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First Step
6.melancholy
しおりを挟む振り返った吸血鬼の姿を見て、ゆうかは驚いた。見覚えのある顔、決して見間違えることのない顔がそこにあった。
「おとうさん……?」
確かめるような言葉が、もう一度宙に舞う。疑問符は、答えるべき者のところに辿り着く。
反応はない。けれども、ゆうかにとってその人物は見間違えようのない存在だった。眼鏡も、服も、優しい顔も、それが父親だとハッキリと証明していた。
違う点は、そう、家を出るときと違うところはいくつかあった。服が汚れている、首筋の辺りが血で真っ赤に。もう一箇所は口元、まるで子供みたい。飲み方の汚い、行儀の悪い子供みたいに真っ赤に汚していた。
ゆうかは、父親を前にしても、どう言っていいかわからずにいた。なにかが違う、最後に会った時、大勢の吸血鬼が押し迫ってきた時に「逃げろ」と言ってくれた時と。なんだか、得体の知れないモノが乗り移ったみたい。それでも、目の前にいる存在を父親と疑うことはなかった。
「おとうさ……」
どうしたの、と聞こうとした。お母さんは、と聞こうとした。
けれど、それを言い終える前に、父親は恐ろしい形相になって、口を大きく開けて、向かってきた。
今まで見たことのない父親の顔。
それは、鬼のような顔だった。
○
寸前のところで、あんじゅはゆうかを後ろに下がらせた。
探そうとしていたゆうかの父親は、すでに吸血鬼と化していた。その衝撃を受け止める時間もなく、あんじゅは銃を構える。
「止まって!」
警告を与え、動きを止めようとした。だが、父親の吸血鬼は歩みを止めない。銃というものを認識していながら、血を欲している。
躊躇いの念が再びあんじゅの指に乗り移る。これが知らない吸血鬼なら、まだ気持ちは重たくはなかっただろう。だが、あんじゅはこの吸血鬼が誰なのかを知ってしまった。少女の、佐々木ゆうかの父親だ。その父親の手は娘を求めてはいない。欲しているのは血だけだった。
ゆうかを連れて逃げてしまう、という選択もあった。
だが、そうした場合、残された京はどうなる。血に飢えた吸血鬼が、彼を見逃してくれるはずはない。ならば、選択肢は限られる。
「来ないでください……!」
あんじゅは親子の間に立ち塞がり、銃を構えたままポケットに入れていた小瓶をゆうかの父親に投げる。足元に落ちたそれを、ゆうかの父親は拾い上げた。中の赤い液体に、目を奪われていた。
「人工血液です、それを飲んで落ち着いてください」
あんじゅはそう呼びかける。
これで全てがうまくいけばいい。わずかな血の摂取で衝動がなくなれば、何も問題はないのだ。
ゆうかの父親は小瓶を拾い上げ、栓を抜くと中に入っていた人工血液を全て飲み干した。
「ハアハア……クソッ……」
「大丈夫……ですか?」
「ああ……落ち着いたよ、もう大丈夫……」
「おとうさん!」
父親の元に向かおうとしたゆうかを、あんじゅは静止させる。
「お、おねえちゃん?」
「もう少しだけ待って、お願い……!」
あんじゅは声だけをゆうかに向ける。
警戒を解いてない強張った表情を見せてしまえば、この子はそれを恐れて父親の元に向かうだろう。まだ、安心などできない。あの量で充分だったという確証は何も得れてない。
「なあ……ゆうか、おいで」
父親が娘に語りかける。優しい声だが、何か含みのある感じがした。
「ほら……お父さんはもう大丈夫だよ」
例えるなら、悪いことをした娘に「怒ってないよ」と語りかけるような、そんな調子で父親は話しかけていた。
ゆうかは、父親の言葉に何かを感じ取ったのか、あんじゅの服を握りしめて、後ろに隠れてしまった。
「大丈夫だって……ほら、おいで」
やけに、近づかせることにこだわった物言い。そして、父親は自らもじわじわと歩みを進めて、距離を詰めてきていた。
「そこから、動かないでください」
「あんたには関係ないだろう、親子のことに口を挟むなよ」
あんじゅは銃を下さなかった。再会の喜び、親子の愛情、そのどれもがゆうかの父親から欠如していた。その目は、獣のように鋭かった。
「ほら……来るんだよ、早く……」
「や、やだ……おとうさん、こわい……」
「いいから来るんだ! 早くしなさい!!」
突然の大声に、ゆうかの体がビクッと震えるのをあんじゅは感じとった。
父親は一瞬だけ気まずそうな顔をしたが、それもすぐに戻った。隠しても無駄だと開き直るように、声を荒げてわめき散らす。
「人工血液じゃ足りない……こんなマズいものじゃ治らないんだよ! ほら、早くこっちに来なさい! お父さんに血を飲ませろ!!」
それは父親の顔をしていなかった。娘よりもその身に流れる赤い血を欲する悪魔と化していた。
「どけよ、【彼岸花】の捜査官さん……」
「い、嫌です!」
「あんたたちが助けに来るのが遅いから……俺は吸血鬼になっちまったんじゃねえか! 責任とれよ! テメエの血も吸わせろ!」
あんじゅはその頭に狙いを定めた
吸血鬼を殺すことは法で認められている。彼らは危険な存在で、殺害したところで咎められはしない。【彼岸花】の『戦術班』、吸血鬼を殺す職ならば尚更だ。命を奪うことを誰も追求はしない。
「お願いだから……来ないでください!!」
だが、法律を持ち出してもあんじゅは撃てなかった。指が動かない。ただ引くだけという簡単な動作なのに。
虚ろな目でゆうかの父親は、ゆっくりと向かってくる。伸びた犬歯を覗かせ、変わり果てた姿を娘に見せつけながら。
その時、乾いた銃声が、二発響き渡る。
あんじゅは驚愕し、思わず銃を下げる。違う、撃ったのは自分ではない。反動も感じなかったし、薬莢も足元に落ちてない。
胸に穴の空いたゆうかの父親が倒れこんだ。何度か苦しそうに血を吐くとすぐに事切れ、身体が灰になる。
「大丈夫か?」
人影が現れた。それは、銃を手にした室積隊長だった。銃口からは、煙が立ち上り、彼の床には銃声と同じ数の二つの薬莢が転がっている。
窮地を脱したのだろうか。吸血鬼はもうこの場に一人もいなかった。
「霧峰、怪我は?」
室積の問いに「大丈夫です」と力なくあんじゅは答える。助かった。それでも、なぜだか安心する気持ちにはなれずに心が張り詰めている。
「その子は?」
室積がゆうかを見て問う。
「あっ……えっと……生存者、です」
その後で身元の詳細を告げようとしたが、言葉が出ない。伝えなければ、今しがた灰になった吸血鬼が誰なのかを。けれど言葉にならなかった。
振り返り、あんじゅはゆうかの方を見る。父親を目の前で失った少女は、叫ぶことも泣くこともなく父親の死を焼き付けるように、その場に立ち尽くしていた。
○
どんよりとした灰色の空から、鉄の塊が現れ、地面に向かってくる。大型のヘリコプターだった。ヘリはローターの回旋を緩やかにしつつ、工場の駐車場跡地のアスファルトに着陸していく。
着陸と同時に、複数の人たちがヘリから降りて来た。大きな機械を携えた彼らは、凄惨な現場となった廃工場へと踏み込んで行く。
降りて来たのは【国立吸血鬼研究機関】の人間だ。吸血鬼の治療という大義を抱え、国内最大規模の吸血鬼の治療法を研究している組織。
吸血鬼化した際の治療法、つまりは人間に戻る方法は未だに見つかってはいない。世界中の科学者が様々な仮説を打ち立て、研究を重ねているが、結果がそれら全てを打ちのめしている。もし吸血鬼化への治療が発見されれば、それは人々にとって歴史を動かすほどの大発見となるだろう。
しかし、彼らがここに来たのは、治療とも研究とも程遠い理由だった。灰の回収だ。
吸血鬼は死ぬと灰になり、死体を残すことはない。だが、粉末状になった死体からはDNA情報が採取できる。それを照らし合わせて、照合する。そのために彼らはやってきたのだ。灰の中に、重大犯罪を犯した吸血鬼のDNAがある程度の量確認されれば、無駄な捜査をすることがなくなるうえに、行方不明者や被害者も把握できる。
未だに発見されていない佐々木ゆうかの母親も、もしかしたらこれで探し当てることができるかもしれなかった。けれど、そうなれば最悪の結末だ。灰になったということはつまり、吸血鬼になって殺されたということだから。
目の前で父親を失った少女の母親は今も見つかっていない。不明瞭だからこそ、それは少女の最後の希望にもなっていた。だが、時間が経つとともに生存の可能性は不安に変わる。
あんじゅは工場内で棄てられていたトラックの荷台に腰掛けて、ヘリからやってきた人たちをただ見ていた。全てが機械的に進んでいく。そこには、人の心が入る隙間は一切ない。灰は掃除機で吸い込まれ、データ化された身元の証が機械の画面に写し出される。
「ひどい顔してるぞ」
不意に、横から現れた京に声をかけられた。
「柚村さん……」
「大丈夫か?」
「はい」
嘘をついた。大丈夫かどうかすら、自分でもわからない。
「柚村さんは? 背中とかは?」
「大丈夫だよ。さすがに床が抜けたときは舌を噛みそうになったけどな」
大事ないことを証明するため、身体を捻って動いてみせる京。痛がる様子もないので、あんじゅは胸を撫で下ろした。
「あの子は……」
「他の人が見てくれてる。沙耶も鵠も子どもの相手は得意じゃないしな」
「わたし……撃てなかったです」
「気にすんな。いろいろ考えたんだろ」
撃ってしまえば、自分はあの子にとってどう映るのだろうか。現れた正義の味方が、父親を撃った。たとえ怪物になろうとも、親子という関係は途切れることはない。
「柚村、霧峰!」
不意に、室積隊長から呼ばれた。早足で向かうと、隊の『戦術班』が全員その場に集っていた。
「ご苦労だった。他の隊が現場の引き継ぎをする。報告は私が済ませておくから、本部に着いたらそのまま解散していい」
そうして淡々と終える。ただ事件を解決し、何事もなく全てが終わったような口調。とても先ほど吸血鬼化した女の子の父親を殺したようには見えなかった。ゆうかの父親を手にかけることに葛藤した自分と比べて、悲しみや無念さを一片も見せない。そんな室積隊長を見て、複雑な気持ちになる。
それは、他のメンバーも同じように多数の吸血鬼を殺したことについては、関心のない様子だった。副隊長の綾塚沙耶は憂う素振りも見せない。あのとき笑っていた彼女が嘘のようだった。鵠美穂も、同じように関心は見せない。仕事や慣れだと割り切れば楽なのだろうが、あんじゅはそう考えることができなかった。
少女が目の前で父親を失った。それは裁かれることのない、世界が認める合法的な殺人だった。
「あの、室積さん」
おずおずとあんじゅは手を挙げる。
「なんだ?」
「あの子……あの女の子は? それと、お母さんも……」
「あの子か。先ほど母親の灰が確認された。あの子の今後についてはまだ未定だ」
そう告げられ、あんじゅは視線を落とす。
「落ち込むことはない、一人でも助けることができたんだ。よくやった」
「はい……」
結局、佐々木ゆうかの家族は助からなかった。最後の微かな希望も潰えてしまい、彼女が孤独になったことを思うと胸が痛んだ。
この事件で助けられたのは、幼い命が一つ。他の者は死体も残らず、虚しい灰へと成り果てただけ。一つの命を救えたと考えれば気持ちも変わるだろうが、それをわかっていても、あんじゅには中々割り切れなかった。
車に乗りこみ本部に戻る。思い返せば、濃密さと激動を味わった一日になった。これが、不本意で現場に出ることになった、あんじゅの初仕事となった。
(どうすればよかったのか)
車内で、あんじゅは正しい選択肢を探し出す。完璧で抜け目のない。自分も、他者にも最良のものを。
急げば、間に合ったのかもしれない。もう少し早ければ、残りの五人の命を助けられた可能性もある。
来るのが遅かったから吸血鬼になった。ゆうかの父親が言った言葉が、あんじゅにはまだ刺さっていた。
それとも、この感情そのものが杞憂なのか。自分の希望は『技術班』で、こんなところに引っ張り出されるいわれはないと。だから、こんな沈鬱な気持ちは、本当は自分が持つものではなかったのかもしれない。
あるいは、心を殺し、吸血鬼を殺すか。
色んな感情が渦巻き、蝕んでくる。
本部に戻ると、京に教えてもらいながら報告書を書き、夢遊病のような足取りで、いつの間にか家路についた。
一人になり、自分だけの空間に訪れると、ますます今日という日を深刻に考えずにはいられなかった。悔やむことばかりが心を埋め尽くす。
あんじゅは疲れ果てた身体をベッドより先に、床に投げ出す。そのまま眠りについた。
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