19 / 26
18(イーリス)
しおりを挟む
世界が音を立てて色を変える。
今まで見えていたものが姿を変え、聞こえていた音の意味が変わる。
私が変わる。
私の知らなかった私が、私の中で、声を上げる。
何度も呼んだフリオの名を叫ぶ。
「……」
頬が熱い。
よって、思わず両手で押さえた。
意図せず瞬きが繰り返され、息があがり、自分が舞い上がっているのがわかり、愕然とした。
フリオは高潔な修道騎士だったのに。
「!」
私は自分の頬を叩いた。
それは目を覚まさせるためや、冷静になるためにそうしたので、頬が痛むほど本気の一撃ではない。フリオも特に言及せず、自身の想いを吐露する。
「だから一人の男になった。神はここにきて愛を与え賜うたようだ。だからといって君が取るべき責任など一つもない。君を危険に晒す方法は二度と選ばない。求婚もしない。以上だ」
「……んんっ」
噎せた。
頬の次は胸を叩く。
「ふりッ、フリオ……私たちはお友達だと思っていたけど……」
「同意する。最近までそう思っていた」
「あ、ありがとう」
「気分が悪ければ、今後一切、君の前には姿を現さない。無論、死角に潜み傍をうろつくような真似もしない」
「いいえ。傍に居て」
自分でも驚くような言葉が滑り出る。
言ってから、それが本心だと納得する。
「君が結婚するまでそうしよう」
「しないわ」
「どうして」
「どうして?相手がいないからよ」
「これから求婚されるだろう。社交界に顔を出さない理由はない」
「理由も、生き方も自分で決めるわ」
「失礼」
「いいえ。謝らないで」
告白の後の会話は今までと同じように淡々と紡がれている。
「何か困った時、必ず声を掛けてくれ。動ける限り君に尽くす」
「ありがとう。私も同じ気持ちよ。あなた、これからどうするの?」
「杖は手放せないが、稽古をつけることはできる。負傷後の振る舞いも詳しい」
「ああ、そういう感じなのね」
「修道士たちも『神に仕えながらこれ以上親密になるよりいい』と喜んでいた」
釘を刺されたようだ。
私たちのふるまいが愛欲や肉欲ではないということを証明して生きていくべきだろう。
愛は、神が人に与えた尊い感情だ。
「話し込んでしまった。今日は、挨拶だけのつもりだったのに。今後の連絡先だ」
お茶を飲み終えたフリオが折り畳んだ紙を無骨な指でテーブルに滑らせる。新しい住所だった。私は頷きながら受け取った。
本当に挨拶だけのつもりだったようで、フリオなりの最大限の速度で腰を上げる。私は急いで席を立ち、背後に回り手を添えた。
万が一フリオに倒れられでもしたら私の腕力では支えられないが、気持ちの問題だ。
フリオに、私と言う杖は必要ない。
「来てくれてありがとう」
「こちらこそ、話せてよかった。ありがとう」
挨拶だけということは、私の返答によってはこれが決別になっていた可能性もあるということだと思うと、改めて焦燥感に駆られた。
併し、私たちは決別には至らなかった。
大切なのはその事実。
見送りに出ると質素な馬車が目に入った。
私が想いを伝えられ、私の心が応じた男性は、本来、神に仕える修道騎士だったのだ。改めて、重々、肝に銘じる。慎重に行動していかなければならない。
姉が修道騎士を堕落させ、妹は略奪婚。
あまり聞こえのいい話ではなく、下手をすればラーゲルベック伯爵家の将来に暗い影を落としてしまうだろう。
父が母の体調を考え三人目以降を断念し息子を諦めた時から、婿ではなく遠縁の男児を迎え家を存続させることが決まっていた。親戚に迷惑を掛けるのは本望ではない。
「道中お気をつけて」
