Ambivalent

ユージーン

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Defamiliarization

134. His origin

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 五十鈴景子には口枷と手枷、そして足の枷が装着された。足首には小さなGPS装着も付けられているが、これはやりすぎなのでは、とあんじゅは思った。景子はあんじゅたちが乗ってきたバンの後部座席に座らされており、電源を切られたかのようにおとなしい。
「ああもう、疲れた……」
 捜査官たちの説得を終えた鵠美穂が、げんなりした様子であんじゅのところにやってきた。
「お疲れ様です。どうでしたか?」
「相手の落ち度を突いたってとこね。偽の通報で持ち場の全員動かすなんてマヌケもいいところよ。そこを指摘されたら、ぐうの音も出なかったみたいで助かったわ」
 自分たちの落ち度で、将来有望な女優の卵が吸血鬼に変わってしまった。それに対して捜査官たちは、うまい言葉が見つからなかったらしい。結果的に、景子が今すぐにどうこうされるということはなくなったようだ。
「それで、あいつは?」
「あいつ?」
「上條よ。なんか……言ったりしてなかった?」
 美穂が遠くの木のベンチに腰掛けている真樹夫を見た。真樹夫は淡々と黙々と報告書の作成をこなしている。再会した同級生が数時間後には吸血鬼になって、しかも彼女に血を吸われた。そんな出来事があったにもかかわらず、真樹夫はいつも通りだった。
「特には、なにも」
 見た目や行動には出てはいないが、影響がまったくなかったというわけではないだろう。あのときの上條真樹夫は、いつもとは違うアクションを起こした。殻を破り、自分の言葉を告げた。そして、美穂がそれを汲んだからこそ、噛みつかれ、酷い言葉を投げつけられたことを引きずらずにいる。彼は少しづつだが、確実に変わっていくだろう。
 作業を終えたらしく、真樹夫はそのまま二人のところへとやってきた。
「ほ、報告書……終わった」
「ありがとうございます、上條さん。首は大丈夫ですか?」
「う、うん……痛む、けど……」
 真樹夫は首を抑える。貼られたガーゼに少しだけ血が滲んでいる。真樹夫の視線はバンの中で捕らわれている吸血鬼に向けられていた。その目には同情と、かけるべき言葉を迷っているのが伝わってきた。
「別れの挨拶済ませたら? 難癖つけられて、一週間後には処刑、なんて話……可能性としてはあるわよ」
「いや、いい……もう、大丈夫」
 真樹夫は首を振る。
「あ、あの……」
「なによ?」
 おずおずと真樹夫が切り出した。真樹夫の方から美穂に話しかけてくるということに、あんじゅは少し驚いた。昨日までの彼ならそんなことはしない。言いたいことがあっても、出来る限り言わないようにする、そういう性格だったから。もたらされた変化が少しづつ真樹夫を変えていくのだろう。
「ありがとう……」
 小さく一言、真樹夫は美穂に言った。
「……別にいいわよ。ていうか、あんた大きな声出せんじゃない。もっとハキハキしなさいよ。そうすりゃナメられることないでしょ」
