Ambivalent

ユージーン

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apoptosis

83. Gehenna

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「兄弟なのか?」
「ええ。一ノ瀬徹が弟ですよ」
 矢島はそう言うと、自分の車の後部座席に置かれていた封筒を取り沙耶に渡す。
 沙耶は封筒の中身を確認した。数枚の紙束を指でめくる。沙耶の目が最初に捉えたのは、監視カメラの一場面を切り取った画像だった。若い男の顔が見える。人相は悪いが、男を見ても屈強そうな印象は抱かない。一言大きな声をあげて、相手を威嚇して満足していそうな、そんな器の小さな人物に見える。画像枠外の空白の部分には、手書きで一ノ瀬徹と書かれてあった。
「これが、一ノ瀬徹?」
「ええ」
 矢島は頷く。
「一ノ瀬徹と大沼議員は関係があったみたいです。身の安全を保証する代わりに、自分にとって厄介な相手を吸血鬼に変えるように、依頼していた。【彼岸花】本部は考えてます」
 読んでいた資料と似たことを、矢島が音読した。沙耶は目と耳で情報を手に入れ、頭でそれらを咀嚼する。
「こいつは今はどうしてるんだ?」
「一年前に我々が射殺してます。その後の調べで色々わかったんですよね、兄がいたことも」
 沙耶は資料を読み終えると、矢島に返す。
「兄の一ノ瀬仁は、吸血鬼の犯罪組織のボスです。一ノ瀬仁は社会不適合者や、消えても問題のない人間を吸血鬼に変えて、自らの駒にしていたみたいです。だから、手掛かりがあまり掴めなかったんですよ」
「社会不適合者?」
「囚人護送車、人里離れた老人ホーム、児童養護施設などで集めしていたみたいですよ。そういう人たちは、吸血鬼になっても、誰も気にもかけません。今私たちの上に立っている金持ち連中とはえらい違いですよ」
 沙耶は、モールや地下駐車場で狩った吸血鬼の顔立ちを思い返す。髪やヒゲの伸びきった者や人相の悪い者が何人かいた。彼らが人間だったときにどのような生活を送っていたか一目見て察しがつくくらい、とてもわかりやすかった。
 吸血鬼になって初めて、その人の価値は測れるということをよく聞いた。改めてその言葉に真実味が増す。人間だったときにどれだけ畏怖されていようとも、憐憫されていようとも、吸血鬼になれば上部は剥がされる。もっとも、沙耶にとってはどんな吸血鬼だろうと敵には変わりなかった。
 そうこう考えているうちに、ここから抜け出せる方法が浮かんできた。沙耶は自分たちが乗ってきた車に向かいトランクを開ける。目当ての物を確認したところで、矢島に声をかけられた。
「一つ訊きたいんですけど」
「なんだ?」
「あなたと、永遠宮千尋って仲が良かったんですか?」
 投げかけられた言葉に、沙耶は返事を返さなかった。どう返してよいのかわからなかった。
「柚村氏と永遠宮千尋は……でしょう? あなたは、どうだったんです? 良き親友?」
「ただの部下だ……だった」
 仲が良いか、と訊かれても、肯定も否定もなかった。だが、良き親友か、との問いには否定の答えを出せる。親友と呼べるほど、千尋に個人的な領域を見せる会話を沙耶はしたことがない。京や美穂に対しても、世間一般でいう親友との間柄に当たらないと沙耶は考えていた。
 沙耶はトランクからケースを引っぱり出した。金属の留め具を外し、眠るように収められていた大型の銃器を取り出す。
「それは?」
「レーザーライフル」
 この技術の寄せ集めの兵器は、沙耶にとっては火薬を使う銃器よりも合わなかった。
 レーザーライフルは表面層だけを剥離させたり、穴を開けたりと用途は様々ある。反動は少なく威力や貫通性能も申し分ないが、用途の選択肢の多さは沙耶にとっては短所にしか映らなかった。銃器本体、弾になるエネルギー、それら全てを欧州が独占的に製造しているため、手続きや弾の購入に手間がかかる点もデメリットだった。早見はよくこんな武器を選んだな、と沙耶は思った。