「ありがとう。暴漢くらいなら腕二本でどうとでもなる」
「それは知ってる」
そんな風に今まで通りの雑談をこれまでとは違った熱く甘酸っぱい気持ちで交わしている時だった。
視界の隅に見慣れた馬車が姿を現した。そしてそれが猛進してくるのを見て、私とフリオは口を噤んだ。
ノルドマン伯爵家の馬車だった。
当然、馬車は停まり、中から妹ノーラが重苦しい殺気を漂わせ下り立つ。
「……」
愕然とした。
妹は耐えられると思った。戦うと思った。
逃げ帰ってきてしまっては時間稼ぎにならない。
それまでの浮ついた気持ちが一気に恐れと化し、足から感覚がなくなっていく。
併し次の瞬間、妹が馬車を振り返り誰かに声をかける。
中から少女が姿を現した。
「ジェシカ」
その名を呟くと同時に体が動いた。
私はジェシカに駆け寄り、その小さな体を抱きしめた。
安堵で涙が溢れた。
「ジェシカ……よかった……!」
「イーリス様。ご、御無沙汰しております」
助かった。
悪魔の手から救い出すことができた。
妹が、やってくれた。
「へえ。御存じだったのねぇ、お姉様」
怒りに満ちた声。
その時、私は思い至った。
今この瞬間の妹は婚家ではなく私に憤っている。
「おかえりなさい」
ジェシカの抱擁を解き、覚悟を決め対峙した。
妹の瞳の中で憤怒の炎がこれでもかと揺らめき、鼻息は野生の猛獣を思わせるほどだった。更には体の脇で固く握った拳を震わせていた。
ノーラは自由で、我儘な子だ。
健康で力もあるはずだった。でも、決して手が出ることはない。
私が信じた、強さだった。
「ありがとう」
過去最高の殺意を受け止めながら、私は心からの感謝を伝えた。
今まで見えていたものが姿を変え、聞こえていた音の意味が変わる。
私が変わる。
私の知らなかった私が、私の中で、声を上げる。
何度も呼んだフリオの名を叫ぶ。
「……」
頬が熱い。
よって、思わず両手で押さえた。
意図せず瞬きが繰り返され、息があがり、自分が舞い上がっているのがわかり、愕然とした。
フリオは高潔な修道騎士だったのに。
「!」
私は自分の頬を叩いた。
それは目を覚まさせるためや、冷静になるためにそうしたので、頬が痛むほど本気の一撃ではない。フリオも特に言及せず、自身の想いを吐露する。
「だから一人の男になった。神はここにきて愛を与え賜うたようだ。だからといって君が取るべき責任など一つもない。君を危険に晒す方法は二度と選ばない。求婚もしない。以上だ」
「……んんっ」
噎せた。
頬の次は胸を叩く。
「ふりッ、フリオ……私たちはお友達だと思っていたけど……」
「同意する。最近までそう思っていた」
「あ、ありがとう」
「気分が悪ければ、今後一切、君の前には姿を現さない。無論、死角に潜み傍をうろつくような真似もしない」
「いいえ。傍に居て」
自分でも驚くような言葉が滑り出る。
言ってから、それが本心だと納得する。
「君が結婚するまでそうしよう」
「しないわ」
「どうして」
「どうして?相手がいないからよ」
「これから求婚されるだろう。社交界に顔を出さない理由はない」
「理由も、生き方も自分で決めるわ」
「失礼」
「いいえ。謝らないで」
告白の後の会話は今までと同じように淡々と紡がれている。
「何か困った時、必ず声を掛けてくれ。動ける限り君に尽くす」
「ありがとう。私も同じ気持ちよ。あなた、これからどうするの?」
「杖は手放せないが、稽古をつけることはできる。負傷後の振る舞いも詳しい」
「ああ、そういう感じなのね」
「修道士たちも『神に仕えながらこれ以上親密になるよりいい』と喜んでいた」
