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夕刻、アルバイトから帰宅し、一直線に自室に潜る。パソコン前で腰を落とし、スリープ状態を解除した。握り飯を目にいつもの展開を見つつも、普段通りの行動を選ぶ。
本日、バイト先で新たな情報を得た。その段階で世界は慌ただしい改革を始め、脳内は新たな展開で忙しかった。
ゆえに、一つも落とさないよう、必死になって文字に記憶を委ねる。それを基に物語を再構築ーーしていると、またあの声が聞こえた。
「あっ、ごめん。またやっちゃった。おかえり」
「ただいま。今日も集中してるね。この感じだと寝てもいないでしょ」
「今日、バイト先の子から流行りの話を聞いてさ……って言い訳みたいだよな」
電灯の照明が朝日に馴染んでいる。時間の経過を自覚し、今さら疲れが押し寄せた。だが、表には出さないよう努める。
陽菜乃は屈み、私の瞳を覗き込んだ。浅く首を傾げ、眉をややハの字に垂らす。
「それで書きたくなっちゃったんだ?」
「て言うか、書いておかないと忘れそうで……」
「なるほど。それで納得いく話にはなりそう?」
愛ある困り顔は、今日も私への心配だけを醸していた。そろそろ怒りを含めてもおかしくはない。そういつも覚悟しているが、陽菜乃は何度でも裏切ってくれる。
「うーん、納得はあんまり。でも手応えはある……かな!」
「そっかぁ」
その優しさに、何度救われ、何度責められているだろう。
今回こそは栄光を取り戻すーー決意に近い意思で臨んだせいか、その後何とか作品が完成した。駄作が残した欠点を改善し、最前線の情報を詰め込んだ超大作である。
個人的に好みの話とは言い難いが、心血は注いだ。これならば行ける、との確信が胸の中で飛び跳ねている。勢いが沈静しない内にと、パソコン上でメールアプリを起動した。
宛先に表示させたのは、担当編集者のアドレスだ。幾度と繰り返した、修正のやりとりが連想される。無意味と化した時の、あの悲しみを併せて。アドレスに掛かるネガティブなフィルターが、不安の感覚を呼び覚ました。だが、振りきって打ち込む。
"こんばんは、お久しぶりです。作品が完成したのでメールさせて頂きました"
***
何度かやり取りし、承諾を得てデータファイルを送信した。完読し次第、連絡をくれるそうだ。
直後、夜勤中の陽菜乃にも報告を入れる。二通とも早い返信はないと判断し、一時的に眠ることにした。心が波打ち、ほとんど眠れなかったが。
陽菜乃から返事が戻ったのは翌朝だった。受信欄には短いメッセージがあり、文字にないはずの暖かな色を見た。帯びる温度に、心が二つの動きを見せる。それは、曖昧に浮かんでは消えた。
脳内で、対の未来が並行に描かれる。確信を揺るがす、根拠のない不安が溢れては私を突《つつ》いた。結果、アルバイトでもミスを連発した。だが、私に出来ることなど、時間に流されるしかないのだ。
早足で帰宅し、一目散に自室へ飛び込む。パソコンを起動させ、スマートフォンも立ち上げた。更新のない返信を眺めては、純粋な嬉しさと裏切る怖さを上塗る。
陽菜乃とは擦れ違いで、昨夜から会っていない。ただ、もうじき帰宅するはずだ。
どんな顔で対面すればいいのかーー迷いが浮上すると同時に、パソコンに通知が表示される。すかさずクリックすると、詰まった文章が目に飛び込んだ。宛先を確認し、一行目から丁寧に文字を追っていく。
"拝読いたしました。結論から言わせて頂きますと、このままでの出版は難しいです。大幅な変更が必要になるかと。設定自体は面白いのですが、中身が伴っていないと感じました。ニーズに合わせてあるのは良いのですが、引き寄せられる個性がないと言うのでしょうか。光るものが二、三個欲しいですね。例を挙げるとするならばーー"
