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最終章
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「良い顔になってきたじゃないのよアンタ!」
そう頷く睦月花子の表情はいかにも満足げであった。
「ねぇ憂炎、ねぇ憂炎」
「んだよ」
轟々と氷点下の風が廊下を吹き抜けていく。
だが、花子は寒さなど微塵も感じていない様子である。
つるつるに磨き上げられた雪だるまを前に腕を組み、不敵に笑っている。
「ちょっと出てきなさい」
「バカか?」
さらに多数の雪の彫像──大小の雪だるま──が花子の側に並べられてあり、教室の中にもまた彼女が最高傑作と自負する雪だるま式かまくらがドッシリと構えられていた。
「ねぇ憂炎、ねぇ憂炎ってば」
「だから何だよ」
そんなかまくらの中で二人の男が肩を丸め、焚き火を囲っていた。
プルプルと体を震わせる水口誠也はさながら子ネズミよう。焚き火に近付き過ぎた前髪はチリチリである。田中太郎もまた体を震わせてはいたが、極寒の廊下で仁王立ちとなった花子を見上げるだけの余裕はあるようで、呆れ顔に白い息を混じらせていた。
「その竹槍貸して欲しいんだけど?」
「嫌に決まってんだろ!」
「その“腕”がないとねぇ、この雪だるま大王は完成しないの!」
「ざっけんな! コイツは聖剣エクスカリバーだ!」
憂炎こと太郎は勇ましく竹の木剣を掲げてみせた。どうやら寒さで錯乱しているらしい。木剣の先がかまくらを貫くと、誠也は「あああ」と悲鳴を上げ、焚火に落ちてくる雪を払った。
「は、花子さァん! かまくらがァ! かまくらがァ!」
「そのくらい自分で直しなさいっつの。たく、あたしゃ忙しいのよ」
花子はといえば雪を楽しんでいた。それもその筈で、彼女がこの夜の校舎を訪れるのも既に三回目である。つまり体感的には三倍以上の夏を過ごしていた。そんな乙女の心が渇望するのは冬のアクティビティばかり──ああ、あの氷を踏む音。冬山で食べるカレーの味。スノボーで風を切る爽快感。スケートリンクで歌う若人たち。ああ、サンタクロースにクリスマスツリー。お節料理にお年玉。シャンパンにホールケーキ。ああ、あの肉厚のフライドチキン──。
「ねぇ、やっぱり早く外に出ない?」
花子は無性にフライドチキンが食べたくなった。
「こんなとこで何時迄もウロチョロしてたって仕方ないわ」
そう言って歩き出そうとする。
慌てた誠也と太郎は猛然と吹雪の中に飛び出た。
「お、おい待てって! 出口なんかねぇだろうが!」
「そうだよ! 冬山を甘く見てると死んじゃうよ!」
「出口ならあるじゃない」
そんな二人をかまくらの中に押し込んだ花子は焚き木の雪を落とすと、山積みにしてあった机の残骸に手を伸ばし、木片と木片を凄まじい力で擦り合わせ、また火種を作ってやった。
「広間の壁と体育倉庫の下だったかしら?」
「そ……そ、そうだ……! 出口は……あるんだった……!」
太郎と誠也は愕然とした表情で顔を見合わせ、力なく肩を落とすと、ハハ、ハハハ、と泣き笑いを始めた。やっとこの地獄からおさらば出来ると、そうして本当に心の底から笑い合えると、二人の青年は互いに喜びを分かち合った。
「まぁ過去を変えてからの話だけどね」
「ふっざけんなー!」
飛び上がって抗議を始める二人。
花子はやれやれとため息を付くと、気が変わったように二人をかまくらから引き摺り出した。
「つっても当てがないのよね」
西からは絶えず氷雪が吹き付けてくる。