釘を刺されたようだ。
私たちのふるまいが愛欲や肉欲ではないということを証明して生きていくべきだろう。
愛は、神が人に与えた尊い感情だ。
「話し込んでしまった。今日は、挨拶だけのつもりだったのに。今後の連絡先だ」
お茶を飲み終えたフリオが折り畳んだ紙を無骨な指でテーブルに滑らせる。新しい住所だった。私は頷きながら受け取った。
本当に挨拶だけのつもりだったようで、フリオなりの最大限の速度で腰を上げる。私は急いで席を立ち、背後に回り手を添えた。
万が一フリオに倒れられでもしたら私の腕力では支えられないが、気持ちの問題だ。
フリオに、私と言う杖は必要ない。
「来てくれてありがとう」
「こちらこそ、話せてよかった。ありがとう」
挨拶だけということは、私の返答によってはこれが決別になっていた可能性もあるということだと思うと、改めて焦燥感に駆られた。
併し、私たちは決別には至らなかった。
大切なのはその事実。
見送りに出ると質素な馬車が目に入った。
私が想いを伝えられ、私の心が応じた男性は、本来、神に仕える修道騎士だったのだ。改めて、重々、肝に銘じる。慎重に行動していかなければならない。
姉が修道騎士を堕落させ、妹は略奪婚。
あまり聞こえのいい話ではなく、下手をすればラーゲルベック伯爵家の将来に暗い影を落としてしまうだろう。
父が母の体調を考え三人目以降を断念し息子を諦めた時から、婿ではなく遠縁の男児を迎え家を存続させることが決まっていた。親戚に迷惑を掛けるのは本望ではない。
「道中お気をつけて」
「ありがとう。暴漢くらいなら腕二本でどうとでもなる」
「それは知ってる」
そんな風に今まで通りの雑談をこれまでとは違った熱く甘酸っぱい気持ちで交わしている時だった。
視界の隅に見慣れた馬車が姿を現した。そしてそれが猛進してくるのを見て、私とフリオは口を噤んだ。
ノルドマン伯爵家の馬車だった。
当然、馬車は停まり、中から妹ノーラが重苦しい殺気を漂わせ下り立つ。
「……」
愕然とした。
妹は耐えられると思った。戦うと思った。
逃げ帰ってきてしまっては時間稼ぎにならない。
それまでの浮ついた気持ちが一気に恐れと化し、足から感覚がなくなっていく。
併し次の瞬間、妹が馬車を振り返り誰かに声をかける。
中から少女が姿を現した。
「ジェシカ」
その名を呟くと同時に体が動いた。
私はジェシカに駆け寄り、その小さな体を抱きしめた。
安堵で涙が溢れた。
「ジェシカ……よかった……!」
「イーリス様。ご、御無沙汰しております」
助かった。
悪魔の手から救い出すことができた。
妹が、やってくれた。
「へえ。御存じだったのねぇ、お姉様」
怒りに満ちた声。
その時、私は思い至った。
今この瞬間の妹は婚家ではなく私に憤っている。
「おかえりなさい」
ジェシカの抱擁を解き、覚悟を決め対峙した。
妹の瞳の中で憤怒の炎がこれでもかと揺らめき、鼻息は野生の猛獣を思わせるほどだった。更には体の脇で固く握った拳を震わせていた。
ノーラは自由で、我儘な子だ。
健康で力もあるはずだった。でも、決して手が出ることはない。
私が信じた、強さだった。
「ありがとう」
過去最高の殺意を受け止めながら、私は心からの感謝を伝えた。
135
あなたにおすすめの小説
婚約破棄を申し込むも、殿下の説得がガチすぎて詰む?
ちゅんりー
恋愛
公爵令嬢リペは、厳しい王妃教育と窮屈な未来から逃れるため、ある画期的な計画を思いつく。それは、世にも恐ろしい「悪役令嬢」になりきって、完璧な第一王子カイルに婚約破棄を叩きつけること!
