Ambivalent

ユージーン

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First Step

1.静寂と焦燥

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『──では、次のニュースです。ヨーロッパの吸血鬼の被害者数は年々増加しEU各国は──』
『──アメリカでは吸血鬼への新たな法案の受け入れを、日本にも勧めており、政府はこれを受け入れる方向に──』
『都内で発生している行方不明事件は、やはり吸血鬼による誘拐との説が濃厚かと思われてます。行方不明になっているのは十代の──』

 朝のニュースだ。

 そんなことを思いながら霧峰きりみねあんじゅはコーヒーをすする。部屋で朝食をとり余裕をもって過ごすこの時間は、あんじゅにとって一番リラックスできる瞬間だった。

「ふあっ……」

 あくびをしながら、おかわりのコーヒーを注いだ。寝間着姿にポンチョを羽織り、寝癖が少しだけ主張している。
 色気もへったくれもない姿だと自分でも思ったが、一人暮らしなので気を遣う相手はいない。もう越してきて一週間だが、部屋に誰かを招いたことはない。

「やっぱ苦い……」

 舌に染み込む苦味に、あんじゅは少し顔をしかめる。
 飲めるものの、ブラックコーヒーは苦手だった。だが、目を覚ますには、カフェインの力を借りる必要がある。まだ引っ越してきたばかりだが、砂糖とミルクを買うのを忘れた。

『……だからね、私思うんですよ。吸血鬼に人権なんているの?』

 初老のアナウンサーの何気ない発言を、あんじゅの耳が捉えた。BGM代わりにするだけだったテレビに、思わず反応する。
 議論している内容は、吸血鬼の収容所の不足について。国内の吸血鬼の収容人数と、過去約二十年間で吸血鬼化した人間の比率が、グラフで映し出されている。吸血鬼化した者たちの割合が、収容所に収監できる人数の倍近くにまで伸びている。収容所が足りてないのが、明白だった。

『その場で、適切な処分を下した方がいいと思うんですよね』
『しかし、著名人であったり、なにか適切な情報を待っている場合もありますので』
『ですけど、彼らは人を襲う怪物ですよ。大切な人であろうと、僕は適切な処分を下すべきです。収容される人数にも限りはありますから』

 朝から取り上げるニュースとしては、暗く難解な議題だろう。誰もが寝起きの目を擦りながら、人だった者の命や人権をどうするべきかを定期的に聞かされる。そんなものは大学の哲学の講義の中だけですべきだろう。

 だが、仕方ないと言えた。

 吸血鬼の存在は、今の世界にとって解決しなければいけない最大の課題なのだから。

 吸血鬼。

 二〇一五年。今から百年一世紀も前の時代に、世界が突如、彼らの存在を認めた。吸血鬼という存在が、第二次世界大戦時から確認されていたこと、放置しておけば人類存続の危機にあたる、ということを。
 きっと、当時の人はこう思っただろう。
 吸血鬼ってなんだ? なぜ今さら? ? と。
 吸血鬼に噛まれ死亡し、同じように吸血鬼化した人たちの処遇はこの社会の、頭痛の種となっている。
 例外なく極刑にすべきだという声もあれば、一人一人に配慮すべきだという意見もある。未だ開発に進展のない吸血鬼化の治療薬を待つべきという声が出れば、皆殺しにして早々と人類の平和を取り戻すべきだ、と野蛮なことを声高に叫ぶ声もある。
 この国の現時点の吸血鬼への対応は、社会的地位のある者、技術を持つものを優先に収容所行きが決まる。当然ながら、一般国民の立場にある者は優先される可能性は低く、その場での射殺も辞さない。

 ある意味で『吸血鬼化することで初めてその人の価値がわかる』とまで言われていた。どれだけ不公平だろうと、それが自分の存在の価値だと突きつけられる。
 人に危害を加える者だろうと、生かす価値があるか。

