Ambivalent

ユージーン

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 沙耶に銃を手渡されたあんじゅは、とりあえず現場の確保に務めた。とはいえ、誰かが来る様子はない。先ほどの目の前の光景を目の当たりにした野次馬たちは、遠巻きに襲撃を受けた現場を眺めている。
「あんじゅちゃん、わざわざ仕事しなくてもいいんだよぉ? てか、沙耶ちゃん人使い荒くなぁい?」
「まあ、一時的なものだと思いますし……これくらいなら」
「お人よしだねぇ」
 ふあっ、と梨々香が小さくあくびをする。近くで数発の銃声が響いて、梨々香は顔をしかめた。
「あっ、もしかしてぇ、このままここに居たらぁ、梨々香って調書とか取られちゃう?」
「どう……でしょうか。おそらく、目撃者としてあるかもしれないです」
「んえー……そうなる前に退散するね、バイバイあんじゅちゃん」
「は、はい。あのっ、今日はありがとうございました」
「んふっ、梨々香もぉ、楽しかったよぉ。特に、みほっちの
 思い出したように、くふふ、と梨々香は笑う。
「またいつでも飲もうねぇ」
 そう言って梨々香は手を振ると、駅の方へと歩き出す。襲われた野次馬の血溜まりを避けると、駆け足で去っていった。そういえば、吸血鬼化した人たちの対処はどうなったのだろうか。確か、野次馬の数名が吸血鬼に噛まれたはず。
 先ほどの銃声の数と、吸血鬼化した人たちを頭の中で数えてみる。新たな吸血鬼化の被害が出ずに、美穂が弾を外していなければ、残りの吸血鬼はあと一人のはず。
 


 ○



 射線に人が重ならないところを見計らって、美穂は吸血鬼を狙い撃った。今のところ、流れ弾に当たった者はいない。噛まれた者もいるが、誰も死亡はしておらず、新たに生まれた吸血鬼もいなかった。たまたま銃を所持していたこと。公私ともに銃の携帯が認められている『戦術班』でよかったと本当に思っている。
 残りは一人。最後の一人だ。相当な量の血を吸ったと予測される。おそらく、吸血衝動はもう治って正気を取り戻しているはず。だとしても、被害を出した以上は、生かすかどうかは別問題になってくる。
 点々とした血の跡、そして、人々の悲鳴と逃げ惑う場所から、吸血鬼は簡単に探せ出せた。
「止まりなさい!」
 倒れ込んでいた女性に今まさに襲いかかろうとしていた吸血鬼に銃を構える。吸血鬼は、一瞬だけ振り向いた。そして、倒れていた女性を盾にする形で美穂に向き直る。女性の顔がはっきり見えたところで、美穂は息を呑む。
(嘘でしょ……)
 人質にされた女性は、先ほどまで美穂がステージで見ていたアイドル──かけい明日菜あすなだった。
「その人を放しなさい!」
 思わず、引き金にかけた指に力が入る。
「く、来るな……俺は悪くねえ……!」
 真っ赤に染まる口を動かして、震える声で吸血鬼は弁明する。
「俺被害者だろ……! だって噛まれて、仕方ねえだろ! ち、血が欲しいんだよ! 今だって血が飲みたくて限界なんだよ!」
「あんたが悪くないのはわかってる……けど、彼女を放さないなら撃つわよ。投降するなら……」
 美穂はそこで言葉に詰まる。あんじゅと初めて組んで仕事をした日を思い出した。
「……収容所行き。私が交渉してあげるから」
「ふざ…ふざけんな! 俺は悪くないぞ……悪くない……ふざけんな。みんな、なっちまえ……吸血鬼になっちまえばいいんだよぉ!」
 人質の首に吸血鬼が噛み付いた。それを見て、美穂は引き金を引く。吸血鬼の頭が吹き飛び、灰と化す。弾は後ろの壁に命中したため、流れ弾の心配もなくなった。
 安堵のため息を漏らす美穂。そのつかの間に人質にされていた筧明日菜が胸の中に飛び込んできた。
「ありがとうございます……」
 今にも泣き出しそうな声で、筧明日菜が胸の中で泣きじゃくる。
「あっ、いえ、いや……無事でよかったわ」
 上ずった声になる。それが恥ずかしくて、美穂はそれ以上話すことを躊躇った。思わず、目の前の吸血鬼の灰と衣類に視線を向ける。
 俺は悪くない。撃つ前に、吸血鬼は──さっきまで人間だった男はこう言った。自分は噛まれて吸血鬼化した被害者であり、落ち度はないのだと。それについては、美穂も同意だった。だからといって、それを放っておくことはできない。吸血鬼化したことは事故だったとしても、その先は自分で決めたことだ。理性を取り戻した時点で選べたはず。これ以上の血を吸わない選択肢を。投降せずに牙を立てたのは、彼の責任だ。じゃあ、理性を失った状態の者たちはどうなのだろうか。
(アホくさい)
 美穂は思考を振り払う。自分は、吸血鬼ハンターだ。どうしてそんなことを考えなければいけない。敵を殺すことだけ考えればいい。誰かが被害に遭う前に、吸血鬼を殺す。それが、自分たちの仕事だ。
 難しいことを考えすぎて、好きなアイドルが胸の内で泣いていても、美穂はどこか上の空だった。



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