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一難去ったその後で

#8

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そして、私の頭に浮かんでくるのは、要さんと契約を交わしてから、私がこのマンションで一緒に暮らすようになってから今日までのことだ。
 
最初の頃、傍若無人な要さんと一緒に暮らすことに不安しかなかった私は、いつも明るくて優しい、本当のお兄さんのように接してくれる夏目さんに、何度も助けられた。
 
秘書室に異動になってからは、仕事でもプライベートでも助けられてばかりだった。
 
要さんと気まずくなってしまった時も、いっつもさり気なくフォローしてくれてた要さん。
 
要さんと静香さんのことで色々不安になってしまってた時も、隼さんに聞くに耐えないようなことを言われた時も、今日だってそうだ。
 
先月おばあちゃんを亡くし、天涯孤独になってしまった私にとって、いつしか夏目さんは大切な家族のような存在になっていて。
 
今の今まで、夏目さんが居なくなってしまう日がくるなんて、そんなこと思いもしなかった。
 
要さんに飛びつくように迫りながら、頭の中で、まるで走馬灯のように、今までの出来事が目まぐるしく駆け抜けてゆく。
 
「美菜、そんなに泣かなくても、夏目とは一緒に暮らしはしないが、今まで通り会社でも会えるし、車での送迎も今まで通りだから安心しろ」
 
そんな中、耳に聞こえてきた要さんのその声でハッとした私は、自分が泣いているんだということに気づかされることになった。
 
でもそんなことよりも、どうしてそんな大事なことを私には言ってくれなかったんだろうと、裏切られたような気持ちになってしまい。
 
そんな思いに駆られてしまった私が、要さんの腕からすり抜けて、夏目さんの元へ行こうとするのを、

「おいっ!美菜、そんな恰好で夏目のところに行く気かっ?」
 
すかさず肩を掴んで引き止めようとする要さん。

けれど、夏目さんのことで頭がいっぱいになってしまっていたため、

「だって、さっきまで普通に話してたのに、そんな大事なこと直接言ってくれないなんて、寂しいじゃないですか? だからちょっと話してきますっ!」

放った言葉同様に、バスローブ姿だということも忘れて、私の意識はもうすっかり出入り口の向こう側へと向かっていた。

そのまま要さんの制止を振り切って、寝室から出ていこうとするのを、
 
「ダメだ、行くなっ!」
 
そう言って、後ろから羽交い絞めにするようにして、抱きしめられて動きを阻まれてしまった私は、続け様に。
 
「美菜が夏目のことを兄のように慕ってるのはよく分かってるつもりだ。俺が、自分勝手に美菜に契約云々を持ち掛けてから、ずっと夏目が美菜のことを支えてくれてたんだもんな。
夏目にとっても、それは同じだったと思う。いや、それ以上だったかもしれない。前に話した、俺の六年前に亡くなった元カノが夏目の妹だっていうのも、夏目に聞いて知ってるんだろう?」
「……」
「きっと、亡くなった妹と同じように美菜のことも大事にしてたんだと思う。だから、美菜に泣かれたら夏目だって辛いだろうし、夏目を困らせることになるだけだ。
実は俺も昨日聞かされて、夏目には、『湿っぽいのは御免だから、美菜ちゃんにはギリギリまで黙っててくれ』って頼まれたんだ。
きっと、美菜が寂しがるのを見るのが嫌だっただけで、隠そうと思ってた訳じゃない。そういう夏目の気持ちを分かってやってほしい。
けど、美菜なら、少しでも速く知ってた方が心の準備もできるだろうと。引っ越しまで半月ほどしかないし、俺の判断で、仕事が忙しくなってしまう前に伝えたほうがいいと思ったんだ。頼むから、少し落ち着いてくれ」
「……」

知らぬまに、いつものよしよしの体勢に持ち込んだ要さんに、背中を宥めながらに、美優さんのことまで出されてしまえば……。
 
何に対しても、ただコクコクと頷いて応えるだけで、それ以上どうすることもできなくて。

要さんの腕の中で、泣いて気持ちが昂ってしまった所為で、しばし放心状態に陥っていた。
 
この事情の裏で、要さんと夏目さんとがどんな想いでいたかなんて、私は露も知らなかった。
 
そのことを私が知ることになるのは、もう少し先のことになる。


そんなこんなで、しばらくすると、泣いて昂ってしまった気持ちもなんとか落ち着いてきて。

いつまでも夏目さんに甘えてばかりもいられないし、夏目さんの気持ちも尊重したい、やっとそう思えるようになってきた。

そんな私の心情を知ってか知らずか、要さんの落ち着いた低い声が降ってきて。

「美菜、さっき俺とどんな約束したか覚えてるか?」

要さんの胸にコテンと頭をもたげて夜景をぼんやり眺めていた私は、要さんのその声で、再び現実世界へと引き戻されて、同時にお仕置きのことも思い出した。

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