Ambivalent

ユージーン

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at intervals

46.Hello, High Low

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 カイエはバイクから降りると、ヘルメットを投げ捨てて高架下を覗き込む。前方の位置で警護していたカイエだが、後ろの輸送車が突然スピードを上げて追い越していったので、慌てて追いかけた。だが、なす術もなく、輸送車はコンクリート防護柵に突っ込み、高架下へと落下していった。
 アスファルトを見るが、ブレーキ痕はない。まるで、最初から飛び降りるのが目的だったかのように。
 すぐに、後ろを走っていた早見たちの車が到着した。
「なにがあった?」
「急発進したと思ったら、そのまま高架下に落ちました」
 降りてきた沙耶に、カイエはそのままを伝える。車から降りた他のメンバーも高架下を覗き込む。すぐに隊長の早見が、京と幸宏に道路を封鎖するように促した。
「スナイパーに撃たれたとかは?」と早見が聞くが、カイエはかぶりを振る。
「明らかにスピードを上げたので、それはないはずです。運転手の身元を調べた方がいいと思います。吸血鬼と関わっているか、あるいは協力しているか」
「……上條、運転手の身元は?」
 沙耶がインカムの向こうの真樹夫に訊く。片手には、ナイフが握られている。狩る気満々といった感じだった。
 カイエはもう一度高架下を覗き込む。落下の衝撃で運転席の方はグシャグシャになっている。あれで生きていれば奇跡だろう。事故を見るためか、すでに野次馬が集まり始めていた。
「あれは……」
 野次馬の中に、カイエの見覚えのある人物がいた。短髪の女性と、長い黒髪の女性。目を凝らすともう一人、知っている顔が確認できた。
「えっと……高架下に霧峰あんじゅと鵠美穂がいます。……それと、ギャルの子も」最後の人物については、名前が出てこなかった。
「え? ……あっ、本当だ」
 早見が呑気な声を出した瞬間だった。高架下にトラックが二台停車した。運転席、そして荷台から吸血鬼が現れ野次馬に噛み付くのが見えた。突然の事態に、野次馬たちは散り散りに輸送車から離れていく。
「吸血鬼来ました……数は十二名」目視で確認すると、カイエは銃を抜いた。



 ○



「早くしろ! 運べ!」
 サングラスをかけた吸血鬼は部下に促す。輸送車の荷台は落下の衝撃でドアが開かなかった。中には、人口血液が眠っている。立ち去っていなかった野次馬の一人に噛み付き、動脈を切り裂く。これで部下ができた。何人かの部下もこれを実践している。おかげで、自分たちに近づく人間はいなかった。
 一人の人間を除いて。
 二発の銃声が鳴り、二人の部下が灰になる。銃を持った長い黒髪の女が一人、自分たちに向かって撃ってきた。サングラスの吸血鬼はすぐさま銃を出して反撃する。
「バーナーを持ってこい! 扉を焼き切れ!」
 がなるように部下に命じる。部下の一人が、また長髪の女に撃ち殺された。
 サングラスの吸血鬼は舌打ちをする。警官でもないのに、銃を携帯して撃っている。吸血鬼に対しても、まったくビビる様子もない。すぐに女の正体はわかった。【彼岸花】の『戦術班』──対吸血鬼戦闘のプロ。
「クソが……!」
 悪態をつく。だが、すぐに事態は好転に運んだ。噛まれて連中が起き上がった。数は五人。吸血鬼になったばかりの人間は、自制が効かず血に飢えている。人でなくなった者たちは、遠巻きで様子を窺っていた人々の方へと向かって走り出していた。
「ああっ、もうっ!」
 予想通り。女は民衆たちを守りに、輸送車から離れた。ならば、この場は制圧したも同然だった。あとは、血液を奪って退散するだけだ。
 だが、銃声は鳴り止まなかった。今度は上から、首都高の方から撃ってくる者たちがいる。
「トラック動かせ! 盾にしろ!」
 サングラスの吸血鬼が部下に命じると、トラックが動かされる。巨大な障害物となり銃撃は防ぐことができた。幸いにも部下を失ったのは最初の銃撃だけだ。
 扉が焼き切られ、容器に入れられた人工血液が見えた。
「運べ! 運べぇ!」
 時間は限られている。【彼岸花】の応援に包囲されてしまえば、自分たちの命が危ない。いくらボスの命令とはいえ、のために死んでたまるか。こんな、のために──
 銃声や悲鳴が轟く中、エンジン音が聞こえた。不思議とそれは、周りの雑音をすり抜けて、サングラスの吸血鬼の耳に自然と入り込む。顔を上げると、バイクが空を飛んでいた。
 跨っている人物が見えた。短い黒髪に、前髪の少し赤色に染めた女。少しだけ、楽しそうに口を歪めている。
「クソッ──」
 サングラスの吸血鬼が銃を構えた時にはもう遅く、すぐ目の前に回転するバイクの前輪が、迫っていた。
 