最後の一文字まで完走し、一旦息を吐いた。それから、再び冒頭まで視線を戻す。暴れだした感情を冷静に導くため、何度も文字を撫で回した。だが、冷静は心に到達しなかった。
個性も中身も、精一杯詰め込んだ積もりだった。でも駄目だった。それら全て、透明に見えてしまったなら。
これ以上昇華させる力なんて、私にはない。
「もう書くのやめようかな……」
修正を重ねたところで実はつかない。判明した時点で、気力が死ぬのは必然だった。
***
素早い読了への感謝と、修正の保留だけを何とか編み上げて飛ばした。大仕事を終えた後のように、ぐったりと力が抜けてしまう。真後ろへ背中を落とした時、部屋の扉が空いた。
「ただいまー! 返事来た?」
「あーうん……」
駄目だったーーたった五文字に泣きそうになる。だが、笑顔で吐き出して見せた。
毎度ながら、努力を泡に変えた後は堪える。単純な会話ですら、脳が拒否しているようだ。
陽菜乃は悟ったのか、屈んで私の頭を撫で出した。無邪気な笑顔がそこにはある。
「そっか。とりあえず一旦お疲れ様。明日からは修正? 新作?」
表情に被せられた自然体が、彼女なりの慰めを見せた。この先も君についていくよーー語られずとも語られた思いに、唇が反応する。
「私、書くのやめようかと思う」
「えっ」
勢いでの告白に、自分でも驚いた。だが、今さら巻き戻せないと続きを手繰り寄せる。
「ごめん急に。でも思ったんだ。続けても意味ないよなーって。陽菜乃の為にも、そろそろ職を固めた方がいいだろうし……この際封印してもいいかな、と」
「そっか……」
悲しげな瞳と眉が、本音を擽った。恐れていた反応に、同じ顔をしかける。伝染に気付いたのか、陽菜乃は急に悲しみの気配を取り去った。変わりに満面の笑みを引き寄せて。
「とりあえず明日は一日休んでみたら? 今は疲れてるだけかもしれないし、結論を急ぐ必要はないと思うよ。貯金だってあるし、考えるのはその後でどう? ねっ」
劇場でならば完璧な笑顔に、私は何も言えなかった。
本日、バイト先で新たな情報を得た。その段階で世界は慌ただしい改革を始め、脳内は新たな展開で忙しかった。
ゆえに、一つも落とさないよう、必死になって文字に記憶を委ねる。それを基に物語を再構築ーーしていると、またあの声が聞こえた。
「あっ、ごめん。またやっちゃった。おかえり」
「ただいま。今日も集中してるね。この感じだと寝てもいないでしょ」
「今日、バイト先の子から流行りの話を聞いてさ……って言い訳みたいだよな」
電灯の照明が朝日に馴染んでいる。時間の経過を自覚し、今さら疲れが押し寄せた。だが、表には出さないよう努める。
陽菜乃は屈み、私の瞳を覗き込んだ。浅く首を傾げ、眉をややハの字に垂らす。
「それで書きたくなっちゃったんだ?」
「て言うか、書いておかないと忘れそうで……」
「なるほど。それで納得いく話にはなりそう?」
愛ある困り顔は、今日も私への心配だけを醸していた。そろそろ怒りを含めてもおかしくはない。そういつも覚悟しているが、陽菜乃は何度でも裏切ってくれる。
「うーん、納得はあんまり。でも手応えはある……かな!」
「そっかぁ」
その優しさに、何度救われ、何度責められているだろう。
今回こそは栄光を取り戻すーー決意に近い意思で臨んだせいか、その後何とか作品が完成した。駄作が残した欠点を改善し、最前線の情報を詰め込んだ超大作である。
個人的に好みの話とは言い難いが、心血は注いだ。これならば行ける、との確信が胸の中で飛び跳ねている。勢いが沈静しない内にと、パソコン上でメールアプリを起動した。
宛先に表示させたのは、担当編集者のアドレスだ。幾度と繰り返した、修正のやりとりが連想される。無意味と化した時の、あの悲しみを併せて。アドレスに掛かるネガティブなフィルターが、不安の感覚を呼び覚ました。だが、振りきって打ち込む。
