Ambivalent

ユージーン

文字の大きさ
上 下
38 / 163
Village

37.Dawn of …

しおりを挟む



 上空をヘリが旋回している。空中投下された装甲車や、武装した人たちが地上に降り立っている。辺鄙へんぴな土地には似つかわしくない光景が、そこかしこに見られた。到着した大部隊により、村の全てが暴かれていく。

 あんじゅは、その光景を静かに眺めていた。拘束される人々。抵抗し、血に飢えて暴れる牙の生えた存在。それを容赦なく射殺する者。小さな革命を成功させた者たちの、自信や功績を巨大な力が押さえつけて一方的に破壊していく。

(終わったんだ……)

 胸の内でそう呟く。

 長く背負わされていた重荷が取れたような気がした。失った者のことを考えたら、決してそんなことはないはずなのに。どこか楽になったのは、きっと自分への脅威が取り除かれたからなのだろう。もう気を張る必要はないのだ。その感情は自分勝手なような気がした。

「よお」

 ストレッチャーに乗せられた京が現れ、声をかけられた。

「大丈夫ですか?」
「とりあえず生きてるよ」

 本人は平気そうにはしているが、小耳に挟んだところによると、臓器は危ない状態らしい。ダメージを修復するために緊急措置を施したとか。

「細胞の再生は可能って言われたから、二、三日で戻る」
「それは早過ぎますよ。ゆっくり休んでください」
「暇だと落ち着かねえんだよ」

 京は笑ってみせる。それでも笑顔には少しの苦悶が残っていた。

「霧峰、助かった」
「い、いえ……あの時は、その……」
「最初来た時に、撃てないとか言ってたのが嘘みたいだな」

 あんじゅは、どう返していいかわからなかった。

「柚村さん。無理せずに完治するまで安静にしていてください」
「病院の臭い嫌いなんだよ。美人のナースいれば、我慢できそうだけど」

 冗談めかしく言う京に、あんじゅは少し笑う。

「ところで……」
「はい?」
「あの野郎を逃した吸血鬼、あの仮面の女が着てたのって……」
絹見里きぬみさと中学の……制服です」

 あんじゅは沈鬱に答える。

「つーことは、あれもお前のクラスの?」
「わかりません……でも、おそらく……」
「一つ聞いていいか?」
「は、はい」
「あの赤目の吸血鬼が言ってたんだが……」

 京の言葉がそこで止まった。言うべきか迷っているようだった。

「柚村さん?」

 先を言わない京に、あんじゅは怪訝な面持ちになる。
 突然だった。誰かに力強く後ろから抱きつかれた。何事かと思い、驚いたあんじゅは狼狽うろたえる。

「あんじゅちゃーん!」
「柴咲さん?」
「んんっ、そうだよぉ。梨々香だよぉ! 生きてたよぉ!」

 潰れるように梨々香な抱きしてめくる。苦しくなり、解こうとするが、梨々香の力は弱まらない。

「えっ、と、柴咲さん! く、苦しいです」
「んうっ、ゴメンねぇ。生を実感したくてさぁ。あんじゅちゃん抱いてると生きてるって感じがぁ」
「わ、わかりましたから……少し解いて……」

 抱きしめたまま、梨々香は力を弱めた。

「無事だったんですね」
「命を一個使い果たしたよぉ」

 あの爆発に巻き込まれて死んだと思っていた。京から生存を聞かされても、正直なところ信じがたかったが、こうして生きている姿を目にし、温もりを感じることでようやく確信できた。思わず、あんじゅは目を潤ませてしまう。

「よかったです、無事で……本当に」

 あんじゅも、梨々香を抱きしめ返す。

「お熱いところ悪いけど、そろそろ行ってくる」

 京に声をかけられた。どうやら、輸送ヘリの準備が整ったらしい。

「あっ、はい。お見舞いに行きます」
「京くん、エロ本持ってくね。ナース物がいいでしょぉ?」

 いらねえよ、と返した京は、そのままヘリに運ばれる。またしばらく会えなくなることに、あんじゅは少し寂しさを感じた。

「柴咲、霧峰」

 飛び立つヘリを見送るあんじゅたちに、沙耶が声をかけてきた。

「二人とも怪我は?」
「わ、私は特に……足首挫いたくらいです」
「梨々香は……メンタルボロボロです」
「無事か」
「沙耶ちゃん、無視はひどいぃ」

 頬を膨らませて抗議する梨々香だが、沙耶は気に咎める様子はない。

「鵠さんと、上條さんは?」
「さっき運ばれた。二人とも骨が折れているが、命に別状はない。上條の方は神経の方に損傷があるから、少し時間がかかるだろう」

 淡々とした口調で沙耶は告げる。

「……室積隊長と、真田さんは……」
「こっちだ」

 沙耶に案内され、“室積隊”と書かれた仮設テントへとあんじゅは向かう。中に入ると、寝袋のような黒い袋と、瓶に入れられた灰が机に置かれていた。寝袋の方には真田宗谷と書かれたタグが付いていて、灰の入った瓶には、室積正種と記されたラベルが貼ってあった。

