天使の報い

忍野木しか

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第一章

天使の思惑

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 日野龍弥は薄ら笑いを浮かべて目の前の女生徒を見下ろした。夏風に波打つロングのダークブロンド。整った顔を怒りに歪める吉沢由里の胸元に覗く白い鎖骨。
「由里ちゃん、ひどくない? 僕も泣いたってのに」
「嘘ついてんじゃねーよ、クソ野郎!」
 頬をルビー色に染めた由里は、細い腕で背の高い龍弥の胸ぐらを掴み上げた。イジメの主犯格。龍弥が、自殺した浜田圭太を校舎裏に連れ込んでいたという事実を知る者は多い。ただ、表立って龍弥を断罪出来る者は少なかった。生徒の大半は龍弥の存在に怯えており、教師は成績優秀で親が政治家の龍弥に一目を置いている。
 校舎の影の風が止む。人けのない駐輪場に響く叫び。
 胸ぐらを掴まれたまま肩をすくめた龍弥は、由里の胸元を見下ろして口元を歪めると、降参したように両手を上げた。
「由里ちゃん、聞いて、君は誤解をしてるんだ」
「誤解だと? テメェが浜田をイジメてたのは皆んなが知ってんだよ!」
「声抑えてって、今、授業中だからさ」
「うるせぇ!」
「……ねぇ由里ちゃん、君って浜田クンと仲良かったけ?」
「んなもん関係ねぇだろうが!」
「あるでしょ? 浜田クンは親友だったけど、彼がイジメられていたなんて話、僕は知らなかったなぁ……。ねぇ、百歩譲って浜田クンが誰かにイジメられてたとしてさ、君は、それを知ってて見過ごしてたって事なのかい?」
 言葉に詰まる由里。浜田圭太のイジメは知っていた。だが、由里はそれをどうにかしようと考えた事は無かった。
 昨日、浜田圭太の家に何故か偶然立ち寄った由里は、悲しみに暮れる圭太の母と、満面の笑みを浮かべる浜田圭太の写真を目撃してしまう。そこで言いようの無い憤りを覚えた由里は、突発的に、イジメの主犯であろう龍弥を断罪しようと決意したのだった。当然、由里に生前の浜田圭太との親交は無い。
 胸ぐらを掴む由里の腕の力が緩むと、龍弥はニヤリと目を細めた。日陰に光る由里のダークブロンドの細い毛先を撫でるように、上げた両手を下げる龍弥。
「由里ちゃんってさ、よく他人に暴力を振るうらしいけど、もしかして君、誰かをイジメてるの?」
「イ、イジメてねーよ」
「だよね、うん、でも誤解しちゃう人もいるかも知れないよ? 僕が誤解されてるみたいにさ」
「誤解って……」
「浜田クンにダンスの趣味があったって、由里ちゃん知ってた? ああ見えて活発な奴だったんだよ、彼」
 八重歯で下唇を噛み締める由里。掴む手を離した由里は、悔しそうに龍弥を睨み上げる。ふふん、と鼻で息を吐いた龍弥は、片手で制服の胸元を整えると口を横に広げた。
「由里ちゃん、君は誤解してるんだ。僕は絶対にイジメなんてやっていないし、もしも親友の浜田クンがイジメられてたんなら真っ先に助けたさ」
「ちっ」
「ああ、そういえば浜田クン、何かに悩んでるって言ってたような……」
「なんだって?」
「僕も、なんであんな気のいい奴が死ななければならなかったのか、真相を知りたい。由里ちゃんも知りたくはないかい? 僕はそれが彼の供養になると思うんだ」
 龍弥は大袈裟に首を振ると、一歩、由里に近づいた。背の高い龍弥の長い首。暗がりに浮かぶ龍弥の両眼の冷たさに、思わず後ろに下がってしまう由里。
 コイツだけは絶対に許さない。
 ぐっとその場に踏みとどまった由里は拳を握りしめた。おっと手のひらを前に出す龍弥。
 ショートボブの女生徒。天使と人の狭間の存在。駐輪場の端で、オレンジ色の小さな植木鉢にナラの苗木を植えていた田中愛は顔を上げた。土まみれの手足。コンクリートに散らばった土。田中愛の隣でせっせと箒を動かす髪の長い天使。
 イジメに対する日野龍弥への報いは一応完遂していた。龍弥の頭に野球ボールを当て、靴に画鋲を入れ、偽のラブレターを机に仕込んだ事を思い返す田中愛。だが、人になりかけているショートボブの天使は湧き上がる負の感情を抑えられない。イライラと苗木を植えた土の表面を押し叩いた田中愛は、ううっと小さな呻き声を上げた。髪の長い天使は箒の穂先で田中愛の土まみれの手を叩く。
 駐輪場での騒ぎを聞きつけた老齢の女性教員が、校庭の端から校舎の影に目を凝らした。イチョウの木の下で見つめ合う由里と龍弥を目にする女性教員。「君たち!」と声を上げた教員は、ツカツカと足を踏み鳴らして二人に近づく。
「由里ちゃん、今夜、暇かい?」
 老齢の女性教員に遠くから頭を下げた龍弥は、顔を上げたままイヤらしい笑みを浮かべた。拳を引っ込めた由里は舌打ちをする。
「暇じゃねーよ」
「浜田クンの事で、ちょっと話があるんだ」
「今、ここで話せ」
「今は無理だよ、由里ちゃん、浜田クンの秘密知りたくない?」
「秘密?」
「そ、多分その秘密が悩みの原因だったと思うんだよね」
 女性教員の荒い鼻息。ふんっと腰に手を当てた教員は、由里と龍弥の顔を交互に見つめると「今は授業中ですよ」と二人に甲高い声を上げた。照れたような苦い笑いを浮かべる龍弥。艶やかな黒い髪に手を当てた龍弥は「すいません」と頭を下げると、女性教員の目を覗き込んで言い訳を始める。背の高い龍弥の少年の面影を残した微笑み。
 日常的に行われる嘘は裁くのが難しい。多くの場合、日常の嘘は他人に迷惑を掛けず、訪れる幸も降り掛かる災いも本人に帰結する。
 朝の授業の終わりを告げるチャイムが遠くに響いた。青い象のじょうろで手作りの盆栽に水を与える田中愛。土に汚れたショートボブの天使の手足を拭く長い黒髪の天使。
 押し黙ったまま腕を組む由里も、龍弥の嘘に真剣な眼差しを向ける女性教員も、誰も彼もが日常的に嘘をつく。
 悪行か、善行か。嘘に隠る真意は何か。
 植木鉢を受け皿に乗せた田中愛は、授けられた感情で、由里に与えるべき報いを考えた。
 






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