14 / 38
果
第十三話 決心
しおりを挟む
急ぎの仕事もないし、定時で終わらせて帰り支度を始めた。明日は休み。ホワイトボードへ書き込んでおく。
エレベーターは三階を通り過ぎて上へと向かっていた。ここで待っている間に誰かと顔を合わせたくなくて、階段で降りていった。
外に出るとすっかり陽が落ちていた。
電車から降りて更井駅のホームにある時計に目をやるとまだ七時を過ぎたばかり。
立ち止まった僕を次々と追い越していく人たち。みんな家路を急いでいるのか、誰も僕のことなど気にも留めていないに違いない。
僕がどんな思いでいるのかなんて分かるはずがない。
今夜はどうしてもミキに会いたい。
軽食喫茶と書かれている、ロータリーに面した小さなお店の扉を押した。僕が帰ってくる頃にはいつも閉まっているから、初めて入った。
昔ながらの喫茶店といった感じの店内はあのコンビニとは違って薄暗い。ボックス席になったソファーに座り、メニューを眺めた。
「すいません。ナポリタンと瓶ビールをください」
あまり愛想がよくないお爺さんマスターへ注文を告げると、すぐにグラスとビールを持ってきて黙ったままテーブルの上に置いていった。
家ではなく、一人でお酒を飲むのも初めてだ。
ちょっとアルコールを体に入れておきたかったし、なんとなく今夜はズンさんの笑顔を見たくなかった。
ケチャップがたっぷりとつかわれたナポリタンで腹ごしらえを終えると、少し遠回りをしてコンビニの前を通らずにネットカフェへ向かった。
見なれた階段を上り、扉を開けて電子音と共に店内へ入っても、また店長は気付いてくれない。
ヘッドホンをつけているだけじゃなく、何かパソコンに向かって作業しているみたいだ。
「こんばんは」
少し顔を近づけて声を掛けると、店長は慌てて顔を上げた。
「あ、ごめん、気づかなくて。いらっしゃい」
「いつものことだから気にしてませんよ」
本当にいつものことだから怒る気にはならない。すぐに気づいてくれなかったからといって困ることもないし。
「いやぁ、会員証の更新時期なんでデータの整理をしていたんだよ。山瀬さんも帰りには新しいカードを用意しておくから」
ブース番号が印字された紙を受け取り、分かりました、と答えて移動する。
昨日はミキが現れるのを待たずに帰ってしまったけれど、明日は休みだし今夜は遅くまで粘ってみるつもり。
スーツをハンガーにかけてからドリンクコーナーでウーロン茶を入れてきた。
キーボードに向かい覚えてしまったアドレスを打ち込む。
モニターには『あなたが殺したい人は誰ですか』のトップページが表示された。
掲示板のチェックを後回しにして、チャットルームで「話の続き」という部屋を作った。
(頼む、早く来て)
そう願いながら掲示板を覗いてみたけれど、やはり昨夜もミキが現れた形跡は残っていなかった。
不安はあるけれど彼女を信じて待つしかない。
スマホでゲームを始めたけれど集中できなくてアプリを閉じた。
入室を知らせるチャイムは鳴らない。
リクライニングチェアに体を預け、目を閉じてミキと交わした会話を思い返してみる。
(あ、寝落ちしてた)
ビール一本しか飲んでいないのに、疲れていたのか眠ってしまっていた。
モニターに表示されている時刻に目をやると十時を過ぎている。
もうここに来てから二時間が経とうとしていた。
チャットルームを確認してもミキが来た形跡はない。
なんだか急にだるさを感じはじめた。
(今夜も諦めよう。でも……)
掲示板に移動してメッセージを書き込んだ。
ただ一言「決めたから」と。
それだけでミキには僕の思いが伝わるはずだ。
「あれ、もう帰っちゃうの」という店長の言葉を聞きながら、新しい会員証を受け取り家へと急いだ。
翌朝、珍しくスマホのアラーム音で起こされた。もう七時だ。いつもならとっくに目が覚めているはずなのに。
起き上がろうとしたら体にだるさが残っている。少し熱っぽい気も。ヤバイ。
体温計を探して熱を測ってみたら三十七度ある。
平熱が三十五度台と低めの僕にとっては、つらさを感じるほどだ。
(今日の建築巡礼は止めておくか)
たまたま休日でよかった。
顔を洗ってから水をコップで一杯だけ飲んで、もう一度ベッドにもぐりこんだ。