さっそくリペは、高笑いと共に「不敬な態度」「無駄遣い」「嫌がらせ」といった悪行の数々を繰り出すが……。
悪役令嬢は永眠しました
詩海猫(8/29書籍発売)
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」
長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。
だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。
ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」
*思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m
妹に一度殺された。明日結婚するはずの死に戻り公爵令嬢は、もう二度と死にたくない。
たかたちひろ【令嬢節約ごはん23日発売】
恋愛
婚約者アルフレッドとの結婚を明日に控えた、公爵令嬢のバレッタ。
しかしその夜、無惨にも殺害されてしまう。
それを指示したのは、妹であるエライザであった。
姉が幸せになることを憎んだのだ。
容姿が整っていることから皆や父に気に入られてきた妹と、
顔が醜いことから蔑まされてきた自分。
やっとそのしがらみから逃れられる、そう思った矢先の突然の死だった。
しかし、バレッタは甦る。死に戻りにより、殺される数時間前へと時間を遡ったのだ。
幸せな結婚式を迎えるため、己のこれまでを精算するため、バレッタは妹、協力者である父を捕まえ処罰するべく動き出す。
もう二度と死なない。
そう、心に決めて。
【完結】私が誰だか、分かってますか?
美麗
恋愛
アスターテ皇国
時の皇太子は、皇太子妃とその侍女を妾妃とし他の妃を娶ることはなかった
出産時の出血により一時病床にあったもののゆっくり回復した。
皇太子は皇帝となり、皇太子妃は皇后となった。
そして、皇后との間に産まれた男児を皇太子とした。
以降の子は妾妃との娘のみであった。
表向きは皇帝と皇后の仲は睦まじく、皇后は妾妃を受け入れていた。
ただ、皇帝と皇后より、皇后と妾妃の仲はより睦まじくあったとの話もあるようだ。
残念ながら、この妾妃は産まれも育ちも定かではなかった。
また、後ろ盾も何もないために何故皇后の侍女となったかも不明であった。
そして、この妾妃の娘マリアーナははたしてどのような娘なのか…
17話完結予定です。
完結まで書き終わっております。
よろしくお願いいたします。
婚約者様への逆襲です。
有栖川灯里
恋愛
王太子との婚約を、一方的な断罪と共に破棄された令嬢・アンネリーゼ=フォン=アイゼナッハ。
理由は“聖女を妬んだ悪役”という、ありふれた台本。
だが彼女は涙ひとつ見せずに微笑み、ただ静かに言い残した。
――「さようなら、婚約者様。二度と戻りませんわ」
すべてを捨て、王宮を去った“悪役令嬢”が辿り着いたのは、沈黙と再生の修道院。
そこで出会ったのは、聖女の奇跡に疑問を抱く神官、情報を操る傭兵、そしてかつて見逃された“真実”。
これは、少女が嘘を暴き、誇りを取り戻し、自らの手で未来を選び取る物語。
断罪は終わりではなく、始まりだった。
“信仰”に支配された王国を、静かに揺るがす――悪役令嬢の逆襲。
(完)貴女は私の全てを奪う妹のふりをする他人ですよね?
青空一夏
恋愛
公爵令嬢の私は婚約者の王太子殿下と優しい家族に、気の合う親友に囲まれ充実した生活を送っていた。それは完璧なバランスがとれた幸せな世界。
けれど、それは一人の女のせいで歪んだ世界になっていくのだった。なぜ私がこんな思いをしなければならないの?
中世ヨーロッパ風異世界。魔道具使用により現代文明のような便利さが普通仕様になっている異世界です。
義母と義妹に虐げられていましたが、陰からじっくり復讐させていただきます〜おしとやか令嬢の裏の顔〜
有賀冬馬
ファンタジー
貴族の令嬢リディアは、父の再婚によりやってきた継母と義妹から、日々いじめと侮蔑を受けていた。
「あら、またそのみすぼらしいドレス? まるで使用人ね」
本当の母は早くに亡くなり、父も病死。残されたのは、冷たい屋敷と陰湿な支配。
けれど、リディアは泣き寝入りする女じゃなかった――。
おしとやかで無力な令嬢を演じながら、彼女はじわじわと仕返しを始める。
貴族社会の裏の裏。人の噂。人間関係。
「ふふ、気づいた時には遅いのよ」
優しげな仮面の下に、冷たい微笑みを宿すリディアの復讐劇が今、始まる。
ざまぁ×恋愛×ファンタジーの三拍子で贈る、スカッと復讐劇!
勧善懲悪が好きな方、読後感すっきりしたい方にオススメです!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる