Ambivalent

ユージーン

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apoptosis

82.summoning

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 仁と神崎、そして千尋に連れられて、指名された四人が出ていく。京はそれを遠くで眺めていることしかできなかった。
(どういうつもりだ……?)
 京は千尋の行動の真意を考える。千尋は明らかに自分を見逃した。部屋に入ってきて、カイエを立たせて出ていくその時まで、千尋は一度も自分と目を合わせていない。千尋は、、京と目を合わせなかった。この場に居ることを知っていて(知っていたはずだし)、知らない振りをしていた。
(なんのために?)
 千尋の腹づもりがどうであれ、状況が良くない方向に傾いたことは間違いない。吸血鬼たちは、気を抜いて落ち着き払っている。連中にとって障害はないということだろう。
 京は仲間が全滅した場合を考えた。最悪のパターンだが、そうなれば、後は外部からの救出が頼みの綱ということになる。吸血鬼たちを対処するのが仕事だというとに、情けないことに自分も他の人質たちと変わらない。
 京は銃を収めてある場所に手を触れる。柔らかいジャケットの布地の裏側に硬い感触を捉えた。敵の数は八名。装弾数から考えても、弾が足りないということはない。八名の内、武装してるのが七名、そして一名。
「あー、しっかし退屈やなあ」
 仁と神崎が出て行き、残された山瀬が気怠そうに仲間の吸血鬼と雑談を始めた。完全に油断しきっている。撃つなら今だろうか、京がそう思ったとき、小さな機械音を耳に捉えた。音のした方向を見ると、球体に蜘蛛の足を付けたような物体が動いていた。ちょうど、京の真横で動いている。
(ドローン……?)
 間違いない。小作りなサイズのそれは、偵察で使われるドローンだった。当惑しながらそのドローンを見つめていると、。目というよりは、備え付けられているカメラのレンズ部分だが。京の姿を捉えたドローンは、しばらくの間じっと、レンズで見つめてくる。ドローンは少ししてから、近くのダクトの中へと逃げていった。
(なんだったんだ……?)
 吸血鬼たちが人質を見張るために巡回させているのだろうか。だが、吸血鬼連中を見てもそんな様子を見せている者は一人もいない。となれば、外部から送り込まれたのだろうか? 考えを巡らせていると、蜘蛛型ドローンが再び京の目の前に姿を見せた。先ほど見たときと変わって、本体には補聴器型のイヤホンと小型のマイクが貼り付けてあった。
(付けろ……ってことか?)
 いぶかしみながら、京は耳にイヤホンを入れた。袖口にマイクを取り付けていると、声が聞こえてきた。
『あー、あー、マイクテストですわ。から早く隊長の座を奪いたいですわ。今のが聞こえてましたら、ご内密にお願いします』
 聞き覚えのある女性の声だった。特徴的な(というか独特な)お嬢様言葉を使う女性の声、それが誰なのかは察しがつく。
「……空金そらがねさん?」
『ビンゴ! 大当たりですわ! よくわかりましたわね。えっと……誰でしたっけ?』
「……早見隊の柚村です。昨日……会いましたよね」
 港で沙耶が押さえつけたのは記憶に新しい。
「なにしてるんですか? このドローンは?」
『見知ったお顔を拝見しましたので、そちらの小型ドローンはの中でも──』
 突然通信が切れた。何度かノイズ音とクリーンな音声が交互に流れる。繋がったなら早く代われ、ハゲ、だの言い争う声が聞こえてきた。
 しばらくして、京宛てに再び声が届けられる。しかしそれは空金渚の声ではなく、無骨な男の低音ボイスだった。
『──おう、柚村か?』
 声の主が美堂みどう隊長なのはすぐにわかった。
「ええ、ご無沙汰してます」