 ○



 地面に着く前に、沙耶はバイクを捨てた。身体を空中で回転させる際に、前輪がサングラスの吸血鬼の顔を潰したのが見えた。
 お楽しみだ、地面に着地すると胸の内でそう呟く。
 突然空から降りてきた沙耶を見て、吸血鬼は呆気にとられていた。間抜け面をしていた手前の三体を素早く狩ると、逃げようとした吸血鬼の喉を掻っ切る。
 残りは、五体。
 手に付いた灰を落として、沙耶は周りを見渡す。吸血鬼どころか、人影すら見えなかった。
『沙耶、おい!』
 耳に挿したインカムから京の声がした。
『大丈夫か?』
「平気だ。それより吸血鬼は?」
『マンホールから逃げるのが見えたよ。連中、お前にビビって血液は諦めたんだろ』
 京から言われたと同時に、蓋が開いたマンホールが見えた。闇の中を覗き込むと、下水の腐臭がむわっとして鼻につく。
「地下に降ります」
『ダメよ』
 すぐに、語気の強い早見の声が飛んできた。
『沙耶ちゃんは、現場の確保。吸血鬼狩りじゃなくて、人工血液を護るのが今回の仕事なんだから、ね?』
 今度は子どもに言い聞かせるような口調。その物言いがなんとなく気に障り、無性に反抗したくなったが、沙耶はおとなしく輸送車の方に戻る。
(……大人気ないな)
 沙耶は、無意味に苛立ってしまった自分にそう言い聞かせる。そういえば、室積隊長の時はほとんど放任されていた。信頼されていたのか、そういう主義だったのかはよくわからないが、自分のやり方をあまり口を挟まれることはなかった。隊長が変わって新しい環境になってから、どことなくやりにくさを感じているのだろうか。
 そんなことを思っていると、おそるおそる現場に近づこうとしている野次馬の一人が見えた。吸血鬼がいなくなり、危険はないと思っているのだろうか。いとわしく野次馬を見ると、沙耶はその正体に驚いた。
「……霧峰?」
 名前を呼ばれた霧峰あんじゅは、身体をビクッとさせて沙耶の方を見た。
「……え? 綾塚さん?」
「ここでなにしている? 休みを貰ったはずだろう?」
「えっと……たまたま近くにいたので」
 ああ、と沙耶は納得した。それにしても、すごい偶然だ。それを一層強く思ったのは、後ろから聞き覚えのある声に呼ばれてからだった。
「──あれ? 沙耶ちゃんだぁ!」
 振り返ると、柴咲梨々香が立っていた。彼女が辞めて以来、沙耶が梨々香と顔を合わせるのは初めてだった。
「お久しぶりぃ」
「……お前も偶然か?」
「そそっ、あとみほっちもいたよ」
「みほっち……鵠が?」
「うん。噛まれてぇ、吸血鬼になった人を追っかけにね」
 ここまで偶然が重なると、神様相手に呆れのため息をついてしまう。そんな時、ある閃きが出てきたので、インカムの早見に連絡を取る。
「早見さん」
『どうしたの?』
「現場確保できれば、いいんですよね?」
『うん……まあそうだけど。あっ、京くんとカイエ向かわせたから、二人が着くまで待っててね』
「居合わせた霧峰に現場確保させます、構いませんよね?」
『それでもいい……え? ちょっと待って、あんじゅちゃん今日は休み──』
 一方的に通信を切ると、沙耶はあんじゅに銃を手渡す。当然ながら、あんじゅは、状況を飲み込めている様子はない。
「……え? あの……?」
「京と……美濃原が来るからそれまで現場確保を頼む。私は下水道の吸血鬼を追う」
 遅れをとっているとはいえ、今から追えば間に合うだろう。
「綾塚さん。銃、持ってたんですね」
「使わないだけだ。それに、使
「使えない……?」
 ぽかんとするあんじゅを残して、沙耶は地下の闇へと降りていった。
 
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