二度寝から目覚めると十二時を過ぎていた。
まだ頭がぼぉっとしているけれど、さすがにお腹が空いた。食欲があるということは体調もすぐに回復するだろう。
こういうときのために買い置きしておいたレトルトのおかゆを温めて食べた。
念のため市販の風邪薬を飲んでから、またまたベッドへ。横になりながらミキのことを考える。
(熱が下がったら、今夜もネットカフェに行ってみようかな)
家からあのサイトへアクセスするのは、身バレしそうでどうしても抵抗がある。たとえパソコンに詳しい人だろうと簡単には出来ないのかもしれないけれど、スマホのアドレスやら何やらたどられそうで怖い。
ましてやあの話をするなら慎重すぎるくらいでもいいはずだ。
いつの間にかまた眠ってしまっていた。でもだいぶすっきりした気分。
熱を測ってみると三十六.二度まで下がっていた。
シャワーは我慢して、ボディシートで体を拭いてから着替えた。
まだ四時前だから洗濯をしてしまおう。
夕食は冷凍うどんをゆでて卵でとじた。僕にしては上出来。
体も温まり、元気になったので出掛けることにした。
「いらっしゃい。ここんところ毎日来てくれるね。それに山瀬さんの私服なんて珍しい」
「今日は休みだったので」
「そうなんだ。休みの日にまでわざわざ来てもらえるなんて、うれしいねぇ。俺に会いに来てくれてるの?」
店長の冗談は笑顔でスルー。
(昨日、ミキに会えていればわざわざ来なかったんですけどね)
心の中で軽く頭を下げた。
昨日もらったばかりの新しい会員証を差し出し、受付を済ませる。
今日は暖かいカフェオレを持ってブースに入った。両隣とも人がいる気配はない。
パソコンが立ち上がるのももどかしく、キーを打ちエンターを叩く。
すっかり見なれたトップページから掲示板に移動する。
昨日、帰る時に書き込んだコメントをミキが見てくれていれば、きっと反応があるはず。マウスホイールで履歴をスクロールしていくと――。
『オッケー』
たった一言、ミキからのコメントがそこにあった。
エレベーターは三階を通り過ぎて上へと向かっていた。ここで待っている間に誰かと顔を合わせたくなくて、階段で降りていった。
外に出るとすっかり陽が落ちていた。
電車から降りて更井駅のホームにある時計に目をやるとまだ七時を過ぎたばかり。
立ち止まった僕を次々と追い越していく人たち。みんな家路を急いでいるのか、誰も僕のことなど気にも留めていないに違いない。
僕がどんな思いでいるのかなんて分かるはずがない。
今夜はどうしてもミキに会いたい。
軽食喫茶と書かれている、ロータリーに面した小さなお店の扉を押した。僕が帰ってくる頃にはいつも閉まっているから、初めて入った。
昔ながらの喫茶店といった感じの店内はあのコンビニとは違って薄暗い。ボックス席になったソファーに座り、メニューを眺めた。
「すいません。ナポリタンと瓶ビールをください」
あまり愛想がよくないお爺さんマスターへ注文を告げると、すぐにグラスとビールを持ってきて黙ったままテーブルの上に置いていった。
家ではなく、一人でお酒を飲むのも初めてだ。
ちょっとアルコールを体に入れておきたかったし、なんとなく今夜はズンさんの笑顔を見たくなかった。
ケチャップがたっぷりとつかわれたナポリタンで腹ごしらえを終えると、少し遠回りをしてコンビニの前を通らずにネットカフェへ向かった。
見なれた階段を上り、扉を開けて電子音と共に店内へ入っても、また店長は気付いてくれない。
ヘッドホンをつけているだけじゃなく、何かパソコンに向かって作業しているみたいだ。
「こんばんは」
少し顔を近づけて声を掛けると、店長は慌てて顔を上げた。
「あ、ごめん、気づかなくて。いらっしゃい」
「いつものことだから気にしてませんよ」
本当にいつものことだから怒る気にはならない。すぐに気づいてくれなかったからといって困ることもないし。
「いやぁ、会員証の更新時期なんでデータの整理をしていたんだよ。山瀬さんも帰りには新しいカードを用意しておくから」
ブース番号が印字された紙を受け取り、分かりました、と答えて移動する。
昨日はミキが現れるのを待たずに帰ってしまったけれど、明日は休みだし今夜は遅くまで粘ってみるつもり。
スーツをハンガーにかけてからドリンクコーナーでウーロン茶を入れてきた。
キーボードに向かい覚えてしまったアドレスを打ち込む。
モニターには『あなたが殺したい人は誰ですか』のトップページが表示された。
掲示板のチェックを後回しにして、チャットルームで「話の続き」という部屋を作った。
(頼む、早く来て)
そう願いながら掲示板を覗いてみたけれど、やはり昨夜もミキが現れた形跡は残っていなかった。
不安はあるけれど彼女を信じて待つしかない。
スマホでゲームを始めたけれど集中できなくてアプリを閉じた。
入室を知らせるチャイムは鳴らない。
リクライニングチェアに体を預け、目を閉じてミキと交わした会話を思い返してみる。
(あ、寝落ちしてた)
ビール一本しか飲んでいないのに、疲れていたのか眠ってしまっていた。
モニターに表示されている時刻に目をやると十時を過ぎている。
もうここに来てから二時間が経とうとしていた。
チャットルームを確認してもミキが来た形跡はない。
なんだか急にだるさを感じはじめた。
(今夜も諦めよう。でも……)
掲示板に移動してメッセージを書き込んだ。
ただ一言「決めたから」と。
それだけでミキには僕の思いが伝わるはずだ。
「あれ、もう帰っちゃうの」という店長の言葉を聞きながら、新しい会員証を受け取り家へと急いだ。
翌朝、珍しくスマホのアラーム音で起こされた。もう七時だ。いつもならとっくに目が覚めているはずなのに。
起き上がろうとしたら体にだるさが残っている。少し熱っぽい気も。ヤバイ。
体温計を探して熱を測ってみたら三十七度ある。
平熱が三十五度台と低めの僕にとっては、つらさを感じるほどだ。
(今日の建築巡礼は止めておくか)
たまたま休日でよかった。
顔を洗ってから水をコップで一杯だけ飲んで、もう一度ベッドにもぐりこんだ。
二度寝から目覚めると十二時を過ぎていた。
まだ頭がぼぉっとしているけれど、さすがにお腹が空いた。食欲があるということは体調もすぐに回復するだろう。
こういうときのために買い置きしておいたレトルトのおかゆを温めて食べた。
念のため市販の風邪薬を飲んでから、またまたベッドへ。横になりながらミキのことを考える。
(熱が下がったら、今夜もネットカフェに行ってみようかな)
家からあのサイトへアクセスするのは、身バレしそうでどうしても抵抗がある。たとえパソコンに詳しい人だろうと簡単には出来ないのかもしれないけれど、スマホのアドレスやら何やらたどられそうで怖い。
ましてやあの話をするなら慎重すぎるくらいでもいいはずだ。
いつの間にかまた眠ってしまっていた。でもだいぶすっきりした気分。
熱を測ってみると三十六.二度まで下がっていた。
シャワーは我慢して、ボディシートで体を拭いてから着替えた。
まだ四時前だから洗濯をしてしまおう。
夕食は冷凍うどんをゆでて卵でとじた。僕にしては上出来。
体も温まり、元気になったので出掛けることにした。
「いらっしゃい。ここんところ毎日来てくれるね。それに山瀬さんの私服なんて珍しい」
「今日は休みだったので」
「そうなんだ。休みの日にまでわざわざ来てもらえるなんて、うれしいねぇ。俺に会いに来てくれてるの?」
店長の冗談は笑顔でスルー。
(昨日、ミキに会えていればわざわざ来なかったんですけどね)
心の中で軽く頭を下げた。
昨日もらったばかりの新しい会員証を差し出し、受付を済ませる。
今日は暖かいカフェオレを持ってブースに入った。両隣とも人がいる気配はない。
パソコンが立ち上がるのももどかしく、キーを打ちエンターを叩く。
すっかり見なれたトップページから掲示板に移動する。
昨日、帰る時に書き込んだコメントをミキが見てくれていれば、きっと反応があるはず。マウスホイールで履歴をスクロールしていくと――。
『オッケー』
たった一言、ミキからのコメントがそこにあった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
10
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる