカを迎えたにも関わらず、男爵令嬢と浮気を続ける王太子。
悪い噂ばかりが社交界に流れ、臣下のみならず王宮の使用人からも評判が悪い王太子。
短期間でよくもこれだけやらかしたものだと感心する。悪い方の意味で。
「……実を言うと、当家もエドワード殿下を王太子の座から降りてもらうことを考えなかったわけではない。だが、跡目争いは内乱を招く。そうなると犠牲になるのは民だ。弱きものが犠牲になるのは駄目だと諦めた」
「まあ……そうだったのですか」
アンゼリカはレイモンドとサラマンドラ家の考えに驚いた。
民が犠牲になるから王位を奪うことを諦める、という考えは彼女には無いからだ。
民を犠牲にすることを可哀想と思う心は持ち合わせていない。
ただ、民が犠牲になることで不利益が生じるのであれば、そうならない為の策を考え実行すればいいという考えしかない。
その気になれば民の犠牲を一切出さずに王位を奪うことなど容易い。
そんな考えしか持たないアンゼリカにとって、誰かを可哀想だと憂えるレイモンドはミラージュと同様に好ましく思えた。
「やはり公子様はミラージュ様と同じくお優しい。そういうところはとても好ましく思います」
「……っ!? 先程、私にそれでは困ると言っていなかったか? もっと冷徹になれと言っていたではないか……」
やはりアンゼリカから「好ましい」という表現を受けると胸が驚くほど高鳴る。
レイモンドは無意識のうちに自身の胸を片手で抑え、早鐘を打つ心臓を抑え込もうとした。そんなことをしても無意味だというのに。
「ええまあ、それはそれとして、公子様のお優しいところは好ましく思います。もっと冷徹になって頂きたいというのも本音ですが」
「つまり、私に優しいところは残したまま冷徹になれと?」
「ふふ……そういうことになりますわね」
柔らかく微笑むアンゼリカに魅了される。
彼女に微笑まれると胸に多幸感が染み渡っていく。
「君が望むのであれば私はそうなれるよう最大限努力しよう……」
ふと、レイモンドの頭に邪念がよぎった。
自分にも王位継承権があるというのなら、王妃となる目の前の少女を娶れる権利があるのではないかと。
──あの馬鹿に、彼女は勿体ない……。
王位を得たいという野心はこれっぽっちも持ち合わせていなかった。
だが、この少女を妻に出来るというのなら、興味のない王位を狙おうか。
レイモンドの心に初めて野心が芽生えた瞬間であった。
なんということはないように言い放つアンゼリカだが、レイモンドは心の中で「護身術でナイフは習うものだったか?」と不思議に思った。
「ところで、話は変わるのですが、公子様の新しい婚約者はもう決まっているのですか?」
「え? あ、い、いや……まだだが……それが何か?」
アンゼリカの思わせぶりに聞こえる台詞に心臓が波立った。
彼女の可憐な声が「よろしければ自分を貴方の婚約者にしてください」と告げる妄想が頭に広がる。
王太子の婚約者である彼女がそんな発言をするはずがないというのに。
先程からおかしな妄想ばかりしてしまう、とレイモンドは心の中で恥じた。
「それでしたら、次の婚約者には是非とも王妃になれるほどの才覚を持ったご令嬢をお願いしたいですね。他家のわたくしが口出しする権利はないのですが、公子様の婚約者になる方は王妃となる可能性がございますので」
「は? それは……どういう意味だろうか?」
未来の王妃になるのは王太子の婚約者である目の前の少女だろう。
なのに、何故自分の婚約者が未来の王妃になると言うのか。
レイモンドは少女の発言の意図が理解できなかった。
「はっきり申し上げて王太子殿下に王の器はありません。そうなると次に王位継承権が高いのはサラマンドラ公爵閣下と公子様です。となると必然的にお二人の伴侶が王妃となる可能性が高いかと」
「いやいや、待ってくれ! 確かに王太子殿下がどうしようもない奴だというのは分かるが、それを補うために君が婚約者に選ばれたのだろう? 私から見て君はどうしようもない王太子を補って余りある位の度量と賢さを持った女性だ。そんな君を差し置いて他の令嬢が王妃になるなど有り得ない!」
アンゼリカには既に王妃としての風格が備わっている。
それは初対面のレイモンドですら分かることだ。
「いえ、あくまで可能性の話です。今のところわたくしが妃としてエドワード殿下を補助するつもりではありますが、その未来は来ないかもしれませんので」
「それはつまり……君とグリフォン公爵家が、王太子殿下を見限るということか?」
「察しがよくて助かります。どうもエドワード殿下はご自分がどれだけ異常な思考回路をお持ちなのかを理解できでいないのです。それ故とんでもなく非常識な行動を繰り返し、臣民の心を瞬く間に離していきます。そんな稀代の暗君となる素質をお持ちの方を玉座に置いてよいものかと……」
憂いた表情でアンゼリカはため息をつく。
そんな顔も美しいのかと、レイモンドはうっかり見惚れてしまった。
「ミラージュ様への愚行もそうです。ミラージュ様はどうしようもないエドワード殿下に寄り添う努力を成さっていましたのに、それを踏みにじり公衆の面前で断罪とかいう茶番を繰り広げたのですよ。端的に申し上げてどうしようもない馬鹿です。そんな愚物を王に据えるなど、そちらの方が有り得ないでしょう?」
アンゼリカの指摘にレイモンドは王太子の行動を改めて思い返した。
献身的に寄り添ってきたミラージュを裏切り、男爵令嬢に傾倒し、意味の分からない断罪をした王太子。
そして新たな婚約者であるアンゼリカを迎えたにも関わらず、男爵令嬢と浮気を続ける王太子。
悪い噂ばかりが社交界に流れ、臣下のみならず王宮の使用人からも評判が悪い王太子。
短期間でよくもこれだけやらかしたものだと感心する。悪い方の意味で。