三人は当初の予定通りこの時代の体育館に向かうことにした。それは校舎の東端に存在し、花子も一度だけ訪れたことがある。その時は分からないことばかりだったが、渡り廊下の側で揺れていたシダレヤナギの若葉だけは鮮明に覚えていた。
「そういやあのメガネ、アイツ大丈夫だったかしら……」
ふと花子は丸メガネを掛けた教員らしき男を思い出した。憤怒の形相で迫ってきた為、思わず右フックで合わせた花子だったが、今にして思えば生徒たちを守るための行動だったのではないかと少しだけ後悔する。せめてもっと優しく、穏やかに、軽い張り手ぐらいで済ませてやれば良かったと──。
「おい花子」
「あん?」
花子はおやっと立ち止まった。東側の階段の前である。抑揚のない男の声が上から聞こえてきた。それが誰であるかすぐに分かった花子はげんなりとしながら階段を見上げ──。
「ちょいっ!」
ハッとして太郎と誠也を真後ろに放り投げた。
清水狂介は腰ベルトのあるロングコートを着ていた。彼の特徴ともいえる右腕のタトゥーは隠されていたが、それでも普段通りの飄々とした様子で、雪の帽子を被ったかぼちゃの仮面を揺らしながらスタスタと階段を降りてきた。
そんな彼の背後で爆発が起こる。それも連続して。四方に飛び散った雪が暴風に巻かれた。雪の渦が階上を呑み込んだ。
「コイツらを何とかしてくれ」
踊り場で二人の男が向かい合っていた。
獣の咆哮と殺気。
片方には見覚えがあった。小柄で粗暴そうな男である。荻野新平は右手に拳銃を構え、ダンッ、ダンッ、と雪煙に穴を開けていた。
もう一人は白装束を着た男だった。いいや、紅蓮に染まったそれはもう衣服とは呼べないだろう。新平に迫る彼は白い海に坂巻く赤い波のようだった。
すぐに階段を駆け上がろうとした花子だったが、雪崩のように落ちてくる雪氷に阻まれ、さらには淡々と階段を降りてくる清水狂介の存在が邪魔で、勢いよくとはいかなかった。その間にも爆発が続いた。銃声が一発。さらに一発。視界が噴雪に埋まっていく。
ちょきん──。
舌足らずな少女の声を耳にする。
花子はともかく狂介を階段から引き摺り下ろすと、太郎たちと同じように背後に放り投げた。そうしてサッと雪玉を作り、雪煙の白い踊り場を睨み上げる。額に赤黒い血管が浮かんだ。花子はグッと雪玉を握り締めると、階段上に向かって大きく右腕を振りかぶった──。
「そっちじゃない」
耳元で声がした。
花子は振りかぶった姿勢のまま眉を顰めた。
「今お前は上にいる」
「ちょっとアンタ……」
気が付けば花子は完全に方向感覚を失っていた。雪と風に奪われた視界。完全なるホワイトアウトである。さらに四方八方から響いてくる音に狙いが付けられない。まるで狭い校舎からだだっ広い雪原に放り出されたようだった。自分が何処にいるのか分からない。誰が何処で叫んでいるのか判断が付かない。真上を見上げていた筈が何故か真下に耳を傾けている。それは異常気象を超えた悪意の結晶のような白銀の闇だった。
花子は背後を振り返った。するとガクンと体が落ちる。いつの間にか彼女は踊り場の上にいた。それに首を傾げる暇もない。凍りついた階段に踏みとどまることは困難で、もはや無用と雪玉を捨てた花子は、ハンドスプリングの要領でグルンと階段を飛び降りた。
ちょきん──。
二の腕に鋭い衝撃が走った。シャツの袖が円状に赤く染まる。薄皮一枚を切り裂かれたようだ。ただ、前回の夜と同じように、村田みどりの斬撃が花子の鋼の肉にまで届くことはなかった。
一階に着地した花子はすぐに大きく息を吸い込んだ。極寒の風が体になだれ込んでくる。が、躍動する花子の肉体から溢れ出る熱気が凍り付くことはない。
「があっ!」
花子は大声を上げた。一瞬だが、風が動きを止める。相変わらず視界は白く不鮮明である。ならばと花子は聴覚を研ぎ澄ませる。反響する自身の声に意識を向ける。エコーロケーションによりある程度の状況を理解した花子はすぐさま雪を蹴った。太郎と誠也、そして清水狂介の姿はすでにそこになかった。もし彼らが何処かに取り残されているとすれば、この大雪である、安易ならざる事態となろう──花子はまた大口を開けると「コラッ!」と怒鳴った。
ドンッ──。
そんなは花子の声を貫くように銃弾が横を過ぎた。背後からの発砲である。銃撃の主は分からない。声を張り上げた時点では背後に人影はなかった。階段の影に隠れていたか。それとも雪の下に潜り込んでいたか。何にせよそれが荻野新平のものでないことは明らかだった。何故なら彼は依然として優男と向かい合っている。
花子はバッと身を屈めると教室の中に飛び込んだ。勿怪の幸いである。雪で視界が悪かった為に背後からの銃撃は脇にそれた。或いは初めから花子を狙ったものではなかったのかもしれないが、何にせよ頭を撃たれていればそれでお終いだった。花子は凍った髪を払う時間も惜しみ、雪に埋もれた教壇を蹴り上げると、教室の壁に向かって突進した。
取り敢えず荻野新平を引っ捕らえよう──。
そうして彼を説得し、他のメンバーを見つけ出そう──。
後はさっさと過去を変え、この永遠の夜からおさらばするのみ──。
杜撰な計画ではあったが、ともかく動くより他ない。ちょうど新平と優男の向かい合う廊下の前で立ち止まった花子は、おおよその二人の位置を音で判断し、優男のいるであろう壁を突き破った。
「おらぁ!」
ドンッ──。
また同じタイミングである。
花子が声を上げると同時に銃声が鳴った。
音で状況を判断していたのは何も彼女だけではなかった。官帽を深く被った軍人──来栖泰造もまた息を潜めながら時を待っていた。
大きく振り上げた右腕の真下、脇腹を撃たれた花子のバランスが崩れる。雪に霞んだ軍人の殺気は静かだった。花子は己の行動の浅はかさに怒りを覚えた。
「おい!」
新平が声を張り上げる。
すると二発目の銃弾は新平の肩を掠める。
さらに新平と優男との距離が縮まる。
加勢に入るどころではない。このままでは完全に足手纏いである。
花子はクッと歯を食い縛ばると、崩れた姿勢のまま拳を振り下ろした。ともかく動かねば、と──近くで見る優男の状態はより悲惨だった。山伏のような装束はボロ布同然に裂かれ、赤黒く汚れ、凍った血が張り付き、剥き出しの肌は脂で泡立っている。そして男の身体は異様に痩せ細っていた。近くで見るとより頬骨が目立ち、手足は骨と皮ばかりで、真っ赤な装束の上にアバラが浮かび上がっていた。しかし痩せた身体はもとより、額の傷にも関わらず、男の瞳の色は柔らかい。その為か、どれほど悲惨な状態にあろうとも、優しげな男という印象は崩れなかった。
そんな優男の凹んだ頬に大振りの拳をぶち込んでやった。崩れた体勢からの右フックである。さらに雪に滑り、踏み込みも甘い。それでも鬼の拳だった。花子の一撃をまともに喰らって無事でいられる人間などいる筈がなかった。
「はあ?」
だが、倒れなかった。
優男は僅かに首を傾げたのみ。花子の拳を顔面に受けたまま、不思議そうに目を瞬いている。そのあまりの硬さ──いいや、重さ。
花子は驚くよりも先ず困惑した。
力に力で対抗された経験などこれまでになかった。
「おやおや」
優男は何処か親しげな笑みを浮かべた。血垢に汚れた襟元でも糺すように背筋を伸ばす。
その隙を逃す新平ではなかったが、どうしてか銃口は上がらない。いいや、そもそも右腕自体が動かない。新平は愕然とした。銃弾の掠めた彼の右肩はすでに赤く凍り付いていた。
「これは珍しい」
優男がそう呟く。
そんな彼の額の傷に向かって花子はゆっくりと左手を伸ばした。殴ろうとする動きではない。掴もうとする動きでもない。まるで何かを探るような、盤上の端歩を前に伸ばすような、相手の出方を見るよりも先ず自分の動きを確かめるような、そんな動きだった。
優男は笑みを崩さなかった。柔らかく伸びる花子の手をそっと払い除ける。そうして鉄の拳を握り締め、花子の顔面を殴打した。
ゴッ──。
花子の鼻から血が噴き出した。
さらに口から血が溢れ、砕けた奥歯が雪の校舎に散った。優男は間髪入れず花子の脇腹に拳を打ち込んだ。ゴホッと血を吐き出した花子の身体が吹雪に巻かれるようにして廊下を転がっていく。
新平はスッと左手のナイフを横に滑らせた。優男のふくらはぎを切り付けると、その足を払うように低いローキックを入れる。だが、動かない。優男は構わない。その痩せた全身から湧き上がる熱気。それでも彼の姿は揺るがない。
新平は胸から引き出したグロック17を右肩の傷に当てた。そうして立て続けに発砲する。その熱で凍った腕を温めた。
極寒の風に晒された現状である。お互いに身体機能の低下は隠せない。にも関わらず優男の肉体は勢いを増すばかりだった。いったいどれほどのエネルギーを消費し続けているのか──痩せ細った彼の肉体はその代償かもしれない。
右腕の氷が溶けることはなかった。それでも僅かに動かせるようになった指の握りを確かめつつ、新平は冷静に打開策を探った。
とある校舎の片隅。
二人の女の子がせっせと乾いた木々を集めている。
「ナ、ナ、ナンダコノ寒サハ……」
「ほら、口より手を動かして!」
「コ、ココハ雪山カ?」
「日本だよ日本。これが日本の冬なの」
「コレガ日本ノ家ダト? 中マデ凍リ付イテイルゾ!」
「家じゃないもん冬だもん! てかここ学校だし!」
「同ジダ! 欠陥住宅ダ!」
「とにかく火だよ! 早く焚き火しないとだよ!」
姫宮玲華は薪に使えそうな物を片っ端から引っ張ってきた。机や椅子はもちろんのこと、モンペ服から防災頭巾、巾着に鞄、千人針、国旗、ほうき、竹槍、誰かの日記、白黒の写真、新聞、札束。校舎の片隅に山のように焚き木が積み上がっていく。さらに玲華は何処からか火打ち石を取り出すと、訝しむサラ・イェンセンの前で、カチカチと火花を散らし始めた。
「もー、付かないんだけど……」
しかし火種はすぐに風に飲まれて消えてしまった。見かねたサラが彼女から火打ち石をもぎ取る。だが、やはり火は着かない。二人はすぐに火打ち石を投げ捨て、ドサリとその場に尻餅を付いた。魔女は諦めが早いのである。次第に凍り付いていく手足を眺めながら、二人は想い人と、そして叶えられない願いに憂いた。されど死には無頓着であり、二人は穏やかに目を瞑った。
「きゃあ!」
突然、凄まじい突風が吹いた。
悲鳴をあげた二人の身体が方々に転がる。そうしてすぐに温かな空気に包み込まれる。
とうとう次の人生が始まってしまったか──。
二人は目をぱちくりさせながら顔を上げた。
すると整然と並んだ長机と椅子が二人の目に映った。窓の向こうには丸い月の夜。天井付近で光のない豆電球がフラフラと揺れている。
「死んじゃった……?」
「イヤ……」
どうにも教室に転がり込んだだけのようである。廊下では依然として極寒の風に荒れ、しかし教室は中は暖かく穏やかだった。
二人は顔を見合わせるとキョトンとしながら前髪を直した。
そう頷く睦月花子の表情はいかにも満足げであった。
「ねぇ憂炎、ねぇ憂炎」
「んだよ」
轟々と氷点下の風が廊下を吹き抜けていく。
だが、花子は寒さなど微塵も感じていない様子である。
つるつるに磨き上げられた雪だるまを前に腕を組み、不敵に笑っている。
「ちょっと出てきなさい」
「バカか?」
さらに多数の雪の彫像──大小の雪だるま──が花子の側に並べられてあり、教室の中にもまた彼女が最高傑作と自負する雪だるま式かまくらがドッシリと構えられていた。
「ねぇ憂炎、ねぇ憂炎ってば」
「だから何だよ」
そんなかまくらの中で二人の男が肩を丸め、焚き火を囲っていた。
プルプルと体を震わせる水口誠也はさながら子ネズミよう。焚き火に近付き過ぎた前髪はチリチリである。田中太郎もまた体を震わせてはいたが、極寒の廊下で仁王立ちとなった花子を見上げるだけの余裕はあるようで、呆れ顔に白い息を混じらせていた。
「その竹槍貸して欲しいんだけど?」
「嫌に決まってんだろ!」
「その“腕”がないとねぇ、この雪だるま大王は完成しないの!」
「ざっけんな! コイツは聖剣エクスカリバーだ!」
憂炎こと太郎は勇ましく竹の木剣を掲げてみせた。どうやら寒さで錯乱しているらしい。木剣の先がかまくらを貫くと、誠也は「あああ」と悲鳴を上げ、焚火に落ちてくる雪を払った。
「は、花子さァん! かまくらがァ! かまくらがァ!」
「そのくらい自分で直しなさいっつの。たく、あたしゃ忙しいのよ」
花子はといえば雪を楽しんでいた。それもその筈で、彼女がこの夜の校舎を訪れるのも既に三回目である。つまり体感的には三倍以上の夏を過ごしていた。そんな乙女の心が渇望するのは冬のアクティビティばかり──ああ、あの氷を踏む音。冬山で食べるカレーの味。スノボーで風を切る爽快感。スケートリンクで歌う若人たち。ああ、サンタクロースにクリスマスツリー。お節料理にお年玉。シャンパンにホールケーキ。ああ、あの肉厚のフライドチキン──。
「ねぇ、やっぱり早く外に出ない?」
花子は無性にフライドチキンが食べたくなった。
「こんなとこで何時迄もウロチョロしてたって仕方ないわ」
そう言って歩き出そうとする。
慌てた誠也と太郎は猛然と吹雪の中に飛び出た。
「お、おい待てって! 出口なんかねぇだろうが!」
「そうだよ! 冬山を甘く見てると死んじゃうよ!」
「出口ならあるじゃない」
そんな二人をかまくらの中に押し込んだ花子は焚き木の雪を落とすと、山積みにしてあった机の残骸に手を伸ばし、木片と木片を凄まじい力で擦り合わせ、また火種を作ってやった。
「広間の壁と体育倉庫の下だったかしら?」
「そ……そ、そうだ……! 出口は……あるんだった……!」
太郎と誠也は愕然とした表情で顔を見合わせ、力なく肩を落とすと、ハハ、ハハハ、と泣き笑いを始めた。やっとこの地獄からおさらば出来ると、そうして本当に心の底から笑い合えると、二人の青年は互いに喜びを分かち合った。
「まぁ過去を変えてからの話だけどね」
「ふっざけんなー!」
飛び上がって抗議を始める二人。
花子はやれやれとため息を付くと、気が変わったように二人をかまくらから引き摺り出した。
「つっても当てがないのよね」
西からは絶えず氷雪が吹き付けてくる。
三人は当初の予定通りこの時代の体育館に向かうことにした。それは校舎の東端に存在し、花子も一度だけ訪れたことがある。その時は分からないことばかりだったが、渡り廊下の側で揺れていたシダレヤナギの若葉だけは鮮明に覚えていた。
「そういやあのメガネ、アイツ大丈夫だったかしら……」
ふと花子は丸メガネを掛けた教員らしき男を思い出した。憤怒の形相で迫ってきた為、思わず右フックで合わせた花子だったが、今にして思えば生徒たちを守るための行動だったのではないかと少しだけ後悔する。せめてもっと優しく、穏やかに、軽い張り手ぐらいで済ませてやれば良かったと──。
「おい花子」
「あん?」
花子はおやっと立ち止まった。東側の階段の前である。抑揚のない男の声が上から聞こえてきた。それが誰であるかすぐに分かった花子はげんなりとしながら階段を見上げ──。
「ちょいっ!」
ハッとして太郎と誠也を真後ろに放り投げた。
清水狂介は腰ベルトのあるロングコートを着ていた。彼の特徴ともいえる右腕のタトゥーは隠されていたが、それでも普段通りの飄々とした様子で、雪の帽子を被ったかぼちゃの仮面を揺らしながらスタスタと階段を降りてきた。
そんな彼の背後で爆発が起こる。それも連続して。四方に飛び散った雪が暴風に巻かれた。雪の渦が階上を呑み込んだ。
「コイツらを何とかしてくれ」
踊り場で二人の男が向かい合っていた。
獣の咆哮と殺気。
片方には見覚えがあった。小柄で粗暴そうな男である。荻野新平は右手に拳銃を構え、ダンッ、ダンッ、と雪煙に穴を開けていた。
もう一人は白装束を着た男だった。いいや、紅蓮に染まったそれはもう衣服とは呼べないだろう。新平に迫る彼は白い海に坂巻く赤い波のようだった。
すぐに階段を駆け上がろうとした花子だったが、雪崩のように落ちてくる雪氷に阻まれ、さらには淡々と階段を降りてくる清水狂介の存在が邪魔で、勢いよくとはいかなかった。その間にも爆発が続いた。銃声が一発。さらに一発。視界が噴雪に埋まっていく。
ちょきん──。
舌足らずな少女の声を耳にする。
花子はともかく狂介を階段から引き摺り下ろすと、太郎たちと同じように背後に放り投げた。そうしてサッと雪玉を作り、雪煙の白い踊り場を睨み上げる。額に赤黒い血管が浮かんだ。花子はグッと雪玉を握り締めると、階段上に向かって大きく右腕を振りかぶった──。
「そっちじゃない」
耳元で声がした。
花子は振りかぶった姿勢のまま眉を顰めた。
「今お前は上にいる」
「ちょっとアンタ……」
気が付けば花子は完全に方向感覚を失っていた。雪と風に奪われた視界。完全なるホワイトアウトである。さらに四方八方から響いてくる音に狙いが付けられない。まるで狭い校舎からだだっ広い雪原に放り出されたようだった。自分が何処にいるのか分からない。誰が何処で叫んでいるのか判断が付かない。真上を見上げていた筈が何故か真下に耳を傾けている。それは異常気象を超えた悪意の結晶のような白銀の闇だった。
花子は背後を振り返った。するとガクンと体が落ちる。いつの間にか彼女は踊り場の上にいた。それに首を傾げる暇もない。凍りついた階段に踏みとどまることは困難で、もはや無用と雪玉を捨てた花子は、ハンドスプリングの要領でグルンと階段を飛び降りた。
ちょきん──。
二の腕に鋭い衝撃が走った。シャツの袖が円状に赤く染まる。薄皮一枚を切り裂かれたようだ。ただ、前回の夜と同じように、村田みどりの斬撃が花子の鋼の肉にまで届くことはなかった。
一階に着地した花子はすぐに大きく息を吸い込んだ。極寒の風が体になだれ込んでくる。が、躍動する花子の肉体から溢れ出る熱気が凍り付くことはない。
「があっ!」