「えっ、と……はい」
「またボソボソ声になった」
 まるで出来の悪い弟を気遣うような物言いだった。
 その光景が微笑ましくなり、あんじゅは小さく笑う。
「なにニヤニヤしてんの?」
「いえ、なんだかこういうのいいなって」
「バカにしてない?」
「し、してませんよ!」
「ああ、そうだ。霧峰、上條、忘れる前に釘打っておくけど、約束は絶対守ってもらうから」
「……約束?」
 あんじゅは首を傾げた。真樹夫の方はなんのことかわかっている様子だった。
「あのね、言ったわよね? 説得する代わりに飯奢れって」
 あんじゅは記憶をたぐる。確かに言われた気がした。
「あー……えっと、そんなこともあったような気が……」
「気じゃなくて言ったわよ。なに記憶改変してんのよ」
 その対象は自分も含まれていただろうか。そんなことを考えていると、あんじゅのスマートフォンが鳴った。着信だった。逃げ道を確保できたあんじゅは、そのまま断りを入れて電話に出る。
「はい、霧峰です」
『久しぶりね』
 耳に届いた女性の声に、あんじゅは頭が真っ白になった。発信者が誰か確認をとらなかった。
「……久しぶり」
 咄嗟に浮かんだ言葉を口にする。
『元気でやってるかしら? として』
 母親の物言いは含みのある言い方だった。
「うん……」
「ならよかったわ。あなたには、そっちが合ってるから」
 いつ振りの会話だろうか。頭の片隅で、数えてみるが思い出せない。にすら、連絡を入れてこなかった相手と話すなんて、思いもしなかった。
『秋頃に戻ってくるから、それまでに、昔の感覚取り戻しておいてね。吐くことのないように』
 まるで全てを見ているような口ぶり。
「秋頃に? なんで?」
『多分、から。そのお手伝いをしにね』
 謎めいた言葉、その後は沈黙。
 静けさが記憶の底から懐かしさをすくい上げて、心に叩きつけてきた。それは、そのまま濡れた紙のように全体に染みていく。あんじゅは無理やりに言葉を探した。でも、なにを言うべきなのかわからなかった。向こうがこのまま切ってくれればいいのにとも思ったが、電話は繋がったままだった。
 あんじゅがなにか言おうとしたとき、キャッチが入った。着信相手は【柚村京】だった。
「ごめん、。もう切るね」
『ええ、じゃあね。あんじゅ』
 そうして、母との通話を終える。最後に話したのはいつだっただろうか。もう覚えていない。あの修学旅行で生存した後も、連絡一つよこすことはなかったから、おそらくは十年振りの会話だろう。
「なんだろ……」
 あんじゅは、ひとりごちる。今さら、という気持ちと否定できない嬉しさが混ざって複雑なものを生み出す。
 ふと視線を感じて、あんじゅはそちらを見た。真樹夫が心配そうにこちらを見ている。
「だ、大丈夫……?」
「はい。お母さんからですから」
「あの……霧峰、さん」
 折り返しの電話を入れようとしたところで、真樹夫に呼ばれた。
「お母さんの名前……訊いてもいい?」
「名前……ですか?」
 特に気にすることなく、あんじゅは母の名前を真樹夫に告げた。
 そして、柚村京に折り返しの電話をかけた。


