君の為の物語

有箱

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 いつも以上に脳が冴えている。アイデアが欲しい時にこそ、このくらい冴えてほしかったものだ。

 結局、猶予を受け入れ、結論を出さずに床に入った。だが、本当に入っただけだ。今日は眠って明日考え直すのがいいーーそんな思考の訴えに従えず、悶々と今後を描いてしまう。どちらに転ばせても、見える未来は歪んでいた。
 
「おはよー、寝れた? そろそろ仕事行くね」

 扉の開く音に叩かれ、飛び起きる。脳を苛めている内に眠っていたらしい。心なしか、体の重みが減った気がする。
 陽菜乃はいつも通りの笑顔を飾っていた。カーテンを開く横顔は何も変わらない。

「帰りに実家寄るから遅くなるかも。朝ごはんは机の上で、昼夜分は冷蔵庫の中ね。食べたくなったら食べて。足りなかったらカップ麺とかもあるから」
「……いつも本当にありがとう。行ってらっしゃい」
「ん、行ってきます。折角だからのんびりしなねー」

 さっと手を降られ、振り返した。無償の配慮に、今日は一段と心が留まる。
 陽菜乃は本当に何も言わず、至極当然のように私を支えてくれる。それがどれだけ難しいことか、きっと私には測れない。計れないからこそ、絶対に報いたいと思う。
 
 一旦トイレに立ち、思考を回しながら部屋に戻った。パソコンの前に腰を落とし、指先を電源に向けたところで我に返る。習慣に呆れながら、現在《いま》の方に意識を切り替えた。

 陽菜乃の薦め通り、本日は心身の休息に力を入れようーーと決めたはいいものの、早速壁に衝突する。予定を常に埋めていた人間に、空いた穴の塞ぎ方など分かるはずがなかった。

 定位置に居座るのは違うとだけ判断し、目的もなく腰をあげてみる。第一の行動に迷った末、ひとまず朝食を採ることにした。
 
 リビングに行くと、見慣れた握り飯と書き置きがあった。ふわりと掛けられたラップには、少し蒸気が張り付いている。

"おにぎり 冷めたらシュッと水かけて レンジで温めてね"

 添えられた霧吹きへ、矢印が向いている。いつもこうやって復活させていたのか、と今さら知った。
 温かさの残る握り飯にかじりつく。瞬間、鈍っていた涙腺が切れた。ボタボタと制御の効かない涙が落ちる。

 ああ、やっぱり彼女の為にもやめてしまおう。このまま続けても悪循環するだけだ。きっとそれがいい。
 心に浮かんだ文字は、スッと心裏に馴染んだ。

***

 二十一時を過ぎた頃、鍵の回る音が聞こえた。生活音をくっきりと聞いたのはいつぶりだろう。音を上げる駆け足に耳を貸し、扉が開くのを待った。

「おかえり陽菜乃」
「ただいま、のんびりできた!?」

 パッと光る快活さは、疲れを微塵も悟らせない。

「うん。こんなに何もしなかったの久々かも。あ、ご飯ありがとう。全部美味しかった」
「それは良かったー」

 好きだった本を捲ったり、運動を試みたりした。だが、結局は手に付かず、無意味に壁と背を繋いで終わった。

「陽菜乃。私さ、就職活動でもしようかと」
「結論が早い!」
「えっ」

 結論の暴露を、早々打ち切られて動揺する。陽菜乃は入室すると、持っていた紙袋から何かを取り出した。

「今日、良いもの持ち帰ってきた」
「これって……!」
「懐かしいでしょー」

 一目見て正体を把握する。床に並んだのは、数冊のノートだった。幼少時代を共に歩んだ自作小説たちである。
 書き上げては、唯一の読者である陽菜乃に渡していた。忘れてはいなかったが、記憶の端に追いやっていた。約二十年の時を経て、羞恥心が込み上げる。

「これはSFでこっちは恋愛、これは冒険ファンタジーでこれはグルメ! 本当にいっぱい書いてくれたよね」

 陽菜乃は作者ですら忘れていたジャンルを、タイトル一つで紐付けて見せた。あの頃は、自分の興味を反映させたものばかり書いていたものだ。

 パラパラと捲ってみる。正直、内容は一つだって覚えていない。ただ、当時の感情だけは、感覚としてはっきり残っていた。
 流し読みを許さない文章が、未熟さを醸している。それでも、あの頃は本当に楽しかった。

「こんな古くて下手くそなのに、とっておいてくれたんだ」
「宝物だもん。拙いけど、温かくて楽しくて元気が出るんだ。ここには聖くんの好きって気持ちが溢れてるから」
「……そっか」
「折角だし、ちゃんと読んでみようよ。私も久々に読みたくて持ち帰ったんだ」
「……いいかもな」
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