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サギ娘
しおりを挟む「お侍さんはさ、お侍さんだから剣術をやるんだろう?」
実之介はさっきから馴れ馴れしく八木に話し掛けている。
武士にあるまじきヌ~ボ~と締まりない顔で震え声の八木は見るからに気弱そうなので童にも侮られがちだ。
「……」
お枝は人見知りなのか上目遣いでチラチラと八木を窺いながら黙々とおにぎりを食べている。
「それは、勿論ぅぅ、剣術だけではなくぅぅ、馬術、水術、弓術、薙刀術、槍術、柔術、等々、武芸十八般ひととおりはぁぁ」
八木の顔は得意げであるが、実之介の目には八木は少しも強そうには見えない。
「うんうん」
お花は八木の戯作『小町娘恋風涙雨』を熱心に頷きながら読んでいる。
「――はぁ~、この小町娘の若侍への逢いた見たさの恋心、あたしゃ、ようく分かるわな。ああ、続きが早う読みたいわな」
お花は自分とよく似た境遇の美しい小町娘の恋物語がすっかり気に入ったようだ。
当然のごとくお花は小町娘と若侍を自分と児雷也に置き換えて感情移入している。
「なあ?若侍の刀は妖刀ぢゃないのかい?お家騒動は起こらんのかい?」
実之介も『小町娘恋風涙雨』を読んで余計な口出しをする。
恋物語などより武勇伝のほうが好みのようだ。
「それはぁ読んでからのお楽しみでぇぇ。続きはまた明日にでもぉぉサギ殿に清書を頼みに参るでござるぅぅ」
八木は今日中に続きを書かねばと張り切る。
お花に逢うのにまったく良い口実が出来た。
『小町娘恋風涙雨』が大長編になることは請け合いだ。
「んぐんぐぐ」
サギはひたすら食べるのに夢中でおにぎりを頬張りながら「任せとけ」と頷いた。
そうして、
半時(約一時間)も経って五つの重箱が米粒一つ残らず空っぽになると、
「あぁぁ、もうお城へ戻らねばぁぁ」
八木は昼八つ時(午後二時頃)からお役目があるので無念そうに暇を告げた。
お庭番は将軍様の直属の密偵とはいえ表向きの仕事は江戸城のお庭の警備である。
将軍様は午前中に政務を終えると昼八つ時から自由時間になり、お庭へ散歩に出るので八木はお庭の警備をしながら将軍様から直々に密命を賜るのだ。
「そいぢゃ、八木殿」
サギが日本橋のたもとまで八木を見送っていく。
「はあ、今日は楽しゅうござったぁぁ。真昼の空の下、うら若き乙女のお花殿と差し向かいで弁当を食べるなどぉぉ武士の身分では人目のあるところでは決して許されぬことにござるゆえぇ」
八木は恍惚と溜め息した。
「ふうん、あれ?ぢゃが、昨日、八木殿は真昼の空の下、わしと往来で堂々と屋台の団子を食うとったぞ?」
サギはどうにも解せない。
自分だって『くノ一』としてうら若き乙女のつもりなのだ。
「――えっ?あっ、確かにぃ。しかし、サギ殿は果たして娘に見えるかどうか、いささか微妙にござるゆえぇぇ」
八木はうっかりサギが『くノ一』だと忘れていた。
「なんぢゃとお?わしゃ、これでも娘らしゅうしとるつもりぢゃぞっ。ほれ、今日は橙色の紐で髪を結んどるしっ」
サギの娘らしさとは髪に結んだ紐の色合いのみである。
「う~ん、やはりぃ、正真正銘の乙女のお花殿と並ぶとぉぉ差が歴然とぉぉ」
八木はまじまじとサギを見やる。
サギが果たして娘に見えるかどうかは五分五分というのが八木の判定だ。
「ちえっ」
サギは口を尖らせた。
正真正銘の乙女ではないのだから仕方ない。
繰り返すが『くノ一』は女子ではないのだ。
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