花子は大声を上げた。一瞬だが、風が動きを止める。相変わらず視界は白く不鮮明である。ならばと花子は聴覚を研ぎ澄ませる。反響する自身の声に意識を向ける。エコーロケーションによりある程度の状況を理解した花子はすぐさま雪を蹴った。太郎と誠也、そして清水狂介の姿はすでにそこになかった。もし彼らが何処かに取り残されているとすれば、この大雪である、安易ならざる事態となろう──花子はまた大口を開けると「コラッ!」と怒鳴った。
ドンッ──。
そんなは花子の声を貫くように銃弾が横を過ぎた。背後からの発砲である。銃撃の主は分からない。声を張り上げた時点では背後に人影はなかった。階段の影に隠れていたか。それとも雪の下に潜り込んでいたか。何にせよそれが荻野新平のものでないことは明らかだった。何故なら彼は依然として優男と向かい合っている。
花子はバッと身を屈めると教室の中に飛び込んだ。勿怪の幸いである。雪で視界が悪かった為に背後からの銃撃は脇にそれた。或いは初めから花子を狙ったものではなかったのかもしれないが、何にせよ頭を撃たれていればそれでお終いだった。花子は凍った髪を払う時間も惜しみ、雪に埋もれた教壇を蹴り上げると、教室の壁に向かって突進した。
取り敢えず荻野新平を引っ捕らえよう──。
そうして彼を説得し、他のメンバーを見つけ出そう──。
後はさっさと過去を変え、この永遠の夜からおさらばするのみ──。
杜撰な計画ではあったが、ともかく動くより他ない。ちょうど新平と優男の向かい合う廊下の前で立ち止まった花子は、おおよその二人の位置を音で判断し、優男のいるであろう壁を突き破った。
「おらぁ!」
ドンッ──。
また同じタイミングである。
花子が声を上げると同時に銃声が鳴った。
音で状況を判断していたのは何も彼女だけではなかった。官帽を深く被った軍人──来栖泰造もまた息を潜めながら時を待っていた。
大きく振り上げた右腕の真下、脇腹を撃たれた花子のバランスが崩れる。雪に霞んだ軍人の殺気は静かだった。花子は己の行動の浅はかさに怒りを覚えた。
「おい!」
新平が声を張り上げる。
すると二発目の銃弾は新平の肩を掠める。
さらに新平と優男との距離が縮まる。
加勢に入るどころではない。このままでは完全に足手纏いである。
花子はクッと歯を食い縛ばると、崩れた姿勢のまま拳を振り下ろした。ともかく動かねば、と──近くで見る優男の状態はより悲惨だった。山伏のような装束はボロ布同然に裂かれ、赤黒く汚れ、凍った血が張り付き、剥き出しの肌は脂で泡立っている。そして男の身体は異様に痩せ細っていた。近くで見るとより頬骨が目立ち、手足は骨と皮ばかりで、真っ赤な装束の上にアバラが浮かび上がっていた。しかし痩せた身体はもとより、額の傷にも関わらず、男の瞳の色は柔らかい。その為か、どれほど悲惨な状態にあろうとも、優しげな男という印象は崩れなかった。
そんな優男の凹んだ頬に大振りの拳をぶち込んでやった。崩れた体勢からの右フックである。さらに雪に滑り、踏み込みも甘い。それでも鬼の拳だった。花子の一撃をまともに喰らって無事でいられる人間などいる筈がなかった。
「はあ?」
だが、倒れなかった。
優男は僅かに首を傾げたのみ。花子の拳を顔面に受けたまま、不思議そうに目を瞬いている。そのあまりの硬さ──いいや、重さ。
花子は驚くよりも先ず困惑した。
力に力で対抗された経験などこれまでになかった。
「おやおや」
優男は何処か親しげな笑みを浮かべた。血垢に汚れた襟元でも糺すように背筋を伸ばす。
その隙を逃す新平ではなかったが、どうしてか銃口は上がらない。いいや、そもそも右腕自体が動かない。新平は愕然とした。銃弾の掠めた彼の右肩はすでに赤く凍り付いていた。
