王子の苦悩

忍野木しか

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第二章

伝説の師範

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 五限目のチャイムが昼休みの終わりを告げた。校舎を震わせる音。生徒会室の重苦しい空気は動かない。五つのパイプ椅子に腰掛けた男女が交わす視線。床で世間話に花を咲かせる「The・ライト・グリーンキューピッド」のメンバー達。意識を失った金髪の大男が絨毯の上に横たわっている。
 生徒会室では現在、緊急のミーティングが開かれようとしていた。
「……それにしても驚いたわ。まさかアンタまでもが授業サボって参加してくれるとはね」
 パイプ椅子で足を組んだ睦月花子はニヤリと微笑むと左隣の足田太志を横目に見上げた。だが、当の太志は正面に向けた視線を上下に動かすばかりで花子の言葉に全く反応を示さない。訝しげに眉を顰めた花子は、首筋をほんのりと赤く染めた太志の目の前で手を振った。
「ちょっと、聞いてんの?」
「……え、な、何だって?」
「アンタが授業サボるとは思わなかったって言ってんの」
「あ、ああ、全く勘弁してくれよな」
 うほんと空咳をした太志は、またチラリと正面の姫宮玲華に視線を送ると、サッと俯いてから眉間に皺を寄せた。花子の頬がひくりと縦に動く。
「……ねぇ、アンタならもっと良い女を狙えるわよ?」
「はああ? な、なんの話だよ!」
「あの女はオススメしないって話よ」
「な……ばっ、だ、だから、いったい何の……」
「だーかーら」
「本題に入ってもいいかな?」
 姫宮玲華の赤い唇が動く。隣に座る宮田風花がサッと姿勢と正すと、額に汗を滲ませながら花子を睨み付けていた太志もあたふたと姿勢を正した。
「で、いったい何のミーティングよ?」
 太志の背中を軽く叩いた花子は、いつになく真剣な表情をした玲華の黒い瞳を睨んだ。花子と玲華の間に挟まった田中太郎はスクエアメガネの位置を中指で直すと壁に掛かった時計を見上げる。早く勉強がしたいという渇望の湧き上がりに、太郎は困惑の最中である。
「火急の問題があるの」
「アレに関わりがある話のようね」
 花子の頬に不敵な笑みが浮かんだ。玲華の細い顎が縦に動くと、太ももの上で指をギュッと握り締めた風花の表情が強張った。おもむろにポケットから単語カードを取り出した太郎はそれをパラパラと捲り始める。
「また巻き込まれる可能性があるって事?」
「アレは避けられないんだよ」
「はん、面白いじゃない。で、アンタは何をどうしたいわけ?」
「とにかく早急に動き出さなきゃいけないの。それで会長さんにお願いがあるんだけど……」
 玲華の視線が太志の視線と重なる。濡れた唇。上目遣いの黒い瞳は真剣そのものである。慌てて目を逸らした太志は手のひらの汗を制服で拭うと、心を落ち着かせようと宮田風花の縁のないメガネに視線を送った。風花の瞳に宿る侮辱の光。その冷たい三白眼に多少のダメージを受けた太志は何とか心の平静さを取り戻すと、うほん、と咳払いをした。
「うん、なんだい?」
 太志の白い歯が煌めく。玲華の瞳に咲き乱れる満開の花びら。風花の瞳の光は深く冷たい海の底である。
「会長さん、私ね……」
「ん?」
「王子様研究部を作りたいの!」
「……ん?」
 優しげな表情はそのままに太志の首が横に倒れた。
「取り敢えずメンバーはこの五人でね、当然王子は加わるとして、あとは吾郎くん!」
「……ん?」
「当面の活動内容は王子というあだ名を王子に付けた人物の捜索と、学校の皆んなに王子を知ってもらう為の宣伝! その後に王子の背負わされた業を取り払う方法をみんなで考えて、それから……」
 花子の視線が単語カードを見つめる太郎に向けられる。
「ねぇ憂炎、もしかしてここって、訳分かんないこと言わなきゃいけない法が施行された世界なんじゃない?」
「……俺だけが罰せられる世界かよ」
「はあん、なーんでアンタだけなのよ? 私が訳分かんないこと言ってるとでも言いたいわけ?」
「得意分野じゃねーか」
 花子の指が獲物を捕らえる蛇が如く太郎の首に絡み付く。「こっ」と息を止めた太郎の黒い瞳が瞼の後ろに隠れた。
「部室はここじゃ狭いかな? 占い道具とか衣装とか紙芝居用のパレットとか魔法の杖とか大鍋とか地対空ミサイルとか色々揃えなきゃいけないもん。演劇部の部室が広くていいかなって思うんだけど、会長権限で演劇部をここに移して、あの旧校舎の広い部屋を王子様研究部の部室にしようよ!」
「えっと、姫宮さんだったか……? そのだな……」
「王子が部長で、あたしと吾郎くんが副部長。隠密担当が副会長さんでしょ。それで部長さんが特攻隊長で、会長さんは裏方ね。うーん、憂炎くんは……」
「ええっー! な、何で徳山書記が副部長なんですか! なら私も玲華様と同じ副部長がいいです! そ、そ、そ、それに、な、何でさっきから徳山書記だけ、ご、吾郎くんって……。ゔぇーん、わだじのごどもぶうかぢゃんって呼んでぐだざいよぉ!」
「分かったよ。泣かないで、ぶうかちゃん」
「ぶうかじゃ……ない……もん。ひっぐ……ぶ、ぶうか……だもん……」
「ごめんね、ぶうかちゃん」
「ゔええーん」
「ちょっといいかな!」
 太志の良く通る声が生徒会室に響く。ビクリと肩を震わせる「The・ライト・グリーンキューピッド」のメンバー達。はっと目を覚ました鴨川新九郎は絨毯の上でキョロキョロと辺りを見渡した。
「その事なんだが姫宮さん、何と言ったか……その、王子様部、とやらは作らせてやることが出来ないんだ」
 慎重に言葉を紡ぐ男。玲華の表情がサッと曇ると、涙で濡れた目を限りなく細めた風花は優しげに微笑む生徒会長の顔をギッと睨み上げた。
「会長、貴方は史上最低最悪の極悪人です」
「な、何でだよ!」
「会長さん、どうして?」
 立ち上がった玲華は太志の瞳の奥を覗き込むようにして腰を落とす。夏服の胸元に覗くピンク色のブラジャー。甘美な花の香。全身を硬直させた太志は椅子に座ったまま必死に身を後ろへと引いていった。
「お、王子という単語をオカ研が嫌がるんだ」
「どういうこと?」
「俺にもよく分からないんだが、どうにも心霊学会の方で忌み嫌われているらしい。それと昨年、あの三原麗奈が演劇部に入部してね、それからはもう王子という単語が起爆剤なんだよ。王子様部なんてもってのほかさ」
「王子様研究部だよ」
「研究部も論外だ。占い部とかならばいけるかもしれないが、姫宮さん、どうだろう?」
 太志は眼前に迫る玲華の唇からグッと身をひきながらも何とか笑顔を作った。玲華の瞳に差す影。シュンと唇を立てた玲華は肩を落とすと長い黒髪を横に揺らした。
「占い部じゃ王子の研究出来ないじゃん、論外だよ」
「い、いや、出来るんじゃないか?」
「会長、貴方は人の心を持たない怪物です」
「ちょっと待ちなさいよ!」
 花子の良く通る怒鳴り声が校舎を越えて青空の向こうに響き渡る。授業中の生徒達がビクリと肩を震わせると、職員室にいた教員達は天井を見上げて首を傾げた。
「超自然現象研究部が先でしょーが! 足田太志、超自然現象研究部設立を申請するわ!」
 飛び上がった花子の足が絨毯を踏み締めると、一階の職員室の教員達は「地震か」と慌てて机の下に身を隠した。玲華の吐息に全身の産毛を逆立てていた太志は、怒れる花子の細い瞳を横目に見上げると必死の形相で首を横に振った。
「いや、無理だ」
「何でよ! 部活申請は正当な権利よ!」
「心霊現象研究部と被ってるじゃないか。いや、そもそも君に部活をやってる暇なんかないだろ。頼むから将棋に集中してくれ、俺も期待してるんだ」
「だーかーら、将棋なんてやらないっつってんでしょ! たく、アンタは黙って申請書にサインすりゃいいのよ!」
「会長さん、このままじゃ世界が大変な事になっちゃうよ。だからお願い、早く王子様研究部を作らせて」
 玲華の細い腕が太志の首に巻き付くと、花子の血管の浮かんだ腕が太志の胸ぐらを掴み上げた。
「足田太志ぃ」
「会長さん」
「や、やめ……ちょ、お、おい! そ、そもそも活動内容が不明瞭過ぎる! いったい君たちは何をそんなに研究したいんだ!」
「なぁ部長、部活申請よりも先にやる事があるんじゃないか?」
 単語カードを閉じて立ち上がった太郎は軽く肩を回した。振り返った花子の眉が「はあん」と顰められる。花子の手が離れると、バランスを崩した太志の体がまた玲華の上に覆い被さった。振り上げられる風花の手のひら。鋭い音が校舎を木霊する。
「復興よりも先にやる事? アンタ、舐めてんの?」
「先ずは色々と調べなきゃなんねーだろ。なんでオカ研とやらが出来たのか、とかよ」
「んなもん、興味ないっつの!」
「俺の予想だが、オカ研が出来たから超研が作られなかったんじゃないか?」
「はあ?」
「その辺の事を先ずは当事者に聞いてみようぜ」
「当事者って誰よ?」
「俺の師範に会いに行こう。あの人ならこの不可解な現象の全容を語ってくれるかもしれない」
「アンタの師範ってまさか道教とかいう寺の和尚の事?」
「和尚とは違う、道教は仏教系じゃないぞ」
「似たようなもんでしょーが! つか、そんな暇ないっつの、一分一秒を争う事態なのよ、たく」
「戸田清源」
「……は?」
 聞き覚えのある名前だった。ピタリと動きを止めた花子の頬が固まる。腕を組んだ太郎は曇った窓に視線を送った。
「戸田清源。それが俺の師範の名だ。知ってるよな?」
「あ……あ……」
「言いたくは無かったんだが、こんな状況だ、あの人の力を借りるしかねぇのさ」
「ま、まさか……」
「そうだ、部長、俺の師範は超自然現象研究部創設者の一人だ。まぁ、前の世界での話だがな」
 脳を揺さぶられるような衝撃を受けた花子の体が膝から崩れ落ちる。薄暗い窓。メガネの縁に指を当てた太郎は目を細めた。

 
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