僕たちはまだ人間のまま

ヒャク

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第124話「そばにいて」

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コンコン

「鷹夜くん、、?」

コンコン

「鷹夜くん、大丈夫?お願い、開けて」

コンコン

「鷹夜くん、、鷹夜くん」

コンコン

トイレの外で、芽依がドアを叩く音がする。
鷹夜は彼の足音が聞こえた瞬間にドアを急いで閉めて鍵をかけ、中に閉じこもってしまっていた。

(やってしまった、、)

個室で身体を震わせ、下唇を噛む。
耳の後ろの血管がバクバクとうるさく、途切れ途切れに聞こえてくる芽依の声に罪悪感が増している。

(吐いた、、ヤバい、吐いた、吐いちゃった、芽依の舐めて、吐いちゃった)

何が起こっているのかを理解はできるものの、認めるのが苦しかった。
好きな男の筈なのに、鷹夜の身体は彼のそれを拒絶するように反応してしまい、堪えきれなくなった気持ちの悪さにトイレに駆け込み食べたものを全て戻してしまった。

(吐いた、吐いた吐いた吐いた吐いた吐いた、まずい、これはまずい、何より気まずい、絶対嫌われた、もうダメだ、戻りたくない、無理だ、絶対もう無理だ。大体、芽依は俺で萎えたんだ。俺が下手だから、いや違う、俺が、男で、5個も歳上で、おっさんだから、、!)

止められないネガティブな発想が延々と頭の中を巡る。
視界が霞むような感覚に襲われて、鷹夜は思わず瞼を強く閉じた。
何も感じたくない、聞こえて欲しくない。
芽依の声ですら今は受け付けられない。
耳を塞いでその場に座り込むと、ぼたぼたと涙が溢れて、折り畳んだ膝の甲に水滴が落ちた。
便器の中に出した嘔吐物は、さっき流したばかりだ。

(俺がこんなんだから、気持ち悪くなったんだ。嫌になったんだ、だから萎えたんだ。こんなおっさんにちんこ咥えられて興奮する訳ない、俺と立場が逆なんだから、気持ち悪くなって当然だ。もう嫌だ、嫌だ、こんな惨めなの嫌だ)

芽依から受けた悲しみと、その他の日常生活の中の嫌な事が一気に蘇ってきて、感情が乱れ、思考がまとまらない。
会社で受けている嫌がらせや、街で誰かと肩があたった日の事。取引先に怒られたとき、後輩のミスで怒られたとき。
嫌なものを考えると、また次の嫌なものが思い浮かんでくる。

(嫌だ、嫌だッッ!!)

それは苦しくて、悲しくて、雪崩のようで止められない。

(、、帰ろう)

5分か、10分か。
ボーッとしながらずっと嫌な事を考えていた鷹夜は突然立ち上がり、唐突にそう思った。


コンコン

「鷹夜くん」

しばらくドアをノックするのをやめていた芽依は、中から聞こえてきていた激しい呼吸音が止んで少ししてから再び右手の中指の第二関節を曲げ、突き出た骨でドアを叩いた。

「鷹夜くん、ごめんね。俺、」

ガチャ

「あ」

話し始めようとした瞬間にドアが開いた。
俯いてこちらを見てもくれない鷹夜が目の前に現れ、芽依はその光景にすら落ち込んだ。

(傷付けた、、)

またやってしまったんだ。
泣き腫らした目元を見つけて切なくなる。
鷹夜はきっと芽依のあれが萎えた事も、頑張って舐めてくれたのに吐いてしまった事も全部背負おうとしている。
それだけが分かった。

「鷹夜くん、聞いて。ごめんね」
「、、帰る」
「嫌だ。お願い聞いて、お願い」

抱きしめようと手を伸ばしたが、鷹夜の手で止められてしまった。

「鷹夜くん、、?」
「いい、、触らないでいい。ごめん。気持ち悪いのは分かったから。あと、吐いてごめん」
「違うよ、聞いて。お願いだから、」
「ごめん」
「っ、」

話しができる状態ではなかった。
芽依の言葉を遮り、未だに上手く力が入らない身体を無理矢理に歩かせ、鷹夜は自分の服を取りにリビングのソファに向かった。
ズボン、Tシャツ、ベルト、靴下。
全部着直すと、暗い表情の芽依がすぐそこに立っていた。

「帰らないで」

ポツ、とそんな事を言われる。

「、、無理、ごめん」

心底疲れた鷹夜はそれだけ言うと、財布や家の鍵が入ったカバンを持ち上げた。

「行かないでッ!!」
「っ、」

肩がビクッと揺れた。
芽依に怒鳴られることはあまりなくて、流石の鷹夜も急に聞こえた大声にバッとそちらを向いて黙り込む。
喧嘩という喧嘩が付き合ってからは起こった事がなく、基本的に2人とも穏やかだからだろう。
こんな状態は初めてだった。
鷹夜は、歯を食いしばって厳しい表情を浮かべる彼をジッと見つめて動きを止めていた。

「今ここで帰ったら、また会えない日が続いて、結局話し合いもできなくて絶対別れようって言うだろ」
「、、」

図星だったのだろう。
鷹夜の胸がドッと重たくなり、何かが刺さったような痛みを感じた。

「絶対別れない」
「、、、」
「ちゃんと俺の話し聞いて。ちゃんと鷹夜くんが思ったこと言って」

伸びた前髪の間から見える目が、悲しそうに揺れている。
芽依の、深い茶色の綺麗な目だ。

「、、萎えたの、俺のせいだろ」

また涙が溢れてきて、鷹夜はぽたぽたと床のラグの上に涙を落とし始めた。
肩が震えて、自分の情けなさで頭がいっぱいになりそうだった。

「俺がおっさんで、気持ち悪くてッ、きしょいから萎えたんだろッ」
「違う」
「違わねえよ!!嫌になったんだろ!!やってみたら全然違ったから、気持ち悪くなったんだろ!!」
「鷹夜。ちゃんと聞いてよ。逃げないで」
「ッ、、」

芽依はどうしても彼を逃したくなくて鷹夜に近づいた。
ゆっくり、彼を刺激しないように近づき、今度は拒絶される前にその細くて白い腕を掴む。

「今、俺といて。ちゃんと話し合いたい」

責められている訳ではない。
けれど今のネガティブな状態の鷹夜からしてみれば、何もかもが自分を責める言葉に聞こえてならなかった。

「そばにいて」

弱々しい芽依の声が部屋に響く。

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