「これは珍しい」
優男がそう呟く。
そんな彼の額の傷に向かって花子はゆっくりと左手を伸ばした。殴ろうとする動きではない。掴もうとする動きでもない。まるで何かを探るような、盤上の端歩を前に伸ばすような、相手の出方を見るよりも先ず自分の動きを確かめるような、そんな動きだった。
優男は笑みを崩さなかった。柔らかく伸びる花子の手をそっと払い除ける。そうして鉄の拳を握り締め、花子の顔面を殴打した。
ゴッ──。
花子の鼻から血が噴き出した。
さらに口から血が溢れ、砕けた奥歯が雪の校舎に散った。優男は間髪入れず花子の脇腹に拳を打ち込んだ。ゴホッと血を吐き出した花子の身体が吹雪に巻かれるようにして廊下を転がっていく。
新平はスッと左手のナイフを横に滑らせた。優男のふくらはぎを切り付けると、その足を払うように低いローキックを入れる。だが、動かない。優男は構わない。その痩せた全身から湧き上がる熱気。それでも彼の姿は揺るがない。
新平は胸から引き出したグロック17を右肩の傷に当てた。そうして立て続けに発砲する。その熱で凍った腕を温めた。
極寒の風に晒された現状である。お互いに身体機能の低下は隠せない。にも関わらず優男の肉体は勢いを増すばかりだった。いったいどれほどのエネルギーを消費し続けているのか──痩せ細った彼の肉体はその代償かもしれない。
右腕の氷が溶けることはなかった。それでも僅かに動かせるようになった指の握りを確かめつつ、新平は冷静に打開策を探った。
とある校舎の片隅。
二人の女の子がせっせと乾いた木々を集めている。
「ナ、ナ、ナンダコノ寒サハ……」
「ほら、口より手を動かして!」
「コ、ココハ雪山カ?」
「日本だよ日本。これが日本の冬なの」
「コレガ日本ノ家ダト? 中マデ凍リ付イテイルゾ!」
「家じゃないもん冬だもん! てかここ学校だし!」
「同ジダ! 欠陥住宅ダ!」
「とにかく火だよ! 早く焚き火しないとだよ!」
姫宮玲華は薪に使えそうな物を片っ端から引っ張ってきた。机や椅子はもちろんのこと、モンペ服から防災頭巾、巾着に鞄、千人針、国旗、ほうき、竹槍、誰かの日記、白黒の写真、新聞、札束。校舎の片隅に山のように焚き木が積み上がっていく。さらに玲華は何処からか火打ち石を取り出すと、訝しむサラ・イェンセンの前で、カチカチと火花を散らし始めた。
「もー、付かないんだけど……」
しかし火種はすぐに風に飲まれて消えてしまった。見かねたサラが彼女から火打ち石をもぎ取る。だが、やはり火は着かない。二人はすぐに火打ち石を投げ捨て、ドサリとその場に尻餅を付いた。魔女は諦めが早いのである。次第に凍り付いていく手足を眺めながら、二人は想い人と、そして叶えられない願いに憂いた。されど死には無頓着であり、二人は穏やかに目を瞑った。
「きゃあ!」
突然、凄まじい突風が吹いた。
悲鳴をあげた二人の身体が方々に転がる。そうしてすぐに温かな空気に包み込まれる。
とうとう次の人生が始まってしまったか──。
二人は目をぱちくりさせながら顔を上げた。
すると整然と並んだ長机と椅子が二人の目に映った。窓の向こうには丸い月の夜。天井付近で光のない豆電球がフラフラと揺れている。
「死んじゃった……?」
「イヤ……」
どうにも教室に転がり込んだだけのようである。廊下では依然として極寒の風に荒れ、しかし教室は中は暖かく穏やかだった。
二人は顔を見合わせるとキョトンとしながら前髪を直した。
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