 ○


 一日の仕事を終えて、真樹夫が家に着いた頃には夜の帳は降ろされており、あたりはすっかり暗くなっていた。
 今日起こった出来事は以前の自分が過ごしていた一か月よりも濃密なものだっただろう。そのくらい、せわしなかった。
 真樹夫は靴を脱いで、着替えて入浴して適当に食事を済ませる。いつも以上に疲労を感じていたし、大きな声を出したからか喉が痛い。今日、持ち帰りの仕事がないのは幸いだった。
 仕事の負担も、新しい『技術班』の人間が来れば楽になるだろう。その人と上手くやれればいい、と思った。他人と交流することに前向きな気持ちを抱けたことに自分でも驚いた。
 食器を洗ってテレビをつける。ニュース番組で五十鈴景子のことをやっていた。吸血鬼の被害に遭った女優の卵、そんな内容を神妙な面持ちで眺める。
 芸能界に近いテレビは、に媚びた内容で五十鈴景子を擁護しつつ、【彼岸花】の組織に対する懸念を示した。憶測とキャスター個々の感想で画面は埋め尽くされ、彼女の過去の話へと移った。避けては通れない、真樹夫も渦中の中にいたあの事件の話へ。冬月千佳の名前は伏せられ、吸血鬼へと変わった同級生Fと表示された。
 ナレーションを聞き流しながら、真樹夫はを思い返す。
 クラス全員から言葉の石を投げつけられた後で、真樹夫は行動に移した。当局【彼岸花】に通報しようとしたのだ。
 行動に移そうとした理由は、それが正しいと思った自分の意思が半分。もう半分は報復と八つ当たりという、醜い感情が渦巻いていた。
 だが誰が通報したかは、すぐに判明する。真樹夫はその後の報復を恐れていた。現に、学校に通うことをやめ引きこもった直後に、知らない人から留守電で真樹夫宛にメッセージが届けられた。内容は家族や自分に対する脅迫。冬月千佳が自分の魅力を使って手駒にした人物だろう。
 見えない力の掲示のような気がした。出しゃばった真似をするべきではない。弱者が正義を振りかざすべきではない、と。
 それでも、どこかで危惧している自分がいた。千佳の吸血行為はエスカレートするだろうし、その先は見えていた。なにもしないまま、全てに蓋をする。そうして忘れたまま人生を生き抜く、そんな覚悟が自分に備わってないことは、真樹夫は自分自身がよくわかっていた。
 結局、真樹夫は【彼岸花】に通報した。だが、具体的に誰が、とは言わず、抽象的に。「間違いかもしれないけど、学校に吸血鬼がいるかもしれない」と。イタズラ電話と捉えられても、仕方ない内容だった。
 その次の日、真樹夫が予期してた通りに冬月千佳が暴走した。わかりきっていたのに、その運命に進んだクラスメイトの何人かが吸血鬼に変わり、短い生涯を終えた。インタビューで、生き残ったクラスメイトが「自分は最初から反対した」、と手のひらを返す言葉を述べたのを見て、仲間や団結という言葉が、世界で一番嘘をまとった言葉だと、真樹夫は認識した。
 その冬月千佳の毒牙が教室の中だけで収まったのは、【彼岸花】の捜査官が即座に駆けつけたからだ。教室内で彼女は射殺され、纏縛の絆は終わりを迎えた。そうして、スムーズに対応していなければ、学校全体が地獄に変わっていたとまで言われている。
 真樹夫は一度だけ捜査官から証言をするように言われたため、素直にそれに応じた。引きこもっていた部屋から出てリビングへと歩んだのは、全てを否定されたあの日以来のことだった。
 真樹夫を出迎えたのは女性の捜査官だった。
 真樹夫は彼女に証言した。冬月千佳を含む周りの状況だけではなく、自らの胸の内まで。感情が高ぶり、涙が溢れ出て、言葉が詰まった。それでも、その捜査官は真樹夫が話せる状態になるまで待っていてくれた。
「君の情報提供のおかげね。ありがとう」
 全てを話し終えたとき、捜査官は真樹夫にそう言った。今回の件でそんな言葉をかけてくれたのは、その人だけだった。
「君の正義感を活かせる場所があるから、もしよかったら……未来の一つの選択肢として考えといてね」
 そうして捜査官は名刺を渡してきた。【彼岸花】──対吸血鬼の政府機関。
「アカデミーには中学卒業後コースと高校卒業後のコースがあるから」
 そう言ってその捜査官は去っていった。そして、上條真樹夫は前者の道を選び、その結果ここにいる。
 真樹夫は部屋に戻ると、机の引き出しを開けた。あのとき受け取った名刺は今も手元にある。
 最初は、ただの偶然だと思っていた。まだ桜が咲いてた頃、霧峰あんじゅと初めて会って、名前を知った日。それからずっと聞き出せずにいたため、真樹夫は自分で答えを出してしまった。苗字が同じだけの別人、だと。訊いてしまって答えを得ることな、一番早かったのだが、時間が結果を運んでくることを待ってしまった。
 勢いに任せて切り出したことで、真樹夫はその答えを得た。
 霧峰きりみね嘉手納かでな
 そう印字された名前を、真樹夫は感慨深く見つめていた。

 
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