Ambivalent

ユージーン

文字の大きさ
上 下
123 / 163
Defamiliarization

121.Mr. Geek

しおりを挟む






「だから、もっとはっきり喋りなさいよ!!」
 くぐい美穂みほの激怒した声に、早見隊のオフィス内の空気が張り詰めた。

「いや……だから、ちゃんと……指示した通り……」
「だーかーら! 遅いって言ってんのよ!」
「まあまあ、美穂ちゃん……落ち着きましょう。後でお酒でも飲んでさ」
「わたしは下戸なんですけど……ってコラ、まだ話は終わってないわよ上條!」

 美穂の怒りの矛先となっている上條かみじょう真樹夫まきおは、萎縮したまま下を向いている。
 早見はやみ玲奈れなが美穂をなだめているが、一度着いた怒りが収まる様子がない。
 そして同室の男性陣二名は、触らぬ神に祟りなしの傍観者としてこじんまりと過ごしていた。


「お、おはようございます……」

 午後勤で出社してきた霧峰きりみねあんじゅは暴風雨の中に放り出された仔犬のような気持ちになった。どうしていいのかわからず、立ち位置に迷う。
 何故こうなったのだろうか。

「どうしたんですか? 鵠さんなんというか……」
 自分のデスクに向かい、近くに座っていた氷姫ひびめ幸宏ゆきひろ美濃原みのはらカイエに訊く。

「逃走中の吸血鬼を追ってたんですけど、通信が悪くて音を拾えなかったんです」とカイエ。
「それで吸血鬼は?」
「逃しました」
「そんで、帰ってくるなり鵠がブチ切れて激怒して御立腹だよ。バナナ取られたゴリラみたいに」

 あんじゅは勤務予定表を思い返す。午前中は鵠美穂、上條真樹夫、そして美濃原カイエが班を組んでの行動だったはず。

「逃走中の吸血鬼ってどんなのだったんです?」
「二十人を襲った吸血鬼です。幸いにも吸血鬼化した人はいなかったみたいですけど」

 それだけの人数を襲えば、証言や現場の証拠から犯人は割り出せるはず。未だに捕まってないということは、逃走には自信があるのだろう。

「その吸血鬼を逃してしまって、鵠さんは怒ってるんですね」
「さすがに怒りすぎだと思うんですが」
「それは、たしかに……」
「月一のに当たったんだろ」

 幸宏の言葉に顔をしかめたあんじゅは、再び美穂たちの方へ視線を戻す。沸点を超えた怒りが収まったのか、美穂は先ほどよりは落ち着いていた。

「はーい、美穂ちゃんそこまでね」

 すかさず早見が二人の間に手を入れて塞ぐ。

「過ぎたことをこれ以上怒っても仕方ないわ。切り替えていきましょう。真樹夫くんは『技術班』で一人になってもみんなのサポートを頑張ってるんだから」
「それは……そうですけど……」

 上の立場の者にそう言われ、美穂はきまり悪そうな表情を見せた。
 遠くから早見の声を聞いたあんじゅも、その内容にどこか気まずさを感じる。異動願いを出さなければ、『技術班』が一人になることもなかったのだから。

「それでも、コイツはもう少しハキハキと喋った方がいいと私は思います。吸血鬼を逃しただけじゃすまない事が、いずれ起こりますよ」

 早見に対して敬語に切り替える美穂。

「でも、そんなに威圧的だとイケメンフェイスが台無しよ、スマイルスマイル」
「女性にイケメンって褒め言葉としてはどうなんですか」
「いやあ、美穂ちゃんってどちらかといえばカッコいい系の顔だし。それに真樹夫くんだって、笑ってる美穂ちゃんの方が好きでしょ?」
「え、いや……その……別に……」
「は? 今なんて言った?」

 言葉に詰まる真樹夫に再び美穂が視線を向ける。
 ちょうどそのタイミングで綾塚あやづか沙耶さやが入室してきた。

「声が廊下にまで聞こえてたが、なにか揉めているのか?」

 沙耶が言うと、美穂は背筋を伸ばして顔を引き締めた。

「沙耶さ……いえ綾塚! そういうわけではなくて……」

 役職間違えを特に指摘することなく、沙耶は美穂に先を促す。
 ひと通りを聞いた沙耶は小さく頷くと美穂と真樹夫を交互に見た。

「逃したことは問題だが、そこまで大声で怒鳴りつけるほどの案件でもないだろう。上條は少し言えばわかる性格だ。あまり当たるのもよくないぞ」
「す、すみません!」
「あ、ああ……」

 美穂は沙耶に深々と頭を下げる。そこまで深刻に謝られると思ってなかったのか、沙耶は少し困った様子だった。

「見ててマジでわかりやすいよな。俺らの時と態度が大違いだわ」
「役職じゃなくて名前で呼べばいいのに」

 呟きを耳に入れたのか、美穂は頭を上げると男二人を軽く睨みつけて部屋を後にした。
 事態が収まったので、あんじゅは早見の元へと向かう。今日は二人で巡回する予定だ。

「はあ……」

 ひと段落したはずなのに、早見はどこかブルーな気分を顔に表していた。

「大丈夫ですか?」
「平気よ。まあ、落ち着いてよかったわ。真樹夫くんもお疲れ様」

 早見の言葉に、真樹夫は小さく頷いて仕事に取り掛かった。

「はあ……」
「またため息ですか?」
「いやあ、なんか美穂ちゃんって、私より沙耶ちゃんと話してる方がキリッとしてた気がするわ」
「あー……」
「尊敬の度合いに差があるような気がしてきた。わたし隊長なのに! 隊長なのに!」

 早見は子どものような癇癪をわざと起こす。

「鵠はちゃんと早見さんのことを隊長だと思ってますよ」
「本当かなあ……」
「付き合いは長いので、その辺はわかりますから」
「そっかー、まあ付き合いの長い沙耶ちゃんが言うなら信じますか。それじゃ、あんじゅちゃん行きましょう」

 沙耶に珍しく励ましの言葉を貰った早見はあんじゅと共に巡回に向かった。
しおりを挟む

処理中です...