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第二章
明るい緑の天使たち
しおりを挟む「The・ライト・グリーンキューピッド」は暴走集団"火龍炎"の元メンバー五人で構成されたブレイクバンドである。
結成は春先。変わりゆく世界の中でそれでも変わらぬ普遍の愛を描いた歌詞が多くの若者たちの共感を呼び、僅か数ヶ月で知名度が急上昇した彼らは、2014年夏現在、学生たちの間で爆発的な人気を誇るに至っている。因みに、町で睦月花子とエンカウントしてしまった事が"火龍炎"崩壊の直接的原因となったという事実を知る者は少ない。
「"火龍炎"の鴨川新九郎だ……」
「ヤ、ヤバいよ……」
「目を合わせるな、殺されるぞ……」
四階の端。生徒会室の前に集まった心霊現象研究部の部員たち。彼らは徐々に近づいて来る黄色い歓声に足を震わせながら視線を落とした。大柄な男たちの荒い息遣い。視界の端に現れた明るい緑色のギターに男子生徒の一人が「ひっ」と小さな悲鳴を上げる。
「つか、なに?」
「なんかのイベっしょ」
「しんちゃん、これ何の行列だろうね?」
「ふん……」
「きっとシンくんの歌を聞きにきた人達だよ!」
ジャッジャーン、という空気の振動が夏の校舎を突き抜ける。尖った金髪。紫色の毛先。チェーンを首から垂らした鴨川新九郎の長い指がギターの弦を弾く。
「いいぜ、聞きてぇってんなら、聞かせてやんよ」
「いやいや、しんちゃん、流石にここは不味いでしょ」
ベースの長谷部幸平のマッシュルームヘアが横に揺れる。ギターの大野蓮也は、孔雀のように開いたパープルピンクの髪を横にグワンと振ると、オカ研の女子部員の顔を下から覗き込んでいたキーボードの山中愛人の背中を叩いた。
「どーすんよ?」
「やるっしょ」
眉毛の無い男の「愛」のマスクが大きく膨らむ。ドラムの古城静雄は、ふん、鼻から息を吐いた。
「シン、見せてやれ……」
スキンヘッドの大男の筋肉が盛り上がる。
「へ、しゃーね。ぶっちょも居る事だし、ここで新作お披露目といきますか」
ジャーン、とギターの弦を鳴らした新九郎のウィンクにバンドメンバーを取り巻く女生徒達の歓声が頂点に達した。
「やるべ」
「やるっしょ」
「まったく、しんちゃんには振り回されてばっかりだ」
「ふん……」
「ぎゃああああ!」
「聞いてくれ。"エターナル・グリーン"」
ギターの弦の波長。音と音の重なり。
新九郎のハスキーボイスが生徒会室に向かって走った。
「何あれ?」
「さぁ?」
睦月花子と田中太郎が顔を見合わせる。突然現れたパンク集団に向けられた視線。心霊現象研究部の部員達は肉食獣の吐息を恐れる小動物のように奥へ奥へと追い詰められていった。
「あれもオカ研なの?」
花子の視線が足田太志に向けられる。姫宮玲華の横顔を見つめたまま頬を赤らめていた生徒会長の太志は、突然自分に向けられた花子の声にあたふたと視線を泳がせると、コホンと咳払いをしてから廊下を睨んだ。
「そ、そんな訳ないだろ。あれは最近活動を始めたらしいバンドのメンバーだ。全く、騒がしい奴らだよ」
「バンド?」
「そう、あの派手な金髪の男がリーダーの鴨川新九郎だ。"火龍炎"という暴走族の元総長でね、なるべく関わりを持たない方がいい相手さ」
「リーダーノカモガワシンクロウダ? たく、まーた訳分かんない単語が出てきたわね」
花子はやれやれと肩をすくめた。太郎は口を半開きにしたままに頷く事しか出来ない。
「何をしている!」
心霊学会幹部、荻野新平の鋭い怒鳴り声が生徒会室に響く。スーツ姿の男の一喝に、はっと白いフードを揺らした幹部候補生達は慌ててアッシュブラウンの女生徒に視線を戻した。
廊下から響いてくる金髪の大男のハスキーボイス。迫り来る白いフードの男女。やっぱりまだ夢の中なのかな、と麗奈は力無く壁に寄りかかったまま肩を落とした。
「三原麗奈、立て」
幹部候補生の一人が麗奈に冷たい視線を送った。夢見心地に白いフードの女を見上げた麗奈の細い首が微かに横に動く。不可解の連続に麗奈は疲れ果てていた。
チッと舌打ちをした白いフードの女が麗奈の髪に腕を伸ばした。艶のあるアッシュブラウンを掴んだ女が強く腕を引くと、悲鳴を上げた麗奈の体が床に倒れる。花子の額に浮かび上がる血管。玲華の頬にカッと赤みがさす。麗奈を助けようと太郎が足を踏み出したその時、一人の男子生徒が白いフードの女の前に飛び出した。
「俺の女に何してんだ!」
人混みの中から颯爽と現れる猫っ毛の男。麗奈の髪を掴む女の腕を払った吉田障子は、床に蹲った麗奈を守るようにして腕を組むとスーツ姿の小柄な男を睨みつけた。スッと細められる荻野新平の瞳。白いフードの男女が麗奈と障子を取り囲むようにして左右に散らばる。
「おい、それ以上俺の女に近づいたら、誘拐罪で訴えてやるからな」
怯える麗奈を守るように腕を広げた障子は、ワックスで固められた猫っ毛の下の黒い瞳をギッと細めた。生徒会室に流れ続ける男の低い歌声。黄色い歓声。構わず新平が足を踏み出すと、指の骨を鳴らした花子が新平に向かって腕を伸ばした。
「何をやっとるんだあああ!」
新九郎のハスキーボイスを叩き潰す怒鳴り声。シン、と女生徒達の歓声が止むと、動きを止めた一同の視線がまた廊下の向こうに注がれた。世界史の教師、福山茂雄の四角い顔から蒸気が昇る。白いワイシャツを太い腕に捲し上げた茂雄は、息を呑むバンドメンバーを無視して心霊現象研究部の部員たちの横を通り過ぎると、生徒会室の絨毯を力強く踏み締めた。
静寂。一瞬、新平と睨み合った茂雄は、床に蹲ったまま顔を上げる麗奈に視線を落とした。
「三原、無事か?」
コクリと、麗奈の首が縦に動く。ほっと頬を緩めた茂雄は麗奈の元に歩み寄った。
「立てるか?」
「え、あ、はい……」
腕を伸ばした茂雄が麗奈を立ち上がらせる。その様子を呆然と見守る生徒達。振り返った茂雄は麗奈の手を握ったまま廊下に向かって怒鳴り声を上げた。
「もう昼休みは終わるぞ! とっとと教室に戻らんか!」
蜘蛛の子を散らすように走り出す生徒達。新九郎を含む「The・ライト・グリーンキューピッド」のメンバー達は、事の成り行きを見届けようと生徒会室を見つめたまま腰に手を当てた。
ふぅっと疲れたように息を吐いた茂雄は、隣で仁王立ちする障子の肩をポンポンと優しく叩くと、麗奈と共に歩き出した。花子と太郎はやれやれと顔を見合わせる。パイプ椅子に背中を預けた生徒会長の足田太志のため息が曇った窓ガラスの向こうに流れていった。
「お前は事の重大さを分かっているのか?」
新平の低い声が生徒会室に訪れた静寂を震わせる。ただ、茂雄は立ち止まらない。白いフードの男女が足を前に出すと、手のひらを向けた新平が彼らを静止させた。
「祓え給え」
幹部候補生達が一同に手のひらを合わせる。そんな彼らを横目に、胸ポケットから携帯を取り出した新平はそれを耳に当てた。
「……で、結局何だったの?」
花子が首を傾げる。メガネの位置を直した太郎は首を横に振った。
「……さぁ?」
「アンタさっきから、さぁ、ばっかじゃないの!」
「分かんねー事ばっかなんだからしょうがないだろ!」
「たく、使えない奴ね。こら、姫宮玲華! どーなってんのか早く説明なさい!」
麗奈を追って廊下に出ようとしていた玲華の背中に花子が怒鳴り声を上げる。意外にも立ち止まった玲華は唇を結んで花子を振り返った。
「分かんない」
「分かんない、じゃないわよ! てかなによ、吉田何某って結局生きてたの?」
「分かんない」
「吉田何某があのクソモブ女になったつったのアンタでしょーが! つーかあの猫っ毛の天パ、全っ然見た記憶無いんだけど、あそこに居たっけ?」
花子の視線が太郎に向けられる。「さぁ」と太郎は首を横に振るばかりである。
「あの教室で言った通り、三原麗奈が王子なのは事実だよ」
「はぁ? なーんか様子が変だとは思ってたけど、あのモブ女、中身は吉田何某のままだったの?」
「うん」
「つまり吉田何某は二人居るって事なのね?」
「……分かんない」
「だーかーら、分かんないじゃないっつの、このドアホ! 吉田何某はアメーバか!」
「ぶっちょ、つかあの二人、性格違い過ぎっしょ」
「あん?」
突然話に割り込んできた金髪の大男を花子はギロリと睨み上げる。
「いや、歌いながら見てて思ったんすけど……あ、俺ほら、ライブとかでファン観察すんの得意だし」
「誰よアンタ!」
花子の鉤突きが新九郎の脇腹を抉る。新九郎の体が床に倒れると、全てを察しているかのような呆れ顔をしたバンドメンバー達が一斉に合掌のポーズをとった。
「いや、確かにそいつの言う通りだ。俺もあの二人が同一人物だとは思えねぇ。なぁ玲華さん、本当に麗奈さんの中身はその吉田とかいう男子生徒なのか?」
「それは確かだよ」
「ならさっきの天パはいったい誰なんだ?」
「分かんない」
「そもそも、アイツもアレに巻き込まれたんだよな。俺もアイツを見てねーんだが、どうやってアイツはあそこから逃れたんだ?」
「助けたんだよ、誰かが」
「誰かが助けただと?」
「じゃなかったら、あの子がここに居る筈ないの」
玲華の頬が強張る。青白い肌。冷たい何かが太郎の背中を走った。
「どうやって助かったのかも、中に何が入ってるのかも分かんねーって事か……」
「まるで亡霊ね」
扉の向こうを見つめていた花子はふっと息を吐いた。
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