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第二章
隻腕の赤鬼
しおりを挟む14.07.11 / PM12.00 / 富士峰高校校門前。
黒いリムジンが一台、校門前に停止した。コンクリートの壁に覆われた学校。牢獄のようだと助手席に座るスーツ姿の男が有刺鉄線の隙間に覗く校舎の白い壁を睨んだ。ハンドルを握る白いフードの男が看守らしき老人と視線を交わすと、巨大な鉄の門を抜けたリムジンはゆっくりと校舎に向かって進んでいった。
学校は騒然とした。
「ヤナギの幽霊が出たって──」
「取り憑かれた生徒って誰なの──」
「本殿が動き出してるって話だ──」
噂は瞬く間に学校中に広まった。恐怖に慄く生徒がいれば、何処か楽しげに喉を鳴らす生徒もいる。喧騒が富士峰高校を包んでいった。
カツ、カツ、と靴底が廊下を打ち鳴らす鋭い音が校舎に響き渡る。スーツ姿の男が一人。その後ろで俯く白いフードの四人の男女。
生徒たちは怯えた。教室に身を隠した生徒たちは白いフードの影が通り過ぎるのを待った。
「心霊学会の幹部だ──」
「本殿が動いたって事は本当に──」
「また誰か居なくなっちゃうんじゃ──」
「怖い──」
「本殿が動いたんだ。大丈夫さ──」
「それにきっと"隻腕の赤鬼"が僕らを見守ってくれている──」
大野木紗夜は走った。親友の姿を見失ってしまったのだ。今はもはや、安全であると思われていた部室の出入り口は心霊学会の幹部によって塞がれてしまっている。
「三原麗奈は何処だ?」
部室の出入り口に立った黒いスーツの男が声を上げた。白いフードを被った四人の男女が長身の男の背後に控える。
「ぶ、部長はここには居ません!」
演劇部副部長、笹原美波は声を震わせた。その桃色の唇を冷たく見下ろした長身の男がスッと腕を上げると、四人の男女は頷くこともなく足を前に出す。フードは動かさない幹部候補生たち。息を呑んだまま固まっていた演劇部の部員たちは悲鳴を上げた。だが、彼らは構わない。ヤナギの幽霊に取り憑かれたという演劇部部長の捜索のみが心霊学会幹部候補生に与えられた使命なのである。
「何をやっているの!」
大野木紗夜の怒鳴り声が廊下から部室に響き渡った。顔を上げる部員たち。だが、長身の男は動かない。フードを被った男女は捜索を止めない。
「やめて!」
紗夜が長身の男に飛び掛かる。黒いスーツにしがみ付く女学生。首だけを横に向けた長身の男が薄い唇を素早く動かす。
「三原麗奈は何処だ?」
「れ、麗奈は居ません! 風邪気味で、家に帰りました!」
スッと長身の男の目が細められた。腕を振って紗夜の体を廊下に突き飛ばした男は携帯を取り出す。「紗夜!」と演劇部員の一人が倒れた紗夜の元に駆け寄った。
「……ああ、そうだ。B班は校内の捜索を続けろ。C班とD班は三原家へ。E班以下は三原麗奈の向かいそうな場所を徹底して探れ」
部員に肩を支えられながらググッと体を起こした紗夜は携帯を耳に当てた男を睨み上げた。
「……ああ、そうだ。三原千夏の身柄も確保しておけ」
「なっ……」
「我々は旧校舎を探る。B班は学生と協力して三原千夏を抑えろ」
「やめてぇ!」
絶叫した紗夜が男に向かって突進すると、白いフードを被った女が紗夜と長身の男の間に割って入った。突進を軽々と受け止めた女は紗夜を床に組み伏せる。肩を締め上げられた紗夜は激しい痛みに悲鳴を上げた。フードを被った女は悲鳴を楽しむかのように唇を大きく横に広げてみせる。
「やめて! 千夏には手を出さないで!」
「うるさいよ」
「千夏は関係ないの! 麗奈は取り憑かれてなんかない! 離してよ! いやあ!」
「うるさいって言ってるのよ。貴方も山麓送りにされたいの?」
フードを被った女、中間ツグミの冷たい声に紗夜は息を止めた。瞳に涙を溜めた紗夜は悔しそうにツグミを睨む。更に大きく唇を横に広げたツグミは舌で唇を舐めずると紗夜の耳を噛んだ。
「貴方……」
「なんだ?」
長身の男の冷たい声にツグミは言葉を止めた。同様に部室からも音が消える。耳から口を離したツグミはそっと長身の男の横顔を見上げた。寸分の狂い無くシンメトリーに整えらえた細い眉。男の端正な眉がほんの僅かに歪んでいる。ゴクリと唾を飲み込んだツグミの喉の唸りが、シンと静まり返った旧校舎を木霊した。
「……だから、なんだ?」
動きを止めた者たちの視線が長身の男の口元に寄せられる。
「……もうよい、話にならん」
携帯を切った長身の男は部室に背を向けるとスッと歩き出した。白いフードを被った四人の男女は慌てて男の後に続く。体を起こした紗夜は呆然とその背中を見送った。
14.07.12 / PM.15.34 / 理科室。
「八田弘を殺るわよ」