 宗谷の死に対する否定的な気持ちが、あんじゅにはまだ残っていた。宗谷は目の前で撃たれたはずなのに、それでも傷が致命傷には至ってないのではないかという気持ちが。目の前に映る、骸の入った袋を開ければ、言い聞かせていた否定は簡単に打ち砕かれるだろう。

「隊長は、吸血衝動が激しかったから……殺した」

 室積の最期を淡々と沙耶は答える。無感情なようだがどことなく、うら悲しさが混じっているように聞こえた。
 あんじゅは、隊長の灰に目を移す。
 隊の隊長、室積正種。思い返せば、あんじゅは隊長とはほとんど話したことはない。込み入った話をしたことはないし、仕事の話もほんの少し。どんな人物なのかまったくわからない。悲しいはずなのに自分にはあまり関係のない、遠いところの離愁りしゅうのように感じてしまう。そして、そう感じてしまう自分がどこか薄情なように思えた。
 あんじゅの隣にいる梨々香は、変わり果てた室積の姿を見て、ショックを受けているようだった。

「真田は……銃創による出血死だそうだ」

 あんじゅと梨々香は、宗谷の入った死体袋を静かに見つめる。

「霧峰、親玉の吸血鬼は仕留め損ねたようだな」

 唐突に沙耶が振ってきた。

「は、はい……すみません」
「その吸血鬼と面識があったと聞いたが?」

 あんじゅは、答えに詰まり、しばらく口を紡いだ。

「顔見知りです……修学旅行の……」
「なら、個人的な調書をとられるだろう。窮屈かもしれんが、承知していてくれ」

 あんじゅは、わかりましたと答える。

「二人とも、お疲れ様。無事でよかった」

 沙耶は労いの言葉をかけると、どこかに行ってしまった。



 ○



 早見隊。

 そう書かれた仮設されたテントの中には、名前の書いてある札のついた黒い袋が丁寧に並べられていた。数は全部で十。そして、同じように名前の書いてあるラベルの貼られた灰の入った瓶が、五つ並べられている。全部で十五。形は違えど、元は全て人間だったものだ。

 早見玲奈は、テントの中でそれらを見下ろす。袋の中身は死体で、灰は、死を迎えた吸血鬼の姿。みんな自分の部下だった者たちだ。

 十五の人生と十五の死。名前を見れば、その一人一人を早見は思い出せた。なにが好きか、誰と誰が仲が良かったか、どんな仕事を一緒にしたか。そして、最期に見た姿も。

「ここでしたか」

 幸宏とカイエがテントに入ってくる。早見は、生き残った二人の部下をしっかりと見据える。

「あの、本部が報告を……」

 変わり果てた仲間の姿を覆う黒い布や、並べられた瓶を見て、幸宏が途中で言葉を失う。

「ありがとう、後で行くわ」

 早見はそう返す。

「大丈夫ですか?」
「え? ああ、大丈夫よ、大丈夫だから」

 口ではそうは言ってみたものの、自分の表情がどうなっているかは早見はわからなかった。心配そうに見つめる幸宏の面持ちからして、顔色は良くはないのだろう。

「任務中にね、ずっとポジティブな面ばかり見てたの」

 幸宏とカイエを交互に見て、早見は続けた。

「まだ生きてるって。八人が死んでも隊は十人は生きてる。九人が死んでも、九人は生きてるって、ずっと良い面ばかり見てた。室積隊の人が来るまでもそう。まだ、幸宏とカイエが生きてる。私も生きてる。全滅よりマシだって」

 心が折れないように、自らを守るために、無意識にそんな考え方が生まれてきた。

「でも、無理。結局どれだけ言い訳なんかしても、事実からは逃れられないのね」

 早見はもう一度、物言わぬ変わり果てた仲間たちを見据える。

「……私は、みんなを死なせた」

 違う、と幸宏が声を張って言った。

「そんなことねえよ……! 隊長が居なかったら、俺とカイエだって今頃はくたばってた! 俺たちは、隊長が居たおかげで──」
「ありがとうね、幸宏。どれだけ言われても、私はこれを受け入れなければいけないから。だって、結果は……結果こそが、事実だもの」

 早見の言葉に、幸宏はなにも言わなくなった。

「少し、一人にしてくれる?」

 微笑むと、幸宏とカイエは黙って出て行く。
 二人が居なくなると、早見はパイプ椅子に腰掛けた。顔を上げて、目の前の光景を焼き付ける。

「……ごめんね」

 目の奥が熱くなり、堰を切ったように涙が溢れ出す。
 誰かが綺麗な言葉で取り繕ってくれるだろう。部下を失ったことは仕方なかった、ベストを尽くしたと。だが、そんな言葉は慰めにならなかった。これは、早見にとって受け入れなければならないことだった。十五人の人間を守れなかった。隊長として、大勢を死なせてしまった。その原因は、全て自分にあるという事を。

「本当に……ごめんなさい……」

 終わった後で顧みても、胸に残ったのは生還できた喜びよりも不甲斐なさだけだった。



 ○



 テントの中に入ったあんじゅは、泣き濡れた表情の早見と目が合った。

「ああ、いいのよ」

 思わず出て行こうとするあんじゅを、早見が引き留めた。

「……凛ちゃんでしょ?」

 言われて、あんじゅは頷いた。瓶の並べられた机の方に進むと、その一つに手を触れる。

「辛かったわよね」早見が言う。「なにがあったか、聞いたわ」

 あんじゅは、はい、とだけ答えた。たくさんの部下を失った早見の方が何倍も辛いことはわかっていた。

「凛ちゃんね、すっごく張り切ってたのよ」独り言のように、早見が言う。

「初めての遠出の任務だって。私も、新人の凛ちゃんとカイエにはいい経験になるからって、隊の全員で出向かせたの。簡単な任務だと思ってた」

 それがこの有様だ、と続けたいように、早見の物言いは自虐的だった。

「本当に、ごめんなさい」

 早見の謝罪に対して、あんじゅは言うべき言葉が見つからなかった。そのまま時間だけが過ぎていく。
 沈黙を破るように、テントの中にカイエが入ってきた。

「……ヘリの準備が出来ました」

 あんじゅと早見を交互に見て、カイエが告げる。

「わかったわ、ありがとう」

 外に出ると、大型ヘリが待機していた。あんじゅと早見、その他、この事件で運良く生き延びた、傷の少ない者たちが搭乗する。
 ヘリが離陸を始める。言葉を発するものは誰一人としていない。安息に身を委ね眠る者、無表情のままの者。それぞれの顔に疲れと空虚さが見えていた。
 丸状の窓から、あんじゅは外を眺める。俯瞰ふかんする蓮澪村は、とても小さな箱庭のように見えた。

「あんじゅちゃん」

 梨々香が立ち歩いて、あんじゅの隣に座った。

「大丈夫?」
「……はい」
「んんっ、さすがにぃ、梨々香も参ったかなぁ。帰ったらお風呂入って、寝たい。本部の仮眠室使おうかなぁ」

 梨々香は背伸びをし、口を押さえてあくびをした。つられて、あんじゅもあくびが出てくる。あんなことがあっても、呆けたような生理現象は配慮をしてくれない。


「あんじゅちゃん」
「はい?」
「梨々香ね、この仕事辞めるね」

 今なんと言ったのだろうか。あんじゅは理解できなかった。辞めるとは、どういう意味で。

「えっと……え?」
「お仕事辞める。あんじゅちゃんとは、短い間だったけどお世話様でした」

 梨々香は満面の笑みを見せた。笑顔なのに、どこか断するように、意見を押し通すようにも聞こえた。

「わかりました……」

 あんじゅはそれだけしか言えなかった。
 辞めるから。前々から決めていたことを打ち明けるような、そんな物言いではなかった。なにかが、今回の出来事が梨々香をそうさせたのだろうか。

「んっ、あんじゅちゃんのぉ、膝枕ぁ」

 梨々香は猫のような無邪気さを見せて、あんじゅの膝に頭を乗せる。速攻で眠りについてしまった。
 ふと、対角線上に座っている沙耶と目が合う。なにも言わずに、沙耶はじっと視線を向けてくる。あんじゅもまた、沙耶と目を合わせたまま、なにも言わなかった。そのうちに、沙耶は視線を逸らして窓から外を眺め始めた。
 しばらくしてから、あんじゅにも睡魔が襲ってきた。
 そのまま身を任せるように、あんじゅは深い眠りに落ちた。
しおりを挟む

処理中です...