「使えるんですか?」
「レーザーカッターみたいに切断して通れるくらいの穴を開ける」
 金属加工と同じ要領だ、と付け加えた沙耶はエレベーターの扉に狙いを定め、引き金を引いた。放射されたレーザーは沙耶の指揮により、コンパスで書いたような綺麗な丸円を描く。光線が通った場所は足跡みたいに焼印を残す。分離された一部分が床に落ち、高く太い音を鳴らした。人が通り抜けるのに充分な大きさの穴がぽっかりと開き、薄暗い昇降路シャフトの中が見えた。沙耶はエレベーターの中を覗き、上を見上げる。の方は遠くの上層階で止まっていた。点検用のハシゴは造られて間もないためか、光の反射を綺麗に映していた。
「上の……落ちてきませんよね?」
 同じように覗きこむ矢島が不安そうに訊いてきた。
「非常用ブレーキがかかる」
「かからなかったら?」
「落下の衝撃で死ぬか、かご室に潰されて死ぬかのどちらかだろうな」
 二通りの結末を伝えると、矢島は顔をしかめた。沙耶はうんざりしてため息をつく。
「嫌ならここに残れ」
「……いいえ、上に行きますよ。私も【彼岸花】の人間です。なにが起こってるかは調べないと」
 沙耶は矢島を見て少しだけ感心した。この薄暗い地下空間に残り、縮こまっているものだと思っていたから。口うるさい人間は行動を嫌がる。饒舌具合からして、沙耶は矢島をずっとの人間だと思っていた。
「身の安全は保証できないぞ」
「ええ。武器あります?」
 沙耶はレーザーライフルを投げ渡す。
「放射じゃなく単発にしておけ。そうすれば銃と同じように使える」
「りょーかいです」
 ドレスを纏いレーザーの銃器を手にする矢島のその姿は、不釣り合いに見えた。だが、ていても、まったく絵にならないわけではない。むしろその違和感は調和している、不思議なくらいに。
 昇降路シャフトの中に入ろうとしたその時、沙耶は足を止めた。吸血鬼は全滅させたはずなのに、頭の中でなにかが引っかかった。振り返り、目を凝らす。一台のトラックが目に入った。そのトラックは吸血鬼を乗せていたのと同様に、荷台のコンテナが開けられていた。千尋に連れてこられた時を思い出すが、あのコンテナから吸血鬼が出てきた様子はない。最初から開けられていた。
 沙耶はナイフを取り出すと、警戒しながらコンテナの中に入った。風通しが悪く、蒸し暑い。梅雨という季節から考えても、コンテナの中に閉じこめられていた吸血鬼たちは地獄を味わっただろう。だから開かれた瞬間、勢いよく飛び出したのだろうか。そんなことを考えていると、足がなにかを蹴った。沙耶は下を向いてその正体を確かめる。
(靴……?)
 小さな靴が転がっていた。沙耶が今履いているものよりも、はるかに小さい、子ども用のサイズだと一目見てわかる。拾い上げて全体をよく見る。なんの変哲もなかったが、沙耶の中には疑問が残った。自分の狩った吸血鬼たちの中に、この靴がすっぽりと履けるくらい小さな子どもの姿はなかった。目の前に現れた吸血鬼は、ほとんどが大柄な男たちばかりで、女性が少数。小さい子どもの吸血鬼なら、記憶に残っているはず。
「訊いていいか?」
「なんですか?」
「一ノ瀬仁の素材集めの場所に、児童養護施設が含まれていると言ったか?」
「ええ、言いましたけど」
「子どもの数は?」
「正確な人数は知らないですよ。でも、資料で見ると大きな施設でしたから、おそらく五十人ほどじゃないですか?」
 五十もの吸血鬼ならば、見逃すはずはない。この件に千尋が関わっているならば、モールの吸血鬼襲撃の件も遡らなければならない。だが、沙耶の記憶には幼い吸血鬼の影は姿を見せなかった。
「それがどうしたんです?」
「なんでもない、上がるぞ」
 沙耶は靴を投げ捨てる。持ち主不明の履き物が床に転がり、寂しそうに二人の女性を見送った。
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