睦月花子の瞳がスッと細められる。「同意だ」と田中太郎はスクエアメガネのブリッジを中指で押し上げた。
黒い実験台を囲んだ七人の生徒たち。陰鬱な空気。いつかの時に響いた歓喜の鼓動は夢だったのだろうか。かつての超研の部室は異様な緊張に包まれている。
「うんうん、あの男は殺っといた方がいいかも」
笑顔の女が一人。姫宮玲華の表情のみが夏の陽光に輝る水面の波紋が如く眩い。対照的に、隣に座った宮田風花の表情は真冬の雨空を思わせる程に暗い。
「私は会長を殺したいです」
風花は噛み締めた歯が青い西日に煌めく。激しい怒り。その瞳は黒い実験台の一点を見つめたままに固まっている。
「うんうん、でも会長さんはまだ使い道があるんじゃないかな」
玲華の何処までも眩しい笑顔。ゴクリと唾を飲み込んだ徳山吾郎は出入り口の位置を確認した。
「僕は……僕を殺したい……」
腹の底から絞り出される声。三原麗奈の瞳に涙が浮かぶ。その茹でた蛸のように真っ赤に染まった頬を、玲華は指の先でプニプニとつついた。
「もう、王子ったら物騒ね。殺すなんて言っちゃダメですよー」
出口までの距離の目算を始めた吾郎は、何時でも逃げられるようにと僅かに腰を浮かした。一人腕を組んで目を瞑っていた鴨川新九郎はクッと舌を鳴らすと、堪り兼ねたように両手で力強く黒い実験台を叩いた。
「ちょっと、皆んな待ってよ!」
「……はあ?」
立ち上がった新九郎に集まる冷たい視線。鬼のように眉を顰めた花子がボキボキと指を鳴らす。
「なぁ皆んな、ラブ&ピースで行こうぜ?」
鳥の巣のように跳ね上がった金髪。広い肩に掛かった紫色の毛先。ヘアアイロンでストレートに伸ばされた前髪に隠された右目。
中指をピンッと立てた新九郎は胸の前で両腕をクロスさせる。銀色の髑髏の指輪。ダダンッと床を踏み鳴らした新九郎が長いチェーンの揺れる右足を四角い椅子の上に叩き乗せると、花子のハイキックが新九郎の顔面を強打した。
「アンタは大人しく寝てなさい」
ふん、と花子は鼻で息を吐く。やれやれとため息をついた太郎は親友の安否を確認した。
「……話は変わるんだが、ちょっといいか?」
「何かな?」
恐る恐る首を傾げた吾郎に、玲華が首を傾げ返す。
「麗奈さんは今、正確に言うと麗奈さんではないのだよな?」
「うん、王子だよ」
「……まぁ、中身が誰かは知らんが、その、危険では無いのかね?」
「うん?」
「その、何だ……また、あの変な空間に飛ばされてしまうという可能性があるのではないか?」
「その時はまた皆んなで外に出ればいいよ」
ニコッと微笑んだ玲華の瞳は夏の青空のように澄み切っていた。ダンッ、と椅子を倒した吾郎の足が出口に向かって跳ねる。目算によって導き出された七歩半という距離。一歩、一歩、と吾郎は床を踏み鳴らす足の音を数えていった。
「副会長さん!」
「はい!」
素早い連携である。出入り口に近い位置に座っていた宮田風花の体が忍者のように跳躍する。吾郎の腰に回される細い両腕。床に倒された吾郎は絶叫した。
「み、見たい番組があるんだ! 離せぇ!」
「駄目でーす。会議はまだ終わってませーん」
吾郎を押し倒した風花の頭を玲華はヨシヨシと撫でた。風花は猫のように喉を鳴らす。
「徳山吾郎、アンタ、恋人が一大事だってのになんて薄情な男なの?」
「だ、だから麗奈さんとは別にそういう関係では無いと……」
「まるで八田弘ね」
ペッと吐き捨てるように吾郎を見下ろした花子が指の骨を鳴らした。その腕に浮かび上がった血管に吾郎は唾を飲み込む。
「さて、会議を再開しましょうか」
玲華がポンと手を叩く。床に蹲っていた吾郎はギロリと玲華を睨み上げた。
「ふざけているか?」
「真剣だよ」
「真剣……? 真剣だって……? こ、こ、この、この世界の有様を見てみろ! 君は、いや、我々はとんでもない事をしてしまったのだぞ!」
「何事もなくて良かったよ」
「どの辺が何事もなかったと言うんだ! 何もかもが変わってしまっているではないか!」
「王子も無事だし、皆んな生きてるし、本当に良かったよ」
「だから僕のどの辺が無事なの?」
麗奈の目がスッと細められる。のそりと立ち上がった吾郎は腕を組んで玲華を睨んだ。
「姫宮くん、先ずは説明したまえ。あの空間は一体なんだったのか。麗奈さんの身に何が起こっているのか。君の知っている範囲でいいから説明したまえ。……人殺しの会議はその後で勝手にやってくれ」
「そうだね。会議の前に先ずは私と王子の身に何が起こっているのかを説明しないとね」
理科室に集まった生徒たち。六人の瞳が髪の長い女生徒の唇に向けられる。スッと玲華の顔から笑みが消えると、吾郎はメガネの縁に指を当てて姿勢を正した。
「昔々、ある所に──」
話は昨日に遡る。
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