アドレナリンと感覚麻酔

元森

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第三章 第十三話

140 ただいま

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◇◇◇◇◇◇◇◇
 
 寮から向かっていくうちに日は落ち、かなり暗くなり、涼しい風が吹いていた。
 お金持ちが多く住む住宅街の道に不釣り合いの引っ越し屋のトラックが止まっている。その場所が聖月の目的地だったので、自然と足の歩幅が大きくなる。
「あ、君塚さんこんにちは~。もう少しで搬入終わるんでっ」
 威勢のいい声の引っ越し屋のお兄さんに声を掛けられ、聖月は慌てて頭を下げた。慌ただしく働き動くお兄さんたちの姿は、この場所に不釣り合いだった。まるで現実感がない『家』だな、と何度見ても思う。和と洋の融合の豪邸は、聖月の目の前にそびえ立っていた。この辺りは高級住宅街だが、宗祐の家はその中でもかなりの豪邸だろう。
 ここで、今日から住むのか―――…。現実感がないまま、聖月はインターフォンを押す。鍵は貰っているし、オートロックの解除方法も知っているが、そのまま入るのはまだ勇気がいる。荷物の搬入のため、ドアは開いているのでそのまま入ってしまえばいいのだろうが勇気が出なかった。
「そのまま入ってくればいいのに」
「ッ、」
 考えていたことを読まれた言葉が聞こえ、聖月は驚く。
 くすくすと笑う声が聞こえ、顔を上げると、いつの間にか目の前に宗祐が立っていた。Yシャツにグレーのストライプが入った黒のスラックスという、相変わらずスタイルが良く見えるカッコいい服を着ており、つい見てしまう。
 今の彼は紳士的で、優しい顔をしており、素である横柄な言い方じゃないので別人にも見えた。
「は、はい…」
「何緊張してるんだ? 早く来なさい。あと、敬語はやめてくれといつも言ってるだろ」
 一気にいつも通りの彼に戻り、ほっと息を吐く。
 紳士的な彼を見ているとどうしてか緊張してしまう。初めて知った時は緊張していたのに、今ではもう逆だ。
「う…ん」
 いつも敬語を使っていたので、いまだにタメ口は慣れない。敬語なんて使う仲じゃないだろ、と宗祐は言ってくれたがまだ聖月には緊張する。
 そんな聖月の心の中を読み取ったのだろう。宗祐はサディストの笑みを浮かべる。その瞳には、ほのかに温かさが含まれていた。
「おかえり」
 宗祐は、口角を上げ聖月に向かって手を差し伸ばす。手が伸ばされ、「おかえり」と言ってくれる。
 「おかえり」なんて家族以外に言われたのは、初めての事だった。―――ミツ――――…。懐かしい、もう二度とこの世には戻ってこない声が脳内に響いた。瞬間、二人の顔を思い出してしまう。目が痛くなり、鼻がつーんと熱く痛くなった。今にも泣きそうになるが、それをグッと堪える。
 だってここで今見せる表情は笑顔だと思うから。
「た…だいま」
 そうぎこちなく笑って見せる聖月に、彼は愉しそうに笑った。
 
 
 引っ越し業者に、家具を置いてもらい、そのまま荷ほどきをやってもらい、聖月の部屋が出来たのは夜の9時を過ぎていた。聖月の部屋まで用意してくれた宗祐は、的確に聖月の家具の配置を指示してくれていた。そういった家具の配置のセンスがない聖月にとってはかなり助かった。
 今まで作業をやってくれた業者さんたちを見送った聖月は、ほっと息を吐く。
 聖月の部屋は、宗祐の部屋の隣の部屋だ。家具も置いてあった場所を、宗祐がわざわざ片づけてくれて用意してくれた。そんな広い部屋に、聖月のこじんまりとした家具が置いてある。寮の部屋と同じ家具を置いているのに、家具の場所が違うからか異なる印象を受けた。まじまじと聖月が自分の部屋を見ていると、宗祐が声をかけた。
「ピザ届いてるから一緒に食べよう」
「う、うん」
 未だにため口は慣れない。だが、腹を刺激するいい匂いが香り、聖月は急いで宗祐の背中を追いかけたのだった。
 広すぎるリビングに置かれたテーブルに、ファーストフードの代表であるピザが乗っている。それはなんとも不思議な光景に見えた。聖月を気遣ってくれたのだろうか。
 宗祐が座った椅子に向かい合い座った聖月は、妙に緊張していた。
「ほら、食べなさい」
「ありがとう…。いただきます」
 切り取ってもらったピザが乗っている皿を貰い、聖月は口に含む。それは、聖月の良く知る、カルビ味のピザだった。肉のうまさが身体に染み渡った。
 すごくおいしい――――。
「おいしい…」
 聖月は感嘆の言葉を紡ぎ、夢中でアツアツのピザを食べる。夜にこうやってピザを食べるなんて、久しぶりの事だった。昔家族でよく食べたデリバリーで頼んだ懐かしいピザの味がして、聖月は頬をいっぱいにして頬張る。お腹が空いていたこともなり、どんどんとピザに手を伸ばす。
 いつの間にか緊張感もなく、ただただ食べていた聖月に、クスリと笑い声が聞こえた。
 ふいに顔を上げると宗祐が目を細めこちらを見ていた。その表情には笑みが浮かんでいる。宗祐は、ピザをあまりピザを食べずに聖月のことを見詰めていたと分かり顔を赤らめる。
「やっぱりフレンチよりファーストフードの方が美味いか?」
「え…っ、と」
 子供っぽいと思われたのかと、聖月は目をうろうろとさせる。舌の味覚が子供っぽい事は自分でも分かっているが、それを彼に『子供舌だと思われている』と考えると羞恥心で煮えたぎる。
 宗祐の言う通り、ディメントで宗祐と食べた料理は値段が高すぎて、よく分からない味がした。美味しいと感じるものも多かったが、たまに分かる人には分かるだろう芳醇な味付けをされた聖月には味付けが不思議なディナーもあった。だから、見知った懐かしいピザの味に、宗祐に普段見せないようながっつき具合を見せてしまったのだ。
 気分を悪くしたのか―――?不安になる聖月だったが、
「そんなに美味しそうに食べるんだったら、初めからファミレスに連れて行けばよかったな」
 愉し気にくしゃりと笑う宗祐に、心臓が高鳴る。見たこともないような、子供っぽい笑みだった。こんな顔もするのか…、そう思っていた時だった。
 だが、すぐに彼は大人の色香を漂わせる。
「―――ッ」
 聖月は、目を見開き、固まった。心臓が早まる。
 宗祐が聖月の顔に手を伸ばし、おもむろに頬を撫でたからだ。何も言わず、頬を撫でる宗祐の目は聖月の良く知っている色をしていた。
「ここ、…ついてる」
 優しく撫でる指を頬から離して宗祐は聖月に自分の指を見せつける。そこにはピザにかかっていたオレンジ色のソースがべったりとくっついていた。その指を見て、聖月は固まった。恥ずかしい、そんな気持ちが沸き上がった。だが、それだけではない。そんな羞恥心とは違う、胸の高鳴りを感じていた。
 宗祐の細く見開かれた瞳には、欲望を感じた。ほの暗い、『ディメント』の色した欲望。
「ぁ…」
 そっと唇を汚れた指で撫でられた。その宗祐の表情は、今にも聖月を襲いかかるの我慢しているモノで。そんなの、見なければよかったとさえ思う。そんな表情をしているなんて分かったら、自分はどんな表情でいればいいのか、これからどうすればいいのか分からなくなってしまう。
 プルルルル…。妙な雰囲気が流れたリビングに、突然電子音が流れる。
「――――電話だ。少し席を外す」
 面倒くさそうに舌打ちをしつつ、宗祐はテーブルに置いてあったケータイを持ってリビングから出ていった。
「…はぁ、」
 ほっと息を吐くと同時に、どっどっどっどっ、と太鼓のように心臓が早鐘を打つ。今まで自分がピザをうまいうまいと言いながら食べていたとは思えないほどの胸の痛みだった。まだ、顔が熱い。まだ宗祐はリビングに戻ってこなさそうだ。
 聖月も暇なので自分のケータイを開くと、メールが届いていた。
「小田桐さん…」
 それはもう1か月前に一足早く借金を返しディメントを辞めたきりからだった。
『今日、ディメントを辞めたんだよね。あと、引っ越したんだよね。おめでとう!! 早速だけど例のプレゼント、渡したいんだけど、いつ会える?』
「……」
 メールの文章に、じーんと、心が温かくなる。
 お祝いの言葉を言われたのが、きりだからだろうか。聖月は急いで、『ありがとう、小田桐さんの都合のいい日に合わせるよ』と打っているとケータイが震えた。
「うわ、電話かっ」
 慣れないことに騒ぎなら、聖月は慌てて通話ボタンを押す。
「もしもしっ」
『あ。ごめんっ、間違えちゃった! 小田桐ですッ、間違えて電話ボタン押しちゃったっ』
 慌てた様子の声が聞こえてくる。それは、メールをくれたきりの声だった。間違えた、ごめんと、繰り返す彼女に聖月も引っ張られつい大声で対応してしまう。
「あ、小田桐さん! え、そうなの?! あ、メールありがとう。小田桐さんの都合のいい日で大丈夫だからっ」
 メールで送ろうとしていた言葉を言うと、電話越しのきりは嬉しそうに声を弾ませた。
『そうなんだっ、じゃあ開いてる予定調べて後でメールするね。急にごめんなさい、またね』
「うん、またね」
 きりは、聖月のまたねという言葉と同時に電話を切った。彼女はテンパっていたのだろう。あまりにきりらしくて通話が終わった後も笑っていると、ふいに視線を感じた。電話が終わりいつの間にかリビングに戻ってきた宗祐だった。彼は、ドアの前に立ち腕を組んでいる。
 その雰囲気は、先程のものより全く変わっていた。先程までの甘い雰囲気がなくなり、ピリピリとした雰囲気を醸し出していた。宗祐の変わりように、聖月は固まる。オーラのある宗祐に、さらに迫力がましたように感じ、特に悪い事をしていないはずなのに不安になった。
「今の誰?」 

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