 昨日も会っているのに、そんなことを思う京。前回会ったときは険悪なムードのまま顔を合わせたので、一対一で会話することには気が引けた。
『怪我はないんか?』
「ええ。あの……なにしてるんですか?」
『それはワシのセリフじゃ。まあええ。今は【舞首】の外にワシ含めて四つの隊が待機しちょる。詳細は知らんが、とりあえずテロじゃろ? 吸血鬼どもの』
「はい。【舞首】の開所式のパーティ会場で三、四十名ほどが人質になってます。警備員と、企業の上の人とか、政治家とかばかりです」
『被害は?』
 美堂に言われ、京は事の始まりから話す。吸血鬼が自分の方向に目を向けるたびに、京は肝を冷やした。
『──ほうか。本部の方にも伝えとくわ。そんで、お前はなにしとるんじゃ?』
「えっと、その前にいいですか?」
『あ?』
 話を遮られ、美堂の声に苛立ちが露わになった。
「できたら、早めに突入してほしいんですけど。早見さんと、俺の仲間一人は連れていかれて、他の仲間とは一切連絡とれないんで」
『そげえなこと言うてものう、防衛システムのおかげですぐには無理なんじゃ。それに、一番の問題は人質たちじゃ。本部も下手に踏み込んで人質に危害が出るのを恐れちょる』
 当然だな、と京は思った。人質たちには金も力も、そして権力もある者ばかりだ。それでも、通常の対抗手段を行使するのに遅すぎるということはないだろう。すでに犠牲者が出ているのだから。
「モタモタしてると、全員吸血鬼になって、見学者の望み通り仲良くここに収容されるでしょうね。それか、死体袋行き」
『そんなん、ワシに文句言うなや』
 美堂の言葉に棘が出てきた。もどかしさを感じているのは美堂も同じだろう。傍観したいわけではない。人質たちの安全を考えれば、待機が最優先と判断したのだ。その判断を下したのは、上の立場の人間だろう。
 京は深く呼吸をして心を落ち着かせる。美堂の苛立ちがこっちにも伝染してきそうだった。これ以上はやりとりをする気にはなれない。ある人物に代わってもらうように指名する。、と大嘘をついて。
『よう、ユズ。ご指名ありがとうな』
「おう」
 相澤の軽い口調が耳に入る。普段ならこの声が鼻につくのに、今は不思議と心が救われる気がした。
『それで、俺になんの話? 遺言の言付けか?』
「違う。お前連絡くれたろ? 千尋の場所がわかったからって」
『ああ、それか。踏み込んだアジトはもぬけの殻。どうやら、こっちが踏みこむことは見抜かれてたみたいだ。骨折り損かと思ったら、本部から【舞首】のこと聞かされて出向いたってわけ』
「なるほどな」
 美堂隊は偽情報を掴まされて、休む間も無く【舞首】に出向いたらしい。本当に、そこだけはご苦労様だと京は思った。
『んで、朗報があるわユズ。衛星の熱探知で見ると……警備室に、五名ほど籠城してるみたいだ。動きからして吸血鬼じゃない』
 五名。その内の二名は霧峰と上條だろうか。明確にそうとは断言できないが、京は胸の荷が少しばかり軽くなったような気持ちになる。
『警備室が無事なら、防衛システム解除してほしいんだけどな。あそこに通じてる通気口は、ドローン対策してあるから無理』
「このインカムから、なんとか向こうに連絡取れねえか?」
『無理だな、諦めてくれ』
 きっぱりとそう言われて、京は小さくため息をついた。
「……一つ頼んでいいか?」
『ん? なんだ?』
「俺の隊の他の人間が無事かどうか知りたい」
『オッケー、探してみる。新しく動きがあれば教えてくれ』
 通信を終えて、ドローンはひっそりと通気口に消えていった。小さな機械昆虫を見送ってから、京は再び人質として大人しく振る舞うことにした。
 京は、なるべく下を向いて吸血鬼たちの視線をやり過ごす。特に山瀬だけには顔を見られるわけにはいかない。性格からして、京を見つけても見過ごすことはないだろう。面倒なことになるのは想像するのに容易かった。その面倒ごとは、おそらく死に繋がる。
(それにしても……沙耶のやつ、どこでなにしてんだ)



 ○



 刃は心臓を貫いた。沙耶はナイフの持ち手を捻って傷口を広げると、吸血鬼を蹴り倒す。床を滑った吸血鬼はそのまま、灰になった。
 最後の吸血鬼を灰にした沙耶は、壁にもたれかかった。腰と右肩、そして左ももに歯型がくっきりと残されている。出血は酷くはないが、止血は必要だろう。痛みに関しては、。肩で息をする感覚を久しぶりに味わった気がした。
 トラックの荷台から放たれた全ての吸血鬼をようやく葬った。すし詰め状態から解放された大量の吸血鬼は、一切の迷いなく、虎のように襲いかかってきた。投げこまれたのがエサではなく、だということに気がついた吸血鬼たちは、果たしていたのだろうか。
 沙耶は身体を投げ出すように灰の山に崩れ落ちる。重なった粉末状の骸がきちんと身体を受け止めてくれた。埃のように舞い上がった灰を吸い込み、むせこむ。
 百体を超える吸血鬼をナイフ二本で葬るのは、さすがに骨が折れた。筋肉を使い過ぎて、腕が痛い。刃も、骨を削り過ぎて欠けている。息が上がる感覚、吸血鬼と戦って疲労するのは久しぶりだった。
「……訓練不足だな」
 ひとりごちる。沙耶は欠けたナイフを手に取り、ぼんやりと眺めていた。比較的にダメージの少ない方を選ぶと、片方は捨てた。たしか、乗ってきた車に予備が一本置いてある。
 もう一分ほど身体を休めると、沙耶は立ち上がり、こびりついた灰を落とす。乗ってきた車輌に向かうと、荷物を取り出た。粉末状の止血剤を傷口に雑にかける。予備のナイフの他に、発煙手榴弾スモークグレネードが目に入ったので、持っていくことにした。
 装備を整えた沙耶は、非常階段から地上階に出ようとしたが、扉は開かなかった。電子ロック式で、吸血鬼の脱獄対策用の防衛システムが機能していた。
 沙耶は踵を返し、エレベーターの方に向かう。どうにかして戻らなければならない。【舞首】は吸血鬼に占領されているだろう。その中に千尋と、そして山瀬とかいう金髪の吸血鬼もいるはずだ。
 ふと、気配がして立ち止まった。振り返り、目を凝らすと、停車してある車の中に、誰かがいるのが見えた。
(隠れていたか)
 そう思い、ドアを開けて、相手を引きずり出す。ナイフを振り上げたと同時に耳をつんざくような悲鳴が響き渡った。
「わあああっ!! ストップ! ストップですって、綾塚氏ぃ!!」
 倒した相手が、高価そうなバッグを盾にして喚く。自分の名前を呼んだことで、沙耶は振り下ろす手を止めた。顔を見てその正体に気付くと、沙耶はナイフを収めた。
「……なにしているんですか? ……矢島、さん」
 慣れない堅い敬語が口から出てくる。むず痒さを、沙耶自身も感じていた。
「かっ、帰ろうと思ったら、出口が塞がれてまして。そうしたらどこからともなく、吸血鬼がワラワラ出てくるし。それを現れた綾塚氏がスタイリッシュに狩るわ狩るわ。車の中で隠れて全部見てましたよ、お見事!」
 早口でまくしたて、矢島は立ち上がる。矢島が身に纏っていたドレスは、沙耶が倒したことと、吸血鬼の遺灰ですっかり汚れてしまっていた。
「あーもう、最悪ですよ……これ高かったのに」
 矢島はドレスの灰を落とすと、大きなため息をついた。
「綾塚氏、携帯かスマホありますか? 連絡とれます?」
 言われて沙耶は自分のスマートフォンを確認する。動作確認をするが、電話とメールは使えない。首を振ると、矢島は落胆した。
「なんの用でここに来てたんですか?」
「それは機密事項です。話したら怒られます」
「怒る人間がここにいるか?」
「……元も子もない」
 矢島は肩をすくめて、口を開く。
「ここに来たのは、内務調査のためですよ」
「内務調査?」
「ええ、大沼義時議員は知ってますよね?」
「ああ」
「大沼議員の過去の対立候補……彼の案件に反対する有力者、彼が公表されたくない情報を手に入れた報道関係者。大沼議員に都合の悪い人たちが、ほとんど吸血鬼に襲われています」
 それを聞かされた沙耶はすぐに察しがついた。
「自分にとって都合の悪い人間を、吸血鬼に襲わせていると?」
「気に入らない人間を合法的に葬る方法としては、一番有効だと思いますけど。アメリカや欧州だと、この手の事件はたまにありますよ」
 矢島は一呼吸区切ってから続けた。
「吸血鬼を殺すことは、
 【彼岸花】では、吸血鬼退治に意気込む人間を止めることも業務の一部に入っている。その際に向こうが指示に従わない場合は、“公務執行妨害”として罰することはできる。だが、吸血鬼に危害を加えたり、吸血鬼を殺害することに関しては、“傷害”も“殺人”の罪状も基本的に付くことはない。密かな吸血鬼狩りゲームを行う迷惑な輩も、少数ながら存在している。
「議員が吸血鬼を使って襲わせているなら、証拠が残るだろう」
「ええ。綾塚氏、一ノ瀬いちのせとおるって吸血鬼は知ってますか?」
「一ノ瀬……?」
 記憶を手繰るが、思い当たる吸血鬼はいない。
「聞き覚えがないな」
「なら、一ノ瀬いちのせじんは?」
 同じ“一ノ瀬の性”が矢島の口から出てきた。
「……名前の方なら知ってる」
 港の一件の後で、京から聞かされた。千尋と山瀬の口からその名前が出たことを。
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