『そもそもなんで税金使って吸血鬼を養うんですかねえ……』
『吸血鬼化した家族のためという意見もありますし。それに最近は人工血液の配合成功率も増えてはいますから』

 女性のアナウンサーは初老のアナウンサーをなだめるように言う。

 以前見た番組をあんじゅは思い出す。
 吸血鬼化した者が、空きに余裕のある収容所に送られても、面会には誰も来ない。被害者となった人間は冷遇され、世間もそれを容認するような傾向が強くなっている、と。

『まあ、夜道はなるべく出歩かないように……では次です』

 ニュースが、動物園の特集に変わる。檻の中に入っているトラやライオンの映像が流れ出した。檻の中に入れられ、忌み嫌われて、収容所に入れられる吸血鬼と違い、檻に入れられても好かれてる動物達との対照的な内容には、なんだかメディアの意図を感じてしまう。

 あんじゅは食パンをほうばりながら、チャンネルを切り替える。天気予報が見たかった。

「あっ……今日晴れるんだ」

 都内は全域が晴天になっており、余すところなく日光が降り注ぐ予報になっていた。濃霧注意報はあるものの、降水確率はゼロだ。

「よかったあ。引っ越しで傘なくしちゃったから助かっ……」

 晴天に安堵したのもつかの間、あんじゅは我が目を疑うものを見た。左上に刻まれた時計は八時を過ぎを報せていた。

「え……八時……?」

 そう、現在時刻は八時を超えていた。今ごろは、本当なら窮屈な満員電車に揺られていなければならない時間帯だった。

「え……」

 どうして気がつかなかったのかと自分を責める。普通なら気がつくはずだ。液晶画面全体を見ているならば左上に時刻が表示されているはず。それを見逃すということはそうとうなマヌケか、もしくは神様が今日の遅刻を推奨しているかだ。

 スマートフォンや部屋の時計を見て確認するが、悪夢はあんじゅの思い通りに醒めてはくれず、現実だけが突き刺さる。

「うそ……うそでしょ!?」

 慌てふためきながら、あんじゅはポンチョを放り出し、パジャマを脱ぎ捨てると、クローゼットからおろし立てのスーツを取り出した。朝を優雅に過ごしていた先ほどとまるで正反対で、嵐のように慌ただしく動き回る。

「ああっ、もう!! なにしてるんだろほんと……!」

 驚異的な速さで一分も経たずに着替え終えると、あんじゅは洗面所に向かい、身だしなみを整える。数日前に髪をショートカットに切り整えたことに感謝した。

「えっと、ファンデーションとコンシーラーと……目と眉はいいっ!」

 軽く化粧を済ませ、鞄を手に取ると家を飛び出した。食べかけのパンと、出しっぱなしのコーヒーが頭をよぎったが、もうどうでもよかった。

 本当に信じられない。まさか初日に遅刻するだなんて。

 時計を確認しながら、全速力で駅に向かって走っていると、遠くで乾いた音が何度か聞こえた。それが銃声だということを、人々は知っていた。
 またか、と通行人の誰かが呟く。“また”という言葉の通り、今の銃声は人々にとって、日常のとして鳴り響いている。誰もが、生まれた時からそれを耳にしているため、命を奪う音が聞こえても、違和感や嫌悪感など抱いてはいない。

 上空でらヘリが飛んでいるのが見えた。高層ビルの間を縫うように飛ぶそれは、民間機ではない。
 ヘリは黒塗りで、ミサイルや機関銃で武装した機体。黒い機体には赤色の彼岸花のノーズアートが描かれている。一国の首都圏にこんな武装した兵器が飛行していることは、異様な光景ともいえるだろう。それでも、人々の驚きの反応は薄かった。

「まったく、朝から勘弁してほしいっての。うるせえったらありゃしねえ」
「しゃーねーよ、が出たんだろ」
「うぜえなほんと。早いところ吸血鬼なんて皆殺しにしちまえよ」

 鬱陶しそうな、それでいて仕方なさそうな眼差しでヘリを見上げている二人の若者を横目に、あんじゅは駆け足で地下鉄に辿り着く。改札を抜けると、ホームは人でごった返していた。

