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惚れた欲目
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正午の鐘。
昼ご飯は実之介とお枝が手習い所へ持参した弁当を手付かずのまま持ち帰ったので、二つある中庭の一つに緋毛繊を敷いて遊山気分で食べることにした。
実之介とお枝の弁当は五段重ねの重箱だ。
いつもは手習い所の独り者の若師匠や他の手習い子にも分けていたので十人前はある。
「うわぃ、豪華な弁当ぢゃあ」
サギは五つ並んだ重箱に歓声を上げた。
「ほおぉぉ」
八木は感動したように目を見張る。
おにぎり、
焼き鮭、
カスティラの耳の味噌焼き、
卵焼き、
お煮しめ、
青菜のごま和え、
煮豆、
鮮やかに彩り良く詰まっている。
「う、美味いぃぃ」
八木はカスティラの耳の味噌焼きに舌鼓を打つ。
幕臣なので普段の食事は質素である。
将軍家が意外に質素な食事なので将軍様よりも贅沢なものを食べるのは憚るというくらい家臣は気遣いをするのである。
将軍家はご先祖や近親者の月命日は精進日で質素な精進料理にせねばならぬので十代将軍ともなると月の大半が精進日であった。
三厭(獣、魚、鳥)五葷(ネギ、ニラ、ニンニク、ラッキョウ、ノビル)に卵、鰹のだしといったものを精進日には食べることが出来ない。
さらに、将軍様は普段でも秋刀魚、鮪、鰯、アサリ、シジミなどの下魚とネギ類は食べられなかった。
江戸時代は蕎麦にネギを入れなかったので将軍様も精進日以外なら錦庵で蕎麦が食べられるのだ。
「どうぞ」
お花はせっせとカスティラの耳の味噌焼きのおかわりを皿に取って八木に手渡す。
桔梗屋の家族はカスティラの耳のオカズに飽き飽きしているので喜んで食べるのはサギと八木だけだ。
「有り難くぅぅ」
八木はお花におかわりの皿を手渡されたいばかりにモリモリと食べた。
「――あっ、そうぢゃった。八木殿、清書した戯作の『小町娘恋風涙雨』ぢゃ」
サギは清書した半紙を入れた紙挟みを八木に渡す。
「これは忝ないぃ。おお、さすがの達筆にござるぅぅ」
八木はパラパラと五枚の半紙をめくってみて満足げにまた紙挟みに収めた。
「この続きも書いたら清書を引き受けるぞ」
一枚二十文の小遣い稼ぎになるのでサギはやる気満々だ。
「戯作?どんな話だい?春町や喜三二みたいなのかい?」
実之介がおにぎりを頬張りながら訊ねる。
「そ、それはぁぁ」
八木は照れてモジモジと言い淀む。
「ああ、美しい小町娘がゴロツキ三人に絡まれた時に助けてくれた通りすがりの若侍に片惚れし、恋わずらいという、清書しながら読んでもムズ痒くなるような、こっ恥ずかしい話ぢゃ」
サギはズケズケと言った。
「ううぅ」
八木は恨めしげにサギを横目で睨む。
「まあ、恋物語だなんて素敵だわな。美しい小町娘と美しい若侍の秘めたる恋心――」
お花は自分と児雷也の姿で想像して、うっとりとした。
「お花、美しい若侍とは言うとらんぞ」
サギが突っ込む。
「ええ、若侍は美しいという類いではなくぅ、どちらかと言うとぉぉ、剣術の腕は立つもののぉ見てくれは至って平々凡々なぁぁ――」
八木は若侍に自分、小町娘にお花を想像して書いたとはとても言えない。
「あれ、だって恋物語なんだもの。美しい若侍のほうがええわな」
お花は平然と言い放った。
「い、いやぁ、一見して平々凡々たる若侍が意外にも剣豪で、美しい小町娘に惚れられるというのが物語の肝なのでござるぅぅ」
八木は男は外見ではないと、この『小町娘恋風涙雨』を通してお花に訴えたいのである。
「そんなのイヤだわな。一見して平々凡々たる殿方に片惚れする美しい小町娘なんぞおらんわな」
お花は頑固に譲らない。
「むむぅぅ」
正真正銘の小町娘のお花にそうハッキリ否定されると反論のしようがない。
それに八木は男子に口答えする娘など初めて見た。
武家は著しい男尊女卑である。
それなりの身分の武家に生まれ育ち、母や姉や妹のような何事も父の言いなりで逆らわぬ従順な女子しか知らぬ八木には生意気なお花はますます魅力的に見えた。
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