"こんばんは、お久しぶりです。作品が完成したのでメールさせて頂きました"
***
何度かやり取りし、承諾を得てデータファイルを送信した。完読し次第、連絡をくれるそうだ。
直後、夜勤中の陽菜乃にも報告を入れる。二通とも早い返信はないと判断し、一時的に眠ることにした。心が波打ち、ほとんど眠れなかったが。
陽菜乃から返事が戻ったのは翌朝だった。受信欄には短いメッセージがあり、文字にないはずの暖かな色を見た。帯びる温度に、心が二つの動きを見せる。それは、曖昧に浮かんでは消えた。
脳内で、対の未来が並行に描かれる。確信を揺るがす、根拠のない不安が溢れては私を突《つつ》いた。結果、アルバイトでもミスを連発した。だが、私に出来ることなど、時間に流されるしかないのだ。
早足で帰宅し、一目散に自室へ飛び込む。パソコンを起動させ、スマートフォンも立ち上げた。更新のない返信を眺めては、純粋な嬉しさと裏切る怖さを上塗る。
陽菜乃とは擦れ違いで、昨夜から会っていない。ただ、もうじき帰宅するはずだ。
どんな顔で対面すればいいのかーー迷いが浮上すると同時に、パソコンに通知が表示される。すかさずクリックすると、詰まった文章が目に飛び込んだ。宛先を確認し、一行目から丁寧に文字を追っていく。
"拝読いたしました。結論から言わせて頂きますと、このままでの出版は難しいです。大幅な変更が必要になるかと。設定自体は面白いのですが、中身が伴っていないと感じました。ニーズに合わせてあるのは良いのですが、引き寄せられる個性がないと言うのでしょうか。光るものが二、三個欲しいですね。例を挙げるとするならばーー"
最後の一文字まで完走し、一旦息を吐いた。それから、再び冒頭まで視線を戻す。暴れだした感情を冷静に導くため、何度も文字を撫で回した。だが、冷静は心に到達しなかった。
個性も中身も、精一杯詰め込んだ積もりだった。でも駄目だった。それら全て、透明に見えてしまったなら。
これ以上昇華させる力なんて、私にはない。
「もう書くのやめようかな……」
修正を重ねたところで実はつかない。判明した時点で、気力が死ぬのは必然だった。
***
素早い読了への感謝と、修正の保留だけを何とか編み上げて飛ばした。大仕事を終えた後のように、ぐったりと力が抜けてしまう。真後ろへ背中を落とした時、部屋の扉が空いた。
「ただいまー! 返事来た?」
「あーうん……」
駄目だったーーたった五文字に泣きそうになる。だが、笑顔で吐き出して見せた。
毎度ながら、努力を泡に変えた後は堪える。単純な会話ですら、脳が拒否しているようだ。
陽菜乃は悟ったのか、屈んで私の頭を撫で出した。無邪気な笑顔がそこにはある。
「そっか。とりあえず一旦お疲れ様。明日からは修正? 新作?」
表情に被せられた自然体が、彼女なりの慰めを見せた。この先も君についていくよーー語られずとも語られた思いに、唇が反応する。
「私、書くのやめようかと思う」
「えっ」
勢いでの告白に、自分でも驚いた。だが、今さら巻き戻せないと続きを手繰り寄せる。
「ごめん急に。でも思ったんだ。続けても意味ないよなーって。陽菜乃の為にも、そろそろ職を固めた方がいいだろうし……この際封印してもいいかな、と」
「そっか……」
悲しげな瞳と眉が、本音を擽った。恐れていた反応に、同じ顔をしかける。伝染に気付いたのか、陽菜乃は急に悲しみの気配を取り去った。変わりに満面の笑みを引き寄せて。
「とりあえず明日は一日休んでみたら? 今は疲れてるだけかもしれないし、結論を急ぐ必要はないと思うよ。貯金だってあるし、考えるのはその後でどう? ねっ」
劇場でならば完璧な笑顔に、私は何も言えなかった。
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