「うそ……多い……」

 朝はこんなに人が溢れかえっているものなのか。あんじゅはそう思いながら、天井から吊るされている電光掲示板を見る。遅延の文字が見えた。

「えっ……」

 再び目を凝らして見るが、文字は変わらぬまま。ただでさえ遅刻だというのに、ましてや電車まで遅れているなんて。

『ただ今、一つ前の駅で吸血鬼が確認されました。対応と駅構内の安全の確保のために、車輌の遅れが生じましたことを、お詫びします』

 頭上から流れるアナウンスが、現実だということをあんじゅに突きつけてくる。走れば寸前で間に合うかもしれない、そんな希望が打ち砕かれた瞬間だった。

「遅刻確定……」

 あんじゅはそう呟くと、ため息混じりに鞄からクリアファイルを取り出す。

 『入社案内と手続き』そう書かれたクリアファイルには、彼岸花のイラストがプリントされていた。
 それは、あのヘリに描かれていたものと同じ、この世界を悩ます吸血鬼たちを狩る組織のロゴだ。

 そして、あんじゅも今日からその組織へと、従事じゅうじすることになるのだ。





 駅を出ると真っ先に目に入る建造物がある。
 四角い巨大な建物が三棟、それぞれ、赤色、藍色、黒色の配色をしている。現代の建造物というよりは、SFやファンタジーの世界の方がしっくりくるくらい、文明化した都会に馴染んでいない。それでも、駅前一等地の激戦区を勝ち取った王者の風格が溢れていた。
 建造物は高い塀で囲まれ、四方の出入り口付近には検問と、自動で銃撃を開始する最新鋭のタレットが配備されている。辺りを払う勢いでそびえ立つこの建造物は、要塞と呼ぶにふさわしかった。
 重々しい貫禄を備えているのも当然である。
 ここは吸血鬼の事件やテロに対抗するために結成された組織【彼岸花ひがんばな】の本部であり、日本で唯一の、吸血鬼対策機関。
 警備は当然ながら厳しく、【彼岸花】を訪れる際は時間厳守が組み込まれていた。遅れてきた訪問者や、社員の遅刻者には足止めされ、洗いざらい調べ上げられ守衛の厳しい視線という洗礼が待ち受けている。
 それが例え新人の人間であろうと、例外はない。



「本当に新入社員の方?」

 これで、五度目の詰問。もはや愛想よく笑顔を振る舞う気になれなかった。

「は、はい……霧峰あんじゅです。事前に渡された新入社員用の資料もちゃんとあります……」

 繰り返し口から出る五回目の返答。尋問されているような心地悪さが、余計に疲れを感じてしまう。

 【彼岸花】の各門の前では常に厳戒態勢が敷かれ、守衛が緊迫した面持ちで立っている。軍用車のハンヴィーまでもが停車しており、重々しい空気が漂っていた。

「噛まれた形跡は?」
「ありません」

 小型の金属探知機みたいな検査具を持った守衛が報告を入れる。

「歯をもう一度見せて」

 もう一度、と言うがそれもすでに五度目である。

 愚痴を飲み込み、あんじゅは口を開ける。尋問が続く原因にもなった自分の八重歯の存在が、今は少しだけ厭わしく感じた。

「あの……もうそろそろいいんじゃないですか……?」
「それを決めるのはこちらです」

 守衛は冷淡にそう言うと、どこかに電話をかけていた。

「こちら西門です。問題はありません、本当にただの遅刻かと。……人工血液の摂取確認? それはさすがに……」

 こうも時間がかかるものなのか、とあんじゅは思わず眉をひそめてしまう。

 不意に軋むような機械音が響き渡る。自動小銃のタレットが銃口をこちらに向けていた。

 あんじゅはおどけた笑顔を向けてみるが反応はない。機械には気遣いやジョークといったものの類は通じないのだから当然といえば当然だった。

 初日からの遅刻、挙げ句の果てには守衛に足止めされ、吸血鬼疑惑を持たれる。新人としては、これ以上ない最悪の合格点だろう。

「それで、配属先は?」
室積むろずみ隊です」
「霧峰あんじゅ……少し待ってろ……」

 守衛はそう言うと、パソコンからデータの確認を開始した。

 あとどれくらいかかるのだろうか、そんなことを思っていた矢先だった。

「止まれ!!」

 守衛の尖り声にあんじゅの心臓が飛び出しそうになった。また自分が何かしたのか、と思い狼狽うろたえる。

「ポケットから手を出せ!」

 守衛が威圧的に呼びかけた対象はこちらに近づいてくる人影だった。人影は男性だった。二十代半ばに見え、グレーのジーンズにタートルネックの黒いシャツを着た、モノトーンなファッション。短髪でさっぱりした髪型だが表情はどこか野暮ったい。どこか苛立っているようにも見えた。

 その男は、守衛に銃を向けられているにも関わらず、何事もないように平然と検問所に歩いてくる。

「遅刻したんで……I.D照合頼むわ」

 そう言って男はポケットに収められていた社員証を守衛に投げ渡す。よほどの豪傑なのか、銃を向けられ対敵されているこの状況で、平然とあくびをかましている。

「遅れは厳しく取り締まると社訓にもあるだろ。なのにその態度はなんだ」
「仕方ねえだろ。ゴミ出し忘れたんだから。あと寝坊と電車の遅延」
「……先週も見た顔だな。また遅刻か」
「ドッペルゲンガーだろ、それ」

 男がもう一度あくびをする。あくびを終えた男は電車の遅延届けを守衛に提出したが、そこに記されている時間は遅刻を考慮しても間に合ってはいない。

「少し待ってろ」

 守衛のリーダーらしき人物が低い声で言う。とりあえず威厳を保つために威圧的に接しているという感じだった。

「照合するだけだろ。どうせあんたら、一日中暇なんだから、さっさとしてくれ」
「暇ではない。それに順番がある」
「順番?」

 見渡した男はあんじゅに気がついた。戦闘服とアーマーに身を包んだ守衛とは違う、小綺麗なスーツ姿の存在は一目でわかるだろう。

「新入りか?」
「あっ、はい! 今日が入社式なんですけど……ちょっとゆっくりし過ぎて……」
「遅刻は厳禁だぞうちは。よく初日からそんなブッとんだマネできたな」
「それあなたが言いますか」
「ごもっともだな」

 男はそう言って、再びあくびをかます。
 そのうちに、やっと機械があんじゅのI.D.を認識した。

『I.Dを確認。霧峰あんじゅ』

 機械的な女性の声が流れると、守衛の面持ちは、少しばかり柔らかくなった。

「ほら。初日だし大目に見るが二度と遅れるなよ」
「あ、ありがとうございます!」
「出入りに関することは、ここは厳しく取り締まる。なんでそうするかは、わかっているな?」
「はい……ご迷惑をおかけしました」

 守衛に一礼して歩き出そうとしたその時、声をかけられた。

「おい」

 振り返ると遅れてきたあの男が手招きしていた。

「なんですか?」
「おまえ、どこ行く気だ?」
「え? あっちですけど……」

 あんじゅは、壮大にそびえ立つ藍色のピラミッドを指差す。案内によると、入社式があるのはあの場所だった。

「入社式があるので」
「もう終わってるだろ。新入社員は、入社式中に指定された配属先に向かってるぞ」
「え……じゃあ」
「そっちに行ってもなんもねえ」
「うそ……」

 どうしようか考え込んでいると、早々と警備のチェックを終えた男がやってきた。

「危なっかしいからついてこい」
「い、いえ、自分で探します」
「迷子放送されんのが想像できるぞ」

 指摘され、ごもっともだ、と自分でもあっさり腑に落ちるあんじゅ。それが少し悲しい。

「俺は柚村京ゆずむらきょうだ。あんたは……霧峰あんじゅだっけ?」

 柚村京。名乗った男は、そう言って手を差し出す。

「よろしくお願いします」

 あんじゅも差し出された手を握り、握手を交わした。

「【彼岸花】にようこそ、新入り」
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