「……実を言うと、当家もエドワード殿下を王太子の座から降りてもらうことを考えなかったわけではない。だが、跡目争いは内乱を招く。そうなると犠牲になるのは民だ。弱きものが犠牲になるのは駄目だと諦めた」
「まあ……そうだったのですか」
アンゼリカはレイモンドとサラマンドラ家の考えに驚いた。
民が犠牲になるから王位を奪うことを諦める、という考えは彼女には無いからだ。
民を犠牲にすることを可哀想と思う心は持ち合わせていない。
ただ、民が犠牲になることで不利益が生じるのであれば、そうならない為の策を考え実行すればいいという考えしかない。
その気になれば民の犠牲を一切出さずに王位を奪うことなど容易い。
そんな考えしか持たないアンゼリカにとって、誰かを可哀想だと憂えるレイモンドはミラージュと同様に好ましく思えた。
「やはり公子様はミラージュ様と同じくお優しい。そういうところはとても好ましく思います」
「……っ!? 先程、私にそれでは困ると言っていなかったか? もっと冷徹になれと言っていたではないか……」
やはりアンゼリカから「好ましい」という表現を受けると胸が驚くほど高鳴る。
レイモンドは無意識のうちに自身の胸を片手で抑え、早鐘を打つ心臓を抑え込もうとした。そんなことをしても無意味だというのに。
「ええまあ、それはそれとして、公子様のお優しいところは好ましく思います。もっと冷徹になって頂きたいというのも本音ですが」
「つまり、私に優しいところは残したまま冷徹になれと?」
「ふふ……そういうことになりますわね」
柔らかく微笑むアンゼリカに魅了される。
彼女に微笑まれると胸に多幸感が染み渡っていく。
「君が望むのであれば私はそうなれるよう最大限努力しよう……」
ふと、レイモンドの頭に邪念がよぎった。
自分にも王位継承権があるというのなら、王妃となる目の前の少女を娶れる権利があるのではないかと。
──あの馬鹿に、彼女は勿体ない……。
王位を得たいという野心はこれっぽっちも持ち合わせていなかった。
だが、この少女を妻に出来るというのなら、興味のない王位を狙おうか。
レイモンドの心に初めて野心が芽生えた瞬間であった。
6,184
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
婚約破棄の代償
nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」
ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。
エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。
【完結】仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
【完結】旦那様、その真実の愛とお幸せに
おのまとぺ
恋愛
「真実の愛を見つけてしまった。申し訳ないが、君とは離縁したい」
結婚三年目の祝いの席で、遅れて現れた夫アントンが放った第一声。レミリアは驚きつつも笑顔を作って夫を見上げる。
「承知いたしました、旦那様。その恋全力で応援します」
「え?」
驚愕するアントンをそのままに、レミリアは宣言通りに片想いのサポートのような真似を始める。呆然とする者、訝しむ者に見守られ、迫りつつある別れの日を二人はどういった形で迎えるのか。
◇真実の愛に目覚めた夫を支える妻の話
◇元サヤではありません
◇全56話完結予定
《完結》金貨5000枚で売られた王太子妃
ぜらちん黒糖
恋愛
「愛している。必ず迎えに行くから待っていてくれ」
甘い言葉を信じて、隣国へ「人質」となった王太子妃イザベラ。
旅立ちの前の晩、二人は愛し合い、イザベラのお腹には新しい命が宿った。すぐに夫に知らせた イザベラだったが、夫から届いた返信は、信じられない内容だった。
「それは本当に私の子供なのか?」
あなたが捨てた花冠と后の愛
小鳥遊 れいら
恋愛
幼き頃から皇后になるために育てられた公爵令嬢のリリィは婚約者であるレオナルド皇太子と相思相愛であった。
順調に愛を育み合った2人は結婚したが、なかなか子宝に恵まれなかった。。。
そんなある日、隣国から王女であるルチア様が側妃として嫁いでくることを相談なしに伝えられる。
リリィは強引に話をしてくるレオナルドに嫌悪感を抱くようになる。追い打ちをかけるような出来事が起き、愛ではなく未来の皇后として国を守っていくことに自分の人生をかけることをしていく。
そのためにリリィが取った行動とは何なのか。
リリィの心が離れてしまったレオナルドはどうしていくのか。
2人の未来はいかに···
婚約破棄されたその後は、何も起きない日々でした
ふわふわ
恋愛
婚約破棄――
それは、多くの令嬢にとって人生を揺るがす一大事件。
けれど彼女は、泣き叫ぶことも、復讐に走ることもなかった。
「……では、私は日常に戻ります」
派手なざまぁも、劇的な逆転劇もない。
彼女が選んだのは、線を引き、基準を守り、同じ判断を繰り返すこと。
王宮では改革が進み、領地では生活が整えられていく。
誰かが声高に称えられることもなく、
誰かが悪役として裁かれることもない。
それでも――
混乱は起きず、争いは減り、
人々は「明日も今日と同じである」ことを疑わなくなっていく。
選ばない勇気。
変えない決断。
名を残さず、英雄にならない覚悟。
これは、
婚約破棄をきっかけに
静かに日常を守り続けた一人の令嬢と、
その周囲が“当たり前”を取り戻していく物語。
派手ではない。
けれど、確かに強い。
――それでも、日常は続く。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる