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野心
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「護身術の一環としてナイフの扱い方も学びましたの」
なんということはないように言い放つアンゼリカだが、レイモンドは心の中で「護身術でナイフは習うものだったか?」と不思議に思った。
「ところで、話は変わるのですが、公子様の新しい婚約者はもう決まっているのですか?」
「え? あ、い、いや……まだだが……それが何か?」
アンゼリカの思わせぶりに聞こえる台詞に心臓が波立った。
彼女の可憐な声が「よろしければ自分を貴方の婚約者にしてください」と告げる妄想が頭に広がる。
王太子の婚約者である彼女がそんな発言をするはずがないというのに。
先程からおかしな妄想ばかりしてしまう、とレイモンドは心の中で恥じた。
「それでしたら、次の婚約者には是非とも王妃になれるほどの才覚を持ったご令嬢をお願いしたいですね。他家のわたくしが口出しする権利はないのですが、公子様の婚約者になる方は王妃となる可能性がございますので」
「は? それは……どういう意味だろうか?」
未来の王妃になるのは王太子の婚約者である目の前の少女だろう。
なのに、何故自分の婚約者が未来の王妃になると言うのか。
レイモンドは少女の発言の意図が理解できなかった。
「はっきり申し上げて王太子殿下に王の器はありません。そうなると次に王位継承権が高いのはサラマンドラ公爵閣下と公子様です。となると必然的にお二人の伴侶が王妃となる可能性が高いかと」
「いやいや、待ってくれ! 確かに王太子殿下がどうしようもない奴だというのは分かるが、それを補うために君が婚約者に選ばれたのだろう? 私から見て君はどうしようもない王太子を補って余りある位の度量と賢さを持った女性だ。そんな君を差し置いて他の令嬢が王妃になるなど有り得ない!」
アンゼリカには既に王妃としての風格が備わっている。
それは初対面のレイモンドですら分かることだ。
「いえ、あくまで可能性の話です。今のところわたくしが妃としてエドワード殿下を補助するつもりではありますが、その未来は来ないかもしれませんので」
「それはつまり……君とグリフォン公爵家が、王太子殿下を見限るということか?」
「察しがよくて助かります。どうもエドワード殿下はご自分がどれだけ異常な思考回路をお持ちなのかを理解できでいないのです。それ故とんでもなく非常識な行動を繰り返し、臣民の心を瞬く間に離していきます。そんな稀代の暗君となる素質をお持ちの方を玉座に置いてよいものかと……」
憂いた表情でアンゼリカはため息をつく。
そんな顔も美しいのかと、レイモンドはうっかり見惚れてしまった。
「ミラージュ様への愚行もそうです。ミラージュ様はどうしようもないエドワード殿下に寄り添う努力を成さっていましたのに、それを踏みにじり公衆の面前で断罪とかいう茶番を繰り広げたのですよ。端的に申し上げてどうしようもない馬鹿です。そんな愚物を王に据えるなど、そちらの方が有り得ないでしょう?」
アンゼリカの指摘にレイモンドは王太子の行動を改めて思い返した。
献身的に寄り添ってきたミラージュを裏切り、男爵令嬢に傾倒し、意味の分からない断罪をした王太子。
そして新たな婚約者であるアンゼリカを迎えたにも関わらず、男爵令嬢と浮気を続ける王太子。
悪い噂ばかりが社交界に流れ、臣下のみならず王宮の使用人からも評判が悪い王太子。
短期間でよくもこれだけやらかしたものだと感心する。悪い方の意味で。
「……実を言うと、当家もエドワード殿下を王太子の座から降りてもらうことを考えなかったわけではない。だが、跡目争いは内乱を招く。そうなると犠牲になるのは民だ。弱きものが犠牲になるのは駄目だと諦めた」
「まあ……そうだったのですか」
アンゼリカはレイモンドとサラマンドラ家の考えに驚いた。
民が犠牲になるから王位を奪うことを諦める、という考えは彼女には無いからだ。
民を犠牲にすることを可哀想と思う心は持ち合わせていない。
ただ、民が犠牲になることで不利益が生じるのであれば、そうならない為の策を考え実行すればいいという考えしかない。
その気になれば民の犠牲を一切出さずに王位を奪うことなど容易い。
そんな考えしか持たないアンゼリカにとって、誰かを可哀想だと憂えるレイモンドはミラージュと同様に好ましく思えた。
「やはり公子様はミラージュ様と同じくお優しい。そういうところはとても好ましく思います」
「……っ!? 先程、私にそれでは困ると言っていなかったか? もっと冷徹になれと言っていたではないか……」
やはりアンゼリカから「好ましい」という表現を受けると胸が驚くほど高鳴る。
レイモンドは無意識のうちに自身の胸を片手で抑え、早鐘を打つ心臓を抑え込もうとした。そんなことをしても無意味だというのに。
「ええまあ、それはそれとして、公子様のお優しいところは好ましく思います。もっと冷徹になって頂きたいというのも本音ですが」
「つまり、私に優しいところは残したまま冷徹になれと?」
「ふふ……そういうことになりますわね」
柔らかく微笑むアンゼリカに魅了される。
彼女に微笑まれると胸に多幸感が染み渡っていく。
「君が望むのであれば私はそうなれるよう最大限努力しよう……」
ふと、レイモンドの頭に邪念がよぎった。
自分にも王位継承権があるというのなら、王妃となる目の前の少女を娶れる権利があるのではないかと。
──あの馬鹿に、彼女は勿体ない……。
王位を得たいという野心はこれっぽっちも持ち合わせていなかった。
だが、この少女を妻に出来るというのなら、興味のない王位を狙おうか。
レイモンドの心に初めて野心が芽生えた瞬間であった。
なんということはないように言い放つアンゼリカだが、レイモンドは心の中で「護身術でナイフは習うものだったか?」と不思議に思った。
「ところで、話は変わるのですが、公子様の新しい婚約者はもう決まっているのですか?」
「え? あ、い、いや……まだだが……それが何か?」
アンゼリカの思わせぶりに聞こえる台詞に心臓が波立った。
彼女の可憐な声が「よろしければ自分を貴方の婚約者にしてください」と告げる妄想が頭に広がる。
王太子の婚約者である彼女がそんな発言をするはずがないというのに。
先程からおかしな妄想ばかりしてしまう、とレイモンドは心の中で恥じた。
「それでしたら、次の婚約者には是非とも王妃になれるほどの才覚を持ったご令嬢をお願いしたいですね。他家のわたくしが口出しする権利はないのですが、公子様の婚約者になる方は王妃となる可能性がございますので」
「は? それは……どういう意味だろうか?」
未来の王妃になるのは王太子の婚約者である目の前の少女だろう。
なのに、何故自分の婚約者が未来の王妃になると言うのか。
レイモンドは少女の発言の意図が理解できなかった。
「はっきり申し上げて王太子殿下に王の器はありません。そうなると次に王位継承権が高いのはサラマンドラ公爵閣下と公子様です。となると必然的にお二人の伴侶が王妃となる可能性が高いかと」
「いやいや、待ってくれ! 確かに王太子殿下がどうしようもない奴だというのは分かるが、それを補うために君が婚約者に選ばれたのだろう? 私から見て君はどうしようもない王太子を補って余りある位の度量と賢さを持った女性だ。そんな君を差し置いて他の令嬢が王妃になるなど有り得ない!」
アンゼリカには既に王妃としての風格が備わっている。
それは初対面のレイモンドですら分かることだ。
「いえ、あくまで可能性の話です。今のところわたくしが妃としてエドワード殿下を補助するつもりではありますが、その未来は来ないかもしれませんので」
「それはつまり……君とグリフォン公爵家が、王太子殿下を見限るということか?」
「察しがよくて助かります。どうもエドワード殿下はご自分がどれだけ異常な思考回路をお持ちなのかを理解できでいないのです。それ故とんでもなく非常識な行動を繰り返し、臣民の心を瞬く間に離していきます。そんな稀代の暗君となる素質をお持ちの方を玉座に置いてよいものかと……」
憂いた表情でアンゼリカはため息をつく。
そんな顔も美しいのかと、レイモンドはうっかり見惚れてしまった。
「ミラージュ様への愚行もそうです。ミラージュ様はどうしようもないエドワード殿下に寄り添う努力を成さっていましたのに、それを踏みにじり公衆の面前で断罪とかいう茶番を繰り広げたのですよ。端的に申し上げてどうしようもない馬鹿です。そんな愚物を王に据えるなど、そちらの方が有り得ないでしょう?」
アンゼリカの指摘にレイモンドは王太子の行動を改めて思い返した。
献身的に寄り添ってきたミラージュを裏切り、男爵令嬢に傾倒し、意味の分からない断罪をした王太子。
そして新たな婚約者であるアンゼリカを迎えたにも関わらず、男爵令嬢と浮気を続ける王太子。
悪い噂ばかりが社交界に流れ、臣下のみならず王宮の使用人からも評判が悪い王太子。
短期間でよくもこれだけやらかしたものだと感心する。悪い方の意味で。
「……実を言うと、当家もエドワード殿下を王太子の座から降りてもらうことを考えなかったわけではない。だが、跡目争いは内乱を招く。そうなると犠牲になるのは民だ。弱きものが犠牲になるのは駄目だと諦めた」
「まあ……そうだったのですか」
アンゼリカはレイモンドとサラマンドラ家の考えに驚いた。
民が犠牲になるから王位を奪うことを諦める、という考えは彼女には無いからだ。
民を犠牲にすることを可哀想と思う心は持ち合わせていない。
ただ、民が犠牲になることで不利益が生じるのであれば、そうならない為の策を考え実行すればいいという考えしかない。
その気になれば民の犠牲を一切出さずに王位を奪うことなど容易い。
そんな考えしか持たないアンゼリカにとって、誰かを可哀想だと憂えるレイモンドはミラージュと同様に好ましく思えた。
「やはり公子様はミラージュ様と同じくお優しい。そういうところはとても好ましく思います」
「……っ!? 先程、私にそれでは困ると言っていなかったか? もっと冷徹になれと言っていたではないか……」
やはりアンゼリカから「好ましい」という表現を受けると胸が驚くほど高鳴る。
レイモンドは無意識のうちに自身の胸を片手で抑え、早鐘を打つ心臓を抑え込もうとした。そんなことをしても無意味だというのに。
「ええまあ、それはそれとして、公子様のお優しいところは好ましく思います。もっと冷徹になって頂きたいというのも本音ですが」
「つまり、私に優しいところは残したまま冷徹になれと?」
「ふふ……そういうことになりますわね」
柔らかく微笑むアンゼリカに魅了される。
彼女に微笑まれると胸に多幸感が染み渡っていく。
「君が望むのであれば私はそうなれるよう最大限努力しよう……」
ふと、レイモンドの頭に邪念がよぎった。
自分にも王位継承権があるというのなら、王妃となる目の前の少女を娶れる権利があるのではないかと。
──あの馬鹿に、彼女は勿体ない……。
王位を得たいという野心はこれっぽっちも持ち合わせていなかった。
だが、この少女を妻に出来るというのなら、興味のない王位を狙おうか。
レイモンドの心に初めて野心が芽生えた瞬間であった。
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